指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『ドリームガールズ』

2016年02月29日 | 映画

たまにはアメリカ映画も見る。

言うまでもなく、女性コーラスグループのザ・シュープリームスを素材としたミュージカルで、劇場で公演されたものの映画化なので、筋の展開の重要な場面の曲が、筋の説明のように歌われる。

                      

 

やや作り物めいているが、演劇は本来作り物なので、要はそれをどれだけ照れずに堂々とやれるかだろう。

その点は、この黒人ミュージカルはどこまでも堂々と歌い上げるところがすごい。到底日本のチャチナ芸能界が太刀打ちできるところではない。

ドラマは、デトロイトのアマチュアコンテストから、女性3人組が、ジミーという人気歌手のバックコーラスとして採用されて、ツアーに出る。

そして、フロリダでバックではなく、女性コーラスグループとしてデビューする。

だが、そのとき、リードをそれまでのエフィーから、ルックスの良いディーナに変えてしまう。

このディーナは、ダイアナ・ロスのことだそうで、彼女は最初から歌唱力もルックスも良かったので、事実とは違うと思うが、劇化のための脚色だろう。

この辺は、1970年代にダイアナ・ロスが独立し、残ったメリー・ウィルソンらでシュープリームスをやっていたことを踏まえているのだろう。

ジミーというのは、誰かわからなかったが、おそらくジェームス・ブラウンあたりを参考にしているのだろう。

最後、デトロイトの解散公演にはエフィーも駆けつけて来て、涙のライブになる。

劇場のミュージカルは見ていないが、ここでの出演者の歌唱、踊り、さらにショーの演出は、日本のショービジネスが追いつくのは100年はかかると思う。

イマジカBS


「デーブスペクターみたいなのですよ」

2016年02月29日 | 政治

私が高橋和夫先生を好きな理由は、意外にもユーモアがあることである。

今回のアメリカとイランの合意については、アメリカ政府は以前から慎重にいろんな手を打って来て、その一つにホワイトハウスの報道官にイラン人を入れていた。

非常にペルシャ語も上手いアメリカ人を雇用していて、そいつのことを

「デーブスペクターみたいなのですよ・・・」と言い、大笑いだった。

また、イラン人は交渉事が大好きで、前にもバクダットで絨毯を売りつけられた。

その男は、ダルビッシュの親戚と名乗ったそうだ。

                                       

 

結局、千ドルだったが「現金がない」というと「持っていい」と言い、日本からドイツ銀行に送金することになったそうだ。

そのくらいイラン国内は経済的に大変だったとのこと。

イランはペルシャであり、アラブではなく、アラビア語とペルシャ語は日本語と中国語くらいの差があるとのことだが、多くの人は両方話せるらしい。

イランは大国であり、その大国意識は、アジアの中国によく似ているそうだ。


「サウジは国家もどき、カタール、バーレンなどはディズニーランド」

2016年02月29日 | 政治

中東問題については、私は放送大学の高橋和夫先生の言うことしか信用していないが、先生が「ビデオニュース」で、アメリカとイランとの合意以後の事情について話された。

大変に面白く興味深いものだが、今後の問題としてイランが国際社会に復帰すると、中東地域でサウジアラビアの地位が危うくなるのではとのこと。

特にアメリカは、シェール革命で、石油不足がなくなり、サウジの必要性が低下したとのこと。日本はサウジから石油を輸入しているので、依然として重要なのだが。

                  

 

そして、「サウジは国家もどき、カタール、バーレンなどはディズニーランド」だそうだ。

そもそもサウジアラビアとは、サウジ家のアラブであり、議会も何もなく奇妙な国で、アメリカが支持してきたのは、中東の石油の性なのである。

これらの国では、国民は働く必要も納税義務もなく、労働しているのは外国人労働者で、国は国民に金を配るのが義務だった。普通の国と国民との関係が存在しないのである。

だが、近年は、石油価格の低下と人口の増加で、国民に金を配ることが難しくなっていて、逆に水税を徴取する等になり、統治が、難しくなっているそうだ。

中東は非常にわかりにくいが、高橋先生によれば、シリアのアサド政権は倒れないそうで、それがはっきりしたので、今回のアメリカ等とイラン合意に至ったのだそうだ。

アサド政権の最大の支持者はロシアであり、シリアの幹部には、旧ソ連時代に留学した者が多数いて、またロシア人女性と結婚してシリアに戻っている夫婦も非常に多いので、ロシアにとってはシリアを支援する理由があるのだそうだ。

オバマ大統領やヒラリー氏などは、当初シリアの人権問題等からアサド政権を支持していなかったが、では次はどうなるかというと、展望もないので、今はアサド政権を認めるしかないという風になっているそうだ。

因みに、シリアの反アサド派の反体制派は、160もあるとのことで、これは当分1本化は無理だろう。

 

 

 


マネ・カルとは何か

2016年02月28日 | 映画

先日見た新藤兼人の『ある映画監督の生涯』の中で、依田義賢氏が、戦後の映画界の急激な変化、特に組合運動の激化について言っていて、

「マネ・カルまで組合員と言ったおかしなことがありましたな」と言っていた。

このマネカルとは、マネージカル・スタッフのことで、各パートの責任者のことであり、タイトルに名が出る人たちである。

彼らは、本来は会社の労働者ではなく、会社と個々に契約している契約者(スタッフ)のはずである。

ところが、敗戦直後の急激な組合運動の興隆の中では、彼らも組合員になり、責任者になった松竹京都では溝口健二が、大船では野田高梧が委員長になったのだから今では笑える。

                                                             

 

もっとすごいのは東宝で、取締役と総務課の労務担当者以外は全員組合員で、長谷川一夫や高峰秀子らの大スターも一組合員として運動に日々参加させられたのである。

長谷川一夫も、いやいやながら運動に参加していたというのだから、非常に可愛そうだったわけである。

こうした無理が、組合の分裂とストライキの敗北、最終的には新東宝の結成になるのだ。


意外に普通に見える溝口健二 『ある映画監督の生涯』

2016年02月26日 | 映画

新藤兼人監督の『ある映画監督の生涯』は、多分テレビで見たはずで、それを岩波新書にしたものも、先に読んでいると思う。

この新書版は大変に評判が悪く、溝口健二の周辺にいた人からは、

「新藤説は異常で、あれではまるで溝口は狂人のように見えるが、彼は人情に篤い人だった」という批判があった。

                                        

 

確かにその通りだと思うが、今回改めて映画版で見てみると、溝口健二は結構普通の監督のように描かれている。

新書では、新藤兼人の好きなように溝口のことを書いたが、映画では多数の関係者の証言によって中和されているということだろう。

多くの人が亡くなられていて、現在もご健在なのは、監督では成澤昌成くらいだろう。

私は、黒澤明(『黒澤明の十字架』)、小津安二郎(『小津安二郎の悔恨』)の2冊を出したが、実は一番好きな映画監督は、実は溝口健二なのである。

いずれ溝口健二についても何かを書こうと思っているが、まだその時期ではないと思っている。

それにしても、評論家の津村秀夫は、ひどいことを書く評論家だったが、その傲慢な態度はすごくて、今の評論家にはないものだと思った。

シネマヴェーラ渋谷


『花の慕情』

2016年02月25日 | 映画

1958年、当時東宝のトップ・スターだった司葉子と宝田明の共演もの。

監督は、名作『その場に女ありて』の鈴木英夫で、これも女性の自立を謳った秀作である。

                   

司は、華道の流派・新葉流の家元の長女で、家元亡き後流派の中心として大活躍している。

彼女には大学生の弟がいたが、友人と山に行って雪崩で死んでしまう。

友人の兄は宝田で、親譲りの歯科医をやっていて、この山登りと遭難を機に、二人は知り合う。

だが、司の母の杉村春子も、宝田の母・長岡輝子も、互いを憎んでいて、二人の仲を許さない。この二人の大女優の対決はすごい。後に、文学座の分裂劇では、実際に対立する二大女優の予備戦にも見えてくる。最初分からなかったが、杉村は先代家元の二度目の妻で、司は最初の妻の子で、山で死んだ男が、杉村との間の子であるわけだ。

司には、青山の花屋で、先代の時から流派を応援してきて、今は司に言い寄っている千秋実もいる。

メロドラマには、上手い悪役が必要だが、ここでは杉村、長岡、千秋と芝居の上手い悪役がいるので、二人の悲劇は高まる。

二人の味方は、宝田の妹と大学時代の友人だが、これが三井美奈と三島耕という下手な役者なので、非常に心もとなく、この辺も上手い。

一番の味方は、女中の浦辺粂子である。

ついに最後、彼女に置手紙をして、司は流派家元の座を捨てて一人で旅に出てしまう。

そして、田舎の旅館で部屋の花を生ける職をしているとき、女中が「ある方がお呼びです」と言ってくる。

部屋に行くと有名な評論家の中村伸郎で、「これだけの花を活けられる人は」と言い、

「愛があってこそ、花だ」と励まされる。

その旅館に行く道をなぜか宝田上ってきて、二人は抱き合ってエンドマーク。

音楽が、芥川也寸志で、この時期に、こうした「軟弱なメロドラマ」の音楽は珍しいと思う。

三島耕の妻が加藤治子など、ほとんど文学座映画だった。

ラピュタ阿佐ヶ谷


『親分の青春』

2016年02月24日 | 映画

1953年に作られた東京映画作品、1時間足らずのもので、添え物として製作されたもの。

              

 

話は、西銀座の風呂屋の主人で「町の親分」が二本柳寛で、小説家徳川夢声と知り合い。

原作が林房雄で、彼の他小津安二郎映画で有名な菅原通斎も出てくる。この人が小津映画以外で見たのは初めてだが。

二本柳は独身で、居酒屋の女・木匠まゆりに惚れているが、彼女は正体不明の男・加藤春哉とも付き合っていて、プロポーズされたという。

そこで、二本柳は、男気を出して自分は諦めて、加藤と木匠を自分の風呂屋で結婚式を挙げさせるという。

仲人になった徳川らの見る前で式は始まろうとするとき、バーのマダムの清川虹子が現れ、

「加藤は、私のものだ!」と彼を引き連れて行ってしまう。

あっけにとられる一同だが、徳川夢声は、二本柳と木匠をその場で結婚させて、ハッピーエンド。

どこにも捻りも何もない劇で驚くが、この映画の監督は、『ゴジラ』の脚本を書くことになる村田武雄なのである。

このあまりにも普通の映画から、『ゴジラ』への変身には驚くしかない。

木匠は、若山セツ子に似た清純派だったが、米軍人と結婚して引退したそうだ。

日本映画専門チャンネル

 


嘘八百映画 『ヨコハマ物語』

2016年02月23日 | 映画

サッカーグランドの芝を管理していた男の奥田英二が定年退職し、職場の女性から花束ももらって自宅に戻ると、妻市毛良枝が死んでいた。

49日の法要の日の墓参りで、墓に向かって怒鳴っている若い女に会う。孤児で、ロックバンドのマネージャーだったが、リードボーカルだけを引き抜かれて怒り狂っている北乃きい。

そこから、職もなく、飢えていた彼女は、奥田の家に住み込むことになり、さらに広大な家をシエアハウスにしてしまう。

結局、4人の20代の女性が住むことになる。家出していて、突然戻っってきた息子に言わせれば、

「おふくろがいたときは、グランドの芝生のことばかりで家のことは何もせず、死んだ途端に若い女を連れ込んでいるのかよ・・・」

                     

 

まさにその通りで、奥田が真面目で普通のさえない親父を演じているが、いつエロ親父に変身するのかと思ってしまう。

60歳過ぎた親父の奥田が、4人の女とセックスして子が出きて大騒ぎになるという喜劇なら面白いのだが、どこまでもまじめに終始する。

最後、レストランンを首になって家に同居させた女が非常にうまいボーカルで、ライブハウスでコンサートをやって大成功となる。

もし、溝口健二が、この脚本を見せられたら、「これはドラマではありません。観光とシェアハウスのパンフレットです」というだろう。

ヨコハマというが、出てくるのは山下公園、元町、山手だけで、もともと奥田が広壮な屋敷に住んでいることが第一におかしいと思う。

グランドの芝生の管理者というせいぜい課長程度の職員が大邸宅を持てるはずはなく、嫁の市毛の実家ででもあったのだろうか。

日本映画専門チャンネル

 


『クリード』 丸山和也というバカは、これを見てどういうのだろうか

2016年02月22日 | 映画

昔、パロディ映画に『フライング・ハイ』があり、2作目だったが、空港の廊下に貼ってあるポスターに『ロッキー・20』があり、よぼよぼのスタローンがやっと立っているというもので、大笑いしたことがある。

1970年代から製作を重ねられてきた『ロッキー』シリーズの久々のというか、スピン・オフ作品で、60代のスタローンを戦わせるのは無理なので、ロッキーと対戦して死んだアポロに息子がいて、彼をコーチして・・・という筋になっている。

            

 

ボクシング映画だが、ボクシングのシーンは、最初のメキシコでの草ボクシングの他、ロスのジムの期待の星との闘い、ラストのリバプールでの現チャンピオンのコンランとの世界戦の3回しかない。

しかし、アクションの他、恋人、音楽、さらにロッキーの病気などの様々な仕掛けで、ドラマをだれない様に続けていくのはさすが。

そして、世界戦へのトレーニング、地元フィラデルフィアの下町でクリードがランニングをすると、バイクの若者たちが並走してきて、『ロッキー』のテーマが高鳴り、町から町へと展開していく。

「まるで1950年代の東映映画で、ここで観客全員の拍手だな」と思う。

多分、アメリカでも館内は大拍手だと思うが、ガラガラの横浜ニューテアトルでは、拍手は起きなかった。

 

1970年代から見て、大きくアメリカ社会が変わったと思うのは、主人公の若者が黒人であることだろう。

もともと、最初の『ロッキー』には、スタローン、妻のタリア・シャイアなど、多くのイタリア系の人間が係っていたのだが、ここでは主人公の描き方に現在の米国が表現されていると思う。

それは、クリードはボクサーのアポロの血は引くが、裕福な義母に育てられ、高等教育も受けている。

最初、メキシコでアマチュアレベルのボクシングをやっているが、どうやら弁護士事務所のような高給の会社に勤務していて、それを辞めてプロ・ボクサーになることである。

それは、オバマ大統領に象徴される、アメリカにおけるアフリカン・アメリカンの地位の向上であり、丸山和也という意味不明なことを言った馬鹿者は、これを見てどういうのだろうか。お聞きしたくなった。

横浜ニューテアトル

 


『釣りバカ日誌・6』

2016年02月21日 | 映画

風邪で体が重いので、一日家にいたが、夕食後は『ブラタモリ』もないので、BSで『釣りバカ日誌・6』を見る。

いつもの愚劇で、三国廉太郎の社長と西田敏行の平社員の起こす、一応喜劇。

前に「こんなくだらない劇をなぜ松竹は作っているの」と、学生時代には原作者と雑誌の仕事を一緒にしたこともある金子裕君に聞くと、

「でも、あれだけ続いているのだから、どこか良いところはあるんじゃないの」と言っていた。

今回は、アイナメ釣りで、西田が釜石に行こうというが、三国は、その日は仕事が入っていて駄目と断る。

だが、その仕事は釜石市での講演であることが分かり、一緒に釜石に行くが、なぜ釜石市で三国が講演するのかは、不明。

そして、西田が車を運転できず、三国が運転して釜石に行くので、起きる取り違えの喜劇で、ゴーゴリの『検察官』である。

西田のいつもの裸踊りが、前日の宴会で披露され、一方三国は、旅館の女中久野綾希子と意気投合し、一緒に遠野に行く。

この取り違えは、東京に戻っても繰り返され、釜石市の幹部がお礼に来るところでも再度行われる。

 

西田敏行の講演は、「21世紀の都市の未来」というのだから、今見ると大いに笑える。3・11以後、東北は未来どころではなくなっているのだから。

そして、久野には一人娘の喜多嶋舞がいて、彼女が結婚する。

                    

 

式場は、横浜のヨコハマグランドインター・コンチネンタルホテルで、ここは1991年にオープンしているので、93年公開のこの映画は、比較的早い時期の撮影になる。

喜多嶋も、今やどうなっているのという感じだが、この頃は一応清純派だったわけだ。

最後は、結婚式から太田屋の連中が釣りに出かけるところでエンドマーク。

いつもの愚劇であることには変わりはなかった。

BSジャパン

 


あきらが死んだ

2016年02月20日 | その他

あきらが死んだと書くと、小林旭が死んだのか、と早とちりする人があるかもしれないが、私の先輩の無名の俳優、山本亮のことである。

私が1966年9月に、早稲田の劇団演劇研究会に入ると1年上にいて、輝く役者の一人だった。

生まれはどこかは知らないが、神戸の灘高校を出て早稲田の商学部に入り、そのまま劇団に入っていた。

                

 

父親は、記者ではないが朝日新聞社で、茅ケ崎に住んでいたので、裕福なお家だったはずだ。

彼がすごいのは、2年生の時に、それまでに大学の単位は、4単位しか取っていなかったと言っていて、それは本当だった。

実は、私も、1年生の時は、8単位しか取っていなかったので、彼ら不良学生からは、

「さすが・・・」と褒められたものである。

彼は役者だったが、大変に芝居が好きで、内外の戯曲もよく読んでいて、ウェスカーや、矢代静一、田中千佳夫は、彼に教えてもらった。

結局4年大学にいて、その後は文学座の研究生になった。

1973年のある日、家でNHKの朝ドラを見ていると、彼が家で炬燵で寝っ転がっている姿を見た。高橋洋子主演の『北の家族』である。

その後、彼とは大学の時に一緒に芝居をやっていた連中と劇団を作ったとき、主演俳優として大変に活躍してもらった。

また、文学座研究生時代の繋がりなどで、多くの若手劇団の芝居にも出ていて、二,三度私も券を買わされて見に行ったこともある。

だが、私たちの劇団が3年で潰れたように、彼も俳優としてはものにならず、そのころから好きだったレタリングやデザインの仕事をやり始めた。

最近は、雑誌の割り付けやレタリングをしていたようだが、いつも締め切りで忙しいとなかな会う機会がなかった。

家では、姉や妹、そして母親と住んでいたようで、生活には困らなかったはずだが、昨年の11月に亡くなったと妹さんから手紙が来た。

いつもは、凝ったデザインの年賀状が来るのに、今年は来ないので変だなと思っていたところである。

彼には、私は恩義があるので、ここに書く次第である。

それは、小津安二郎の『東京物語』の、「次男の妻原節子には男がいるのではないか」と彼から示唆されたことである。

昨年出した『小津安二郎の悔恨』は、そこから始まったものである。

あきらよ、天国で良い芝居をしてください。

 

 

 

 

 


『逃亡列車』

2016年02月20日 | 映画

渡辺信夫さんの「跳花亭」の『鉄道博物館』DVDが満員だというので、中央図書館で資料を探し、南太田で飲んだ後、丁度放映していた石原裕次郎主演の『逃亡列車』を見る。

                                                           

 

1966年の江崎実生監督の娯楽作品で、日本には珍しい鉄道ものの傑作で、昔TVKで見て感心し、その後浅草新劇場で見ても非常に面白いと思った。

今回見ると、それほどでもないのは、蒸気機関車が走りだすまでに1時間もあることだと気付いた。

戦争末期の満州の奥地のことで、シナリオは池田一朗なので、うまくできていて、壊れていて動かなくなっているSLを銃器を壊して修理して動かせるようにする。

負傷して気を失っていた兵の山内賢が回復すると、その機関車には日本軍から奪った武器が隠してあって最後はゲリラをせん滅してしまうことなど。

裕次郎の相手役は、女医の十朱幸代で、なかなか魅力的である。

最後に撃たれて死んでしまうのは、伊藤るり子など。

ゲリラが仕掛けた鉄橋の爆弾を突破して無事渡るところは特撮だが、東宝ほどの迫力はないのは、仕方ないところだろう。

撮影は、調べるとやはり小海線だった。

日本映画専門チャンネル


宮益坂ビルディング取壊し

2016年02月18日 | 東京

渋谷の宮益坂の宮益坂ビルディングが取り壊されとのこと。

             

 

ここは10階に、原田尊志さんがやっているレコード店「エル・スール」があるので、渋谷に出たときは、大体寄っていたが、多分東京圏で一番世界中のレコードを集めている店だと思う。

特にアラブやアフリカ、ラテンアメリカのレコードからDVDまでがあり、大いに利用していた。

このビルは、非常に強固にできていたようで、3・11の時も、大して揺れず、棚のCD等も落ちたりしなかったそうだ。

               

 

以前から行くたびに、建て替えになるので移転しますよ、と何度も原田さんは言っていたが、それがついに本当になったわけだ。

すでに移転先は決まっていて、パルコの先のようだ。

新規開店が待ちどうしい。

 


『黄金のアデーレ・名画の帰還』

2016年02月17日 | 映画

筋を聞いて、またユダヤ人による反ナチズム映画かと思って行ったが、非常に良かった。イギリス映画なので、きわめて公平に描かれている。

話は、主役のヘレン・ミレンのマリアの姉がロスで亡くなったところから始まる。姉妹は、オーストリア生まれで、ウィーンの裕福な家庭で育ち、父親は夕方にはチェロを弾くことを日課にしているという教養の高いユダヤ人家庭だった。そしてクリムトの名画『黄金のアデーレ』が家に飾られていて、その女性は彼女たちの叔母なのだった。ドイツでのナチスの台頭はオーストリアにも及び、ユダヤ人迫害も進行していくが、その中でマリアは、新進オペラ歌手と結婚する。

                   

 

この式での音楽が興味深く、東欧のクレイズマーで、皆が手をつないで踊るもので、ギリシャやトルコ、アラブにも見られる輪踊りで、この辺は類似した音楽、舞踊があることがよくわかった。

叔父一家は、直ちに国外に逃亡するが、父親はウィーンにとどまる。

だが、次第にそれも無理なことが分かり、ついにマリアは両親に別れて、夫と国外に逃亡する。ここが第一のクライマックスだが、若い時代のマリアを演じるのが、タチアナ・マズラーで、大竹しのぶに似ているのがおかしい。

ナチはマリアの家にも来て、全財産を没収し、壁に掛けられていたクリムトの絵も持っていく。

 そして、姉の遺言には、絵を戻してくれとあり、それをマリアが若い弁護士のシェーンベルグとするのだが、言うまでもなく彼は現代音楽の祖シェーンベルグの孫なのである。

いろいろな障害があるが、最後二人は裁判、そして調停に勝利し、名画を取り戻す。

これは実話だそうで、今はウィーンではなく、ニューヨークの美術館に展示されているそうだ。

近年にない面白い映画だった。二人がウィーンとロスを往復するのも上手くできている。

横浜シネマリン

 


ミサイルやロケットはあっても、釘のない国

2016年02月17日 | 映画

ミサイルやロケットはあっても、釘のない国

それはもちろん北朝鮮である。

北朝鮮がミサイルを発射したことが大々的に報じられている。あたかも、沖縄や九州に今にも打ち込んでくるかのように。

そんなことはなく、もちろん脅かしに過ぎない。

ただ、あの映像を見ると、北朝鮮はそれなりに技術の発達した国と思うかもしれない。

だが、現実はまったく逆なのである。非常に技術的にはお粗末な国なのである。

1985年に、当時の首領様・金正日に招かれて、東宝の特撮映画スタッフが北朝鮮に怪獣映画を作りに行った。

                

 

「ゴジラ」役者の中島春雄をはじめ、特撮監督の中野昭慶などで、それは映画『プルガサリ』になり、日本でも公開、上映されたことがある。

朝鮮の民話を基にしたもので、技術的にはいろいろ問題はあったが、言ってみれば『大魔神』みたいな話で、結構面白い作品だった。

だが、このとき、中島さんの本によれば、撮影所には釘が不足していて、技術者は、いちいち打ち込んだ釘を次のセットでは、バラシて釘を抜いて再使用していたそうだ。

軍事技術はあっても、ということはそれに国家予算のすべてをつぎ込んでも、民生技術に乏しい国、それが北朝鮮なのである。

30年前なので、今は少しは良くなっているだろうが。