指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

「遠野凪子だった 『ファミリー・トゥリー』」 

2020年12月31日 | 音楽
YouTubeで、武満徹の『ファミリー・トゥリー』があり、画面に出ている少女が気になっていて、見るとそれは遠野凪子だった。


                                   

武満は昔から好きだったが、20世紀末からは、やや武満から離れていた。それは、武満らしさが失われてきたように思えたからだ。

武満もそうだが、20世紀の現代音楽は、簡単に言えば「不安の音楽」だった。
シェーンベルグに始まる「現代音楽」は、それまでの古典派からロマン派にいたる社会から、19世紀までの欧州の貴族社会の崩壊、戦争と革命の時代へのインテリ等中間層の不安の表現だったと思う。
武満も、そうで戦後の日本の不安、混乱の表現だったと私は思う。
だから、武満の音楽は、松竹や東宝、日活でも多くの秀作を作りだした。
それは、恋愛映画や青春映画が、不安の表現だからだ。
東宝の藤本真澄が、武満の起用に不安を抱いたとき、武満は
「私の音楽は、メロデアスなんですけれど・・・」と言ったそうだ。
内藤洋子の『伊豆の踊子』なども実に武満的で、繊細で不安な音楽だった。

だが、1989年にベルリンの壁がなくなり、東西冷戦が終わり、続いてソ連が崩壊し、戦後の世界をおおっていた核戦争という地球最大の不安が一応消えた。
そして、武満の音楽も、方向を見失ったように私には見えた。
だが、この彼の晩年の作品は、非常によいと思えた。
谷川俊太郎の詩に基づき、自分から祖父、祖母、父、母、そして現在の自分の戻ってくる。
それはまさに「家系」であり、マルクス的に言えば、「個として死に、類として生きる」である。
そういえば、遠野凪子は、内藤洋子のようにもみえる。今では、テレビ・バラエティで、暴走女優になっている彼女だが、そこでは指揮のシャルル・デュトワの演出で、的確に詩を読み、少女の演技しているように見える。

『戦う少国民』に見る精神主義

2020年12月27日 | 政治
映画『戦う少国民』では、眼や耳の訓練を小学生にやっている。
実に悲惨というか、バカバカしい。
敵を見ることは、人間の眼や耳ではなく、すでにレーダーによって確認できるようになっていたのだからひどいと言うしかない。
また、回転する輪に子供を入れて廻すのもやっているが、航空兵の三半規管の訓練なのだろうか。
飛行機にとって重要なことは、アクロバット飛行をすることではなく、通常の飛行を確実に行うことである。
すべてを国民の精神に帰そうとしている。
それは、国民に自粛を言う菅義偉首相も、同じように見えてくるのは、私だけだろうか。


聴音訓練があった 『戦う少国民』

2020年12月26日 | 映画
夜、なにもないもで、YouTubeを見ていたら、映画『戦う少国民』というのがあった。1944年に公開されたもので、農村や都会での戦争の訓練を描いた電通映画社で、都会編の横浜市西区西前国民学校のもの。これだけが残っているようだ。

       

まず、敵機来襲の避難訓練がある。拡声器で避難するが、小さな防空壕、これで爆弾から逃れられるはずもない。
各学年での戦意高揚教育が綴られるが、ここに「聴音訓練」があった。
聴音訓練とは、飛行機の爆音を聞いて、機名を当てるもので、こういうレコードがあったことは、岡田則夫さんのコンサートで聞いていた。
本当に、SPレコードから、録音された飛行機の音を再生させて機種名を当てさせるのだ。
本当にあったのだ。
だが当たったことで、何なのだろうか、逃げるより他にないのは皆同じなのに。
輪輪訓練といって、自転車で選ばれた男女が東京に向かう。
横浜から東京まで行くので、一日がかりの行程だったろう。
不思議なのは、誰も弁当を腰に付けていないことで、どこかで炊き出しを受けたのだろうか。
靖国神社、明治神宮遙拝、そして皇居参拝、正座してのものだ。
最後は、なぎなたと竹槍の訓練。
宮崎にあったという八紘棟での大集会もあるが、校長は隣組で、一億国民の総結集を叫ぶ。
まるで、菅義偉首相が、国民に自粛を呼びかけているのによく似ている。
この非科学性は、戦時中も現在も変わっていないのか。

スカイビルには、横浜放送映画専門学院があった

2020年12月25日 | 映画
昨日は、スカイビルの回転レストランについて書いたが、ここには今村昌平が始めた横浜放送映画専門学院があった。ここは、今では日本映画大学になっている。
最初、これを作った時、「学校で映画作りが教えられるものか」という声があったが、今では映画のみならず、テレビ業界では、こうした専門学校出のスタッフが大半だとのことだ。
今村は、松竹から日活に移籍し、優れた作品を作っていたが、60年代中頃には、日活を出て今村プロを作るようになる。
こうした課程で今村が見たのは、日本映画各社の撮影所が持っていた「スタッフ、キャスト」の養成機能の喪失だった。
従来、撮影所は、映画を作るだけではなく、スタッフを養成する機能を持っていたのだ。
だから、映画監督になるには、映画会社の社員になって撮影所で作り方を学ばなければならないとされていた。
それが最初に問題となったのは、東宝が1957年に石原慎太郎に『若き獣』で監督をさせようとしたことだった。
これには、東宝の助監督が大反対し、今後外部から監督をさせるなら、東宝内部からも1人づつ監督に昇進させるとなり、これで岡本喜八や恩地日出夫らが監督昇格することになる。
この石原慎太郎の映画ができたとき、恩地らも試写を見たが、その感想は、
「意外にも普通のできで、素人でも監督はできるのではないか」という驚きだった。私は、依然見たが慎太郎らしくなく、弱者を擁護するような平凡なできだったと思うが。
それは、当然で石原慎太郎監督以外は、全部本当のプロだったからだ(このときは、組合の反対があるとのことで、撮影等のスタッフは全部管理職、助手は外部の独立プロの人だったとのことだ)。

       

監督は、周囲がきちんとしたスタッフを配置すれば、誰でもできることは、後のバブル時代に「素人監督」が続出したことでもよくわかるだろう。
今村昌平は、戦後の映画監督で最高だと私は思っているが、こうした映画のスタッフ作りの新しい方法を始めたことでも大変な業績があったと思うのだ。
今や、映画やテレビの専門学校は多数あり、ここでは多くの作家、元監督、スタッフ等が教員として働いている。
彼ら、半失業者の第二の人生を作り出したことでも、今村昌平の貢献は大きかったと思うのだ。





回転レストラン、止まる

2020年12月24日 | 横浜
有楽町の東京交通会館の上の回転レストランが、今月で開店を終了させるとのことだ。ここにも行ったことがあるが、同じものは横浜西口のスカイビルにもあり、ここにはよく行った。

        
と言っても、女性とではなく、一緒の芝居をやっていた下川博や山本亮らとである。
別に回転するから特に面白いものでもないが、まあ外部の雰囲気が変化するのは面白かったと思う。
このスカイビルは、意外にも船会社のジャパンライン等が作ったもので、港に面していたのがその理由だと思う。
これも、東口が、再開発される中で壊されてしまい、そごう等が入っていたビル群に集約されることになったのはよく知られているだろう。


『あすの花嫁』

2020年12月23日 | 映画
原作が壺井栄なので、その程度だろうと思うが、監督が贔屓の野村孝なので、『追跡』の次も見る。

           
小豆島の雑貨屋の娘の吉永小百合が、神戸の藤陰女子短大に入る。母の奈良岡朋子の母校だったが、事情があって中退し、島に戻ってきたのだ。祖母は、村瀬幸子で、近所の男で、農業試験場でオリーブの研究をしてるのが浜田光夫。女子大の先生に北林谷栄とほとんど民芸映画。
奈良岡の昔の恋人が宇野重吉で、再会し、一緒になろうとし、はじめは吉永は反発するが、「母も女性だ」と納得し、宇野と奈良岡、吉永と浜田が結婚するだろうことが示唆されて終わる。
野村は、抒情的な作風で、宇野と奈良岡が島で再会したとき、バックが赤い夕景で、この辺は野村らしい感じだ。
ただ、民青的な感じがあり、『幸福の歌』が二度も歌われるのが不快だった。
藤陰女子短大とはどこだろうか、非常にきれいな校舎で、松蔭女子大だろうか。

続いて、『闇に光る眼』と『白い閃光』も見る。
どちらも、1時間も満たない作品で、これらには佳作もあったが、前者の監督春原政久、後者の古川卓巳にとっても、誇れるような映画ではない。
特に後者は、白バイ宣伝映画でしらけた。
阿佐ヶ谷ラピュタ


『追跡』

2020年12月22日 | 映画
脚本家としては凄いが、監督としては疑問を感じる人に、新藤兼人と熊井啓がいる。
これは、熊井啓の脚本が非常によくできている作品である。
1961年9月の公開作品、監督は西河克巳で、全面的に山口県とのタイアップ作品になっている。会社が県とのタイアップができたというので、熊井が現地に行って書いたとのこと。

                      
山口の防府のアパートに県警刑事の二谷英明がやってくる。実は、彼は刑事を辞めて来たのだが、妹岩崎加根子・木島一郎夫妻が、新婚旅行中に殺人事件を目撃していて、犯人が出てきたからだ。
犯人達は、内田良平と浜田寅彦で、薬の売買で三国人と争いになり、銃殺したのだが、その現場を旅館で岩崎らが目撃したのだ。
二谷を囲んでの夕食に、電気屋のセールスマンの杉山俊夫が来て、冷蔵庫を売り込む。
翌日、冷蔵庫が運ばれてくると、アパートの部屋に、杉山の手引きで内田や浜田が入り込む。岩崎らを監禁して脅し、玄関ドアを冷蔵庫で封鎖し、二谷や県警の見張りの刑事を閉め出す。
銃撃戦となるが、そこで岩崎は死に、犯人達は逃げ、二谷らは追う。
そして、萩に行き、さらに秋芳洞に逃げ込む。
そこでの銃撃戦まで展開されるが、今では到底許されない芝居だとのこと。
杉山の兄が写真家の小高雄二で、この二人と歌手の松原智恵子との三角関係の描かれるなど、実に盛りだくさん。その兄弟の実家のアパートの娘が松尾嘉代など、日活の脇役が多数出てくる。

秋芳洞での銃撃戦など、公立公園では現在では絶対にできないそうだが、火薬の爆破までやっている。
もちろん、最後は浜田と内田は逮捕されるが、この二人の争いの元は、三国人が6000千万円を持っていて、浜田が強奪して洞内に埋めたとのことだった。だが、鞄を掘り出すと、酸化して札は赤に変色していて、もともと偽札だったことが分る。
阿佐ヶ谷ラピュタ

『野菊の墓』

2020年12月21日 | 映画
映画『野菊の墓』は、言うまでもなく松田聖子の主演である。
木下恵介の『野菊のごとき君なりき』のリメイクだが、それは主演俳優を大々的に募集したもので、私の知り合いも応募し、勿論落ちたそうだ。受かったのは、有田紀子と田中晋二で、この二人は松竹作品にたくさん出ていて、田中は意外にも大島渚の『青春残酷物語』にも学生役で出ている。


               
北関東だろうか、農村の大家斉藤家の次男の政夫の桑原正は、母加藤治子の姪で、自分には従兄弟となる女中の松田聖子の民子が来ることが楽しみである。
桑原は、オーディションで選ばれたが、結局俳優にはならなかったようだ。監督の沢井信一郎は、ルックスで決めたとのこと。
話は、巡礼の身となった政夫の島田正吾の回想で始まる。
前作では笠智衆で、回想部分は、卵型の枠で表現される。当時でも、「これは現実ではありませんよ」というエクスキューズだが、木下恵介は本質的にリアリズムなので、そうせざるを得なかったのだろう。

市川崑は、「シナリオと配役ができれば映画は終わったようなもの」と書いているが、松田と桑原以外は、ベテランで、加藤の他、長男夫婦は村井邦夫と赤座美代子、女中頭に樹木希林、民子の父に愛川欽也、その妻は色っぽいので誰かと思うと白川和子だった。
加藤は、政夫が民子を好きなことは分っているが、民子の方が年上なことで、結婚は無理と思っている。年上云々は、言訳で本当の理由は、言うまでもなく松田の方が低い家柄だからだろう。
家は、まだ加藤治子が握っていて、男言葉の台詞になっている。
松田と桑原との交流は、綿摘みなど上手く描かれている。

そこに、本家の叔父の丹波哲郎から、隣村の吉岡家の軍人の嫁にとの話がくる。一応、丹波の家に養女として入って吉岡家に嫁入りする。

原作では、桑原の斉藤家は普通の農家らしいが、ここでは醤油作りもする家になっている。
ここで凄いのは、松田は女中なのにまったくの無給で、男女の使用人も給与は大してないようで、祭の時に特別にお小遣いを与える程度のように見えることだ。
私も、相川議長の秘書の時、かつては醤油屋もやっていた相川議長から、正月のお年玉をもらったことがある。
当時は、農村は非常に低賃金で、食い扶持減らしで雇用されていたのだろう。
脚本は、宮内婦貴子で、全体に女性の立場を尊重しているようだ。

松田の嫁入りの行列もかなりなもので、中学生の桑原は、樹木希林から知らされて急遽列を追いかけてくるが、映画『卒業』のようにはならず、彼女に野菊を渡すのみ。

民子は、嫁入りしても北城真紀子の母親には冷たく扱われ、まるで女中で、妊娠中の重作業をしたので、流産して死ぬ。
最後、成長した政夫の島田正吾が巡礼姿になっているのは、どういうわけなのだろうか。
加藤らから「将来のある身・・・」とさんざ言われていたのに、そうはならなかった意味は。
蓮見重彦先生ほどの激賞ではないが、できは非常に良いと思う。
画面が非常に良いと思うと、旧大映の森田富士郎の撮影で、瞽女や洗い張りが出てくるなどの時代考証も優れているが、これは沢井の
「日本の昔はこうだったのだよ」という若い観客への説明のように見えた。

日本映画専門チャンネル




『タネは誰のもの』

2020年12月20日 | 映画
今、種苗法が改悪され、農家が自家で栽培した種子を栽培できないようにしている。
その代わりに、種子企業から種子を買って栽培しろとなっている。果樹はすでにそうなっていて、F1種なので、種を植えても次世代の果樹はできないのだ。
果樹は仕方ないところもあるだろうが、米、麦等となると大問題だと思う。


                          
これは元農林大臣の山田正彦議員が全国を歩いて、農家に種苗法の危険なことを説く記録映画である。
だが、中である農家が言う台詞がすごい、
「国が農家が困るようなことをするはずがない!」
かつての小泉純一郎内閣の前の自民党は、国民政党だったので、日本中の大多数の国民の利益を第一にする政党だった。

だが、小泉純一郎・竹中平蔵以後、自民党は日本のほんの一部と外国企業の利益を第一にする政党になったのだ、グローバル化の名の下に。
農業試験場での米作りが紹介されるが、そこではある程度生育した米をより分け、赤米、黒米、あるいは枝等が大きいものは除外して本当に強い苗だけを選別していく。
そうして、各地で優秀な米ができてきたのだ。
それを民間企業に渡し、農家はそこから買えという風にしようとしているのだ。
農家は言う、「一苗、二肥、三作り」
いかに苗が重要であるかを言う言葉だろう。
ある農家は「ほうれん草を買っていたが、オランダからのものだったので、今年は輸入しなくなったのでありません」

今から約1万円前に、西アジアで農業と牧畜が始まり、そこから名もない無数の人の手で改良が重ねられて今日の農業ができた。
それをモンサントなどの一部企業が独占し、売り物にするのは間違いである。
知的財産権と言うが、個人の営為である文学、音楽、映画、演劇と、農業や牧畜を一緒にするのは、明らかに間違いである。
タネは、人類のものだと言えるだろう。
イチゴ栽培で大儲けした農家の二代目である菅義偉首相は、種苗法の改正に勿論賛成にちがいない。
横浜シネマリン


『侠花列伝・襲名賭博』

2020年12月20日 | 映画
松原智恵子にこんなヤクザ映画があるとは知らなかった。1969年だが、日活も本当に混乱していたわけだ。

           
どこだが分らないが、温泉場で、松原智恵子が露天風呂に入っているところに、腕を斬られて血を流している藤竜也が乱入してきて、松原は藤を助ける。
彼女は、地元の老舗ヤクザの二代目江原真二郎の許嫁で、その組は温泉場の権利を持っている。
その権利を見明凡太郎と深江章喜の悪い組が狙っている。
江原の子分は植村謙二郎と渋い配役。植村は、黒澤明の『静かなる決闘』で梅毒患者を演じたベテランで、この頃は日活に移籍していた。
藤と松原は、半年後の3月15日に浅草で会おうと約束して別れる。
そこに女壺振りの梶芽衣子が現れ、藤を追う。このシーンはSLなので、大井川鐵道だろうか。

浅草で、松原は、佐野浅夫と奈良岡朋子の小料理屋に勤めているが、そこの娘と一緒になり、子供も作ってヤクザになっていたのは、新内語り崩れの高橋英樹。
3月15日の朝、浅草寺で松原は待つが、藤は遠くから見ているだけ。
そして、夕方に梶と一緒に現れて「これが女房だ・・・」と言って去る。もちろん、嘘である。
江原は、見明らに殺されかかり、死の床で、松原は花嫁衣装を着て、江原と結婚し、驚くことに三代目になる。まるで『絶唱』の舟木一夫と和泉雅子だ。
なんとも驚く展開だが、脚本は元大映の星川清治で、実に大映的。

最後は、植村も殺されて堪忍袋の緒が切れて、藤竜也は見明凡太郎の組に殴り込みに行き、壮絶な殺試合で高橋英樹の腕の中で死ぬ。

これは、戦後の日活の歴史の否定である。
日活は、戦後製作再開で、当初は文芸映画と時代劇だったが、どちらも駄目で、『太陽族』映画で、一躍ヒットして、戦後の日本映画をリードする。
これは、まさに時代が、戦前と縁を切り、欧米的な新しい社会と時代になったことの反映だったが、これでは逆戻りだった。
その後、ロマンポルノという、戦後の女性の力が増大したことを強く反映した路線になったのも、当然のことだった。
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『悪名』

2020年12月19日 | 映画
『悪名』シリーズは、新宿昭和館でよく見たが、この1作目は見ていなかった。
脚本依田義賢、監督田中徳三、音楽は鏑木創、今回初めて見て、昭和初期の雰囲気をよく出していると感じた。
南大阪河内の八尾の朝吉の勝新太郎は、群鶏好きで、親からは怒られている。
盆踊りの夜に中田康子とできてしまうが、有夫とのことで有馬温泉に逃げる。その帰りに八尾のお伊勢参りに行った連中と会い、村に帰るのは馬鹿らしいとのことで、松島の遊郭に繰り込む。ここで裸踊りの『酋長の娘』が時代をよく現している。
ここで、モートルの貞の田宮二郎と出会う。
ここでは、娼婦の水谷良重と出会い、足抜けさせることになるが、一方では中村玉緒と結婚の約束もするなど、酒を飲めない代わりに朝吉は女については、もてもてというか滅茶苦茶である。
松島遊郭からの足抜けには成功するが、水谷は因島に売られてしまう。
ここでは、須賀不二男の子分らとのアクションがある。
因島は、永田靖のシルクハットの親分が支配していたが、その上に浪花千栄子が「子分は二千人」と君臨している。
水谷をなんとか東京に逃がすが、律儀な勝新は、島に戻って浪花に許しを請う。浪花は、ステッキで打擲することで勝を許す。

ここで興味深いのは、因島の水谷を解放するために、勝と田宮の二人は、賭博場で「手本引き」をすることだ。
花札賭博の「手本引き」は、篠田正浩監督の1963年『乾いた花』だと思っていたが、1961年のこれが最初だったのだ。
その後、江波杏子の『女賭博師シリーズ』の「入ります・・・」になるわけだ。

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『さらば掟』

2020年12月15日 | 映画
1971年9月松竹で公開された舛田利雄監督作品、同時公開は井上梅次の『人間標的』である。
主演は渡哲也で、松竹と浅井事務所提携作品となっているが、浅井事務所とは、当時渡がいた事務所だとのこと。
最初と最後が横浜だが、渡は、逗子あたりの花屋で働いている。オーナーは岩下志麻で、店はスナックもやっている。
ある日、シーボニアのヨットに花を持って行くと氾文雀がいて、モーターボートに花を散らし、薬とワインを飲んで出て行く。
見ていた若者が、「自殺だ!」と言うが、渡は「死にたい奴は死ぬさ・・・」と言って去ろうとするが、若者のボートが動かないのを見ると、故障を軽く直して海へ出て行き、氾を救う。
シーボニアのさん橋に戻ってきて、新聞記者(山本幸栄)が写真を撮ると、渡はフィルムを引き抜いてしまう。だが、翌日の新聞に「人命救助」として顔写真が出ている。渡は、逃亡の身だったのだ。

           

また、店に花束の注文があり、行くと豪邸で、汎と藤木孝の婚約披露が行われている。汎の父の芦田伸介は、彼女を大企業の御曹司の藤木を一緒にさせようと仕組んでいる。かつては、過激派に加担していたこともある汎は、父に反発し、渡哲也に惹かれて行くが、そこに渡を殺そうとする青木義朗が神戸から来る。
「あれ、これは・・・」と思うが、明らかに渡の『紅の流れ星』のリメイクで、原案が舛田利雄となっている。渡の名もゴロウで同じである。
言うまでもなく、『紅の流れ星』は、石原裕次郎主演の『赤い波止場』のリメイクであり、『赤い波止場』の元は、ジャン・ギャバンの『望郷』である。
文学のような個人的営為では、盗作は問題となるが、映画、演劇、ポピュラー音楽のような大衆文化では、創作は集団的行為で、盗作は問題ではなく、むしろ集合的無意識につながるものである。

『紅の流れ星』では、東京から神戸に逃げて来た渡が、浅丘ルリ子に逢って追いかけるが、ここでは、逆に汎が、渡を追いかける。
そして、神戸から青木や、さらに深江章喜らが追ってくる。渡哲也は、組の親分の女とできてしまい逃げて来たのだ。そこの映像も色を落として回想されるが、その女(茅淳子)が浅丘ルリ子に似ているのが笑える。
岩下は、二人を横浜の中華街に隠し、香港へ逃がす手配をする。ここも『紅の流れ星』では、ホテルの女主人細川ちか子が演じた役である。
汎は、芦田と藤木の策略で、精神病院に入れられるが、渡は、彼女を救い出し、横浜の中華街のアパートに潜伏する。
青木や深江、さらに横浜のヤクザの柳瀬志郎らによって二人は捜索される。
この柳瀬も旧日活の俳優で、これはほとんど日活映画である。
最後、汎は、芦田に連絡して、
「私は家に戻るが、彼を逃してやって」と言い、山下公園の端の噴水のところに、全員が集まる。
この汎文雀の言葉は、本心か否かよくわからないが、当然にも渡哲也は、深江らによって殺される。
全体にできはさすがに良いが、一つ不満がある。
それは、これは松竹ではなく国際放映で撮られたとのことで、『紅の流れ星』のような素晴らしい美術がないことだ。
やはり、木村威夫さんのセットはすごいと思った。
衛星劇場









バカじゃないの!

2020年12月14日 | 政治
バカじゃないの!
こんな重大な会見で、下手なギャグを入れている場合か!
この人は、ニンというものを全く分っていないと思う。
小役人のような暗い陰険な人間が、下手なギャグを言ってもしらけるだけだ。
だが、彼の周辺には、これでも笑う人間がいるのだと思う。
シュールレアリストのアンドレ・ブルトン曰く、
「その人が付き合っている人間を見れば、その人間は分る」
西村や田村、そして二階など、菅義偉首相の周囲にいる人間は最悪のように思える。


NEWS.YAHOO.CO.JP菅首相「ガースーです」 ネット番組、ニックネームで自己紹介(産経新聞) - Yahoo!ニュース




『さすらいのカーボーイ』

2020年12月13日 | 映画
『イージーライダー』は見ていたが、これは見ていなかったが、傑作だった。
小津安二郎作品のような映画詩である。
撮影のヴィルモス・ジグモンドが実に美しい。

           
アメリカ中西部だろう、ピーター・フォンダとウォーレン・オーツ、さらに若者が彷徨している。
二人は、7年も一緒で旅している。若者はカルフォルニアに憧れていて、ゴールドコーストだと思っている。
3人は、西へ行き、かのデスバレーの見える村に着く。
そこは変な感じだったが、夜二人が酒場で酒を飲んでいると銃声が聞こえ、若者が扉から倒れ込んで来るが、首を撃たれている。
怪しげな男と女が入って来て、「妻に暴行しようとしたので、撃った」という。
「妻に聞こう」と言うと、「英語ができない」と答える。
この辺は、当時はメキシコで、後にアメリカに入れられた州なのだ。
カルフォルニアの金の話が出てくるので、19世紀の終わりくらいだろう。
この作品は、今見ると非常に皮肉である。60年代の「夢のカルフォルニア」が、もう幻想であり、暗い現実であることを暗示しているのだから。
ピーターは家に戻る決意をし、ウォーレンも着いて行く。
1週間くらいで着くというので、これも中西部なのだろう。

6年ぶりに戻ると、妻(ベルナ・ブルーム)と6歳くらいの娘がいるが、二人は家ではなく、納屋で寝ることになる。
「どの面下げて戻ってきた」と妻が思うのは当然で、この映画は、女性の立場から見た夫婦関係が描かれていて、フミニズム映画だとも言える。

町に日用品を買いに行くと、妻が使用人を雇って来たが、中には男と関係しているとの噂がたっている。
ピーターは、町に行き、「使用人不要」との貼紙をを出し、妻に聞く。
「時には、淋しくて使用人と同衾したこともある」と告白し、ピーターも否定しない。
この辺の描き方は、非常に新しいと思う。
何を作っているのかはよくわからないが、たぶん小麦だろう。

ピーターと妻は関係をもどし、ウォーレンはそれを分って、「西に行く」と一人で出ていく。
しばらくすると、彼の馬に乗った男が来て、切り落とした彼の小指を見せる。
ピーターは、妻が止めるのも聞かず、男の言う町に行く。この辺は、日本のヤクザ映画の「殴り込み」のようでもあり、妻との生活より男同士の友情である。
ウォーレン・オーツが閉じ込められているのは、あの若者が殺された町で、ピーターはあの連中と銃撃戦になり、ウォーレン・オーツの腕の中で彼は死ぬ。
ウォーレン・オーツは一人でピーターの家に戻ってきて、また納屋で寝ることになる。
NHKBS




『新・悪名』

2020年12月11日 | 映画
2作目監督と言われる森一生だが、これは3作目。
戦後、復員列車でのシーンから始まる。『兵隊ヤクザ』みたいだが、それは1965年。
何年ぶりと聞かれて「満州事変だから14年ぶり・・・」と言っているが、それは少しおかしくて、1947年頃のようだ。
というのは、八尾に戻ってくると、
「農地解放で、田んぼが自分のものになった。戦争で良かったのはこれだけだ」と父親が言っているからだ。戦後の「民主的改革」で大きなものの一つが農地解放で、これで戦前は「小作争議」など労働者と同様に反政府運動の主力だった農民は、保守に転じたからだ。これで地方は、自民の牙城になるのだ。

勝新太郎の八尾の朝吉は、戦死したことになっていて墓まであり、妻の中村玉緒は他の男と結婚している。こうした悲劇は実際にあり、山本薩夫と亀井文夫の共同監督の『戦争と平和』も、同様の悲劇である。
勝は、戦争で未亡人となった浜田ゆう子が、米軍兵に乱暴されて村から家出したことから、浜田を追って大阪に行く。河内のような田舎に米兵が来るかと思うが、八尾には飛行場もあったので、ありうることだったのか。

大阪のミナミに闇市があり、そこは大いに賑わっていて、そこでパンパンになりかかっている浜田を見つける。万里昌代らの女を集めているのは、田宮二郎で、2作目で死んだモートルの貞の弟で、パングリッシュを使うキザな男だが、まさに田宮に適役。

              
すぐに二人は意気投合して、闇市で大活躍する。
田宮は、巧妙に組織を作り、女たちから得た金を土地の所有者と称する沢村昌之助に送り、土地の一部を自分のものにして楽天地を作ろうと計画している。する
勝は、戦場で得た経験から、雑炊屋を始めて繁盛する。そこで、昔仲間だった須賀不二男に再会すると、彼は建築屋になっている。
闇市は、伊達三郎ら三国人の不法占拠だったので、沢村と須賀は屋台を壊して自分たちのものにしようと男を集めて殴り込んでくる。
勝新太郎と田宮二郎は、闇市の連中を総動員して戦い、沢村らと引き分けに持ち込み、5年間の猶予を勝ち取る。
勝は、浜田と一緒になって八尾の戻ることにする。勝は浜田に言う、
「日本も、お前もひどいことになったが、これからぼちぼちやっていくだけだ」
これは、監督の森一生や脚本の依田義賢ら、戦争の惨禍にあった者達の本音だと思う。1962年と言えば、今日でみれば高度経済成長が始まった時期だが、当時はそんなことになるとは皆思っていなかったのだ。
日本映画専門チャンネル