大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさすらいます。

『スターリンの葬送狂騒曲』

2018年09月17日 | 映画

最近見た映画で一番面白かった、ほとんど英国流のブラックユーモアだが。

1953年3月、モスクワのラジオ局のブースに電話がかかってくる。

聴いていたスターリンが、「演奏を聞きたいのでレコードを届けろ」というのだ。演奏は録音していなかったので、楽団員はもとより観客も集めて臨場感を作り出して再演しようとするが、女性ピアニストは嫌がる。だが、彼女も多額の演奏料を多く払うことで了承し、レコードができる。と、彼女は自分のメモをレコード袋に入れてしまう。

別壮にいたスターリンは、レコードから出てきたメモに驚愕する。家族全員を殺された女性ピアニストのメモには「独裁者、人殺し!」とあり、彼は卒倒して大音を立てて倒れてしまう。

だが、門衛は起こすことを禁じられていたので、何もせず、翌日の朝食を持ってきた女性が床に倒れているスターリンを発見する。

そこから、内務人民委員会でスターリンの腹心で大虐殺を主導したべリア、お追従で副書記長にしてもらっていたマレンコフ、それに対して対立していたフルシュチョフらの戦いが始まる。マレンコフといえば、新宿の流しでマレンコフというのがいたが、私は会ったことはない。

              

スターリンは、脳出血で右半身が動かなくなり、4日後に死ぬ。この医者が集められるところもお笑いで、優秀な医者はみな粛清したので、モスクワにいるのはやぶ医者ばかりだというのだ。

ここでは、マレンコフは無能で事態の進展に右往左往する男として描かれている。その他、ブルガーニン、ミコヤンなどよく聞いた連中が出てくる。エピソードは実際には、この映画のように同時に起きたものではないが、事態の推移は事実通りだろう。

私が高校生時代に過激派の運動にいたとき、よく言われていたスターリンの凄さに、

「彼はロシア共産党員2,500人分の本名、組織名、連絡方法を暗記していた」というのがあった。そうした実務能力が、ソ連共産党を多数の政敵を一人一人潰して権力を握った元だと言われた。だが、彼はそうした政治的能力だけではなく、クラシックの鑑賞にもみられるように、芸術や文化についても一家言のある男で、今では誤謬もしてされているが、彼には独自の「芸術論」や「言語論」の著作まである。

この葬式で大活躍するのが、後に書記長となるフルシュチョフで、モロトフらを説得し、ジューコフと赤軍の力でべリアを排除して権力を握ってしまう。

これを見て思うのは、当時のソ連、そして現在のロシアも、ヨーロッパではなくアジアだということだ。

そして、なんでこのように彼を人民が神のように崇拝していたのか、今見ると不思議に思うが、日本も現在から73年前までは天皇を現人神としていたのだから、アジアにはこうした権力者を神として崇める信仰があるのだと思う。

今もあるのは、北朝鮮だけだが、これもアジアの伝統であるといえる。

横浜シネマジャック

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製作は松崎啓治だった 『激怒する牡牛』

2018年09月14日 | 映画

松崎啓治氏の劇映画の製作作品は以下のとおりである。

ここで注目されるのは、黒澤明の『わが青春に悔いなし』だろう。これは京大の滝川事件とゾルゲ事件に関わった尾崎秀美をモデルにしていて、脚本は久板栄次郎だが、資料集めは松崎がやったと書かれている。だが、堀川弘通さんの『評伝黒澤明』によれば、黒澤は「松崎啓治や脚本家の山形雄策らは戦時中は特高のスパイだった」と嫌っていたと言っていたそうだ。

もちろん、松崎や山形がスパイだったかどうかは私には分からない。ただ、松崎は、後に松崎プロダクションを作り、PR映画やテレビ映画を多数作った。手塚治虫の『鉄腕アトム』をテレビで作ったのも松崎で、この特撮のひどさが、手塚に自分でアニメ版を作らせる動機になったと言われている。

             

また、大島渚も、松竹を首になった不遇時代に松崎に邂逅した。

だが、松崎が、国の高級役人や企業の役員となっていた、かつての京大時代の知り合いの伝手で、記録やPR映画を作っていたことに非常な違和を感じたと書いている。

要は、松崎は、時代に即し巧みに企画を立てて映画の製作を考える人だったのだと思うのだ。

それに対して黒澤明は、基本的には大変に頑固な人間で、ここに書いたように若き日のプロレタリ芸術的発想を持ち続けた監督だと私は思う。

だからこそ、一部の映画好きの連中だけでなく、普通の人たちも支持されたのだと思う。

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トラックの上のピアニスト 『ブランキ殺し・上海の春』

2018年09月14日 | 演劇

昨日見た、ジャック・ニコルソン主演の映画『ファイブ・イージー・ピーセス』で、石油採掘の労働者のニコルソンは、高速道路上で引っ越しトラックにあったピアノを見ると乗って、いきなりそこで非常に上手く弾きだす。

彼は、元はクラシックのピアニストだったのだ。

トラックの上で弾いたピアニストと言えば、故林光である。

1979年に、東映大泉撮影所特設テントで行われた佐藤信作・演出の『ブランキ殺し・上海の春』だった。

『阿部定の犬』『キネマと探偵』と面白かったが長く新作を作れず、やっと上演された『ブランキ殺し・上海の春』は、正直に言って全く面白くないものだった。

だが、チャイナドレスを着てトラックの上でピアノを弾いた林光の演奏は大変に素晴らしかった。

             

その林光も、2012年に死んでしまった。

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伊丹十三は、なぜドラマ的な映画に移行してしまったのか

2018年09月12日 | 映画

先日のドキュメンタリードラマ研究会の時、今野勉先生に、『遠くへ行きたい』や『天皇の世紀』で、非ドラマ的なテレビ番組を作っていた伊丹が、『お葬式』以後、なぜ普通の普通のドラマ創りになってしまったのか、直接お聞きした。

                           

すると、伊丹はテレビの番組をやっていたが、彼はやはり父親のこと(伊丹万作)から、いつかは映画を作りたいと思っていた。

そして、偶然に作った『お葬式』がヒットし、高い評価を得た。

そこで、本当はやりたかったはずのドキュメンタリードラマ的な方法ではなく、普通のドラマ作りになってしまったのだろうとのことだった。

それは、映画は多くの人に見てもらわなければならず、普通の作り方になったのではないかと。テレビなら、『遠くへ行きたい』のように自分一人でできるものもあり、製作費も安くてできた。

また、一度当たると自然として、周辺にスタッフ、キャストが集まり、年に1回は製作せざるを得なくなったのではないかとのことだった。

ただ、なぜ自殺したかは自分には分からないし、宮本信子さんも分からないと言っているそうだ。

自殺の理由は、多くの場合本人にも不明なこともあるのだから。

 

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プロレタリア作家としての黒澤明

2018年09月08日 | 映画

黒澤明を一言でいったら、プロレタリア作家となるに違いない。時代劇以外の彼の映画はプロレタリア作家映画というべきだろう。

黒澤の甥に島敏光がいて、何も知らない彼は、『影武者』の頃の黒澤の絵を見て驚き、黒澤久雄に「こんなに絵が上手いのに、おじさんはなぜ画家にならなかったの?」と無知な問いをしたそうだ。その時、黒澤久雄は、「親父は家が貧乏だったからだ」と答えたそうだ。

その通り、黒澤は画家を目指していて、京華中学を卒業すると東京美術学校(今の芸大)を受けたが落ちて、プロレタリア美術研究所に通うことになる。これも不思議で、当時すでに帝国美術学校(武蔵野美術大学)はすでにあり、行こうと思えば行けたのであるがなぜいかなかったのか。理由は明らかで家が貧乏になっていたからだ。日本体育会を首になった後、彼の父親の黒澤勇氏には定職も資産もなかったので、黒澤家は貧窮したはずだからだ。

こうした自分の家の貧困と、いきなり貧乏に落とされてしまう社会への反抗意識から、黒澤はプロレタリア美術研究所に入り、作品を発表する。それは、『体系黒澤明・1巻』に出ているが、典型的な社会主義リアリズムで労働者を賛美し、鼓舞する絵になっている。

この頃、黒澤は、若手活動弁士須田貞明として人気を得ていた兄丙午の神楽坂の長屋に居候し、デザイン画や挿絵を描くことで生活していた。父は、当初は映画界に丙午が入ることには反対だったが、当時弁士は人気商売で高給を得ていたので、仕方なく認め自分たちも彼の稼ぎに依拠していたのだと思う。また、黒澤の姉の桃代も、母の森村学園の教師になっていたので、その給与もあっただろう。

いずれにしても、貧困には変わりのない家庭だったようだ。

そして、黒澤明が26歳の時、兄丙午は、トーキーストの委員長になり、会社と組合との板挟み、さらに妻がありながら、情婦に子供ができ、それが死んでしまうと、丙午は情婦と心中してしまう。

黒澤の『蝦蟇の油』には、自殺とのみ書かれているが、実際は愛人との心中だった。

こうなると生活に窮した黒澤明は、新聞広告に出ていたPCLの助監督募集試験に応募する。

この時の、PCLの責任者は森岩雄で、彼は少年時代は映画雑誌の投稿少年で、黒澤明の兄須田貞明とは友人だった。森は、日活企画部から引き抜かれてPCLに入り映画製作の責任者になっていた。そこにかつての仲間の須田貞明の弟が助監督試験に応募してきた。須田は、映画界がサイレントからトーキーになる中で死んでしまったが、自分はトーキー会社で出世した。その弟が応募してくれば合格させるのが人情というものだろう。

この時の口頭試問で、黒澤は人事担当課長からしつこく質問されて不快だったと書いているが、これは森の指示による「出来レース」への担当課長の抵抗というべきだろう。

さて、戦後の黒澤明の作品には、『明日を創る人びと』や『素晴らしき日曜日』のように、普通の労働者、サラリーマンを主人公としてものがあり、彼が依然としてプロレタリア作家であったことを示している。

1960年代では最高傑作というべき『天国と地獄』の主人公の三船敏郎は、今は製靴会社の重役だが、元は靴職人で、言ってみれば、労働者、職工で、現場の労働者の東野英治郎からは、仲間だとされている。

                         

最晩年の映画『夢』のラストの村の祭りのパレードの音楽隊、あれはまさしく人民の音楽隊であり、黒澤は、最後の最後の作品で、出会いたかった人民と幸福に再会したといえるだろう。

これを、横浜の今はない映画館、横浜ニューテアトルで見たときの、かつての日共民青の歌声運動を見せられたような気分の悪さと恥ずかしさは今もよく憶えている。

 

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台風の映画

2018年09月06日 | 映画

台風21号は、神戸など、関西の地方を襲い、まるで特撮映画のシーンのように車が飛び、ビルの壁などが壊れるのには本当に驚く。

日本は台風など自然災害の多い国なので、映画でも多く作られている。

大映には『風速75メートル』というのもあったが、日活で石原裕次郎と宇野重吉が親子を演じた『風速40メートル』などは結構いい映画だったが、なんといっても重要な作品の契機になっているのは谷崎潤一郎の映画『細雪』である。

そこでは、昭和13年の関西大災害の洪水が描かれていて、蒔岡家の4女妙子の洋裁学校が水害に襲われ、そこに元は奥畑商店の使用人だった男で、カメラマンになった米倉によって救い出される。一方、奥畑のドラ息子の啓ボンは、きれいな背広でやってきて、到底救出はできず、ついに妙子に愛想をつかされる。

この『細雪』は、昭和25年に新東宝、34年に大映、そして53年に東宝で製作されているが、最初の阿部豊監督と次の島耕二作品では台風のシーンが描かれている。

だが、映画『細雪』としては一番に出来が良く、晩年の市川崑映画としても最高の『細雪』には、台風のシーンはない。

               

この市川崑映画では、女優たちの着物などが非常に豪華で、また二条城での花見などがあるが、ほとんど造花による作り物であり、そうしたところに予算を使いすぎたためだろうか。

この市川作品では、原作にはない、次女の婿の石坂浩二が、蒔岡家の次女で、家に居候している3女の雪子の吉永小百合が、実は密かに好きという構成が仕掛けられている。

その結果、雪子は、いろいろと見合いをするが、石坂は本心では見合いが成功せず、いつまでも自分たちの家にいてほしいというドラマができている。これは大変に優れた原作への解釈だったと思う。

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リリアン・ヘルマンについて

2018年09月02日 | 映画

いかにもよくできた「善と悪の構図」だが、本当にそうあろうか。
「18歳の少女だから嘘は言わない」というのは単純すぎる。

そのことを教えてくれるのは、映画『噂の二人』の原作である、リリアン・ヘルマンの戯曲『子供の時間』である。

headlines.yahoo.co.jp
 
日本体操協会の塚原千恵子女子強化本部長(71)と夫の光男副会長(70)が31日、 - Yahoo!ニュース(スポニチアネックス)
 
 
オードリーヘップバーン主演の『噂の二人』と『子供の時間』は、なかなか興味深い作品である。これはシャーリー・マックレーンと二人で寄宿制の学校をやっているが、生徒の嘘で「二人はレスビアンだ」と言われて、学校は閉鎖され、マックレーンは最後は自殺する。
だが、その前に彼女はヘップバーンに対して「子供の言っていることは正しかった。昔からあなたが好きだった」と告白する。
              
そのリリアン・ヘルマンの自伝の映画化の『ジュリア』で、主人公のヘルマンとジュリアは、同じベッドで寝るなど、ヘルマンの性向を描いて、彼女にはもともとそうした傾向があったことが理解できる。
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『さくら家の人びと』

2018年08月29日 | テレビ

さくらももこが亡くなり、ちびまる子ちゃんについては多く書かれているが、NHKで放送されたドラマについてはほとんど書かれていないので、ここに書いておく。

           

1992年の正月に放送されたドラマで、富田靖子がさくらももこを演じた。

なぜ、これを憶えているかと言えば、正月に当時4歳だった長女と家で二人だけで見たからだ。

なぜ二人だったかと言えば、前年の年末に1歳になったばかりの次女が肺炎になってしまい、病院に入院した。

1歳になったばかりとのことで、母親も付添いで入院したので、家には私と長女だけが残されたのだ。

それが分かった時に長女が言った台詞が傑作、

「私のご飯はどうなるの!」

おせち料理と、近所に住んでいる料理上手の祖母が来てくれることになったので、長女の心配は、杞憂に過ぎなかったのだが、その瞬間の彼女にとっては大問題だったらしい。

そして、1992年の1月2日の夜、『さくら家の人びと』が放送され、長女と二人で見たが、結構面白いドラマだったと記憶している。

この時のディレクター松岡孝二君は、結構期待された演出家だったが、その後ある事情でNHKを辞めたと聞いている。

長女は、去年結婚し、次女も就職して関西にいる。

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最初は増村保造が監督だった

2018年08月21日 | 映画

用があって昔の『映画芸術』を読んでいたら、1986年11月に亡くなった増村のことを彼の助監督もやった井上芳夫が語っていて、篠田昌浩が監督することになった1972年の『札幌オリンピック』映画は、当初は増村だったのだそうだ。増村とプロデューサーの藤井浩明も、それを機に増村を世界へと飛躍させるつもりだった。

だが、増村があるとき、直接大映の永田社長のところに行き、大映の窮状と自分が働いていないことを訴えた。本当は、その次に「オリンピック映画の話が来ているので、自分はしたい・・・」のでというつもりだった。

ところが、永田雅一はすぐに企画部長を呼び、「早く増村に映画を作らせなさい!」と言い、増村は「オリンピック映画を・・・」という切欠を失ったのだそうだ。

誠に残念なことである。

もし、オリンピック映画を作っていれば、世界的な監督になり、後にイタリアで作った『エデンの園』のような愚作を監督することもなかったはずだからである。

          

大映を出てからの増村の作品では、原田美枝子が主演した『大地の子守歌』が最高だったと私は思う。

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晩年の橋本忍作品

2018年08月14日 | 映画

100歳で、橋本忍が亡くなられた。戦後の日本映画で多数の優れた作品を書いたことは評価できる。

私が好きなのは、岡本喜八が監督した『侍』であり、これは他の『サムライ・ニッポン』に比べて非常に優れた作品になっている。

また、同時期の『悪の紋章』も面白い映画だが、どちらでも善玉側が、悪に勝つには、こちらも悪くならなければならないと言っていることは非常に興味深いと思う。

ただ、この辺が彼のピークで、後は下り坂だったのではないかと思える。年齢から考えれば当然のことなのだが。

そして、晩年の3本の作品になる。監督までやった、東宝50で大騒ぎしたが、大ズッコケになった『幻の湖』、そして『愛の陽炎』、『旅路・村でいちばんの首吊りの木』

『幻の湖』は、20年くらい前に大井武蔵野で見たことがあるが、後半は場内大爆笑だった。

『旅路・村でいちばんの首吊りの木』は、これも10年くらい前に黄金町のシネマジャックで見て、「ええっ・・・」と思い、今回機会があったので見直してみたが、倍賞千恵子のイメージを変えようとした作品らしいが、どう見ても「火曜サスペンス劇場」か「土曜サスペンス劇場」程度のドラマだった。

 『愛の陽炎』は、見ていないが相当のオカルト的作品だったらしいが、どうだったのか、見た方は教えてください。伊藤麻衣子が蝋燭を頭に刺していて非常に変な感じのポスターだったが。

 

 

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『再会』

2018年08月09日 | 映画

1975年に松竹から公開された斎藤耕一監督作品。斎藤は、元は映画のスチールカメラマンで、ジャズマニアでもあったので、映像と音楽は素晴らしいが、ドラマは弱い。一番成功したのは『約束』と『旅の重さ』だろうか、『津軽じょんがら節』は、私はあまり良いとは思えない。

             

さて、これは歌手の野口五郎と江波杏子の共演で、池部良が江波の恋人として出てくる。

岐阜から江波と弟の野口が横浜にやってくる。まだ、横浜駅の東口に大きな駅舎があった時代である。横浜港から池部とブラジルに行き、そこで日本料理屋をやるためで、池部は、遅れてやって来ることになっている。

江波と野口が、恋人のようにじゃれあっているのは気分が良くないが、五郎ファンの気持ちとしてはギリギリのところで押さえている。

横浜からブラジルに行くと映画は多数あり、石原裕次郎の『俺は待ってるぜ』も、ブラジルに行ったはずの兄を探す話である。

大桟橋や山下ふ頭の景色が出てくるが、まだコンテナ時代の前の在来ふ頭である。

野口五郎は、夜に変なクラブに行く。ここは日活的な美術で、松竹のダサい美術ではなく現代的なのは、やはり日活にいた斎藤のセンスだと思う。そこには、横山リエや寺田農らの不良がいて、時代的な会話を交わしているが、田舎者の野口は疎外されてしまう。

その後、カウンターにいた可愛い子と五郎は外へ出ると、彼女は言う「私は商売なの」 

ホテルに行き裸になるが、彼女は怖じ気ずいて真実を話す。本当は大学生で、地方から来ても何も学園生活で起こらないので、自分を変えようと店に来たが結局何もできなかった、「早く抱いてくれ」と言う。アイドル映画の限界でもちろん性交はなしで残念。

この子は誰かと思うと、角ゆり子で驚く。『20歳の原点』『日本沈没』等に出て一旦姿を消し、いきなりロマンポルノの神代辰巳の『嗚呼、女たち猥歌』に出たが、これで本当に辞めてしまったらしい美人女優である。ここにも出ていたのとは知らなかった。

この角ゆり子と野口五郎のシーンは、一番リアリティがあって、きれいな映像であり、斎藤耕一らしいところだろう。

だが、池部良が来てからの3人のドラマになるとトーンダウンしてしまう。一つには、野口が池部を嫌う理由が「負け犬」だからで、これは普通は逆だと思う。若者が負け犬を嫌うというのは説明が必要で、そうだとすると野口は上昇志向の強い若者となるが、そうは見えないので変だ。

最後は、山下公園で偶然に会い、一緒に遊んだ幼女の親から、誘拐犯に疑われて野口は警察に留置されてしまう。翌朝ふ頭に行くが、船はすでに出ていて、江波と池部の出航を見られない。

言うのは野暮だが、それにしても題名の『再会』と言うのは筋と合っていないと思う。それとも最初の物語とできた作品は違ってしまった結果なのだろうか。

衛星劇場

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『南海の花束』の飛行場の場所は

2018年08月08日 | 横浜

日本の航空映画の傑作で阿部豊監督の東宝映画で『南海の花束』がある。これは南方空路を開く航空会社の男たちの苦闘を描く映画で、円谷英二の特撮も見られる。

この中で、飛行艇が離着陸する海は、横浜の根岸湾であり、その陸上には格納庫等の施設も少し見える。言うまでもなく、防諜の観点から全体を映していないのだが、そこは根岸の飛行場であったことは間違いない。

             

ここは、大日本航空の施設で、戦後は後継企業である国際航業の所有地になっていた。

そのことを知ったのは、港湾局管財課にいた時で、臨港地区の土地台帳を見た時だった。

都市計画上の規制には、いろいろあるが、中に「臨港地区規制」というものがあり、臨港地区では建物の使用用途に一定の規制がある。

そのために港湾局では、ある時に予算を使って臨港地区の土地の実情を調査して台帳にしていて、私は暇なときは好きで見ていた。

中で、中区根岸地区があり、元日本石油(現在のJXENEOS)の土地があるが、その中で磯子側の一部は、日石の土地ではなく、国際航業のものになっていた。「これは何だ」と思っていたが、後に航空測量の会社の国際航業が、元は大日本航空であったことを知って、その経緯が分かった。また、その場所には昔米軍の基地によくあったカマボコ型の倉庫があったが、これも戦後の米軍によって使用されていたことの結果だと思えた。

戦後、国際航業がどのような事業をやっていたかはよく知らないが、多分米軍の下で、航空測量等をやっていたのだろう。

そして、1960年代に横浜市が根岸湾を埋立てて日本石油に売却した後に、日石が一体として整備し、タンクローリーの駐車場としたのだと思う。

そしていつの間にか、カマボコ型の倉庫もなくなったが、底地は今はどこが所有しているのかは少々気になるところだが。

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『ワンダーランド北朝鮮』

2018年08月06日 | 映画

どのような経緯で、北朝鮮に入り映画化することになったのかは、不明だが、韓国の女性監督がドイツでビザを取得し北朝鮮に入国する。

初めは、平壌のスポーツ施設の職員とその家の取材で、普通の人の姿だろう。家は、家具は少ないが普通で、テレビ等があり、意外に豊かだなと思う。

だが、農村に行くと凄い。ほとんど前近代の社会なのだが、逆に完全なリサイクル社会で、これの方が良いのではとさえ思えてくる。

電気は、太陽光と風力発電で、ガスは人間と動物の糞を腐敗させて作ったメタンガスで賄っていて、これはすごいと思う。

食事は、米と野菜だけで肉や魚は見えず、極めて健康的である。飽食の故の肥満からダイエットをしている日本とは逆の正しさがある。

地方都市の元山の縫製工場は非常に面白い。

                

若い女性が洋服の縫製工場で働いているが、みな同じ制服姿である。朝は全員で朝礼、昼はチャイムで休憩になり、音楽に合わせた体操もあり、最後はまた反省会で成績優秀者と目標に届かなかった女子工員の名が読みあげられる。

これで、女子工員が美人だったら、まるで昔の吉永小百合主演の日活映画だ。

最後は、平壌の非常に立派な墓に参って花を捧げる家族。戦前に抗日運動で戦い、1945年4月に処刑された北朝鮮の英雄の子どもたちで、インタビューを受ける室内は、高官の家らしく華美ではないが立派に作られていることが分かる。

要は、この国では、明確な格差があることが表現されている。

ただ、全体として見れば、北朝鮮社会を見る目は、結構暖かく、昔日本での公開された、ポーランド人監督の作品『金日成のパレード』の皮肉で冷笑的な視線とは根本的に異なっている。

この辺は、やはり同じ民族、文化、習慣の下に、北朝鮮も、韓国もあるからだろうか。

横浜シネマリン

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『マイムマイム』はイスラエル民謡

2018年08月03日 | 音楽

昨日は暑いので、家で録画したテレビ番組を見る。東大での女優菊川怜が、家庭教師を演じるドラマで、市原悦子がさんざやった「家政婦は見た」の若手女優版だなと思う。

異常な富豪の家の娘を担当するが、それが少女タレントでもあって、ショーで踊りを見せる。振付家が、深沢敦とは懐かしい。

その少女たちが踊る曲が、『マイムマイム』なのだ。

        

あの運動会のフォークダンスで必ずに踊った曲だが、先日30代くらいの人に聞いたら知らなかったので、最近は使われていないのだろうか。

あのクラリネットの前奏で始まる中近東的な曲は、実はイスラエルの民謡で、砂漠に水が出てきたことを祝う歌なのだそうだ。

パレスチナ紛争は、実は水争いであり、あのヨルダン川西岸は、このエリアでは珍しいほど水に恵まれた地域で、「ランド・オブ・ミルク・アンド・ハニー」なのだと大学で「英文聖書」の時に習った。

なぜイスラエル民謡が日本で広く踊られるようになったかは、私は知らない。

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東映は、山根明会長をスカウトすべきだろう

2018年08月02日 | 映画

山根明日本ボクシング連盟会長ほど、東映実録ヤクザ映画の主人公に相応しい役者はいない。

              

その服装、サングラス、白いマフラーの姿、革張り椅子、不正行為の数々など、まるで昔のヤクザ映画の人物である。

ああした人間の姿は、映画の中でのものと思っていたが、本当に実在するとは本当に驚くしかない。

東映は、ぜひ役者としてスカウトし、『実録・ボクシングのドン』を作るべきだと私は思うのだ。

 

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