指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

アジアと西欧の芸能の差異

2016年12月31日 | 音楽

毎年のように大みそかはNHKの紅白歌合戦を見ている。

             

 

いろいろとご批判はあろうが、これが日本の芸能の集約であるであることは間違いない。

そして、最近の傾向としては、年々グループ、集団の歌が増えていて、これは何だと思われる方もいるだろう。

また、なぜか知らないが、バックにやたらにダンサーや演技者が付いて、歌を盛り上げる。日本は人件費が安いから可能なのだという声もあるだろう。

だが、こうした日本の芸能、文化の持つ集団性は、アジアにも多く見られるものであり、香港の歌手のライブでも、必ずバック・ダンサーが付き、主人公の歌手は、男でも何度もお色直しをして華麗に歌うのである。

要は、日本のみならず、アジアの芸能は、村の祭り、祭祀が基なので、表現は集団的になり、季節的になるのである。

これに対し、欧米ではこうした集団性は基本的に忌避されるようだ。

そのことを最初に聞いたのは、1989年にパシフィコ横浜のオープニングイベントを企画するために、イギリスの西海岸のコーンウォールで行われていたウォーマッドに行った時だった。

日本の鼓童が話題になった時、彼らは鼓童のことを「オーバー・コンセントレイション」と言ったが、なかなか的確な批評だと思った。

図式的に言えば、近代の西欧では人間は、神から独立した個人となったので、その逆戻りのような集団性やコンセントレイションと言った非人間性はありえないのである。

私は、もちろんいろいろと批判したいところはあるが、偉大な村祭りである、紅白歌合戦は面白いと思うのである。

 

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『唐版・風の又三郎』は忘れられない 根津甚八が死んでも

2016年12月30日 | 演劇

根津甚八が死んだが、1974年初夏に江東区夢の島で見た『唐版・風の又三郎』は忘れられない。今まで多くの芝居を見てきたが、この『唐版・風の又三郎』は多分最高の一つである。

地図で見ると、夢の島なので、多分地下鉄から相当の距離を歩き、大橋を渡って現場のテントに行った。

                    

劇は、航空自衛隊のパイロットが戦闘機に乗って逃げた実話と「風の又三郎」を混ぜたもので、主演は根津と李礼仙。

この劇は、大評判で渥美清の他、蜷川幸雄も中野良子を連れて見に来て、皆感激して泣いたという劇だった。

私も同じで、最後いつものように赤テントの一部が開けられて登場人物が外で演技したときの興奮は今もよく憶えている。

まさに怒涛のような感動の渦だった。

この時の音楽のテープは持っていたが、今は娘にあげたので、家にはない。

結局、彼は状況劇場での演技が最高で、テレビではこれまた向田邦子の名作『冬の運動会』だと思う。

これも元高級軍人の志村喬が、若い藤田弓子の家でくつろいでいるのも忘れ難いドラマだった。

彼は、演劇の人間で、その意味では見た人間にしか何も残っていないが、役者は本来それでよいのだと思う。

夫人のインタビューで、部屋にはクレデンサのような立派な蓄音機が見えたが、彼はSPのマニアだったのか、それともウツの辛い時を過ごすのにSPレコードを聴いていたのだろうか。

思えば、まったく同年で、心からのご冥福をお祈りしたい。

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1月は「アジア音楽講座」にお出でください

2016年12月29日 | 音楽

2017年、5月にパシフィコ横浜で、アジア開発銀行の総会が開催されます。アジア開銀は、アジア地域のインフラストラクチャー等の整備に大きな役割を果たしてきました。

横浜市では、この会議の開催を機に、アジアへの理解と協力をさらに進めるため、様々な事業を行いますが、南区は横浜市国際交流協会と共に、「アジア音楽講座」を行うことになり、私が企画と司会を担当いたします。

東アジア編と西アジア編とし、それぞれの分野での第一人者のお二人と音楽や映像、そしてお話を伺いながら、進めます。

ぜひ、みなみ市民活動多文化共生ラウンジにお出でください。

 

「アジアポピュラーミュージック講座」~アジア音楽ナマかじり ポピュラー音楽から見るアジア~ (アジア開発銀行年次総会横浜開催記念事業)

音楽はその地域の文化、人々の姿をあらわす鏡ともいえます。ふだんあまり触れることのないアジアの音楽を通じて人々の生活を垣間見てみませんか。(音楽を聴きながら話します)

                  

第1回(東アジア編):1月14日(土)14:00~16:00 講師:関谷元子(音楽評論家)

 

第2回(西アジア編):1月21日(土)14:00~16:00 講師:海上サラーム卓也(音楽評論家)

 

司会:各回とも指田文夫(大衆文化評論家) 参加費:無料 定員:40人

主催・会場:みなみ市民活動・多文化共生ラウンジ

申込み・お問合せ:12月12日(月)より上記ラウンジまで

電話045—232—9544 または メール minaminihongo@yoke.or.jp メールの場合は件名を「アジア音楽」として、お名前と連絡先を明記してください。

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『侍』

2016年12月29日 | 映画

特に見るものない時に見たくなる映画の1本である。

筋は、「人を切るのが侍ならば・・・」の徳山璋の大ヒット曲の『侍ニッポン』の新納鶴千代が、親とは知らずに自分の父親の老中井伊直弼暗殺の桜田門外の変に加わり、見事井伊の首を取ってしまう悲劇である。

                                  

 

その前に、鶴千代の三船敏郎は、暗殺団の中で唯一心を許した親友の小林桂樹を、敵方に通謀しているとい誤った憶測で殺す悲劇にも遭遇している。

この二人は、群を抜く剣豪で、互いにその腕を認め合い、親友になったのだが、小林を殺すことが決まると、彼に敵う者は三船しかいないとのことで、突然に呼び出して、三船は物陰から出て突然、小林に剣を振りかざす。

その時の小林の台詞、

「新納、なぜだ、なぜだ」が悲痛である。

そして、裏切り者は小林ではなく、副将格の平田明彦であることが分かり、怒る三船に首領の伊藤雄之助は言う。

「もそっと血を冷やさないといけない。向こうに勝つには、こっちの手も血に汚れないといけないのだ!」

この辺の橋本忍のリアリズムが、他の『侍日本』がただの時代劇であるのと一線を画している。

また、この映画で三船はあまり迫力あるチャンバラを見せないが、この小林桂樹を殺すところ、3月3日の夜明け、新納鶴千代が実は井伊の子であることを知った伊藤が、三船を殺すために差し向けた暗殺団との殺陣。

さらに、最後の桜田門外の井伊の行列の者たちと伊藤以下の暗殺団との格闘は物凄い。

当時、日本映画史上最高の殺陣と言われたが、やはり今見てもすごい迫力である。

そして、井伊直弼役の松本幸四郎(先代)は、言う「いくら何でも徳川の屋台骨、そんなに弱ってはいないぞ。もし、殺されることがあれば、日本から侍がいなくなることだ」

事実は、そうなったわけで、彼は最後も「馬鹿め!馬鹿め!」と言いつつ、三船に殺されてしまう。

岡本喜八も、黒澤明の後、一番上の東宝の監督とされていたのに、整理されるとは非常に不当な事だったと言えるだろう。

 

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『慕情の河』

2016年12月28日 | 映画

タイトルが隅田川を遡上する映像にベートーベンの『運命』が流れて、「これは何だ」と思うと、工場の中で鶴田浩二が楽団を指揮している。

                  

 

団員は、工場の労働者で、鶴田は「勤労者に音楽を与えようと、勤労者によるオーケストラ作り」を目指しているのだ。

これは、原作があるようだが、この鶴田の姿には、芥川也寸志がヒントになっているように思う。戦後、彼はアマチュア交響楽団を指導し、その新交響楽団は今も立派な活動をしている。

団員には、バイオリンの若尾文子がいて、彼女は本来は見明凡太郎が社長の工場の総務課員だが、社長の好意で楽団の仕事を担当している。

その工場には室内楽のカルテットもあり、チェロは川口浩(杉田康も見える)で、彼は優秀な奏者で、鶴田はオーケストラに引き抜きたいが、なぜか彼は強く拒む。

その理由は、川口の父親は音楽家で、鶴田との留学の争いに負けて挫折したのだという。

この作品は、言うまでもなく今井正の『ここに泉あり』の二匹目のドジョウを狙ったものだが、結構よく出来ている。

監督は島耕二で、日本最高のミュージカル映画と言われた映画『アスファルト・ガール』も彼の監督で、「こんな爺さんが・・」と思ったものだ。

だが、彼は音楽の素養があり、戦前には「日活・アクターズ・バンド」のサックス奏者として活躍し、今ではバンドのCDも復刻されている。

鶴田は、野外音楽堂で人々に音楽を聞かせたいと考えるが、楽団は練習場所も工場の操業の忙しさで追われ、金繰りも窮迫してラジオ局でアルバイトをしている時、昔の楽団の連中に見つけられて、東都交響楽団の指揮者に迎えられてしまう。

この楽団の練習場が傑作で、ベートーベン等の胸像が飾られていて、まるで昔の中学校の音楽室である。

最後、東都交響楽団のご厚意で、野外音楽堂で合同公演が行われてエンドマーク。交通事故で死んだ若尾文子の席にはバイオリンに喪章が飾られている。

原作は「川を渡った交響楽」というのだから、笑える。隅田川の東は、「文化はつる所」だったのだ。

内容は今から見れば、ほとんどお笑いだが、隅田川沿いの工場の映像は非常に貴重だと言えるだろう。

衛星劇場

 

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旅する天皇

2016年12月26日 | 政治

先日のBSフジの『プライム・二ュース』の「天皇の生前譲位問題」は非常に面白かった。

 有識者会議の御厨貴東大名誉教授と東大教授の石川健治で、大変に意義のある議論が行われた。

この番組は、非常に公平かつ面白い番組で、今テレビでよく見ているものの一つである。

石川教授は、天皇のご公務を二つに分類し、憲法上の国事行為の他に、いわゆる公の行為と言われる「象徴としての行為」があり、これが実は大きな部分を占めているとのこと。

この象徴としての行為は、内外の要人との謁見、被災地や戦地の訪問などで、実はわれわれが普通に目にする天皇陛下のご公務の大部分は、これで、これによって普通の国民は天皇陛下のイメージを作っているというのだ。

私は、その他に天皇家の家長としての家の祭祀を司ることが重要な行為としてあると思っているが。

教授は、この被災地や戦地訪問等こそが、現在の天皇が国民の象徴となるために必要な公務で、それは新憲法後も最初から象徴だった昭和天皇との根本的な違いだとしている。

日本帝国憲法で即位した昭和天皇は、当時日本のすべての権能を有し、さらに人間ではなく現人神とされていたのだから、象徴であることに誰も違和はなかった。

だが、昭和天皇の人間宣言以後に天皇に即位した今上天皇は、象徴となる行為が必要で、それが戦地や被災地への訪問だったというのだ。

なるほどと思う。御厨氏も、「旅する天皇」という言葉で、現在の今上天皇の姿を表現していた。

                     

 

私は、国民の80%が支持している生前譲位に賛成で、その際にはぜひ今上陛下には、京都にお移りいただきたいと思っている。

その理由は、天皇は本来京都などの関西にいたもので、万葉集からノーパン喫茶、カラオケに至るまで、日本の文化、芸能はほとんど関西が発祥地なのだから、日本文化を象徴する最上のものである天皇が、関西にもどられるのは当然ではないかと私は思う。

それは、橋下徹の大阪都構想などよりも、効果と意義のある施策となると思う。

そして被災地や戦地訪問は、物理的行為を伴うのだから、年齢による支障は当然に生まれるので、次の方を中心にすれば良いと思う。

つまり、国事行為はもとより、遠隔地に行く被災地や戦地の訪問等は、若い現皇太子である浩宮様にお任せし、次第に象徴としてのイメージを形成させていけばよいのではないかと思う。

 

現皇太子様には、私は1981年の高校総体が神奈川県で開催された時に見ている。本来、国体が天皇のご列席であるように、高校総体は皇太子のご列席である。

当時はまだ昭和天皇が存命中だったが、同時に皇太子も外国訪問中だったので、現皇太子が弟君と一緒に三ツ沢競技場に来られたのである。

その時、今は秋篠宮の弟は、普通の若者だったが、現皇太子である兄君は、いかにも皇位継承者らしい感じがあった。

それは悪く言えば、ひどく年取って見えたが、逆に言えばある種の威厳が感じられたのである。

彼は「日ごろから、いずれは皇位継承者となる心構えを持っているのだな」と感じたものだ。

それは非常に大変なものだと思うが、選ばれた者の宿命なのだろう。

 

 

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非知性映画 『海賊とよばれた男』

2016年12月25日 | 映画

これを見ていると、出光佐三は、いけいけドンドンの単純な男に見える。

                                     

だが、そうだろうか、あのような非知性的な男は、どうして出光美術館を作れたのだろうか。

また、彼の娘の2人は、共に前衛美術家と結婚しているが、どうしてなのだろうか。

家族主義経営を標榜していた彼の家庭は、男尊女卑の典型だったらしいが、そうした矛盾こそ本当は描くべきだったのではないかと思うが、全くそうした観点はなく、極めて単純化されている。

まるでやくざ映画で、良い組が悪い組に迫害されて耐えるが、最後は勝つというごく単純な筋になっている。

脚本・監督の山崎一は、1940年代のシーンに歌われる社歌の中で、「なんとかの、いきざま」と書いている程度の人間だから無理もないのだが。

生きざまは、1970年代頃にできた新語で、1940年代のシーンに出てくるわけもないのだから。

私が考えるに、出光佐三はかなり複雑な人物で、19歳の時に美術品のコレクションを始めたというのだから、凄い。

そして、三女は美術評論家の東野芳明と、4女の真子は、サム・フランシスと結婚していたのを見ても、それなりに美術に理解があった人間であることは間違いない。

ドラマとしては、ラストに出てくる、大叔母からのアルバムとして晩年の佐三に渡す黒木華の演技、それにタンカーの船長の堤真一にしか見れべきところはなし。

港南台シネサロン

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『天と地と』

2016年12月24日 | 映画

角川春樹が製作から監督まで務めた作品、彼は余程川中島の戦いが好きらしく、『戦国自衛隊』も同題材の映画である。

               

 

この1990年の10年前に黒澤明の『影武者』があったわけだが、これの後半の不可解さに比べ、ドラマ性は薄く、気楽に見られる。

思ったよりはひどくなく、『影武者』の役者の演技のぎこちなさはないので、それなりに面白い。

俗に「戦国絵巻」と言ったフレーズをうたい文句にする作品が多いが、まさに絵巻風で、上杉陣、武田陣が、黒と赤に色分けされていて非常に分かりやすく見られる。

キャストはいろいろと事故があったようだが、榎木孝明と津川雅彦、渡瀬恒彦は文句ないが、浅野温子が例の気の抜く演技で不快。

こんなのが時代劇に出るのはどうかしている。現代ものなら、あのタイミングを外す芝居はそれなりのリアリティがあるが、時代劇には不要。

一番の問題は音楽が小室哲弥で、いかにも安手、やはり伊福部先生のような重厚さがほしいところだが、ない物ねだりだろうか。

川中島ものには、衣笠貞之助監督、長谷川一夫主演の戦時中の1941年の映画に『川中島合戦』がある。

これは農馬を徴用され戦いにも就いていかされる一農民(長谷川一夫)の目で、武士の戦いを見るという意外にも面白い作品だった。

ここには、当時の太平洋戦争も、庶民には無縁という、衣笠貞之助なりの抵抗を示した映画だと私は思う。

その意味では、軍馬の増産を賛美した映画『馬』の監督山本嘉次郎とは対照的であるともいえるだろう。

BS朝日

 

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『SOESU 韓くにの白き太陽』

2016年12月21日 | 演劇

近年、善意とか良心的と言った言葉を冷笑する向きがあるが、かつて日本にはこういう人もいたのだと知る作品である。

                    

 

白樺派の柳宗悦は、1916年に当時の朝鮮に行き、白磁の美しさに魅せられて、次第に朝鮮の文化に引き寄せられていく。

それを白樺派のお金持ちのお坊ちゃんの「お道楽」ということは簡単だが、やはり偉いことだと思う。

妻は声楽家の柳兼子で、クラシック賛美は気持ち悪いが、まあこの時代では仕方ないだろう。この人のSPはかなりあるが、稼ぎのない柳との生活を支えるために、レコードをたくさん出したようだ。

そして柳は、民芸運動をはじめ、朝鮮に朝鮮民族美術館を作る。この時代では大変に勇気のいることだったと思う。

主演の柳の役は、篠田三郎で、良心的な男を好演、現地の女性を演じる日色ともゑも上手い演技である。

劇団民芸の役者は、今時珍しい「お行儀の良い演技」で、貴重な存在と評価できる。

終了後は、地下鉄で浅草に行って、ひさご通りの店で飲んで帰る。

三越劇場

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『神戸国際ギャング』

2016年12月20日 | 映画

あまり評判の良くない作品だったが、少しも面白くない、非常に散漫な映画である。

                     

 

東映の岡田茂社長が、にっかつの田中登の作品を見て感動し、1975年に東映京都に招聘して作った戦後、昭和22年の神戸を舞台にした映画。

そこでは、米軍の物資を横流ししたり、横取りしてのし上がった高倉健と菅原文太のギャング団がいて、朝鮮人のギャングと対立したりする。

敗戦後の闇市もの映画も結構あるが、意外にも成功したものは少なく、『肉体の門』や『仁義なき戦い』、加藤泰の『懲役18年』くらいしかないだろう。

ここでは、主人公二人の他、和田浩次、ガッツ・石松、真木洋子なども出て来るが、ドラマは盛り上がらない。

やはり、映画は監督一人ではできず、気の合うスタッフ、キャストがいないと良い作品はできないということだろう。

監督には、石井輝男のように各社で撮った才人もいるが、田中登はそれほど器用ではなかったということである。

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五所平之助はやはり良い 『蛍火』

2016年12月18日 | 映画

小津、黒澤、溝口、成瀬を日本映画4大監督と呼ぶそうだが、次くらいに位置しているのは、五所平之助と豊田四郎だろうと私は思っている。

1958年に歌舞伎座で作られた映画『蛍火』も、期待通りに非常に良い作品だった。原作は織田作之助で、話は幕末の京都伏見の船宿の寺田屋で、坂本竜馬との交情で有名な「寺田屋お登勢」である。

                                                                     

 

百姓の家から嫁入りしたお登勢は、大家の寺田屋の嫁には相応しくないと義母三好栄子に苛められるが、怠け者の夫の伴淳三郎によく仕え、寺田屋を実質的に仕切る者になっていく。

伴淳が傑作で、部屋を掃除するのが趣味で、さらに素人義太夫に凝って、番付に載ったと喜んでいる始末。女師匠の高千穂ひづるとは当然にできている。

幕末の京都なので、薩摩藩同士の切りあいの寺田屋事件があり、坂本竜馬が長逗留し、娘のおりやう(若尾文子)と結婚するまでになる。

このおりょうも、実は本当の娘ではなく、旅人が面倒を見て来た孤児を貰って育てて来た者なのだ。

賢い妻と駄目な夫というのは、豊田四郎の名作『夫婦善哉』でも同じで、ここでも淡島千景は、優しいがよく気のつく女将をまさに当たり役で演じている。

こういうのを見ると、日本の普通の家庭では、その中心は夫ではなく妻であったことがよく分かる。

特に、戦中期から戦後は、日本の多くの家では夫は戦場に取られ、家の中心は母、妻だった。それが、戦後から現在に至る女性の社会的進出にもつながっていると言える。

最後、おりょうは竜馬と結婚して旅に出て、伴淳も高千穂と手を切って、子供を作ろうと言って円満になって終わる。

 

映画の上映に続き、元新国劇で辰巳柳太郎に師事し、劇団解散後は自分たち若手で劇団若獅子を作り、淡島千景と「お登勢」で共演したことのある笠原章と新潟大の羽鳥先生との対談。

中では、辰巳が「お登勢」で、淡島千景と共演し、その夫を演じたが、なんといっても辰巳なので、伴淳のような剽軽な男ではなく、井伊大老みたいだったには笑った。

淡島千景は、非常に真面目な方で、宝塚時代の成績表からなんでも取ってあり、遺族から寄贈されて早稲田の演劇博物館で今はリスト化しているのだそうだ。

彼女は、森繫との共演の『夫婦善哉』のような主役もきちんと演じたが、膨大に出た脇役でも、分を越えず、それでいて作品に味を加える役をこなしていたのは凄いと思う。

要は、脚本が、役が良く読めた頭の良い役者だったのだと思う。

 個人的には、渋谷実監督の『もず』、川島雄三監督の『花影』が好きである。

フィルムセンター小ホール

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『君の名は』には皆さん驚かれていた

2016年12月17日 | 映画

金曜日の夜には、『ゴジラは円谷英二である』のトークイベントやった。

今年最大の寒波にも係わらず、ご来場いただいた皆さんには厚くお礼いたします。さらに、ゲストとしてお迎えした神奈川新聞の服部宏さんには、貴重なご意見をいただき誠にありがとうございました。

当日は、映画『馬』、『ハワイ・マレー沖海戦』、『君の名は』、そして『ゴジラ』の4本を上映しつつ、話をしました。

中で一番驚かれたのは、1952年の松竹映画、佐田啓二と岸恵子主演の『君の名は』の冒頭の東京大空襲のシーンだった。

これは、戦後公職追放になり、東宝を辞めて浪人していた円谷英二の浪人時代最後の作品で、1945年4月24日の大空襲を特撮で再現したものなのである。

有楽町付近で米軍の空襲に遭った春樹と真知子は、町を逃げ回り、最後は防空壕に逃げ込んで九死に一生を得る。

そこが、執拗に超低空で飛んでくるB29の機影の不気味さ、諸所で爆発する焼夷弾の恐怖、倒れてくるビル等の破片など、大変な迫力である。

                     

 

普通、『君の名は』というと、メロドラマと思い込み、真剣に見ないものだが、この作品の第一部は、非常に良く出来ていて感動的である。

だが、二部、三部となるとかなりボルテージが落ちてきてくだらないが、第一部は本当に作者たちの心のこもったものになっている。

また、服部さんからは、多分大和の東映で最初に見た映画『紅孔雀』の感動と超満員で館内のポールの前に立って見たので、押されて胸に傷ができたことなどの貴重な体験も言っていただいた。

確かに、当時映画館はいつも満員で、ぎゅぎゅうづめの中で見たものである。

今や、定員制・入れ替え制で、そうしたことは、消防法等の規制でできないようだが、なんとも不自由な時代になったものだと思う。

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ホームページが使えなくなっています

2016年12月15日 | その他

私のホームページの「指田文夫のジャンルの垣根を越えて」が、先月から使えなくなっています。

                           

 

今、新たに作成する準備をしていますが、急用の方は、メールの方にご連絡をお願いいたします。

yoshinocho@jcom.home.ne.jp 指田文夫 です。

どうぞよろしくお願い致します。

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『君の名は』を岸恵子が嫌いなのは当然だろう

2016年12月13日 | 映画

先週、12月15日のイベントの打ち合わせのため、神奈川新聞の服部さんのところに行ったとき、岸恵子と何度かお会いになったことのある服部さんは、

「岸さんは『君の名は』を自分の代表作品のように言われるのが非常に嫌だ」といっておられたと言われた。

日曜日、風邪気味だったので、午後外に出ず、全部をあらためて見た。

第一部は素晴らしいが、北海道篇の二部、九州編の三部になると非常につまらなくなっている。それでも、すべて3億円以上の売上があったのだから凄い大ヒットだったのだ。

                       

 

だが、そこでの岸恵子の氏家真知子は、およそ無意志で、思慮のない女性で、行動力がまったくない。戦後の女性ではなく、戦前の封建的な家や周囲の力に忍従する人間で、それで不幸になってしまう女性なのだ。

結局、日本を出てフランス人のイブ・シャンピという外国人と結婚するという、当時では破天荒な行動力のある女性だった岸恵子の意に沿わぬものだったことはよく理解できる。

「なんて馬鹿な女だろう」と思っていたに違いない。

ただ、この作品の男女の表情の現わし方の上手さは、大変なもので、ある意味で成瀬己喜男映画の表現に非常に良く似ている。

監督の大庭秀雄と成瀬己喜男に直接の師弟関係はないが、そうした心理表現の上手さは松竹映画の伝統だったのだと思う。

そして、恐らく岸恵子が演じて満足した女性像と言えば、今井正の『ここに泉あり』の岡田英治と結ばれて音楽運動に献身する女性だと思う。

『ここに泉あり』は、異常なクラシック礼賛を除けば、非常に良い映画だと思う。

その理由は、戦後の文化運動のだめな部分を良く描いているからであり、今井正はやはり凄いと思う。

 

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『この世界の片隅に』

2016年12月11日 | 映画

かって大島渚は、「戦後の日本映画は、被害者としてしか日本人を描いて来なかった」と彼以前の日本映画を批判した。

それが正しいかどうかは別として、この大評判のアニメを見て最初に思い出したのは、木下恵介の『二十四の瞳』だった。

そこでは高峰秀子の大石先生以下の小豆島の人々は、全員戦争の被害者である。

                                                               

 

ここでも同じ瀬戸内海の対岸の広島市と呉市の人々は全員戦争の被害者であり、違うのはのん(元・能年玲奈)のスケッチをスパイ行為と摘発しようとする頓珍漢な憲兵くらいである。

そして、あの能天気なのんが主人公なのだから、極めて善意そのものの世界が美しく展開される。

勿論、その中で、米軍の爆弾で、のんは自分の姪っ子を失い、自分も大事な右腕の肘から先を失ってしまう。

ここにあるのは被害者というよりも、ほとんど無智蒙昧で、最下層の庶民の戦争への知識も考えは、こんなものだったのだろうかとは思えるが。

あるいは、作者たちは、こうした無智蒙昧が戦争を生んだのだと言っているのだろうかもしれないが。

最後、天皇の玉音放送をが聞いた時、「なんで最後の一人まで戦わないの!」とのんが激怒するのは、逆に庶民の過激さが現れていて面白かったが。

だが、戦後伊丹万作が、「だまされたこと自体に罪がある」と言ったことを忘れてはならないと私はあえて言いたいと思う。

このように世界と社会への無知はやはりおかしなことであり、ここで泣くのは良いことだとは思えないのである。

川崎109

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