指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『盗まれた肖像』

2005年08月30日 | 映画
フランソワ・トリフォーについてのドキュメンタリーである。
彼が死んだとき、私は仕事でたまたまニューヨークにいて、日本人相手のクラブの女の子に言うと大変驚いていた。遺作は『緑色の部屋』、改めて見ると彼の顔色は良くない。肺がんで苦しかったらしい。
トリフォーは、日本で一番人気の高いフランスの映画監督で、全作品の中、日本で公開されていないのは、1本だけだそうだ。
戦後の映画監督の中で、最もフランスらしい映画を作った監督だろう。
「フランス映画の墓堀人」と言われた彼が、今ではフランスを代表する映画監督になっているのは、きわめて皮肉である。
この映画の中では、元妻(映画会社社長の娘)やクロード・シャブロール、アレクサンドル・アストリック、エリック・ロメールら、ヌーベル・バークの友人たちが出るが、ゴダールはない。

『サラリーマン清水港』

2005年08月29日 | 映画
川崎市民ミュージアムで『サラリーマン清水港』の正・続編を見た。森繁、三木のり平らの「芸」にひさしぶりに接してとても幸福だった。
今のテレビ、映画に一番欠けているのが、芸である。芸なし芸人の芸を見せられるほどつらいものはない。

『清水の次郎長』を下敷きにしたサラリーマンもので、他愛のない映画。酒造会社清水屋の話。
いつものとおり森繁が3代目社長、小林桂樹が秘書課長、加東大介が専務、三木のり平は清水工場長で、例によって二言目には「芸者をぱあーッと挙げて」専門。
森繁との会話の間(ま)が最高である。
続編には、河津清三郎を接待して珍芸を披露する場もある。

タイトルには、児玉清が法印でのっているが一切なし。おそらく、公開時に時間の関係でカットされたのだろう。

森繁らうるさい芸人相手に、こういう作品を作り続けた松林宗恵はすごい。
それは、今回の選挙で大物政治家の意向を一切考慮しなかった小泉首相との摩擦を考えれば、よく分かるだろう。

『女の園』と土井たか子

2005年08月26日 | 政治
小沢昭一の説によれば、「懐メロ歌手というのは、生きていないとだめ、死ぬとすぐに忘れられる」のだそうだ。
確かに、淡谷のり子が長い間懐メロ歌手の代表のようだったのも、長生きしていたからだろう。
映画監督も同じで、木下恵介や今井正などは、生存中は大監督だったが、死んでからは余り評価されていないようだ。先日、TBSが何故か平日の深夜に木下の『女の園』と『花咲く港』を放送したが、一昔前ならもう少しましな時間に放映しただろう。
『女の園』は、京都女子大の紛争を素材としているが、そこには今回で引退になる土井たか子もいたそうだ。彼女は、その後、同志社大に入った。
『女の園』は、高峰秀子、岸恵子、久我美子、山本和子ら目もくらむような美人女優が生徒として出ているが、土井は一体どういう立場だったのかね。

内藤洋子の良さについて

2005年08月21日 | 映画
『あこがれ』をビデオで再見して、内藤洋子のどこが良いのか分かった。
各台詞ごとに表情が自然に変化するのである。
これは、天性のもので、演技力ではない。
監督の西河克己も山口百恵について、表情が場面によって自然に変化すると書いている。
そこが、子役上がり(裕次郎のケガ後復帰第一作『あいつと私』に芦川いづみの妹で出ている)で、きまった演技しかできない酒井和歌子との差であろう。

『亡国のイージス』

2005年08月19日 | 映画
全く期待していなかったが、意外に面白かった。
監督の阪本順治は、ノー・テクニック、ノー・テンポ、ノー・センスなので、どんなにひどいのかと思っていたが、一応見られる映画だった。これは、『大空港』や『新幹線大爆破』のようなハラハラ・ドキドキ映画であり、中身は全くないのだ。

大体、今の日本のどこが問題なのだろう。理想がないとか、顔が見えないとか、そんなことが何か問題なのだろうか。
私の知る限り、歴史的に最も繁栄しており、飢えて死ぬものもなく(現在、日本人が食べる牛肉の量は、恐らく縄文時代以来食べた牛肉の総量を超えているだろう)、戦後60年間戦争も革命もない。大変素晴らしい時代と社会ではないか。これを「亡国だ」と言ったら、本当にバチが当たるよ。
原田芳雄以下、全閣僚が糖尿病寸前の肥満姿なのが、繁栄の印である。
映画が面白い理由は、音楽と編集が日本人ではなかったためで、映画制作の方が亡国である。

しかし、最近の映画はどうして役者の顔をきちんと写さないのだろう。
筋が分からないのは、脚本の問題という意見が多いようだが、それもあるがカメラがきちんと役者の顔を撮っていないのが最大の原因だと思う。
アクション・シーンでもきちんと役者の顔を写すこと、昔のスター映画では常識だったのだが、今日の監督、作家の映画になって目茶苦茶になったようだ。

『めぐりあい』

2005年08月19日 | 映画
山田信夫脚本、恩地日出夫監督の東宝青春映画。主演は酒井和歌子と黒沢年男。
酒井は、「テンコ」と呼ばれている。これは、山田が日活で女優・松本典子と親しくなり、蔵原惟善監督、裕次郎・ルリ子の名作『憎いあンちくしょう』『何か面白いことないか』の主人公名をテンコとしたのから来ている。
川崎の自動車工場労働者と零細商店事務員との恋。酒井は市営住宅に、黒沢は公団住宅に住む。
黒沢の狂騒的演技が気になるが、当時の若者をかなり正確に描いている。歌声喫茶がでて来るのが、恥ずかしい。
東宝の青春映画は、森谷司郎監督、内藤洋子主演の『兄貴の恋人』が最高作で、誇張の多い極端な日活とも、善意の押しつけで嘘臭い松竹とも異なり、比較的に評価は低いが、青春映画として相当に的確だったと思う。
不良少年にも優等生にもなれない普通の若者をよく描いていたのは、やはり成瀬巳喜男らの伝統と影響なのだろう。

『あこがれ』

2005年08月18日 | 映画
脚本山田太一、監督恩地日出夫。原作は木下恵介で、実際に横浜市南区にあった児童養護施設をモデルにしている。そこは、保育園も運営し、現在では横浜女子短大へと発展している。
その「あかつき子ども園」を出た田村亮と内藤洋子の話。
田村は、平塚の裕福な商店主・加東大介、加原夏子に貰われているが、内藤は流れ土工の小沢昭一と一緒。
最後、田村の生みの母・乙羽信子が横浜からブラジルに移民するところで、二人は再会し結ばれることを暗示する。
内藤洋子が最高、このとき16歳。喜多嶋舞より上手い。
内藤洋子の子ども時代を演じるのが、黒沢明の義子となった林寛子。
ブラジルへの移民船が三井商船の「さくら丸」だから、古い。私が知っているさくら丸は、「新さくら丸」で研修や展示船として使われていた。
恩地日出夫の演出もみずみずしい。最近の『蕨野行』など最低だった。

『もとの黙阿弥』

2005年08月17日 | 演劇
新橋演舞場で井上ひさし作、木村光一演出の『もとの黙阿弥』を見た。
井上の作は、さすがだが、『黙阿弥オペラ』と中身を間違えていた。
黙阿弥のことだと思っていたら、明治になってからの浅草七軒町の芸人たちの話だった。
これを書くために井上は、800本の歌舞伎台本と「黙阿弥全集」を3回読んだのだそうだ。すごいが、それだけ黙阿弥が面白かったということだ。
笠原和夫も、東映に入ったとき、専務の牧野満男から「黙阿弥」と「曾我の屋劇」を読めと言われたそうだ。
確かに黙阿弥は面白い。台詞のリズムが最高なのだ。

この『もとの黙阿弥』の中では、『十二夜』のような主従の入替りがあり、それによって自分を見直すというのが、主題である。
男爵気の筒井道隆が身分を捨て庶民の中に入ると決意するのは、やや甘い気もするが、井上ひさしの願望だろう。

権力者の描き方

2005年08月15日 | 政治
『赤い陣羽織』を見て、これが伝統的な(特に左翼の)権力者像だと思った。
勘三郎が演じる代官は、好色、強欲でしかも、馬鹿でへまな男である。

貧農・伊藤雄之助の美人妻有馬稲子をものしようとして、策略をめぐらし手下に命じ実行するが、へまなので失敗する。また、周囲(いつもの三島雅夫や井上昭文ら)も同様な連中として描かれている。
昔の寓話劇だからと言えばそれまでだが、現在も権力者のイメージはそうしたものであるようだ。
だが、実態はそんな無能な者だったら、権力は維持できないので、そんなはずはない。

小泉純一郎首相の人気がひどく高いのも、従来の首相・権力者像とは違うものがあるからではないか。

『赤い陣羽織』

2005年08月14日 | 映画
フィルム・センターの「発掘された映画たち2005」で山本薩夫の『赤い陣羽織』を見た。この映画は見たことがなく、上映された記憶もないのは、国産カラーのテスト版で、プリント状態がよくなかったためらしい。今回、新たに復元された。
原作は木下順二、欧州劇の翻案の寓話劇である。主演中村勘三郎で、歌舞伎でやっている。
勘三郎は、意外と映画が少なく、この他木下恵介の『今日もまたかくてありなん』、豊田四郎の『四谷怪談』、それに歌人吉野秀雄を主人公にした『わが恋わが歌』のみ。
資料には歌舞伎座映画となっていたが、タイトルでは歌舞伎座株式会社。
この後、歌舞伎座映画ができ、松竹の傍系会社として、失業左翼映画人を使って時代劇等を作った。
ここでも、主演の伊藤雄之助は別として、三島雅夫、多々良純、井上昭文、陶隆、福原秀雄、島田屯、戸田春子らおなじみの左翼映画・演劇人が多数出演。
岩崎加根子や市原悦子もタイトルにあるが、村祭りの夜のフリー・セックスのシーンに出たらしく、そこはコニカラーのテストで、「ツブシ」が上手くいっていなくて真っ暗で、誰か不明だった。
貧民・伊藤の美人妻が有馬稲子、勘三郎の良妻賢母が香川京子の豪華キャスト。

山本薩夫にとっては、初めての本格的時代劇(『箱根風雲録』もあるが)で、後の『忍びの者』につながり、権力者を描く点で『白い巨塔』や『不毛地帯』につながる作品である。
大木正夫の荘重な音楽(行進曲)が滑稽。

石井輝男監督死去

2005年08月14日 | 映画
石井輝男監督が死去された。
新東宝、東映等でアクション映画を作ったが、私は余り評価していなかった。
「異常性愛路線」で、さんざひどいことをやって最後に吉田輝男のお殿様が、「こんなひどいことがあって良いのか」と自問するところが、滑稽だった。
それなら、はじめからやらなければ良いじゃないか、と。

石井輝男を見直したのは、福間健二の『石井輝男映画魂』を読んでからだ。
成瀬巳喜男の助監督で、成瀬を尊敬していた。
成瀬と石井とは、正反対のように思えるが、成瀬はアクション映画なのだ。「視線と内面」のアクション映画なのだ。
岡本喜八も同様に成瀬の弟子だったが、同じことなのだ。

『玄海つれづれ節』

2005年08月13日 | 映画
勿論、期待していなかったが、本当につまらない映画だった。
監督の出目昌伸は、東宝を出た後、ろくな映画を作っていないが(東宝でも『俺たちの荒野』だけだが)、これもひどい方に入るだろう。
脚本に笠原和夫さんも入っているが、本当にきちんと書いたのだろうか。
吉永小百合がトルコ嬢になると言うのが唯一の宣伝文句だったが、薄いベールを着て下着姿になるだけのこと。
風間杜夫が子役時代(本名の住田知仁)に出た『怪傑黒頭巾』が出てきたり、昔の人気スター伏見扇太郎が映画館主で出てきたりと、遊びもあるが少しも面白くない。
唯一楽しかったのは、吉永、八代亜紀、風間が歌い踊るシーンで、ここはスタジオでの幻想的なミュージカル・シーンになっている。
植木等の『無責任シリーズ』を見るまでもなく、娯楽映画にはこういう嘘のシーンがないと面白くない。
なにしろ1時間くらい過ぎても映画の方向性が不明なのだ。
方向が不明な映画は大抵駄目である。

landslide victory

2005年08月11日 | 政治
landslide victory(地すべり的勝利)という言葉を最初に聞いたのは、今から数十年前、インド総選挙でガンジー首相(女性)の国民会議派が大勝利をおさめたときで、インドも小選挙区制なので、劇的な結果になる。

今回の参議院での郵政法案の採決は、当初可決・否決とも僅差だろうと言われていた。だが、結果は大差だった。これは、優勢な方に皆傾いたからだと言われている。
小選挙区制では、有権者は死票になるのを嫌い、優勢な方に一挙に流れる。
だから、今回の衆議院総選挙は、恐らく民主、自民のどちらが勝つにしても大勝利になるのだろう。

『滝の白糸』デジタル復元版

2005年08月08日 | 映画
フィルム・センターでデジタル復元版『滝の白糸』を見る。
最長版であり、昔文芸座で見たときにはなかったシーン(銭湯で裸のおじさんが白糸の事件について口論する)があり、また筋がスムーズになっていた。
サイレントなので、音楽、台詞は一切なく(時々いびきが場内にひびく)、有名な「大阪って箱根より先なんですか」の白糸の台詞もないのは、残念。
溝口健二の出世作であり、サイレント映画の名作である。主演は入江たか子(入江若葉の母)と岡田時彦(岡田茉莉子の父)。
テーマは、女(白糸)の献身によって立身出世する男(欣也)であり、またその懺悔である。実際、溝口健二は、実姉が侯爵のお妾さんになり、その金で学校に行ったというから、実感が強かったのだろう。

泉鏡花の作品でいつも思うのは、明治時代はあんなに階級移動が簡単だったのだろうか、ということである。
ここでも、乗合馬車の馬丁だった村瀬は、白糸の援助で検事になり、白糸を裁く。
『婦系図』の主人公のスリは、真砂町の先生に拾われ(ホモセクシュアル的なのだが)、大学のドイツ語教授になる。
『日本橋』では、帝国大学の先生だった者が、突然ホームレスになってしまう。
こうした主人公の変異と、『夜叉が池』のように突然現れる動物や化け物の二つが「鏡花世界」の特徴なのだが、凡人の私はいつも理解不能になってしまうのだ。

『男はつらいよ』がシネスコだった。

2005年08月07日 | 映画
『男はつらいよ』をBSで途中から見たが、シネスコ・サイズだった。後年は、すべてパナビジョンになったが、何時からだったのか。
パナビジョンは、最も優れた撮影機材とされているが、売却はなくすべてレンタルで、利用者はそのたびに借りる。
ケチの松竹としては、社内の機材ではなく、わざわざ他社から借りることは異常で、松竹にとって『寅さん』映画は別格だった。