指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

新大都映画作品2本

2009年04月30日 | 映画
フィルム・センターで、『剣戟女優とストリッパー』『アナタハン島の真相はこれだ!』の2本を見る。
内容については、今まで見た中で最もひどい映画だろう。
最低のピンク映画程度と言えば、想像できるだろうか。
実際に、撮影風景があったが、古いサイレント時代のカメラのような機械で撮影している。

後者には、以前テレビによく出ていた佐伯徹のほか、もう一人アパートの管理人や巡査等でよく出てくるおじさんが出ていたが、名前は分からなかったが、その内、分かるだろう。
昭和28年、テレビ、週刊誌以前で、こんなものでも公開され、話題になり売れたとは本当に驚く。

そして、一番驚くのは、この『アナタハン島の真相はこれだ!』という際物映画は、なんと東芸と関係があったというのだ。
東芸とは、東京芸術座で、村山知義が代表の左翼劇団で、今もある。
制作の吉田とし子というのも、東芸と村山に関係していた人だと思う。
なぜ、際物映画に左翼劇団が関係していたかは不明だが、当時彼らはトラック部隊などをやり、資金稼ぎに様々なことをしていたので、本当のことかもしれない。
スタッフの名も知らない人ばかりだが、あるいは変名なのかもしれない。
ともかく、ひどい映画であることは事実だった。

『夏の嵐』に唐十郎が出ていたとは驚き

2009年04月28日 | 映画
ラピュタの中平康特集、原作は学生小説コンクールで1位になり、昭和31年の芥川賞候補にもなった深井迪子の小説、脚本は長谷部慶冶とは珍しい。この人は、市川崑の太陽族もの『処刑の部屋』も書いているので、その関係だろうか。長谷部は、東宝レッド・パージ組で、フリーでシナリオを書いて、今村昌平の『にっぽん昆虫記』『赤い殺意』等もある。
太陽族の女性版で、中平の監督だが、『狂った果実』等の湘南風俗映画とは相当に違う。
主人公の養護学校教師で、美貌で生意気な北原三枝の自意識過剰な恋物語である。
あえて類似の作品を探すなら、フランソワーズ・サガンのようなものだろうか。

北原の家は富豪らしいが、父親の伊達信は無気力なインテリで骨董が趣味、クリスチャンで偽善者の母親の北林谷栄が家を支配し、北原の姉の小園蓉子に結婚相手を決めてしまう。北原、小園、そして弟の津川雅彦はすべて血の繋がらない兄弟という複雑な設定がなかなか分かりにくいが、北林谷栄の偽善者ぶりが、面白い。

小園の結婚相手の三橋達也が来て驚く北原三枝。
彼は、2年前にキャンプに行った夜、森で会い、抱擁した仲なのだ。だが、ここではセックスはしていなくて、愛はすべて内面のことである。自意識過剰な話なのだ。
だが、森の中で出会うシーンは、とてもロマンチックに描かれていて、北原三枝が大変西欧的で美しく、また真鍋理一郎の音楽も抒情的である。
中平が、こんなロマンチックな面を持っていたとは初めて知った。

北原は、好き合っている三橋とは結局セックスはしなくて、学校の同僚金子信夫とはホテルに行ってしまう。気まぐれと言うべきか。
三橋は、研究者だが、女と無理心中して生き残った男だと言う。
ともかく、人生論等の観念的議論が随分あるのが笑える。
この女は、ひどく生意気で、三橋との再会を喜び、小園には内緒で密会を重ねる。
外人墓地で三橋と二人になったときなど、「理性を確かめて見ません」などと誘ったりする。勿論、性交はしないのだが。

結局、三橋は小園と結婚する運びになるが、式の直前、4人は晩夏の海に行く。
そこで、三橋は台風で荒れる海に泳ぎ出してしまう。
すると、北原も海に身を投げてしまう。
一応は、純粋な愛に殉じろ、というメッセージなのだろうか。

北原三枝先生が教える養護学校の生徒に、大鶴義弘君、なんと唐十郎大先生である。
アホなことを言って、北原先生にビンタを食らう大鶴少年は、父親が記録映画の監督だったので、子役で結構出ていたらしい。
こんな映画でお会いするとは驚いた。

草なぎ剛がさらに好きになった

2009年04月27日 | 演劇
草なぎ剛が、公然わいせつ罪で捕まった。
だが、裸になって騒いだ程度で、逮捕、そして家宅捜査は、やりすぎであろう。
普通なら、説諭くらいで、無罪放免である。
有名人であることと、薬物使用の疑いからだろう。
だが、近年、ライブドア事件あたりから小沢一郎秘書政治資金違反事件まで、検察、警察が、社会に「モラルを示すこと」を自らの責務と思っているような傾向が見受けられるが、これは大変な問題である。
警察や検察が社会と国民に対してものを申すなど、あってはならないことで、彼らは適正に法を執行していれば良いのである。

そして、草なぎ剛の記者会見はとても立派だった。
彼は、若手俳優では、もっとも芝居が上手い。
つかこうへいも、『熱海殺人事件』で彼を使ったとき、「何も注意する必要がない」と絶賛していた。
私は、彼がテレビで『愛と死を見つめて』をやったを見て、とても上手いのに驚いた。
映画の吉永小百合・浜田光夫版より、(広末涼子は問題があるが)草なぎは、はるかに演技が上手かった。

以前、2006年7月に新国立劇場に井上ひさしの新作『夢のかさぶた』を見に行くと、彼が一人で見に来ていた。
アイドルが、井上ひさしの新作、それも東京裁判をめぐる芝居を見に来るなど、「ただものではない」と思った。
その気持ちは、今も変わりなく、むしろさらに好きになったというのが、実感である。


『断線』

2009年04月26日 | テレビ
松本清張原作の土曜ワイド劇場、脚本は橋本綾、監督は崔洋一、主演は松田優作、木村理恵、風吹ジュン、辺見マリなど。
松田優作は、証券会社の社員だが、木村とは銀行員と偽って結婚し、土曜日はマージャンと言ってキャバレーの女・風吹ジュンの家に泊まっている。

さらに、鎌倉の有閑マダム辺見マリとできたり、すべての女優と関係する。
結局、風吹ジュンと辺見マリは死ぬ。
厳密に言えば、どちらも殺人ではなく、過失致死である。
だが、最後松田は死を選ぶ。
その現場の上げ潮が満ちてくる突堤はどこだろうか、なかなか面白い情景である。

松田は、最後まで本心を明かさない男で、もちろん最後は、分かる。
松本清張の中には、幼児体験がずっと支配している作品があるが、これはその系列であろう。

1983年で、時代的にはロマン・ポルノ全盛期。
この頃、木村理恵も出たはずだ。

『葦の浮船』

2009年04月25日 | テレビ
松本清張生誕100年記念で、土曜ワイドで1980年代に放送されたテレビ映画。
脚本は橋本綾、監督は日活で『夜霧のブルース』『さぶ』『コルトは俺のパスポート』等の名作の野村孝。

雑誌編集者坂口良子は、高山で大学の歴史研究者の渡瀬恒彦に会う。
名古屋から新幹線で帰京すると、彼は大学の同僚で教授の津川雅彦と一緒に下車し、さらに出迎えの津川の妻萩尾みどりらと車で帰る。
津川は、本当は高津住男の人妻・山口果林と山中温泉に旅行していたが、そのアリバイ作りを手伝っていたのだ。
この二組のカップルをめぐってドラマは展開する。

そして、津川・山口が東京の旅館で殺人事件を目撃したことから事件がさらに深まる。
ムード派であると同時にテンポの良い野村孝なので、展開は大変面白い。
山口は自殺し、大学の教授選挙で津川のスキャンダルが問題化する。
最後は、やはり勧善懲悪かと思うと、もう一度逆転になるところは、松本清張の反逆性だろうか。
どうしても、坂口良子を渡瀬恒彦と一緒にさせず、無理やり女性として自立させようとしすぎるのは、橋本綾の考えだろう。
坂田晃一の音楽が快い。

主役三人が二役とは驚き 『水戸黄門海を渡る』

2009年04月23日 | 映画
テレビで水戸黄門と言えば、東野英治郎ら地味な役者が多いが、映画では月形龍之介、森繁久弥、古川ロッパらのスターが演じ、ここではなんと長谷川一夫である。
助さんは、市川雷蔵、格さんは勝新太郎。
そして、仙台で起きた殺人事件がアイヌに関係があり、蝦夷地、すなわち北海道に行く。勿論、ロケは東映の『宮本武蔵』でもおなじみの明野駐屯地や琵琶湖周辺らしい。たけしが、心配するまでもなく、ご老公は北海道に行けるわけがない。

そして、驚くのは、長谷川一夫は水戸黄門とアイヌの酋長シャクシャイン、市川雷蔵もアイヌの若手頭領、そして長谷川の息子の林成年も、松前藩主と、アイヌ人シャクシャインの父と結婚した日本人の母を女形で演じるのだ。つまり、主役3人が二役。
世界の映画で二役は多いが、3人の主演が二役を演じる映画など、聞いたことがない。まさに歌舞伎の世界である。
だが、監督は渡辺邦男で、なかなか面白い。
そして、早稲田大学時代は浅沼稲次郎らと共に、建設者同盟を作ったマルクス・ボーイだった渡辺邦男らしく、アイヌに好意的なのはさすが。
悪いのは、例によって藩の家老石黒達也と回船問屋の小堀明男らで、最後は長谷川、雷蔵、勝らに討たれ、めでたしめでたしになる。
私は、石黒達也という悪役が大好きで、この人が出てくると、とてもうれしくなる。

この時期の長谷川一夫の映画は、市川雷蔵や勝新太郎が大抵出ている。
それだけ長谷川の人気が落ちていたので、何とか若手と組ませていたのだろう。
東映では、中村錦之助が、日活では石原裕次郎が、東宝では加山雄三等の若手スターが活躍していたのに、大映はなんとも老齢化していた。
その結果が、1971年の倒産になる。
日本映画専門チャンネル

中平と増村の差

2009年04月19日 | 映画
ラピュタの中平康特集で、1957年制作、三島由紀夫のベストセラー小説の映画化『美徳のよろめき』を見る。
華族の末裔の月丘夢路は、親が決めた相手のがさつな男三国連太郎と結婚し、一人息子がある。
だが、戦前に恋しあっていた葉山良二に戦後再会し、恋に落ちる。
紆余曲折があり、二人は旅行に行き、葉山は月丘をホテルのベットに押し倒すが、月丘に強く拒まれてセックスはできない。
月丘は、これで良いのだと家庭に戻ろうとしたとき、友人で色事の指南役だった宮城千賀子が、愛人のプロレスラー安部徹に刺殺される。
そして、月丘は三国との家庭生活に戻り、葉山は大阪に転勤する。

この「月丘・葉山」と「宮城・安部」の関係は、中平作品と増村保造作品の主人公の差異になるだろう。
増村の若尾文子から緑魔子、渥美マリ、そして関根恵子につながるヒロインたちは、愛に殉じて時には死んでしまう。
愛のためなら、「家庭の平和や秩序など何だ」と愛と死に向かって突進してしまう。
だが、中平の作品、そしてこの時期の三島由紀夫の小説も、そこまでは行かない。
三島は、多くの小説では、感覚的には反秩序だったが、政治、社会意識的には、そこまでは行けなかった。その矛盾が、最後の自死に至った理由とも言える。
中平が、1960年代中盤から方向性を見失うのも、彼には本質的に、反秩序意識がなく、周囲との違和と矛盾を解決できなかったからだろう。
最後は、今回の特集でも上映されず、なかなか見られないATGでの『変奏曲』だが、これなど本当にひどい最低作品だった。
『美徳のよろめき』の最後、宮城は警察病院で死ぬ。その病室の外を総武線が通過するが、明らかに模型であり、このシーンはセット撮影である。
溝口の『噂の女』等にもあったが、こういう映画的技法は見ていて面白いが、それが何だと言うのだ。
その辺が、中平らしさだが、つまらないところだろう。

月丘夢路と葉山良二は、この時期の日活の大スターで、言うならば美男・美女の典型。
だが、この二人は、石原裕次郎の出現により、次第に脇に追いやられる。
1954年の日活制作再開以後の歴史は、美男・美女が駆逐される歴史であり、その最後は美女は不必要になるロマン・ポルノだったのは、ある意味で当然の流れだったわけだ。

併映は、轟夕起子主演の『才女気質』で、長門裕之、吉行和子、中原早苗らが、轟の思惑とは別に、勝手な生き方をしてしまう、というものだが、特に面白いものではなかった。ここでも、長門が大阪テレビに就職してしまうのが出てくる。
中平康は、テレビを随分意識していたらしく、作品に必ず出てくる。

黒沢年男は、演技が上手い

2009年04月16日 | 映画
『36人の乗客』の併映で、西村潔監督の『白昼の襲撃』を見た。
以前見たのは、川崎の銀星座で、この時期の東宝アクションは結構良いものがあった。『狙撃』、『弾痕』、『白昼の襲撃』、『豹(ジャガー)は走った』など。

とても久しぶりに再見して面白かったが、主役の黒沢年男の演技が上手いのに驚いた。
この人は、ただのアクション・スターのように思われているが、芝居が細かくとて上手いのに感心した。
成瀬巳喜男らの作品に出ていた性だろう。

黒沢の相手のホモの少年は、出情児(いで じょうじ)。
彼は状況劇場にいた後、写真家になり、現在は日本の音楽ビデオ監督の第一人者であるそうだ。
黒沢、出、そして黒沢の恋人の高橋紀子の関係は、所謂「ドリカム的関係」2人の男と1人の女で、『明日に向かって撃て』や『冒険者たち』のようには、なかなか上手くいかず難しいものだが、出(いで)と黒沢が上手いので、結構サマになっている。
最後の、横浜のヨット・ハーバーは、小柴だろうか。その他、以前戸部にあった同潤会アパートも出てくる。伊勢佐木町通りにも、まだアーケードがあった。

西村潔は、かなり変わった人だったらしいが、この時期はまだ普通に撮っている。

『三十六人の乗客』

2009年04月15日 | 映画
サスペンス劇として、評価の高い作品だが、今回初めて見ることができた。
脚本は井出雅人と瀬川昌冶、監督は三人娘の『ジャンケン娘』など、東宝娯楽映画のエースの一人杉江敏男。

話は、スキーバスに強盗殺人犯が紛れ込み、そこに偶然刑事の小泉博も愛人淡路恵子と乗っていて、次第に犯人を追い詰めるというもの。
犯人の佐藤允の他、千秋実、多々良純、森川信、塩沢とき、中谷一郎など個性のある役者が出ている。バスガイドがきれいだな、と思ったら、なんと扇千景前参議院議長様。
シナリオが大変上手くできていて、監督の杉江自身が「一番好きだが、会社には喜ばれなかった作品」だそうだ。
杉江は、撮影台本にはコンテを印刷してスタッフに配ったそうで、大変効率的に作ったそうだ。彼は、意外にもヒチコックが好きで、彼のようなサスペンスものを作るのが念願で、その意味では会心作だったようだ。

中で、スキー客の大学生が、変な山の歌をコーラスで歌うのが、歌声運動みたいだった。
この時期の映画では、大学生というと、すぐに歌声コーラスになるのは、実に困ったものだったと思う。
シネマ・ヴェーラ渋谷。

この映画館は、良い作品を上映するのは有難いが、この日も上映のピントが甘いのが気になった。
特に、1時間くらいを過ぎると、かなりピンボケになるのは、いらいらされられた。

なぜ、リメイク作品を見るのか

2009年04月12日 | 映画
『伊豆の踊子』をはじめ、数多くのリメイク作品が日本映画にはある。
『細雪』、『青い山脈』、『若い人』、『潮騒』など。

リメイクはくだらないという意見もあるが、私はリメイク作品を見て比較することは、大変有意義だと思っている。
何故なら、何度も制作されることは、時代を越えた普遍的な優れたところがあるからに違いない。
だが、それと以上に、リメイク作品は、その時代、社会、民衆の心情、そして時代の価値観を必ず反映してしまうからである。
例えば、谷崎潤一郎の小説『細雪』は戦後3回制作されているが、それぞれの時代を反映していて、とても興味深い。
興味のある方は、新東宝作品(監督阿部豊)、大映作品(監督島耕二)、さらに東宝(監督市川崑)の3作品を見比べてみれば、とても大きな違いがあることに気づくだろう。

最初に作られた昭和25年の阿部豊監督作品では、主人公は驚くことに四女妙子の高峰秀子である。
駆け落ち問題を起こしても、自分で選んだ相手と生きていく妙子が、戦後の新しい時代の女性として肯定されている。
シナリオは、八住利雄で、八住は次の大映版の脚本も書いている。

昭和34年の大映作品の特徴は、まず、轟夕起子、京マチ子、山本富士子、叶順子、根上淳、船越英二、菅原謙二らの、豪華な配役である。四女の妙子も若尾文子だったが、病気で叶に代わったそうだ。
また、小説で大きな意味を持っている、キャサリン台風の阪神の大洪水も、特撮できちんと再現している。
その意味では、原作を忠実に映画化しようとしている。
だが、ここでも、時代は同時代の昭和34年にされたため(冒頭、フラフープで遊ぶ女の子が出てくる)、結末が付けられない。
今年、めでたくご成婚50年目を迎えた天皇陛下と、庶民出の正田美智子さんが、ご結婚された、まさに昭和34年である。
だから、山本富士子は「華族の末裔」と一緒になるわけには行かず、結末は曖昧に終わってしまう。なんとも幸福感のない映画なのだ。

それらに対し最後の、昭和58年の市川崑作品では、大胆にも設定を戦前に戻している。
そして、筋書きは原作どおり、三女雪子の吉永小百合の見合い話に終始する。
また、この昭和末に向かう時期は、「財テク」等、日本全体に金満的な、きわめて保守的な価値観が横溢していた時代である。
特に、テレビ、雑誌等では「お嬢様」がもてはやされた時だった。たけしの「元気が出るテレビ」で、犬のお嬢様を特集していたのを憶えている。
そこでは、「上流階級と結ばれて幸福になる」という理念は十分に肯定されうる時代だった。
その意味で、とても時代に合った作品だった。
また、この映画は、谷崎の原作にはない、石坂浩二が演じた次女佐久間良子の旦那貞之介の、四女雪子への「隠された愛」を挿入することで、きわめてエロティシズムの濃い作品となっている点も優れている。

このように、リメイク作品というのは、作者たちの意図とは必ずしも合わなくても、どこかで必ず時代の価値観を反映してしまうものなのである。
そこが、リメイク映画を見る面白さである。

五所平之助版『伊豆の踊子』の現代性

2009年04月12日 | 映画
フィルムセンターで、1933年、昭和8年に五所平之助が監督して、田中絹代が主演した松竹蒲田作品で最初の『伊豆の踊子』を見る。
すでに日本もトーキー時代に入っていたが、伊豆(実際は信州)の地方ロケーションがあり、当時は録音車を持っていくことも難しかったので、サイレントで作られた。
実際は、活弁と伴奏音楽が入ったのだろうが、フィルム・センターではすべて無音で上映されるので、あちこちで鼾の音が聞こえた。

なかなか上手くできている。
そして、田中絹代という女優は、清純派とされていたが、実は随分とおきゃんな女性だな、と思った。
実際に、清水宏監督との結婚生活では、喧嘩して畳の上におしっこをした、というのだから随分激情的な女性だった。

自分でも、吉永小百合と山口百恵と2本『伊豆の踊子』を監督した西河克己は、前に教えていた女子大で、6本の『伊豆の踊子』を見せたところ、この田中絹代版が一番評判が良かったそうだ。
それは、多分この田中絹代版のラストシーンのためだと思う。

相手役の一高生・大日向伝が、最後に下田港の岸壁で、田中絹代に「本当に聞いて欲しいことがある」と言う。
愛の告白と期待する彼女に、大日向が言ったのは、
「旅芸人をやめて旅館の息子の嫁になれ、そうすれば皆幸福になる」と言うのだ。
なんという女心を理解しない馬鹿者!
こうした場面は、実際よくあるわけで、女子大生は、きっとこのシーンを我が事のように思い、感動したのだろう。
五所平之助監督は、大変繊細な人で、女心をよく理解できる人だったようだ。
そこで、あのシーンになったのだろう。

「男と女のすれ違い」は、実はアングラ劇の唐十郎作品でも、その本質であり、ある意味近代劇の根本でもあると言える。
その意味では、この五所版は、結構現代的なものを持っているとも言えるのかもしれない。

映画『伊豆の踊子』は、田中絹代、鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、山口百恵と全部で5本見た。
残すのは、野村芳太郎監督の美空ひばり版のみだが、これはDVDも出ているので、その内見ることにしよう。

キム・ジョンイル(金正日)も普通の男

2009年04月10日 | 政治
北朝鮮で最高人民会議が行われ、キム・ジョンイルが出席し、国防委員長に選出されたそうだ。
そして、その動作を見ると左手の動ぎがぎこちないく、脳梗塞の後遺症のようだ。
脳梗塞で倒れ、麻痺等の後遺症が出た場合、男は左側、女は右側に出ることが多い。70から80%は、なぜかそうなるのだ。
だから、巨人の終身名誉監督の長嶋茂雄が右麻痺なのは、男性としてはかなり珍しいことだ。彼は言わば性格が女性的な、感覚的な人間だと言って良いのではないか。
キム・ジョンイルも左麻痺であることを見ると、彼も普通の人間、男だと言えるだろう。

なぜ、男は左麻痺、女は右麻痺になるのか、科学的な説明はないようだ。
だが、私は、男女、それぞれが自分に必要な脳の部分を保護し、そうではない部分を犠牲にするからだろうと思っている。
男性が左麻痺になるとは、右脳に梗塞が起き、女が右麻痺になるとは左脳に梗塞が起きることである。
一般に左脳は、論理や記憶、右脳は感覚、感情を司ると言われている。
だから、男は論理や記憶を大事にするので、右脳を犠牲にし、女性は感覚、感情を最重要とするので、その分左脳を犠牲にするのではないか、と私は思っている。
つくづく体は上手くできているものだと思う。

引揚者住宅だろうか

2009年04月09日 | 横浜
先日見た、森崎東版『野良犬』は大したことのない映画だったが、ロケーションは結構丹念にやっていて、横浜の珍しい情景が沢山出ていた。
中でも、犯人の友達の少女が住み込んでいる「女子寮」は木造の大きなアパートで、今まで見たことのないものだった。
遠景に見える倉庫の感じからして、多分鶴見区小野町あたりにあったはずの「引揚者住宅」だと思う。

戦後から、昭和30年代中ごろまで、首都圏にも「引揚者住宅」という木造の大きな共同住宅があった。
また、多摩川の河川敷には、乗合バスを改良した「バス住宅」があり、数家族が居住しているのが京浜東北線の車内から見えた。
私の記憶では、東京の住宅事情が、飛躍的に良くなったのは、東京オリンピックが行われた1960年代中盤からであると思う。

池田前センター長と飲む

2009年04月09日 | 横浜
この3月まで、横浜市金沢区福祉保健センター長を務められていた池田医師と飲む。
池田先生は、医師になってからは、母校の横浜市大病院や港湾病院等に内科医として勤務され、呼吸器、特に肺結核の専門家だった。
だが、港湾病院が建て替えられて、市の直営ではなく日本赤十字社への委託となったので、1年間研修の後、行政医師となり、私とは金沢区で2年間一緒にいたのだ。大変まじめで、またやさしいがきちんと人間を見ている、すごい方である。

前から「いつかは、へき地医療をしてみたい」と言っておられたのだが、今回まだ定年まで2年残っているが横浜市を辞め、栃木県奥日光の診療所に赴任された。
日光中禅寺湖近くの診療所で、日光市が建設したが、直営ではなく社団法人地域医療振興協会が指定管理者として運営しているとのこと。
池田先生の他、看護士と事務の職員が一人づつの全3人。
山の下には日光市民病院があり、緊急時にはそこから援助を受けるシステムになっているが、基本的には3人ですべてをこなすのだそうだ。
診療所に二階が居住部分になっているとのことで、当然一人の生活になる。
日光も、現在の経済不況は例外ではなく、一昨日中禅寺湖に行くと、日本人客は一人もいず、外人数グループのみだったそうだ。

日光には私は、小学校の時、林間学校で湯本の旅館に泊まったことがある。
林間学校をやるためには、中禅寺湖近くに診療所の存在が必須で、その意味でも重要な施設なのだそうだ。
日光市民病院に行くには、例の「いろは坂」を下りねばならず、これはなかなか大変時間がかかる。

ともかく、今後も社会に貢献していこうという池田先生の姿勢にあらためて感服した。
もう一人、その夜に来た金沢区の女性係長と共に、池田先生のご活躍を心から願ってお別れした。
夏休みには、ぜひ遊びに行くことにする。

『伊豆の踊り子』

2009年04月07日 | 映画
全部で6回映画化されている、川端康成原作の『伊豆の踊り子』の3回目、1960年松竹大船で、監督川津義郎、主演鰐淵晴子。
恩地日出夫監督、内藤洋子の主演、西河克己監督の吉永小百合主演版、さらに山口百恵主演のものは見ているが、鰐淵版は今回が初めてだが、意外に良い出来で感心した。

筋書きは大差ないが、昭和初年、伊豆に旅に出た一高生・津川雅彦が、大島から来た旅芸人の少女の鰐淵と親しくなり、旅の中で様々なことを学ぶと言うもの。
一種のビルドウグス・ロマンであり、見方を変えればロード・ムービーでもある。
この川津義郎作品が優れているのは、旅芸人の生活や農民からの蔑視、あるいは伊豆の山奥の、農業から金鉱掘りに至るまでの人々の生活がきちんと描かれていることで、脚本の田中澄江の功績であろう。
田中澄江には、基本的に「男性嫌悪」があり、大映の『夜の蝶』等の京マチ子と山本富士子が、夜の町で競争する風俗シリーズでは、男性嫌悪が異常に出ていて気分が良くないが、ここでは余り出ていない。

役者では、鰐淵の母親で、一座のお師匠さんの桜むつ子が圧倒的に良い。
むしろ、映画の後半の主演は桜さんのように見える。
一座の花形の瞳麗子が、女衒中村是公の言葉にだまされて去り、鰐淵の姉の城山順子が流産し、周囲からも強く蔑視されたとき、桜は酒に悪酔いする。
だが、醒めると一人で下田の町を流しに出る。
その姿に鰐淵は、芸人としての覚悟を見る。
西河克己によれば、この作品の後半は「母もの」で、全体に貧しい者、弱い者への同情が強いのは、監督の川津義郎の人柄だそうだ。

また、太鼓を打ち、鰐淵の姉と出来ている男衆が田浦正巳で、いつものなよなよとしたやさ男だが、ここではぴったりの好演。
この人は、安井昌二や菅原謙二のように、映画の後は新派に入ればよかったのかも知れない。
山奥に視察に来て、東大出と権力をひけらかす嫌な高級官僚が、先週亡くなった佐竹明夫。
その他、農民、金鉱掘りの連中、下田の町の人間など、松竹大船の大部屋の俳優だったと思うが、彼らがとてもよく雰囲気を出している。
演劇評論家渡辺保さんがよく言う「集団のアンサンブルのよさ」である。
それは、アクション映画での日活やヤクザ映画の東映にもあった良さである。
この辺は、昔の撮影所のある種の「贅沢さ」で、現在には全くなくなってしまったものである。

鰐淵は、このとき15歳だが、とても可愛い。
その後の大きな変貌振りから見れば、女性は実に変わるものだと言うしかない。
フィルム・センター