指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

「叙勲は死んでも、墓石に刻めるからだ」そうだ

2015年04月30日 | その他

昨日、春の叙勲受章者が出ていて、俺様の石原慎太郎の名もあった。

「俺様も貰うのかね」と思うが、勲章は皆お好きなようだ。

この叙勲の手続きも非常に面倒なもので、私も横浜の市会事務局にいる時、その事務作業を横で見ていて、文章の読み合わせを手伝ったことがある。

まず、希望する者の履歴、功績調書を作る、まあ美文、作文である。

それを横浜市総務局の秘書課を通じて、神奈川県、そして総務省章勲局に提出して貰う。

こういう事務は、すべて市からはできず、県を通じて行うことになっている。

ここから先は、行政職員のものではなくなり、議員の仕事になる。

もちろん、国会議員の出番で、大抵は、県選出の自民党の参議院議員にお願いをするのだそうだ。

金銭が絡むのかどうかは、われわれは関知しない。

まあ、平安時代から「売位売官」は、貴族の収入源の一つだったのだから、参議院議員は現代の貴族だったのかもしれない。

それくらいかつての参議院議員は、お暇だったわけである。

 

さて、なぜこのように皆さんは、勲章を欲しがるのだろうか、ある方に聞いたことがある。

答えは次のようなものだった。

「人間には、食欲、性欲、名誉欲の三欲がある。この内、食欲と性欲は死んだら終わりだが、名誉欲、つまり叙勲は墓に刻めるので、死んでも残るからだ」そうだ。

墓に刻んだところで、どうだと言うのかとは思うが。

ところで、私の父も勲章を貰っている。学校の校長をやっている時に死んだので、死亡叙勲で、勲何等かを貰った。

こういうのは例外なので、極めて早く手続きしてくれるもので、父の正式な葬式の際は、祭壇に飾られていた。

もちろん、父の墓には勲位などは刻まれていない。生前に死者を知る者の心に刻まれていればよいのである。


『侍ニッポン・新納鶴千代』

2015年04月29日 | 映画

1955年、東映で作られた時代劇で、『侍ニッポン・新納鶴千代』としてはサイレント映画の大河内伝次郎主演以来、3回目のリメイクになるが、ここでの主演は東千代介で、彼のやや線の細いニヒルな感じにあっている。

彼は、主題歌も良く歌っていたように記憶している。

 

                        

 

幕末の江戸、町の道場に通っている新納鶴千代は、田代百合子と知り合い、人を介して婚姻の申し込みをする。

だが、田代の家は、加賀前田藩の重役で、山形勲は、「両親きちんと申し込みに来い」とはね付ける。

東は、芸者だった母高杉早苗が、まだ無役だった頃の井伊直弼(坂東蓑助 先日亡くなった坂東三津五郎の祖父)との間にできた子で、その後兄たちの死で、直弼急遽城主から大老にまでなったため、高杉と二人で暮らすことになったのである。

一方、道場の友人は水戸藩の者で、彼らは仇敵の井伊直弼の暗殺を企てている。

そして3月3日、彼らが江戸城登城の井伊直弼暗殺に向かった時、新納鶴千代は自分の父が直弼であることを知り、父の名を呼ぶが、二人とも惨殺されてしまう。

この東映作品の後、松竹でも田村高広のがあり、そして1963年には、三船敏郎主演、橋本忍脚本、岡本喜八監督で『侍』が作られる。

ここでは、父を憎んで、直弼の首を三船が取って掲げると言うラストになっている。このラストシーンの殺陣の凄さは日本映画史に残るものだと思う。それに比べれば、この東映版は、かなり劣る場面になっていた。

フィルムセンター


『放浪記』

2015年04月29日 | 映画

『放浪記』と言っても、菊田一夫の作・演出、森光子のが大ヒットした後のものではない。

 

                             

 

映画化は、最初の1935年、昭和10年のPCL映画、監督は木村外荘十二であり、林芙美子役は、夏川静枝である。

ここには、森光子で有名になったでんぐり返しも、「アラエッサッサーの泥鰌すくい」も出てこない。

あれは皆菊田一夫の作なのである。もちろん、後輩のアナーキスト詩人として、生前に林と交遊のあった菊田のことなので、嘘ではないだろうが、相当に誇張された林芙美子像なのである。

行商人の夫婦の娘として生まれた扶美子は、上京してセルロイド工場の女工、女給、などをしている。

ここでは、詩や小説を書いていることはあまり出てこなくて、女工のつらい仕事と貧乏な暮らし、同じ不幸な境遇にある女性たちとの友情が中心になっている。

多分、その理由は、監督の木村外荘十二は、元プロキノのメンバーであり、こうした貧しい女性に対し、連帯の言葉を送っているからである。

ここにあるのは、貧しい境遇の者は、互いに助け合わなくてはならないというメッセージである。

事実、生活保護、医療保険、年金など福祉制度がほとんど不備だった当時、下層階級の者は、下層の者同士が助け合うしか生きる道はなかった。

その点、戦後は、そうした福祉制度は行政によって整えられており、その分下層の者同士が相互扶助しようという気持ちは減ってきているように思う。

特に、「小泉構造改革」以後の日本は、下層の者は、より下層の者を叩き、軽蔑し、笑うという風潮になってきている。

誠に困ったことだと言うしかない。

別に戦前に戻せとはもちろん言わないが、地域レベルでの相互扶助はあってしかるべきだと思う。

林芙美子に懸想している男が藤原釜足で、芙美子を騙す役者に滝澤修、その妻が細川ちえ子、芙美子の義理の父が丸山定男と新劇人総出演である。

芙美子の女工の仲間に、赤木蘭子、堤真佐子らが出てくるが、戦後はおばあさん役だった英百合子が、娘役で出ていてきれいだった。

 英百合子は、岸輝子と並び、モガの代表的女性だったと言うのがよく分かった。

夏川静枝は、日本女優史に残る大女優で、非常に芸歴の長い方だったが、大変に上手でしかも知的で品がある。

今どきの女優にはないタイプである。

『放浪記』には、もう1本、1954年に東映、角梨恵子主演、久松静児監督でも作られている。角は少し感じが違うと思うが、これも見てみたいものだ。

川崎市民ミュージアム


『永遠のハバナ』

2015年04月27日 | 映画

Action Incの10年だそうで、ラテン映画が特集されている。

『永遠のハバナ』は、当然キューバ映画で、ハバナの鉄道修理工、バレーダンサー、歌手、ピーナッツ売りの老婆、工場労働者の女性など様々な人々が断片的に描かれていく。

ジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』である。

 

                     

 

原題は、「Suite Havanna」で、「ハバナ組曲」であり、ハバナ賛歌である。

画面が素晴らしいが、それぞれに生き生きと生きている人々がもっと素晴らしい。

決して裕福ではないだろうが、生活と人生を楽しんでいるだろう人々の姿が感動的である。

ここには、貯蓄や財テクとは無縁の世界があり、日本の異常さが浮き彫りになる。

私はブラジル音楽が世界最高と思っているが、故中村とうようさんはキューバ音楽が最高とおっしゃっていた。

ぜひともいつかは、キューバ、そしてハバナに行って見たいものだと思っている。

地下鉄で新宿3丁目に行き、歩いてK’sシネマに行ったが、かつて昭和館だったのがK’sシネマに変ったように、この辺の汚かった町もお洒落で奇麗なエリアになっている。

駅まで行くと、新宿国際が壊されていて、工事現場の塀で覆われていた。ここもピンク映画の最後の聖地だったのだが。

K’sシネマ


『小林一茶』

2015年04月26日 | 演劇

小林一茶については、劇作家北條秀司にもあり、緒方拳が持役にしていて、私も昔明治座で見たことがあるが、それは晩年の信濃に戻っていた時の一茶だった。

 

                                          

 

この井上ひさし作の一茶は、若き日の江戸で俳人として生きていこうとしている一茶である。

これを見てあらためて驚くのは、当時の江戸の庶民文化、経済的繁栄の凄さである。

一茶と同輩でライバルの竹里らは、俳諧で賭けをする「懸賞句会」で小遣いを稼いでいるが、俳諧を本業とする「業俳」を目指してゆく。

当時、裕福な商人、武士などは、俳諧を嗜んでいたが、本業があり余技として俳句を作る「遊俳」があり、一茶は、業俳を取ることになる。

この懸賞句会にみるように、上流階級のみならず、普通の庶民でも俳諧を楽しみ、そこに様々な趣向を立てて賭けた金を競う賭句があったのだ。

室町時代から、賭け事の一つとして「香道」があったそうだが、パチンコの一人勝ちの現在の賭博事情からみれば、江戸時代の方が遙かに上だったと言えるだろう。

井上作品なので例によって、江戸の札差で遊俳の一人夏目成美の別荘で、四百八十両の紛失があり、それをお吟味芝居で、一茶のことを調べることで劇が仕立られはじめる。

だが、正直に言って、この序盤は台詞のみで劇が進むので、相当に眠気を誘われた。

私の前の席におられた高齢の女性は、ほとんど眠られており、隣にいられたご主人らしき方と共に、幕間でお帰りになった。

最近、芝居を見に行くと、つまらなさそうだとして一幕だけ見て帰られる方がいる。

私は、映画の場合は、最初の15分間でつまらなくて、途中から面白くなる映画はないと思っている。

だが、劇の場合は、途中でいきなり役者がやる気になることや、好きなシーンに来て乗ることなどがあるので、最後まで見ることにしている。

それは、ライブである芝居の面白さで、野球で言えば、いきなり終盤でで逆転劇が起こるのと同じだである。

二幕目からは、非常に面白くなり、また竹里の転落の人生と一茶の成功が対置されていて劇的になる。

両者の間にいるのが、水茶屋の女・お園で、これも様々な人生行路を歩む。

役者は若い人が多く、久保酎吉、石田圭祐以外は見知らぬ人だったが、それぞれに適役で、もちろん、様々な役を演じる。

お園役の荘田由紀は、鳳蘭の娘で、宝塚には入らず、文学座に入って女優になったのだそうだ。

紀伊国屋ホール


『暴れん坊街道』

2015年04月25日 | 映画

久しぶりのフィルムセンター、東映時代劇特集は初めてで、この『暴れん坊街道』を見ようと思ったのは、公開時に見ているからである。

                                     

 

池上にあった池上劇場で、母に連れてもらって行ったと思うが、なぜこんな作品に行ったのかが分からないが、子供が主人公の映画だったからだろうか。

話は、近松門左衛門の『重乃井子別れ』で、お女中重乃井の山田五十鈴は、佐野周二の与作と、親・薄田研二の許さぬ恋で、子も為すが引き裂かれて城主の子の乳母にされる。

子供と引き離される時の婆は、毛利菊枝と渋い配役だが、この方は京都劇団・くるみ座の代表だった。

10年後、風来坊に落ちぶれた佐野は、街道のある町の旅籠屋に逗留することになり、飯盛り女郎の千原しのぶと情を通わすようになる。

そこには、子供ながら馬方の三吉がいて、佐野も武士を捨てて馬方になり、3人は極貧の中でも仲良く、まるで親子のように暮らす。

そこに大名の一行が来て、姫様と乳母の山田、今は家老となった薄田もいて、姫がご機嫌を損ねた時、三吉たち馬方がやっている道中双六で機嫌が直り、姫様と遊ばせることになる。

この時の姫の「いやじゃ、いやじゃ」は、歌舞伎の有名な子共の台詞である。

さて、この三吉は、実は佐野と山田の間の子であり、山田は分かり、三吉も知ってしまう。

そこから一気に悲劇に突入し、千原しのぶの父の借財のために、三吉が姫の輿入れの結納の名刀を盗んだことから最後は、佐野は馬方の親分の進藤英太郎を殺し、自分も切腹するに至る。

父と母、そして子が初めて会った時、父は死んでいたのである。

まさに封建制下の悲劇、涙なくしては見られない話だが、私は実はそれほど感動しなかった。

憶えていたのは、姫の「いやじゃ、いやじゃ」と三吉が、山田の仕打ちに怒ってお守りを川に捨てるところだけだった。

三吉は、片岡千恵蔵の長男の植木基晴で、この他にも何本か出ていたが役者は辞めたようで、四男はJALの社長である。

姫も千恵蔵の娘で、彼女も出ていたが、女優にはならずに結婚されたとのこと。

なぜ、母がこの映画に連れて行ってくれたかは、結局分からなかった。

 佐野周二の時代劇は珍しく、また「熱演型」の監督内田吐夢にしては、比較的淡々とした作品だが、やはり彼としてはお涙頂戴にはしたくなかったのだろう。

もっとも、内田吐夢は、戦時中中国にいて、戦後のすぐには帰国せず、戻っても家族とは別れて生活したとのことで、そうした孤独な性格も反映されているのだろうか。


「地域と市民意識の変化」  横浜市会議員選挙結果

2015年04月23日 | 政治

4月12日の統一地方選の横浜市会の結果について考えてみる。結果は以下のとおりである()内は前回の結果。

自民 35人(30)

公明 16 (15)

民主 13 (17)

維新  9 (-)

共産  9 (5)

みんな 1 (0)

ネット 1 (1)

諸派  0 (2)

無所属 5 (3)

 

              

簡単に言えば、民主党の一人負けで、自民の圧勝のように見える。

もともと地方選挙は自民、保守派が強い、と言うよりも日本の社会で政治を志向する人間が連合したのが、自民党だと言うべきなのだが。

自民党以外に、現職議員の秘書になるなど、プロの政治家になる道が日本にはないのだから、仕方ないのである。

ただ、民主の以外にも、維新やみんなの改革で当選した議員もいるので、彼らも大きくみれば元は民主系なので、それほど変化していないのでもある。

また、共産党の躍進を考えると、実際に低投票率にもかかわらず、共産党の各候補が得票を増やしているのは、民主党に落胆した人が、今回は共産に入れたと言える。

横浜市会では、いつでも民主党(かつての旧社会党)と共産党を合計した得票数と当選議員数は大体同じだったので、その意味ではそう変わっていない。今回も、前回も両党合計は22人で同じである。

 

個別に見ると、非常に興味深い事実がある。それは、地域の変化と市民の意識の変化である。

今回、民主党は、鶴見区と磯子区で議席を失った。

磯子では、前議員が女性スキャンダルで辞職し、補欠選挙で自民に奪われたが、今回も回復することができなかった。

磯子は、飛鳥田元市長の地元であったように、旧社会党の強いところで、かつては労組と民間の2人の社会党議員がいた時もあった。

また、鶴見区も旧社会党の強いところで、ここも議員が2人いた時代が長かったが、今回は新人と元の二人が出て、二人とも落ちた。

この二つが意味するのは、かつての「京浜工業地帯」が完全に変ったことである。

磯子区、洋光台に石川島の、汐見台には根岸湾埋立地企業等の社宅があり、その組織票があったが、リストラと社宅の減少で基礎票が大きく減少しているのである。企業の社宅は皆売却されて大規模なマンションに代わっている。

また、前中田宏市長の系統の議員が、横浜市会には多くいたのだが、今回は2人で、しかも両者とも最下位当選だった。

彼ら前中田宏市長の系統の議員は、今は大体は維新の党となっているが、南区で現職の木下候補が落ちたように、大きく票を減らしており、旧中田宏系は全滅したと言える。

これも、考えれば地域の変化と市民意識の変化による結果だった。もともと前中田宏市長のような方も、最初は自民党に対抗して出てきた。

ただし旧来の社会党系の労組依存では無理とのことで、直接有権者につながる「ポピュリズム」的政策を掲げて出て来た。

日本におけるポピュリズムは、小泉純一郎が嚆矢で典型と言われてきたが、今では大阪市の橋下徹が代表になるだろう。

5月の「大阪都市構想」の賛否の選挙がどうなるのか、興味深いところだが、かなり厳しいのではないかと思う。

また、ネットは1人で、前回と同じだが、これもネットの方には申し訳ないが、存在意義がかなり薄れて来た結果だったと思う。

ネットは、旧社会党がなくなった時、急には民主党に行けなかった支持者の受け皿だったのだが、もう時代が過ぎたと言うべきなのだろう。今回は、恐らくは共産党にいれたのではないかと想像される。

では、民主党は、どうしたら良いのだろうか。

今回の結果のように、かつての地域の労組依存はもう無理なのだから、地域のNPOやボランティアグループとの連携、協力を進めていくことだろうと思う。

それにしても、42%とという低投票率は、日本は幸福で良い国だと言うことなのだろうか。

この政治への無力感に付け込んで安倍政権は、着々と古臭い政策を進めているが、これも元はと言えば民主党の責任が大きい。大いに反省していただきたいと思う。

 


『スクリプターはストリッパーではありません』 白鳥あかね 国書刊行会

2015年04月22日 | 映画

以前、桂千穂が日本映画のスクリプターの女性たちにインタビューした名著『スクリプター 女たちの映画史』があり、この中にも出てくる白鳥あかねさんへのインタビューの本で、実に面白い。

題名は、彼女が神代辰巳監督の『濡れた欲情・特出し21人』で、信州のストリップ小屋にロケして撮影した時、踊子や彼女たちのヒモ男たちに大変に世話になった。そして、ロケの最終日の打上げの座敷で、外波山文明、姫田真佐久らが裸になったのに続き、白鳥さんも乗ってつい裸になってしまった。

その噂がすぐに砧にも届き、先輩の秋山みよさんから言われたのが題名なのである。

白鳥さんは、早稲田を出て、父親が芥川龍之介の弟子で大逆事件等の研究家神崎清で、新藤兼人が映画『どぶ』を撮る時に家に来ていたので、新藤監督の映画『狼』に付く。

これはオールロケ、オールアフレコ映画で結構面白い作品だったが、近代映画協会は貧乏で彼女を雇えないので、製作再開した日活に紹介してくれる。

最初の作品は、久松静児監督の『月夜の傘』で、その後主に斎藤武市と西河克己監督の作品のスクリプターを務めることになり、西河組のチーフだった白鳥信一と結婚する。

この本を読んで、日活の監督の勢力配置図がよく分かった。

 

一番は石原裕次郎作品の舛田利雄組で、対して小林旭の「渡り鳥シリーズ」の斎藤武市組だった。

西河克己は、松竹以来の文芸路線で、時にはアクションのパロディーで、『俺の故郷は大西部』なんてものも作るが、吉永小百合路線でこれも一つの中心だった。

 

                   

 

鈴木清順は、芸術派である本心を隠していたとのことで、裕次郎・旭などの中心から離れて独自路線だったとのこと。

一番面白いのが小杉勇で、彼は言うまでもなく俳優なので、監督をすること自体が楽しくてい仕方がなく、その性でスタッフ、キャストも楽しく映画作りができたと言う。今見ると結構良い作品が多いので驚くのだが。

 

この本で一番驚いたのが、1964年の大ヒット『愛と死を見つめて』の時のロケ現場に来た吉永小百合後援会の写真である。

それは、品の良い和服姿のおばあさんたちなので、吉永小百合の人気を支えていたのは、こうした上品な女性たちだったのだ。

この映画は、「渡り鳥」を作って来て会社に貢献してきた斎藤監督へのご褒美で、彼が作りたかった文芸作品だったのだが、当時24億円と言う大ヒットになる。

 

ロマンポルノになっても彼女は、夫の白鳥信一と一緒に日活に残り、神代辰巳のほとんどの作品に付く。

彼女の見方は実に正確でさすがだと思う。ロマンポルノには、西村昭五郎のアナーキーな性格がよく合っていたと言うところ。また、先日亡くなった加藤彰を高く評価しているところも。

彼の『OL日記・濡れた札束』は、大津の女性銀行員の横領事件を描いたもので、私は当時から大傑作だと思っていた。

最近では、予算のない映画ではスクリプターを省くこともあるそうだが、それではプロの映画はできなだろうと素人ながら私も思う。

 


「東宝スタジオ展」

2015年04月21日 | 映画

世田谷美術館でやっていた「東宝スタジオ展」に最終日の日曜日に行く。田園調布からバスで行くと、砧緑地の端にある。

東宝のスタジオは、言うまでもなく砧に作られたのが最初で、その他今はオークラランドになっている桜の第三撮影所、メディアシティの航空教育資料製作所の第二撮影所、さらに千歳船橋には連合映画撮影所もあり、みな世田谷区だった。

PCLの時からの資料が多数展示されているが、東宝は結局『ゴジラ』と『七人の侍』であり、この2本は言うまでもなく、太平洋戦争からできたものである。

『ゴジラ』のゴジラの来襲には、戦時中の大空襲の記憶があり、『七人の侍』の侍への百姓たちの竹槍での戦いは、巨大な戦力のアメリカへの日本の戦いである。

そして、東宝には多くの前衛美術家がいたことを再確認する。高山良策や山下菊二がいたことは有名になって来たが、日本のシュールレアリズムの開祖・滝口修造も企画部にいてスクリプターをやっていたのである。

会社内部で出されていた機関誌もあり、活発に活動していたのだなと思う。山下菊二のストライキ中の模様のスケッチも多数あった。

予告編が上映されていたが、三船敏郎の『宮本武蔵』で、お甲が水戸光子だったことに驚く。お通は言わずと知れた八千草薫で、今とほとんど変りなし。

予告編集の最後で、山田洋次の『小さなおうち』が出て来たので、「あれっ」と思うが、1970年代以降、東宝は、貸スタジオ化しており、他社の作品も膨大に作って来たのである。

 


『理由』

2015年04月21日 | 映画

宮部みゆき原作の小説を石森史郎・大林宜彦の脚本、大林の監督で映画化したもの。

北千住の高級・超高層マンションで飛び降りと、一家4人の惨殺事件が起き、その事件解明を関係者へのインタビューと回想で描くもの。

 

                                                              

 

大林なので、作り方や画面も上手いが、ともかく長い。

テーマとしては、超高層マンションは、家族を破壊すると言うことだろうが、この時期はまさに小泉・竹中の新経済主義の全盛時代だったと思う。

そして最後は、親の愛情が不足していて人の怪物になった男の犯行と言う結末は、推理小説のご定法からは、違反気味である。

作品の内容よりも、膨大に出てくる出演者の方が興味深い。

南田洋子、立川談志、利根はる恵、横山あきお、東郷晴子、峰岸徹、山田辰夫、石上三登志など亡くなられた方も多い。

風見章子も亡くなられていると思って調べると、ご健在であり、まことにご同慶に耐えない。

出演者中の最大の傑作は、立川談志だが、バーのマスターの永六輔が異常に太っていたのが気になった。

この頃、やはり太り過ぎで、それが健康にも影響したのだろうか。

衛星劇場

 


『生きる』は、川崎市役所だった

2015年04月19日 | 映画

先日、元東宝の録音技師だった林頴四郎さんからお電話をいただき、世田谷美術館の「東宝スタジオ展に行きましたか」と聞かれた。

もちろん、この展示は知っていて行きたかったのだが、この間小津安二郎論を書いていたので、行く暇がなかったのだ。

昨日は、芝居を見に行ったので、最終日の今日の昼間に行ってきた。

非常に興味深い資料が沢山あり、それについてはまた書くが、買った「図録」に松山崇の図面が載っていて、川崎市役所とはっきり記入してあった。

あの映画の市役所はどこだろうか、と思ってきたが、これで解決した。

確かに、あの映画に出てくる事象のスケールから考えれば、川崎市あたりが適当だろう。

そう思うと、志村喬がヤクザの宮口精二に脅かされる廊下の感じは、川崎市役所の由緒ある建物の感じに似ている気もする。

                                       


三条美紀、死去

2015年04月19日 | 映画

女優の三条美紀が亡くなられた、86歳。

彼女は戦後大映の新人女優としてデビューし、三益愛子と共演した「母物」で人気女優になる。

だが、彼女の出演作品で重要なのは、黒澤明の問題作の『静かなる決闘』に主人公として出ていることである。

これについては、黒澤明の徴兵されなかったことの「贖罪意識」だと言うのは、何度も書いたので繰り返さないが、三船敏郎の相手役となった彼女も戦争の被害者だったのである。

母物といい、『静かなる決闘』といい、彼女は戦争の被害者役を演じてきたと言えるだろう。

                                                

 

1970年代以降は、市川崑監督の『犬神家の一族』以降の横溝正史シリーズ作品でも必ず出ていた。また、市川崑の晩年の傑作『細雪』では、槙岡本家の女中役も演じていた。

言うまでもなく、かつて若手女優として活躍されていた紀比呂子は、彼女の娘だった。

戦後の映画を代表する女優のご冥福をお祈りする。

それにしても、愛川欣也の訃報は新聞の一面トップと言うのは、少し扱いが大きすぎるように思うが。


『行人坂の魔物』 町田徹 講談社

2015年04月17日 | 東京

行人坂とは、目黒駅から目黒川に向けて下りる急坂で、そこにあるのが目黒雅叙園である。

この本は、お七が身を投げたと言われるお七の井戸から、明治維新後に政商らへの払下げを経て、昭和になり一代で財を作り上げた細川力蔵によって目黒雅叙園ができ、その後の様々な葛藤を詳細に描いたもので、非常に面白い。

江戸時代は細川家の屋敷だったそうだが、細川力蔵はなんの関係もなく、福井から上京して風呂屋の下働き、簡単に言えば「三助」から身を起こしたと言う人なのである。

               

 

               

 

昭和6年にできた贅を尽くした目黒雅叙園は、「昭和の竜宮城」とも言われたそうだが、1945年の空襲で焼け、細川氏も亡くなる。

そして、不思議なことに1952年まで7年間社長が不在だったのだ。

理由は、雅叙園は合資会社で、細川氏の妻、後妻、妾、その子、さらに兄弟などの親族からなる同族会社だったので、社長がいなくても不都合がなかったようだ。

一方、1948年からは、大阪の興行師松尾国三氏によって、目黒雅叙園観光ホテルが設立されて、営業を開始したのである。

もちろん、、松尾氏が細川一族の一部を取締役に取りこんでいたからである。

そして、バブル時代にマンションや新館を作るが、バブル崩壊で、債務が邦人銀行から外資のハゲタカ・ファンドに売り飛ばされてしまう。

また、松尾氏が保有していた、大阪の新歌舞伎座、ドリームランドなど、松尾氏の死後の、未亡人と会社専務との争いから、許栄中や伊藤須栄満らのバブル紳士が入って来て、雅叙園観光ホテルの株券を巡っての「コスモポリタン」「イトマン」騒動も起きる。

この間で、池田某は1988年以来姿を消して行方不明になっているそうだ。

一方、雅叙園では、この間10人近くの社長が一族の中から出るが、どなたも根本的な会社再建はできなかった。

もともと乳母日傘で育ってきたプリンスたちが、会社経営の泥沼で、内外の様々な敵と戦う気力も能力もありようもなかったに違いない。

この辺の一族の内紛は、とうてい一度読んだだけでは複雑すぎて理解できない。

そして、最後はハゲタカのローン・スターとの戦いになるが、本当にこのファンドはひどいが、最後の最後で、底地の所有権なしに根抵当権を設定していたと言うのだから、とても信じがたい。

まさに資本主義、金のためには人間はどんなことでもするということの典型だろう。


広島空港は

2015年04月15日 | 都市

広島空港での韓国機の事故が話題になっているが、私は一度だけここに行ったことがある。

ある区役所にいた時で、外部の関係団体の方と一緒に広島に視察に行ったのだ。

もちろん、費用は自己負担したが、日程などは、そちらにすべてお任せだった。

羽田から広島空港に着き、市内へとタクシーに乗った。「20分位でホテルに着くだろう」とのことだったが、行けども行けども着かない。

たしか1時間以上、1万円以上もかかったと思う。

なんと広島空港は、「広島アジア大会」のために新空港を建設して移転していたのである。

場所も、広島市内ではなく三原市なのとのこと。

元の広島空港は、まだ広島市内の海近くにあり、ローカル線用の空港として利用しているらしい。

帰りは、もちろんリムジンバスで空港まで行った。

広島空港を利用される時は、よくご注意を。


やはり整形したのだろうか

2015年04月15日 | 政治

ヒラリーさんで、もう一つ有名な話は、「整形疑惑」ではないだろうか。

たしかに、彼女の学生時代の写真は、どうみても「ダサい」女学生の典型である。

                   

 

それが、今では大変美しい女性になっている。

この変化は、ファーストレディーとしての自信だけだろうか。

普通に考えれば、なにかの施術をしたのではないかと思えるだろう。

女性にとってやはり見た目は重要なのか、とヒラリーさんが感じられたのは、多分ビル・クリントン大統領の「モニカ・ルインスキーとのスキャンダル」ではないかと思う。

「あんな馬鹿女に、どうしてビルは引かれたのか」と思った時が転機だったのではないかと邪推するのだが。