指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『その河をこえて、5月』

2005年05月31日 | 演劇
平田オリザと韓国の二人の演出家との合作による劇の再演である。2002年には、日韓両国で上演され、好評を博したそうだが、私は良いとは思わなかった。
理由は、この劇の構造には、反対意見が存在しないからである。
全員が、日韓友好親善万歳だからで、これでは劇にならない。
北朝鮮はもとより、韓国にも反感を持つ日本人は多数いる。その意識を劇に取り込まなくてはドラマは本来成立しないはずだ。
だから、この劇はただの雑談にしかならないのである。

日本はトロピカルらしい。

2005年05月31日 | 横浜
横浜のみなとみらい21のコンベンション・センター・パシフィコ横浜の真ん中にプラザという大きな広場がある。
会議センター、ホテル、展示場、国立大ホールを結ぶもので、総石張りの巨大な広場である。
ほとんど石だけで緑がきわめて少ない。夏はいいが冬は大変寒々しい。
実は、そこはアメリカ人建築家の設計で(パシフィコの他の施設は、総て日建設計によるものだが、プラザは急遽設計変更したためアメリカ人に委託した)、彼は現地を見ずに設計してしまった。
そして、アメリカ人建築家は、日本はトロピカルだと思っていたため、地中海風の石張りの広場を作ってしまったのだ。
彼らにとっては、日本も香港、ベトナムも大して違いがないのだろう。
最近、様々なマンションで地中海風のものがあるが、外国人の設計だとしたら、それは大抵誤解によるものである。

北中正和さんにお会いした。

2005年05月29日 | 音楽
新国立劇場で、平田オリザの嫌味な芝居『その河をこえて、5月』を見た後、バスで渋谷に出る。
気分直しに音楽評論家・原田尊志さんの宮益坂の店「エル・スール」に行くと、音楽評論家の北中正和さんが偶然いられた。
北中さんにお会いするのは、「ウォーマッド横浜」でお世話になった時だから、十数年ぶりである。
相変わらずやせて、ひげを生やされていて仙人風だった。
「ブログを見てますよ」と言われ、体のことを聞かれ、説明をしていて、昔のお礼を言うのを忘れてしまう。その節はいろいろと有難うございました。この場を借りてお礼いたします。
北中さんはすぐに帰られるが、残ってレコードを探す。

『モデルノ・ノスタルジア・ブラジル』というドリス・モンテイロやマイーザ、カルロス・リラらが入ったボサ・ノバのオムニバスCDと、メリー・ホプキンのLP『ポスト・カード』を買う。『ポスト・カード』には、大ヒット曲『悲しき天使』が入っている。カメラはリンダらしい。
ジョー・ミークのLPもあったが、いずれ買うことにして、今日はやめて横浜に帰る。
平田の芝居は予想どおり不愉快だったが、エル・スールで良いレコードを買ったので、気分が晴れた。

塩屋崎が変わっていた。

2005年05月28日 | 音楽
業務で福島に行き、帰りに美空ひばりの『みだれ髪』に歌われた塩屋崎に寄った。
昔、十数年前に行ったときは、ひばりの碑があるだけで、周囲も狭く何もなかったが、今回行って全く変わっていた。

山が崩され、碑の周りが広く開発され、大きな駐車場、レストラン、土産物店等が出来ていた。
また、海岸線に沿ってきちんと道路が建設され(以前は狭い泥道を5分以上歩いて現場に行った)、海岸線にはひばりの『悲しき口笛』の銅像が建っていた。

虎は死んで皮残す、ひばり死んで経済効果を残す。

山田真二

2005年05月27日 | 映画
岡本喜八監督の『結婚のすべて』『若い娘たち』はどちらも、雪村いづみ、山田真二の主演だった。
この二人はコンビで、当時東宝の青春スターだった。二人とも日本人的ではなく、歌が歌えるところが共通していた。ミッキー・カーチスもそうだった。
山田の唯一の大ヒットは『哀愁の町に霧が降る』である。彼はとても歌が下手だったが、なんと東洋音楽学校付属高校だったらしい。
西欧人風ルックスだが、たいして人気にはならず、映画史的には舛田利雄の大傑作『紅の流れ星』で、浅丘ルリ子の恋人で失踪する(実は殺されている)役で残るだろう。

『結婚のすべて』

2005年05月26日 | 映画
今年なくなった岡本喜八監督のデビュー作。
新劇研究生の雪村いづみが、恋人山田真二と別れ、会社員仲代達矢との平凡な結婚を選択する話。
当時、若者の生態は「太陽族」に象徴される先端的な風俗があったが、実はこういうものではないか、と示した作品だろうと思う。対比される雪村の姉新珠三千代が結婚した相手が、上原兼でこれが東北弁の朴念仁の哲学教授というのが、笑わせる。上原はとても上手い。

ともかく、全体のリズムと画面が素晴らしい。こういう作品がプログラム・ピクチャーとして普通に封切られていた時代のレベルの高さ。
後の『独立愚連隊』シリーズで有名となる岡本喜八だが、処女作ですでに才能を現していた。
私は、前に予告編をテレビで見て、是非見たいと思っていたが、本当に最高だつた。
雪村の恋敵の団玲子のダンスのステップをローアングルで撮ったところなど、リズム感覚も最高。
『スイング・ガールズ』より、はるかにジャズ感覚がある。
三船敏郎が、新劇演出家で出演。皆岡本のデビューを祝ってのことらしい。当時、東宝では新人監督は堀川弘通と筧正典以後いなかったらしい。同時期に出た、沢島忠、中平庚、増村保造、さらに少し後の須川栄三、森谷司郎らの東宝の監督に比しても不遇な感じもした岡本だが、作品を眺めれば結構いい作品を残したという気がする。

カェターノ・ベローゾはよくなかったが、『結婚のすべて』と『若い娘たち』は最高だった。

2005年05月25日 | 音楽
ブラジルを代表する歌手・カェターノのコンサート(東京国際フォーラム)は、正直に言って余り良くなかったが、昼に新文芸座で見た岡本喜八監督の『結婚のすべて』と『若い娘たち』は大変面白かった。
むしろ、岡本作品に感動したので、カェターノに感じなかったのかもしれない。詳細は、また書く。

小田島恒志も宮田慶子も日本語を知らない

2005年05月23日 | 演劇
昨日の『グリマー・アンド・シャイン』の中で、高橋和也が自分の力量を謙遜して「俺には役不足だ」という台詞があり、一瞬「あれっ」と思った。
「役不足」とは、偉い人が軽い役目をやるときに使う言葉で、語源である歌舞伎ではそういう時は、二役で女形をやらせたり、他の狂言で良い役を与えたりする。
地位の低い者が重い役をやるときは、「役不足」ではなく、「役者が不足」と言う。
演劇界の人間(翻訳の小田島も、演出の宮田、あるいは他の役者も)がこうした基本的な用語を知らないとは実に恥ずかしいことである。

『グリマー・アンド・シャイン』

2005年05月22日 | 演劇
前に映画『スイング・ガールズ』のところでも書いたが、日本でジャズは本当に堕落した音楽になったようだ。と言うより、ジャズを聞く側の意識が堕落している。

この劇は、1950年代にジャズのコンボを作っていた双子の兄弟(山路和弘、羽場祐一)の話で、一方がジャズから足を洗い、ビジネスで成功する。1990年偶然、彼らのコンボの一員だった奴の子で、兄弟のジャズを止めなかった方と一緒に住んでいる若者(高橋和也)が知り合って、というものである。
アメリカでは、ジャズはエスタブリッシュメントが聞くものではないようだ。だが、日本ではジャズは今や第二クラシックである。劇場ロビーには、この公演にちなみ『ジャズ入門編のCD』まで売られていた。

かつてジャズは、日本でも不良の音楽だった。ジャズの語源がセックスを意味する黒人のスラングであることは、以前にも書いた。ロック、ジャイヴ、すべてセックスに関連した隠語である。日本のハクイやマブイもその類であろう。
1960年代、私が高校生のとき、ジャズの外タレ(外国から来たタレント)のコンサートに行くと、常にヤクザ風の人がいたものである。
新宿にあった「キーヨ」というジャズ喫茶などは、ヤクザの溜まり場で有名だったので、一切行かなかった。

これは、それ程つまらない劇ではなかったが、昔のジャズ・ファンとしては、なんとも複雑な気持ちで劇場を出たのである。演出の宮田慶子は俳優座の演出家だが、ジャズをよく分かっていないように思えた。俳優座はサブ・カルチャーに弱いので、こういう劇は無理なのだと思う。
高橋和也はよくやっているが、真中瞳は全く魅力のない女優だな。

『いとこ同志』

2005年05月22日 | 演劇
作・演出坂手洋二。出演渡辺美佐子、串田和美、宮本裕子、佐藤アツヒロ。シアタートラム(世田谷パブリックシアター)
渡辺と串田はいとこで、若い頃恋仲だった。串田は、内ゲバで脳を損傷し、記憶喪失の代わりに将来を予知する能力ができ、国のスパイになる。串田のスパイ活動をもとに渡辺は冒険小説を書きベストセラーになる、というような筋はどうでもいいことで、テーマはいとこ婚の問題なのだ。
渡辺の息子佐藤も、いとこの宮本を愛し結婚しようとしている。
要は、いとこ婚への偏見の打破がこの劇のテーマである。
筋も面白いし、役者の演技も悪くない。(宮本と佐藤が、渡辺と串田の若いときを演じるが、宮本のように背の高いスタイルの良い女が、いくら加齢とは言え渡辺のように短側胴長になるのは変だが)

だが、いつも坂手の芝居に感じる疑問をここでも感じた。
それは、この程度の(と言っては申し訳ないが)問題をそう大げさに問題視することはないのでは、と思うのである。
真面目に大問題視するので、どこか違和感を抱いてしまったのである。

『狐と狸』

2005年05月21日 | 映画
『狐と狸』は、甲州人の映画だった。
原作熊王特平、脚本菊島隆三、監督千葉泰樹。昭和34年制作。
甲州の洋服を行商するインチキ商人、加東大介、小林桂樹、山茶花究、森繁久弥、三井弘二らの話。大学出の夏木陽介が新人の行商人。
潮来の水郷地帯の農家に「純綿」と言って化繊、スフの洋服を売りつける。
原作の熊王は勿論甲州人で、脚本の菊島も同じ、この時期東宝グループの指導者だった小林一三も、人も知る甲州人。すなわち、この映画は甲州人による甲州人を描いた作品なのである。
最後、村人を騙して大もうけした加東が、森繁によって大部分の金を持ち逃げされる、という正義による復讐が、当時の東宝映画の道徳性である。
つまり悪い奴はどこかで制裁される。「悪い奴はよく眠らない」のである。


『阿修羅城の瞳』

2005年05月21日 | 映画
『メディア』を見る前に、川崎のチネチッタで『阿修羅城の瞳』を見た。
意外に面白いではないか、というのが感想である。
最も、それは劇を見ているからかもしれない。
市川染五郎は、流石で片足を見せるところなどが、とてもセクシーである。
その相棒の女形が蛍雪次郎とは気が付かなかった。
宮沢りえは悪くないが、アクションが全くだめで、途中吹き替えのところもあった。
もう少し体を鍛えてもらいたいね。
音楽がバングラ・ビートのようで、なかな面白かった。

寺山には北千住がよく似合う

2005年05月21日 | 演劇
先週日曜日に見たJ・A・シーザーの『奴婢訓』が意外に面白かった。
『奴婢訓』は言うまでもなく寺山修司の劇で、今回生誕70周年記念で上演された。
寺山関連作品については、2003年の『犬神』(アートスフィア)、『奴婢訓』(新国立劇場)、昨年の『毛皮のマリー』(カメリア・ホール)とあり、総て見てきたが、今回が一番面白かった。
理由は、次第に現在の役者たちのとJ・A・シーザーの演出の芝居になりつつあるからだろう。
もともと寺山の劇は、その時々の場や役者によって大きく演出を変えていたそうだ。
短歌という、その場で即興的に作品を作るところから作者となった寺山は、その場における即興的な作品作りに相当な自信があったのだろう。
だから、再上演でも、まさに「本歌取り」のように改作することが正しいのだろう。
また、北千住は東京の北である。東北出身の寺山にとっても相応しい場であった。
最も相応しくない場は、言うまでもなく新国立劇場であった。