指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『エンロン』

2006年11月29日 | 映画
言うまでもなく、アメリカのエネルギー企業(もとは天然ガス会社)で、規制緩和をテコに空前の利益を上げたが、2001年倒産し幹部の不正が暴露された企業のドキュメンタリー。

見て、すぐに思い出したのは、マックス・ウェーバー、大塚久雄が名付けた、近代以前の資本主義の「賎民資本主義」という言葉である。

大塚らは、近代西欧で成立した資本主義には、キリスト教の禁欲的倫理があったとするものだが、この映画で描かれたエンロン幹部には、倫理性はまったくなく、その意味では完全に「賎民資本主義者」である。

会長ケネス・レイ、社長のキスリングらは、会社の利益のみ追求し、様々な投機に走る。
彼らは本来公共事業であるはずの電力事業をも投機の対象としてしまい、その結果2000年のカルフォルニア州の電力危機、大停電を招いてしまう。
しかし、ここに至っても彼らは無反省で、ブッシュ政権や担当委員会も有効な手を打たない。
勿論、ブッシュ政権とは深い関係があるからである。
だが、最後は株価暴落で倒産してしまうが、ケネス・レイら幹部は倒産の前に大量の株を売りぬけて莫大な利益を得ていた。
一番損をしたのは、末端の労働者で、彼らは職と退職金、さらには企業を「401K」でエンロン株に投資していたため年金さえも失ってしまう。

小泉構造改革も、安倍政権によってやや停滞気味のようだが、それで十分結構だと改めて思う次第だった。
川崎東宝シネマズ

『隣人』

2006年11月28日 | 映画
隣に引っ越してきた投資コンサルタントケビン・スペイシーから女房の交換を提案される。
ずっと拒否してきたが、CM作曲家ケビン・クラインはついにある晩、隣の家のベッドに入ってしまう。
翌日、ジョギングしているとパトカーが来て、彼女が撲殺されていて、クラインが犯人とされる。

すべては、スペイシーの仕組んだ罠で、その妻も素人ではなく売れないブルース・シンガーだった。リッチな夫婦と思っていたが、クラインよりも貧しい詐欺師夫婦だったのだ。
妻にも逃げられて追い詰められるが、そこに保険会社の調査員が来て、・・・。
監督アラン・J・パクラで、さすがに上手く出来ている。
アメリカの天国と地獄の格差のすごさ、競争社会のすごさを再認識する。
二人のケビンがジョギングなど、様々なスポーツを義務のようにやっているのが、実に大変だなと同情する。
衛星放送

『木更津キヤッツアイ・ワールドシリーズ』

2006年11月26日 | 映画
午前中、川崎に用があって行った後、東宝シネマズで『木更津キャッツアイ・ワールドシリーズ』を見る。
このシリーズを見るのは初めてだが、完全に昔の言葉で言えば、「アングラ劇」である。

唐十郎、野田秀樹に典型だが、劇の大部分はドタバタと語呂合わせの喜劇が続く。ほとんど嘘か本当か分からないレベルで劇が進む。
そして、最後で急に真面目になり、陶酔的な独白で押してくる。
野田の芝居では、ここで皆泣いてしまう。

官藤官九郎脚本のこの映画も同じ構成だが、最後の泣きのシーンは、余り演出の押しがないので、泣けなかったと思う。
若い人たちは、実際にどう感じたのだろうか。

こんな単純な嘘で若者は喜ぶのだろうか、信じがたい。

ブラジルではアストラッド・ジルベルトの『イパネマの娘』を知らない

2006年11月26日 | ブラジル
イレーネ・松田先生によれば、日本に来るまで、LP『ゲッツ・ジルベルト』からシングル・カットされ世界的に大ヒットしたアストラッド・ジルベルトの歌った『イパネマの娘』をブラジルでは聞いたことがなかったそうだ。

そりゃそうでしょ。
あのレコードは、ジョアン・ジルベルトのポルトガル語の歌とスタン・ゲッツのサックスの演奏がメインで、アストラッドが歌いたいとうるさく言うので仕方なくアストラッドの英語版の歌も録音した。
ジョアン・ジルベルトは、アストラッドの歌を発表する気は全くなかった。
だが、彼に無断でスタン・ゲッツとアメリカのヴァーブ・レコードは勝手にアストラッドとスタン・ゲッツの版で出してしまったのだ。
だから、ブラジルではアストラッド版は出されていない。

ボサ・ノバでは、アメリカのレコード・ビジネスを知らないブラジル人を「騙して」アメリカのレコード産業は大儲けをしたそうだが、その中の一つである。

芥川龍之介もできる

2006年11月25日 | 演劇
高校時代、私も創作劇をやったことを思い出した。
芥川龍之介の南蛮もの小説『奉教人の死』で、3年生が脚色して公演し意外にも好評だった。
芥川は、筋や人物が明確で、最後には落ちもあるので、やって面白い。
考えれば、高校演劇の脚本の素材はいくらでもある。
安易に創作劇をするのは、感心できない。

再び書くが、「等身大劇」は、実は大変難しい。
小津安二郎や成瀬巳喜男のような、日常的演技の映画は、映画会社の俳優以外は、杉村春子や東野英二郎、森雅之ら名優を使っているのを想起すべきだ。

高校生が、高校生を演じるのは実はとても難しいのである。
演技は、自分より遠い役を演じる方が本当は、簡単なのだ。


まずは訓練を

2006年11月23日 | 演劇
11月5日に書いた「戸塚区4校演劇祭」について書いたところ、以下のようなコメントが来た。

上矢部高校に関するコメント。当事者にも失礼だし、自分の経験の中でしか考えていない自己マンゾクのコメント。許せません。高校生相手に20年前の不条理劇と言うセンスは何なのか聞きたいものですね。

私の記事を全く理解していない。
私が書いたのは、次のとおり。
3校の「等身大」芝居の問題点を指摘したのち、

上矢部高校の『セルフ・ポートレート』は、一番つまらなかった。
戯曲は20年くらい前の不条理劇で、それを流行の平田オリザ風の「静かな演劇」でやる。松田聖子や薬師丸ひろ子、天童よしみ等のギャグが出てくるが、誰も笑わない。一体どこが面白くてこんなつまらない芝居をするのか、一度お聞きしたくなった。

彼らの劇を不条理劇とは言っていない、戯曲が不条理劇だと書いたのだ。それを平田オリザ風にやっていたが、高校生は時代に敏感なものだと関心したね。
高校生の劇をきちんと批評するのは失礼なのか。
むしろその良い悪いを正しく指摘することの方が親切だろう。

上矢部で問題なのは、戯曲の選定(既成のものを直したらしい)、さらに発声や身体訓練の不足である。
高校野球の投手でも、まず必要なのは直球の速さであり、変化球ではない。
まずは、発声と身体訓練に励んでください。
そして、シェークスピアの『夏の夜の夢』の1場面あたりを選んで少しづつ練習すれば良いでしょう。
来年を期待しています。

『人間みな兄弟』

2006年11月23日 | 映画
1960年に、関西各地の被差別を取材した亀井文夫のドキュメンタリー。
神田小川町のネオネオ坐で見る。
解放同盟の全面的な協力というより、その資金で作られた映画だろう。

冒頭、ソ連のスプートニク打ち上げ成功のテレビを見に集まっているの子供の多さ。少子高齢化の日本も、つい最近までは人口過剰を憂慮する国だったのだ。

実は、高校生の頃にテレビで放映されたのを見たのだが、記憶になかった。
当時のの実態は、想像できないくらいにすごい。今のフィリピン等の途上国以下だろう。
どぶ川をさらって金属かすを取り、溶かして半田棒にする。猫かウサギの皮の加工、勿論、グローブ等の皮革産業も。
亀井文夫がすごいのは、解放同盟のスポンサー映画でありながら、大阪の運輸会社のストライキ破りへの動員や江戸時代のとしての、民衆を弾圧する集団だった問題点もきちんと描いているところ。
さらに、意外にもユーモアがある。
本来は戦争賛美の映画『上海』を反戦映画(上映禁止)にしてしまったように、この監督は確かにただものではない。

絶対的貧困という言葉を思い出した。
彼らの仕事の一つに失業対策事業があった。その紹介所に集まる人間の多さ。
失業対策事業は、彼らのような失業者に職を与え、道路工事等の公共事業を行ったもので、地方自治体が窓口になっていたが、原資は国だろう。
大体1970年代に終了した。
その後、彼らは自治体の現業労働者として直接・間接に雇用されるようになる。
最近、関西で問題となっている、現業労働者の不就労や暴力行為等も問題は、この制度によって雇用された者が起こしたものだろう。時代は変わるものだ。

最後、「責善教育」なる言葉が語られる。私は聞いたことがなく、家に戻り調べると当時提唱されていた「同和教育」の名称だそうだ。

この記録映画上映会は、日比谷図書館から借りたフィルムによるものだそうで、著作権法の関係で無料になっていた。こういう方法もあるのか、と大変参考になった。

『しとやかな獣』

2006年11月21日 | 映画
川島雄三の名作をビデオで所有した。

川島は、原作・文芸物が多く、本人の意思がよく分からないところがあるが、これは川島の本音に近いのだろう。ともかく面白い。
合法的に様々な手を使って、タレント事務所の金を横領しまう、人間たち(若尾文子、高松英郎ら)。
外見は貧乏に見せて、実は大変豪勢な生活をしている元軍人の伊藤雄之助。
このずるさは、川島の本音のように思える。

弟子の今村昌平によれば、川島は「いかに旨い酒を飲むか」が目標だったらしい。
映画会社各社を渡り歩いたのも、その性らしいが、日本映画の古きよき時代である。

『タンゴ、冬の終わりに』

2006年11月19日 | 演劇
1984年にパルコ劇場で、平幹二郎、松本典子、名取裕子らの共演で上演された清水邦夫作、蜷川幸雄演出の作品。

冒頭は余りにも有名な、映画館で多数の若者がニューシネマ『イージーライダー』を見ていて、主人公が銃殺されるらしいシーンで大げさに慨嘆する場面。
スローモーションが若者たちの心情を拡大、増幅して見せる。数々の蜷川の名演出の中のでも最高の一つだろう。
今回も、以前よりはるかにパワー・アップして再現されたが、やはり涙が出る。

北国の廃墟と化した映画館。そこに元俳優で神経を冒された主人公堤真一が戻ってくる。
妻秋山菜津子、さらに若手女優の常盤貴子、その夫段田安則らが追ってくる。
狂気に支配されている堤も時々は過去を思い出し、華やかな時代の幻影に酔う。
中身は、ほとんどが堤の独白のようなものだが、そこに様々な人間が交差、重層する。清水と蜷川の手法は確かで、堤、秋山、段田、そして毬谷友子らの役者もすごい。
だが、問題は常盤貴子で、発声、台詞が全く出来ていない。
昔見たとき「名取裕子は随分と大根だな」と思ったが、遥かに上だったと名取を再認識した。
さすがの蜷川でも、この常盤の鈍感さはどうにもならなかったようだ。
なにより、すべてが雑、粗雑である。その辺の心構えから直さないとどうにもならない。

暗く目立たない掃除女として、毬谷が出ているが、「なんて下手な女優だ」と常盤を見ているに違いない。
狂気に付かれた登場人物の中で、毬谷は唯一の普通の人間であり、彼女を配したことは、生活者の視点からこの劇を相対化する、という蜷川に意図だと思う。
久しぶりに芝居に酔った幸福な時間だった。

『飢餓海峡』

2006年11月19日 | 映画
内田吐夢監督、三国連太郎、伴淳三郎、左幸子主演で映画化された水上勉の小説の劇化。
前の上演は16年前だそうで、その際は、石田えりと永島敏行。
今回、永島は同じだが、主演の杉戸八重は、ミュージカル女優の島田歌穂。
言ってみれば通俗劇だが、なかなか面白かった。紀伊国屋ホール。

見て分かったのは、映画は大作だったが、相当にダイジェストしたものだったこと。
事件の発火点である青函連絡船転覆と岩内町の大火を、原作は昭和22年としているが、実際は昭和29年であること。

島田は、左幸子に比較するのは過酷で、愛嬌と台詞の間はとても良い。ただ、声が硬くて聞きにくいのは、何とかしてもらいたい。ときどき、次の瞬間に歌い出すのでは、と思うところがあった。本当は、歌うと面白いのだが。
永島は、なかなか良くやっていた。この人は、今の日本の役者では貴重な存在だろう。

全体として、戦後の「貧困風俗」の展示会であり、ここまで説明しないと観客は理解できないのか、と思う。
いずれにせよ、飢餓がほとんど根絶した現在、役者にとって飢餓を体で表現することは大変難しい。恐らく一番表現しにくいものだろう。

温暖化 飢餓は遠くなりにけり

首長多選は大問題

2006年11月17日 | 政治
全国で県知事が、談合等で逮捕されている。
問題は、やはり多選にあると思う。
日本の知事、市長等首長の権力は、大変強力なものであり、国の内閣総理大臣よりも実は強いのである。

これは、地方自治制度はアメリカと同じ大統領制だからで、予算、人事、施策の実行等、すべて首長ができるのである。
国の総理大臣と言えども、国会議員としては、「ワン・ノブ・ゼム」に過ぎないのとは大きな違いである。
この辺は、意外と知られていないようで、昨年公開された愚作映画『県庁の星』でも、県が国と完全に混同されていた。

岩田暁美

2006年11月17日 | 野球
もう忘れているだろうが、昔巨人の、特に長嶋監督に密着取材していたラジオ日本の女性リポーターである。
ガングロでソバージュの「不細工」な女性だった。

2000年前後、ナイター中継が終了したこの時期に、ラジオ日本では広岡達朗の番組があり、彼女もよく出てきた。
私は、当時もすでに巨人ファンではなかったが、彼女の巨人への、特に長嶋茂雄監督への強い思いは理解できるものだった。

原監督は、「巨人愛」なる奇妙な言葉をよく使うが、まさに彼女などは「巨人愛」そのものだったろう。
彼女は、言うまでもなく2003年ガンで亡くなる。
41歳だった。
今にして思えば、あれは、巨人とプロ野球凋落の象徴だったような気がする。

松坂60億円、井川は

2006年11月16日 | 野球
松坂がポスティングで60億円でレッドソックスに行くことになった。
日本のプロ野球にとっては寂しいが、1度しかない人生で、稼げる金を稼ごうとするのは当然のこと。
注目されるのは、阪神の井川である。
彼も日本では、ノーコン投手だが、アメリカならコントロールが良い投手になるだろう。必ず日本以上の成績を残すと思う。
どこに行くのだろうか。

夕張市破産

2006年11月15日 | 都市
昨日の新聞によれば北海道夕張市が財政再建指定団体として、様々な再建施策を行うことになった。

先日見た松竹映画『あの橋のたもとで』の中で、主人公園井啓介が行くのが夕張市で、昭和30年代中頃には、人口10万人を越えていた。
当時、石炭産業は下降傾向にあったが、まだ人口10万の大都市だった。
それが、今では1万人なのだから、破産するのも当然だろう。

『グローバル・ビレッジ』

2006年11月14日 | 映画
アムステルダム市の外国人を描いたオランダのドキュメンタリー映画。
ボリビア人、中国系、ガーナ人、チェチェン人等の外国人。
アムステルダムにそんなにいるとは初めて知った。
245分と長く、相当にゆるい構成で、新国立劇場に行くため途中で出る。

中では、ガーナ人の葬式が興味深い。
1990年代なので、葬式でリンガラ・ミュージックをやっている。
リンガラは、言うまでもなくザィールの音楽だが、アフリカで最もポピュラーな音楽だった。
川崎市民ミュージアム