日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。
日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。
だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。
日本にも興味深い人間はいた。
陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。
満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。
この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。
日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。
日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。
だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。
日本にも興味深い人間はいた。
陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。
満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。
この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。
石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。
このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。
昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。
私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。
大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。
『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。
赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。
また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。
主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。
監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。
意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる人である。
放送大学の野崎先生の映画の解説は素晴らしかったが、この赤木映画は、ご存じないようなので、ここに書いておく。
桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。
浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。
それも大映京都の時代劇である。
市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。
当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。
本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。
近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。
花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。
この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。
そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。
ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。
映画『ZK』、頭脳警察を見て、食わず嫌いだったことを悔いた。
彼は、赤軍などの左翼過激派との関係が言われたが、その本質は、抒情的なメロディメーカーであることが分かった。
それは、彼(パンタ)は、埼玉の所沢に生まれ育ったことで、アメリカ軍基地の文化を浴びたからだったと思う。
それは、レゲエの ボブ・マーリーにも類似していると思う。
ボブは、他のレゲエ歌手とは異なるクールさがあるが、彼はイギリス人の父親とジャマイカ人の母との間に生まれたことが、その理由だと私は思うのである。
横浜シネマベティ
私は、「藤田敏八、ベケット説」で、『ゴドーを待ちながら』のように、うろうろしているが、いきなり破局が来るのが藤田の映画だと思っている。
ここでは、予備校の教師山崎努が、妻朝丘雪路がいながら、帽子デザイナーの加賀まりこ、そして学生の田中美佐子との間をうろうろするもので、田中を「宝物」と言い、「50年たったら結婚しよう」とも言う。
実に自分勝手で、いい加減な男だが、最後まで同じで終わる。ただ、田中は、学生と一緒になろする。
「なにこれ」と言いたくなる。実は、これと田中裕子主演の映画『ザ・レイプ』が東映系で2本立てで公開されて、そこそこ当たったのだ。
ダブル田中映画だが、東陽一の『ザ・レイプ』の方が、作品としてははるかに上だった。
田中美佐子をダイヤモンドとは言えなかったし、山崎努に愛嬌が不足していると思う。
前に見た『二十歳の原点』は、もともとは森谷司郎監督で進行していたのが、忙しくて大森健次郎になったそうだ。
実際の女性高野悦子の手記を基にしている。
主人公で立命館大生の角ゆり子は、全共闘のリーダーの大門正明に憧れるが、アルバイト先のホテルの係長地井武男にも恋焦がれ、学生の富川と最初の性交をしてしまう。
最後は、地井とのベッドシーンもあり、結構豊かな胸も披露してくれる。
それを見たのか、後に日活ロマンポルノの『嗚呼女たち猥歌』に出て驚かされたが、その後は辞めてしまったようだ。
津田京子や地井のように死んだ方もいるが、この角ゆり子と富川は、この後見なくなってしまう。芸能界で長く生きていることも大変なようだ。
国立映画アーカイブ
映画は、見てみないと分からないものだと思う。
宮内富貴子脚本なので、だが映画『俺たちの荒野』以外、ろくなものがない出目昌伸監督なので、期待せずに行ったが、大変に良かった。
1968年10月21日、新宿は大騒乱で、一人列を離れてさまよっていた高校生に三船志郎は、偶然に出会った岩下志麻のOLのような女に抱擁・キスされて、機動隊の追及から逃れた。
そして、三船の三島市の高校の数学の新任教師として岩下がやってくる。
これは、校長の案ではなく、生活指導の戸浦六広のアイディアで、学生時代に運動をしていた岩下なら、学生に上手く対応できるだろう、「毒には毒を持って制す」だった。
三船の家は、地元の有名医師神田隆と一の宮敦子の夫婦、高校のクラスには、美少女の髙林由紀子、日活の不良の中沢治巳らがいて、高林と三船は一番親密で、彼らは常に学校と対立している。
岩下とのキッスが忘れられない三船は、岩下の上京にも付いていく。東京で保健婦をやっている母の北城真紀子と会うためで、北城は、いずれ三宅島に行くという。日活には、保健婦映画があり、芦川いづみや樫山文枝らが演じた。
まるでストーカーだが、岩下も三船が好きになり、仲間と借りている別荘で数日をすごし、もちろん性交にまで行くが、岩下のベッドシーンは吹き替えだろう。
そして、三船は、「いずれ20歳になったら結婚しよう」と宣言し、岩下も同意する。
家から出た三船は行方不明となり、学校にも来なくなり、騒動になる。
すると、神田と懇意の警察署長の清水元が、「岩下の三船への未成年者誘拐で告訴すれば良い」と神田に助言し、岩下は逮捕されてしまう。
取り調べで岩下は言う、「教師と生徒の問題で、男性教師と少女なら、いくらでもあり、問題にしないが、私が女で、生徒が男だから問題にされ、これは差別だ」と言う。
日本でも映画『若い人』から『エデンの海』に至るまで、先生と生徒の恋はいくらでもあるが、すべて男性教師と女生徒との恋だった。
ある日、岩下は、突然釈放される。三船が自殺したからだ。
三船の葬式に岩下が行くと、一の宮は言う、「息子を殺したあんたに焼香はしてもらいたくない」
その時、列席していた高林が出て来て、岩下の横に立ち、他の生徒も、受付の親戚との間に立つ。
大変に感動的なラストだった。
いつもは『陸軍中野学校』で、重い響きの池野成の音楽が、武満徹のようにメロデイアスで泣かせた。
この映画の良さのほとんどは、脚本の宮内のものだと思えた。元は、当時フランスに起きた実話だそうだが、そこでは女性が自殺したのだが、宮内は関係を逆にして成功した。
国立映画アーカイブ
早見優主演の映画『KID』を見る。1985年の公開時に併映の『ブレイクタウン物語』もひどいと思い、『ミュージック・マガジン』に書いたが、やはりひどい。
ここで思うのは、百恵・友和映画をヒットさせた元日活の西河克己の偉さである。
最初、東宝から山口百恵の映画の企画が来た時、ホリプロは「女学生映画」を考えていたそうだが、西河は、女学生ばかりだと百恵が目立たないと反対し、『伊豆の踊子』にしたそうだ。
早見優は、体は大きいが、まだ大人の情感はないので、それこそ「女学生映画」でもよく、女学生映画には、大成功ではないが、伊東ゆかりの映画『愛する明日』があり、そこそこ映画として成立していたのだから。
ただ、この愚策を見て、発見したことが三つあり、松尾和子と小坂一也がまだ生きていたこと、宍戸錠の映画『殺しの烙印』で、錠が最終の相手の南原宏治と会う海辺の桟橋が、横須賀港のものであったことが分かったのだ。
小坂一也が悪人で、最後早見優に伊勢佐木町で殺されるが、これは小坂と堀社長がロカビリー時代からの旧友だったからだろう。
若山富三郎と勝新太郎は、言うまでもなく兄弟だが、その性格はかなり違ったようだ。
先日の『座頭市千両首』を見ると、若山は、最後であっさりと勝新に負けてしまうが、これは「座頭市は勝新の映画だ」と心得ているからだろう。
若山は、勝新の後を追って映画界に入ったが、新東宝、大映、東映と必ずしも順調な歩みをしたわけではない。
そうした経験が、生かされたのが、黒澤明監督の『影武者』の時である。
当初、この企画で東宝では、勝新と若山の共演でやるつもりだった。当時、東宝では、勝新の『座頭市』と若山の『子連れ狼』がドル箱だったからだ。
だが、このとき、この企画を若山が断った。
「勝と黒澤が組んだら、きっと喧嘩になる。その時、俺が仲裁役になるのはご免だ」
これは、彼の予想通りになって、撮影1日目で、勝新の解任となる。
これは、普通に言われているように、勝新がビデオを廻していたからではない。
準備の段階で、黒澤も勝も、全国のロケ地を現地視察に行った。
そして、昼が終われば、当然にも夜は宴会になる。
そのとき、黒澤明の言うことは、昔話ばかりで、次第に周りに人がいなくなった。
対して、勝新は、いつも話が面白いので、次第に宴会は、勝新中心のものになり、黒澤明は極めて不愉快になる。そうした中でも、黒澤明の傍にいて大声で笑っていたのは、仲代達矢だったそうだ
彼には、『七人の侍』以来の恩義があったからだ。
そうした、不穏なスタッフ、キャストの雰囲気の中で、東宝のスタジオでの撮影になった。
そして、勝新の解任と仲代達矢の代役になったのである。
これについて、『無法松の一生』で勝新を使ったことのある堀川弘通は言っている。
「勝新は、どこまで黒澤明が許容してくれるのか試して失敗したのだ」と。
「彼は、物が読める人間であり、『無法松の一生』の時は、借りて来た猫のように大人でぃくてなにも起さなかったのだから、そこを見誤ったのだ」
『座頭市』等で大成功していた勝新と、『トラ、トラ、トラ』の解任以後、追い詰められていた黒澤明との差である。
出入りで、心ならず殺してしまった男の墓参りに、市は上州のある村に馬で来るが、その馬子は少年姿の坪内ミキ子で、もちろん市が殺した男の恋仲だった。
村では、飲めや歌えの大騒ぎ。代官が化した「千両の負荷」を納めたからで、もちろん代官は悪代官で、受けた千両を、伊達三郎らの悪漢に横取りさせ、さらに自分の屋敷に隠してしまう。
この村人の歌が、八木節なのは、実は問題であるが、後に書く。
さて、勝新太郎は、「役者バカ」なので、相手役が良いと自分も燃える。
ここでは、国定忠治に島田正吾、日光の円蔵に石黒達也と言うのが憎い。
当然、ここでは島田に「赤城の山」を演じさせて、勝新は、板割りの朝太郎を負って山を下りる。
さらに、城健三郎も出ているので、ここで島田と城の殺陣があったら最高だが、それはなくて、城は当然最後に勝と兄弟決闘をして死ぬ。
もちろん、最後は市が、悪代官を殺して千両箱を取り戻し村人に返す。
千両とは、約1億円で、こんな負荷があっただろうか。
さて、八木節だが、これは明治後期から大正時代にできたもので、江戸時代にはなかったのである。もちろん、語り物として、説教節のようなものは流布していたが、樽をリズミカルに叩いて歌って踊ると言うのは、明治後期にできたもので、作ったのは群馬の堀米源太という方で、今もその家元は堀米姓を名乗っているそうだ。
BS12
1962年のクレージーキャッツの映画で、松竹とは珍しい。
松竹では、ハナ肇が単独で出ている作品が沢山あるが、クレージーキャッツとして、全員が出ているのは珍しいと思う。
というのも、クレージーキャッツのアメリカ的なジャズ志向と松竹の体質は異なるように見えるからだが、この作品では違和感がなく、言ってみれば東宝的な出来になっている。
ハナ肇と谷啓は、東京の寿司屋の板前で、場所は明確ではないが、店の次女倍賞千恵子が出ている浅草国際劇場に出前しているので、浅草の近くのようだ。
店主で長女は高千穂ひづるで、彼女の叔父で伊豆の修善寺で旅館をやっている伴淳三郎は、何人も見合いの相手を持ってくるが、彼女は見向きもしない。実は、電源開発の社員の水原弘と恋仲なのだ。
寿司屋に来る客に芸者の淡路恵子がいて、ハナ肇や伴淳は惚れていて、一次は「灯台下暗し」かとハナ肇と淡路恵子を一緒にさせて店を継がせることを夢想する。
植木等は、ハナ肇の妹で、テレビのCMガールの葵京子と結婚していて、外車のセールスマンだが、上手く行かず会社の車を使って白タクシーをしている始末。
後楽園競輪場で、白タク営業をしているとき、旧友の犬塚弘と会い、不動産会社社長の犬塚の会社に行くと、社員で安田伸らがいる立派な会社なので、そこに入社してしまう。
伴淳は、淡路に料亭をさせたくて、犬塚持ってきた赤坂の土地の手付金として、300万円に犬塚に渡してしまう。すると、犬塚は、実は詐欺師で現金を持って逃げてしまい、淡路も、その仲間だった。
ことを恥じた植木は、ルンペンになって身を隠してしまい、ドヤに住んで、くず拾いになる。
ドヤで、そこの連中が歌う『日本無責任男』は、最高だが、腐る植木が笑える。
淡路が、伴淳のところに謝りに行くと、300万は、妻の高橋豊には内緒だったので、彼は不問に帰してくれる。この辺の役者の使い方も非常によくできている。
植木は、町で犬塚が運転している外車を見つけ、後を追って彼らのアジトに行く。
犬塚、安田の二人に植木一人なので、格闘に負けてしまうが、追って来たタクシーの運転手世志凡太の通報で警官が来て、犬塚らはご用になる。
淡路は、植木への謝罪と別れの手紙を残して青森に去って行く。
最後、植木は、伴淳の旅館に雇われて客引きをやっているところで終わり。その同僚には、桜井センリの姿も。
前半は、テレビの「スパークショー」での、渡辺晋らの演奏、藤木孝の歌、続いては赤坂のキャバレー「花馬車」でのスマイリー小原とスカイライナーズの派手な演奏と中島潤の歌など、「ショー的」映画で進行するが、次第にドラマになるのが上手いと思う。
倍賞千恵子が恋人山本豊三と話す国際劇場の屋上の遠景には「新世界」の看板。
中島潤が歌う『赤坂小唄』は、初めて聞いたがいい歌だった。
監督の番匠義彰は、大船的ではなく、東宝的であるが、映画ではなく、テレビに行ったのは、賢明なことだった。
衛星劇場
衛星劇場で、江利チエミ主演の『咲子さん、ちよっと』を見たが、結構よくできていて感心したが、それ以上に1962,3年ごろの日本映画と社会は、今とは比べられないほど、良い時代だったなあと思った。
この1963年は、日本映画は最高だったと思う。
よく言われるに、日本映画の観客動員数は、1957年だが、内容的には1963年が最高だったと私は思うのだ。
理由は、簡単である。溝口健二は亡くなっていたが、内田吐夢、伊藤大輔は元気で、小津安二郎もまだ生きていたのたのだが、この年に亡くなるのだが。
松竹には、まだヌーベルバーグの余韻があり、日活、東宝、大映には、戦後派の新人監督もいたからだ。
もちろん、黒澤明は、正月映画に『椿三十郎』を公開している。
このように、1963年は、日本映画の頂点だったと思えるのだが。
この30年くらいで、一番参った映画である。
なにしろ筋もドラマもなく、特に感動的なシーンもないのだから。
監督の篠田正浩が、松竹の城戸四郎の監督試験のとき、「君は、小津安二郎について、どう思うか」と聞かれ、篠田は「1920年代の欧州に絶対映画、純粋映画があったが、僕は小津安二郎にそれを見ます」
と答えたそうだ。
絶対映画とは、映画から、小説、劇、などの余計なものを取りのぞき、映像だけで映画を成立させようとするものだった。
小津安二郎の映画は、よく見ていると、筋やドラマやテーマなどはどうでもよく、テンポよくカットが進んでいくことの快感に酔ってくる。
その意味では、篠田が言うように、「小津映画は、絶対映画」であろう。
だが、このブレヒトの劇『マハゴニー市の興亡』を基にしたそうだが、それはほとんど感じられず、各シーンは「どういう意味なの?」とお聞きしたいものだった。
その意味では、これは実験映画、個人映画であり、2時間40分は、ほとんど苦行だったが、席を出て行った人は4人しかいず、その一人もトイレだったのか、すぐに戻って来た。
ただ、救いはクルト・ワイルの音楽で、やはり素晴らしい。
国立映画アーカイブ