大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさすらいます。

横浜ドリームランドだった 『めぐりあい』

2019年04月14日 | 映画
昨日に続き、1968年の『めぐりあい』を見る。
川崎の貧しい男女の話で、黒沢年男と酒井和歌子、ダンプカーの上のキッスで有名な恩地日出夫監督作品、脚本は山田信夫。
黒澤は、自動車工場(日産のようだ)、酒井は、若宮大佑の小さなベアリング店で働いている。
川崎駅前の京浜急行は高架になっているが、駅前広場は今と随分と異なる。
武満徹の音楽が抒情的で美しい。歌は荒木一郎。



黒沢の父・桑山正一の定年退職による失業、酒井の母親森光子の死などがあるが、最後は二人で一緒になることが示唆される。

この酒井が、母の事故死の後に勤める遊園地が、横浜ドリームランドなのだ。
遊園地で、東宝なので近くの向ヶ丘遊園かと思っていたら、台詞にきちんとドリームランドと言っていて、映像もある。
東宝でドリームランドは珍しい。松竹には、大船の近くの戸塚にあったので、頻繁にでてくるのだが。

よく考えたら、これは並木座等で何度か見ているはずだが、最後まで見ていなかったことに気づく。
恩地監督も、これや内藤洋子の『あこがれ』と『伊豆の踊子』あたりがピークだったと思う。
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メロドラマの作りにくい時代になる 『あの橋の袂で』

2019年04月12日 | 映画
来週にするイベントのために、旧作を見ているが、中で1962年の松竹の『あの橋の袂で』全4部作を見るが、非常に面白いので感心する。
ともかく、様々な脇役がいいので、見ていた飽きない。

             


娯楽映画で重要なのは、脇や悪役の存在で、彼らがきちんと演じてくれれば、主役はただいるだけでよい。
ここでは桑野みゆきと園井啓介で、典型的なメロドラマの主役を生き生きと演じている。

悪役は、桑野に無理やり結婚する金持ちの息子・穂積隆信と母親の沢村貞子、さらに二部以降で、園井のデザイン盗作騒動を起こす小池朝雄、桑野が提起した離婚訴訟で穂積側で画策する佐藤慶、穂積の秘書で愛人の岩崎加根子などの上手い役者たち。
園井の周りに出てくる女性では、左幸子、渡辺美佐子らで、彼を慕う子供で、中山千夏も出てくる。
途中、中山の台詞で、「どうしてこう世話をやく人が出てくるの」は笑える。
学生時代から相思相愛で、数寄屋橋の菊田一夫の「ここに数寄屋橋ありき」の碑で愛を誓った桑野と園井だが、運命のいたずらで引き裂かされて別離と再会を繰り返す。
園井は、建築デザイナーで、1960年代、建築デザイナーは人気の職業で、TBSの『女の斜塔』も主人公はデザイナーで、私は中学生だったが愛好して見ていた。

映画では、東京から夕張、能登、九州等を行ったり来たりする。
メロドラマは、旅行ものであり、『愛染かつら』以来、主役たちは全国各地を旅行する。ここでは、なんとカンボジアにまで行き、そこでは入江美樹も出てくる。
入江は、モデルで可愛かったが映画は少なく、これと勅使河原宏監督の『他人の顔』くらいだろう。
彼女はすぐに小沢征爾と結婚して引退してしまう。スタイルは最高だが、台詞が甘くて演技は駄目で、辞めたのは賢明だった。

いろいろあるが、最後悪役たちは滅び、沢村貞子が家が没落して宗教に凝る怪演は傑作。
二人は、無事結婚して、西村晃、山内明、千乃赫子らから祝福される。
だが、その時桑野に脳腫瘍が発見され、ついには死んでしまう。

西河克己によれば、メロドラマには、戦争や革命、政権の転覆など大きな時代の変化が必要で、『風と共に去りぬ』も、『君の名は』も、戦争を背景にしている。
戦後の平和な時代にはメロドラマは成立しにくいわけで、そうなると難病しかなくなる。
吉永小百合・浜田光夫の『愛と死を見つめて』も難病ものである。

さて、園井啓介は、テレビの『事件記者』で人気になり、以下の作品に出ていたが、1973年に株の売買で多額の利益を出していたが申告せず、脱税してたとのことが明らかになり、処罰を受けるとすぐに引退した。
今なら、「財テク」としてむしろ評価されただろうが、当時は批難されたのは、時代の違いと言うべきだろうか。
年齢は、宍戸錠らと同じなので、以後もそれなりの活躍はできたと思うのだが、残念なことだった。

1.1962.02.18 事件記者 拳銃貸します  日活
2.1962.03.03 川は流れる  松竹大船
3.1962.04.01 事件記者 影なき侵入者  日活
4.1962.06.28 青べか物語  東京映画  ... 若い警官
5.1962.07.01 あの橋の畔で  松竹大船
6.1962.09.30 あの橋の畔で 第2部  松竹大船
7.1963.01.06 あの橋の畔で 第3部  松竹大船
8.1963.01.27 七人の刑事  松竹大船
9.1963.02.09 彼女に向って突進せよ  松竹大船
10.1963.02.17 風の視線  松竹大船
11.1963.03.16 あの人はいま  松竹大船
12.1963.05.15 残酷の河  松竹京都
13.1963.06.30 若い仲間たち うちら祇園お舞妓はん  宝塚映画
14.1963.07.27 あの橋の畔で 完結篇  松竹大船
15.1963.08.28 ニッポン珍商売  松竹大船
16.1963.11.17 丹下左膳  松竹京都  ... 柳生源之丞
17.1964.02.16 寝言泥棒  松竹大船
18.1964.08.01 海抜0米  松竹大船
19.1964.10.15 男の影  松竹大船
20.1964.11.01 夜の片鱗  松竹大船
21.1965.01.23 花実のない森  大映東京
22.1965.01.30 この声なき叫び  松竹大船
23.1965.01.30 母の歳月  松竹大船
24.1965.04.02 ウナ・セラ・ディ東京  松竹大船
25.1965.05.16 その口紅が憎い  松竹大船
26.1965.08.07 若いしぶき  松竹大船
27.1965.10.16 求婚旅行  松竹大船
28.1966.06.30 新・事件記者 大都会の罠  東京映画
29.1966.08.31 新・事件記者 殺意の丘  東京映画
30.1967.01.02 シンガポールの夜は更けて  松竹大船
31.1967.06.10 人妻椿  松竹大船
32.1967.12.09 愛は惜しみなく  日活
33.1968.05.31 新・いれずみ無残  松竹大船
34.1968.11.09 昆虫大戦争  松竹大船
35.1970.02.21 女賭博師壺くらべ  大映東京
36.1970.07.01 花の不死鳥  松竹大船
37.1971.06.25 夜の手配師 すけ千人斬り  東映東京
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「こんにゃく相場」

2019年04月07日 | その他
こんにやくに相場があると聞いたのは、当時農協中央会に勤める義兄(二番目の姉の夫)からだった。
義兄は、北海道羊蹄山の近くの小さな村の生まれで、優秀だったのだろう、その村で最初に大学に入った人だったそうだ。
北大農学部時代は、学生運動もやっていて、そのために北海道では就職できず、東京の農協中央会に入った。

非常にまじめな方だったが、大変に酒に強く、正月などで会うと、我々とは一桁違う酒量だった。
農協では、コメを担当していて、農協の中心にいたわけで、最後は固有職員としては最高の地位までにいき、定年後は全国厚生連の事務局にいた。
厚生連というのは、農協の病院で、赤十字や済生会と並び、全国に多くの病院を持っている組織である。



彼に正月の時に教えてもらったのが、「こんやく相場」の存在だった。
こんにゃくは、多年草なので、毎年の価格が強く上下するのだそうだ。
ある時、値段が上がると、「それっ・・・」とみな作るが、すぐにはできず、数年後には作り過ぎで値が下がるといったことになる。
つまり、価格の予測が非常につけにくい作物だそうで、だから相場があるとのこと。

今も、横浜にはこんやく屋があり、今時と思うだろうが、たいていは相場もやっているはずで、結構儲かっているようだ。
今はないが、横浜にはかつて『浜っ子』というタウン誌があった。その編集長の渡辺さんに聞いたところでは、二代目のオーナーは、磯子のこんやく屋さんで、金持ちだったとのこと。

さて、義兄だが、定年退職し、全国厚生連に行った翌年だったと思うが、非常に寒かった正月明けの朝、通勤途上、駅の近くで倒れてすぐに亡くなってしまった。
心筋梗塞でいきなり倒れたので、体は大きなままだったので、葬式の最後、胸が厚く棺桶に入れるのに葬儀屋さんが苦労していたことを憶えている。

天国では、現在の日本の「コメ離れの時代」をどのように見ているのだろうかと思う。

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『津軽のカマリ』

2019年04月06日 | 映画
初代高橋竹山を追ったドキュメンタリーが今日までだというので、シネマジャックに行く。
1960年代末から、津軽三味線の高橋は、渋谷のジャンジャン等の劇場で人気だったが、見たことはない。
亡くなられて20年とのこと。


元高橋竹世で、初代から二代目襲名を許された高橋竹山が全国を廻る。
その間に、初代が得た体験が挿入されるが、やはり戦時中のことが印象的である。
戦時中、竹山は大変な迫害を受けたというのだ。その通りで、盲目で兵士になれない障害者は「非国民」とされたのだ。
ナチスも、ユダヤ人のほか、同性愛者、障碍者等を迫害し抹殺しようとした。

家は、5人兄弟で、私だけは戦後生まれなので、戦前は父母と女3人、男1人の家族だった。
その中で、長女は本来は学童疎開に行くべきだったが、父は都の「視学という地位」を利用し、
「同じ家から2人も行かせることはない」として、次女は学童疎開で富山県に行ったが、長女は家に置いていた。
幼い3女の面倒を見させることもあったようだ。
そして、長女の話だと、「小学校には疎開に行かない子も沢山いて、ほとんどは障害者だった」とのこと。
「足手まとい」になる者は、排除するとのことだったのだろう。
やはり、そういう時代と社会を作り出してはいけないのである。
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工藤栄一だった 『高瀬舟』

2019年04月05日 | テレビ
『高瀬舟』を最初に読んだのは、たぶん中学生の頃だと思うが、「殺人の場面」だけが記憶に残っていた。
この森鴎外の小説は、安楽死を提起したといわれているが、今日で考えれば自殺ほう助である。

京の高瀬川を下る船の中で、役人の前田吟に殺人犯の岡田吉弘が自分と弟との経緯を語る。
川の両側の庶民の姿が細かく描写されているのは、脚本の松山善三らしいなと思う。
         

江戸時代の最下層の庶民の話で、孤児だが屋根葺きの仕事を得ていた兄弟だったが、弟は足を踏み外して屋根から落ちて腰を打ち、下半身不随になってしまう。
一切の仕事もできなくなり、子供からも虐められ、ある夜、岡田が長屋に帰ると弟の首にカミソリが刺さっている。
自殺を図ったのだが、切れずに苦しんでいる。
岡田は仕方なく引き抜くと死んでしまう。
だから、これは安楽死ではなく、自殺ほう助だと思うが、奉行所の取り調べで島送りになる。

役人の前田吟は、この平安な心にある犯人の精神に非常に打たれる。
森鴎外が、なぜこれを書いたのか私は知らない。
そして最後、監督は工藤栄一だったとは驚く。

深作欣二によれば、「到底慶応ボーイには見えないバンカラな」工藤栄一で、深作の言う通り、暴力的で激しい描写の監督だった。
だが、1988年の晩年には、こうした穏健な作品を作りたかったのだろうか、非常に不思議だった。
時代劇専門チャンネル
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『アウトロー女優の挽歌』 藤木TDC(洋泉社)

2019年04月04日 | 映画
ここの中心は、1970年代に東映が作ったスケバン、つまり女番長シリーズで、実を言うと私はあまり見ていない。東映が作った現代劇は、京都撮影所が作る「ヤクザ映画」にくらべて安直で、よいものがなかったからである。1960年代末から70年代初頭は、東映のヤクザ映画の全盛期で、鶴田浩二、高倉健、そして藤純子らの様式的で美しい作品が揃っていた。

日活や大映も追従してヤクザ映画を作ったが、個人主義のヒーローの日活には集団主義のヤクザ映画はなじまず、大映では江波杏子の「女賭博師」シリーズのみだった。

やはり、スタジオの伝統はそう簡単には変えられないということだ。

日活と大映は、ダイニチ映配という共同配給機構を作るが駄目で、日活はロマンポルノに、大映は結局は、会社は違うのだがテレビ映画に移行していくことになる。

ポルノの最初が実は日活ではなく、東映であるように、スケバン映画も、実は東映ではなく、日活であることが明らかにされる。1968年の太田雅子主演の『残酷おんな私刑』で、ここでのリンチシーンでの太田の迫力に社の上層部が驚き、「彼女にはもっと過激な役を」として、『野良猫ロック』シリーズでのアクションになったという。西河克己も『夜の牝・花と蝶』の撮影で、自分からヌードになった彼女にうろたえたと書いている。
もっとも、「野良猫ロック」のバイクやバギーを走らせる愚連隊も、東映のヒットシリーズ「不良番長」のいただきなのだから、映画のような大衆文化は、常に相互に依存し、影響しあっているのである。
そして、ヤクザ映画低迷の中で、東映は『徳川女系図』などの不良性感度の高い路線をとることになる。これは東西の撮影所に混乱を起こし、池玲子、杉本美樹という素人からいきなりカメラの前に立つ女優を作ることになる。

作者は、池玲子に思い入れがあるようで、彼女の経緯を細かく追うが、私は池にはまったく興味がなく、杉本の方を贔屓していたので、ここは不満である。
そして、日活ロマンポルノとなるが、ここへも八城夏子のように、東映から転身して成功した女優たちのことが詳細に書かれているのは良い。
要は、映画、テレビ、雑誌グラビア等、どこかで売れればよいと考える女性たちが生まれていたのだ。
その背景としては、ウーマンリブに象徴される女性の地位向上があったというのは正しい指摘である。
唯一、私と考えが異なるのが、東映の『聖獣学園』と東宝で公開された『混血児リカ』の評価である。
『聖獣学園』は、多岐川裕美が裸になるというのが嘘だった作品だが、ここで悪の権化の学園の支配者渡辺文雄が言う台詞には私は感動したものだ。
「アウシュビッツで、広島で神はなにをしたのか、神は人を見捨てたのだ、だから我々はなにをやってもいいのだ!」と叫ぶが、これは正しいと思う。
『混血児リカ』は、『闇の中の魑魅魍魎』の赤字を補填するために中平康が作ったひどいアクション映画で、主人公青木リカのド素人演技はどうやっても評価できるとは思えない。
また3作目は、見ていないが脳梗塞からカムバックした吉村公三郎が撮ったそうで、この本のように良い作品だったとは思えないのだ。
そして、こうした日活、東映の混乱の中に世界的な最大の話題作が来る。
ブルー・スリーの「ドラゴン」シリーズである。
これによって東映も日活も路線変更してゆくのだ。
わずか数年間だったが、スケバン映画は、日本映画の娯楽作を支えたのである。



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『赤線の灯は消えず』

2019年04月01日 | 映画
赤線問題の名作溝口健二の大映が、昭和33年3月の赤線廃止後の、女性たちの姿を描いた作品を作ったというのは、随分と皮肉なことである。
その翌年後の、おそらくは吉原の元の店に、京マチ子が実家から戻ってきたところから始まる。
若手の野添ひとみも、足を洗い堅気になろうとするがなかなかうまく行かない、彼女らの苦闘。



婦人相談所とその婦人更生寮から出て、京は、まず玩具工場で働く。
婦人更生寮は、都道府県が設置していたもので、私もある区役所にいたとき、その区にあった。
当時は、もう元売春婦ではなく、問題行動の女性の寮になっていた。生活保護を受けているので、区の福祉課にも来たが、ある女性は知的障害もあり、座っている椅子に尿を漏らしてしまうような女性だった。だが、驚くのはそうした女性を買う男もいることで、「これは日活ロマンポルノの神代辰巳の名作『赤い髪の女』みたいだな」と思ったものだ。

玩具工場で、京は作業が鈍く、下手とのことで倉庫番に廻されるが、工場主は彼女を襲おうとし、妻に見つかって首になる。
夏の海の砂浜での荷物預り所でも、財布を盗んでとの疑惑を掛けられてすぐに首。群衆の中にワンカット藤巻純が見えた。
屋台のおでん屋の女主人浪花千栄子は、親切な女で、屋台で使ってくれるが、浪花は交通事故で死んでしまう。
京マチ子をつけ狙うのは、チンピラの根上淳で、後には真面目な役柄の根上がチンピラというのは珍しいと思う。
野添ひとみは、田舎の幼馴染の船越英二が、上京してきて板前になり、恋仲になるが、野添の前歴を知り驚愕して去る。
京マチ子は、屋台のすし屋の親父潮万太郎にも襲われそうになるが、なんとか逃れる。
そして、ヤクザの杉田庚らの手で、元売春婦が偽情報で集められ沖縄に売られよとするが、摘発で逃れ、無事野添は船越と結ばれ、京マチ子も真面目な道に進むことが示唆されてエンド。
実に安直な解決だが、他になにがあったのか私も分からない。
脚本は、相良準こと楠田清で、黒澤明の『わが青春に悔いなし』のとき、共作で問題になった『命ある限り』の監督。元共産党員で、衣笠貞之助のブレーンだった。
監督は、なんでもなんでも撮る田中重雄で、音楽が古関祐而で『だから言ったじゃないの』などの歌謡曲を使って効果を上げている。
衛星劇場
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『青春の蹉跌』

2019年03月29日 | 映画

萩原健一が死んだそうだ、68歳。

彼が出た映画で一番なのは、神代辰巳監督の『青春の蹉跌』だろう。

冒頭の磯子プリンスホテルの屋外プールで、ローラースケートを履いて掃除をするところからアンニュイな雰囲気だった。

井上堯之の音楽もよく、傑作だったと思う。

この作品が傑作となったのは、萩原も、神代もモテモテ男だが、かなりいい加減な性格のとろこがあり、それが上手く合ったからだろうと思う。

この頃は、まだ桃井かおりは太っていて、非常にダサい感じだった。

                           

今や、磯子プリンスホテルもなく、磯子駅周辺は、新杉田駅周辺が賑っているのに対し、ひどくさびれている。

理由は、西武の堤康二郎が、磯子の東伏見宮別邸を入手したことを基に、いずれホテル等を作るつもりで、その直下に根岸線の磯子駅を無理やり作らせてしまったことにある。当時は、情報公開等もなく、政商たちは勝手なことができたのである。

磯子と言うのは、本来はもっと北のエリアで、今も磯子警察署のある浜のあたりであり、磯子駅のところは森である。

磯子駅周辺は、きわめて狭い地域で、奥行きがないので発展のしようがなく、人口も多くないので、今は衰退の状況にあるのだ。

都市の持つ本質は、そう簡単には変えられないという実例だと思う。

 

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『狂った一頁』

2019年03月22日 | 映画

昔の映画を見て、一番違和感を持つのは、精神病者と病院を描いたところだ。

それは、戦後も同じで黒澤明の『生きものの記録』の最後の三船敏郎が入院されている病院もそうだ。

と言って、私は、精神病院に行った経験はないが。

この日本映画史上で有名な作品が弁士付きで上映されるというので、日本近代文学館に行く。

駒場東大前は高校時代から何度も来たことがあるが、西口から出たのは初めてで、そこからかなり長い距離を歩いて駒場公園に付く。道の左右は豪邸ばかり、風が強くて歩くのが大変だった。

              

弁士は片岡一郎、ピアノは上屋安由美。

筋は、外国船員だった男は、家庭を顧みず、絶望した妻は自殺して狂喜に至り病院に入院したとのことだが、それは描かれず、部屋で一人踊り狂う女南栄子から始まる。

男の井上正夫は、身分を隠して病院の小使になっていて、彼の目で病院内が描かれるが、セットと撮影は非常に前衛的である。撮影は杉山公平で、助手は円谷英二。

 男の娘が結婚することになるが、相手に母親のことがばれて破談となるが、井上は言う、そんな奴とは結婚しなくてよい。

ついに男は、妻を連れて病院を逃げようとするが、妻は出ることを躊躇し出られない。だが、それは夢だった。

また、くじ引きで一等が当たり、男が箪笥を背負って家に戻るシーンもあり、これも夢かと思うがそうではない。ただ、これを見て、小津安二郎の原作で内田吐夢が監督した名作『限りなき前進』の、主人公のサラリーマンの夢は、この辺から想起されたのかと思った。

最後は、やはり昔と同じように病院で男は働き、妻は病院で入院している。

患者の一人で、高瀬実がいて、すぐに分かった。

日本近代文学館

 

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『新東宝1947-1961』 ダーティー・工藤(ワイズ出版)

2019年03月19日 | 

最近、読んだ本で一番面白かった。

                   

内容は、新東宝の監督、俳優、脚本家などへのインタビューで、『映画論叢』に掲載されたものの再録が多いが、こうして1冊になるのはうれしいことだ。

また、それ以上に素晴らしいのは、公開作品のデータである。これを見ると、結構記録映画やソ連製の作品等まで公開しているのには驚いた。この1947から1961が象徴するように、新東宝の存在は、イコール日本映画全盛時代なのである。

また、その前史として、戦後に東宝は膨大な余剰職員を抱えていたことがあった。余剰職員がいたからこそ、第二会社ができたのである。

なぜだろうか。

それは、東宝が実は戦時中は「軍需企業」であり、真珠湾攻撃へのマニュアル映画等を特撮とアニメーションで作ったいたことがある。

そのスタジオは、第二撮影所で、もちろんリーダーは円谷英二だった。この上の撮影所と言われた第二撮影所が、戦後の東宝争議の後に、新東宝撮影所になるのだ。

今は、新東宝の解散後は、その大部分は日大商学部になっていて、ほんの一部が国際放映、現在の東京メディアシティの撮影所になっている。

また、大蔵貢所有の会社として富士映画があったが、これは戦前の東京発声映画で、戦前に東宝に合併されて東宝第三撮影所になった。

新東宝末期に大蔵貢個人のものににされ、ピンク映画の撮影等に使用されたが、ボーリング場にされて、現在はオークラランドになっている。

ここには傑作な話があり、富士映画で照明を担当していた小父さんは、撮影所がボーリング場になると、そこの電気係に転職していたとのこと。いろいろなスキャンダルの多い大蔵だが、意外にも人情にあつい人だったといえるだろう。

何かというと、スタッフ、キャスト、さらに新聞記者などに現金を気軽に渡したというのは、日本の中小企業の社長の典型だと言える。

 

 

 

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中学のときによく言われたことに・・・

2019年03月18日 | その他

たぶん、中学の頃だと思うが、よく同級生に言われたことに次のようなことがあった。

「昔々は、一つの家族だったので、日本人は全部天皇家と同じ家族だ」

いつも本当かなと思っていた。

    

その通りで、縄文時代でも日本全体の人口は、20万人くらいだったそうで、縄文時代は1万年も続いているのだ。

当然、天皇家と日本人全体が一家であったわけはないのだ。

 

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『浅草の夜』

2019年03月16日 | 映画

1954年の島耕二の脚本・監督作品で、もちろん大映。

浅草の劇場の踊子が京マチ子、妹で浦辺粂子のおでん屋を手伝っているのは若尾文子。これは京マチ子と鶴田浩二の共演が売りの映画で、鶴田はその劇場の新進作家で、京マチ子と愛し合っている。

                

若尾は、若い画家の根上淳と恋仲だが、やくざの高松英雄が邪魔をしている。また、京マチ子は、この若尾と根上の結婚に強く反対している。

劇場の演出家の見明凡太郎が首切られたり、鶴田と高松が決闘する筋があるが、問題は幼い時に捨てられた京と若尾の父親が誰かで、実は今は有名画家となっていて、根上の父の滝沢修であることが分かる。

つまり、若尾と根上は兄妹になり、歌舞伎で言えば畜生道なわけで、その性で京は反対していたのだ。

最後は、鶴田の手はずで、京マチ子と若尾が滝沢に会って和解し、鶴田と京マチ子は無事結ばれることが示唆されて終わり。

若尾と根上はどうなるのかは不明。

これは川口松太郎の原作だが、どこか日本画家の伊東深水のことをモデルにしているように思えた。

角川シネマ有楽町

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田中絹代の監督作品

2019年03月15日 | 映画

女優の田中絹代は、次の作品を監督している。

彼女は、日本で最初の女性の長編劇映画監督だった。戦前には、坂根田鶴子が中編『初姿』を撮っていたが、その1本だけで、その後は記録映画監督になり、戦後は溝口健二のスクリプターをやっていた。

田中絹代は、成瀬巳喜男の大映での『あにいもうと』に助監督として付き、「助監督修業」をして丹羽文雄原作の『恋文』の撮影に臨んだ。

恋文横丁は、渋谷西口にあり、今は東急109から山田デンキになっているところで、小さな店がひしめき合っていた。

1970年代にはまだあり、藤田敏八の映画『赤い鳥逃げた?』では、伊佐山ひろ子らが、赤い鳥を飛ばすシーンの背景に見ることができる。

この6本は全部見ているが、私の感想では、最後の『お吟さま』が一番面白いと思う。

作品的には、『月は上がりぬ』(「つきはのぼりぬ」で、「あがりぬ」では嫌らしい意味になるとのこと)が出来は良いが、これはセカンド助監督が小津の助監督だった斎藤武市がお目付け役でいるなど、「もう1本の小津作品」というべきもので、田中映画として評価することは難しいと思う。

          

『お吟さま』は、千利休の娘で有馬稲子が主演し、高山右近は仲代達矢、千利休は中村鴈治郎、石田三成は南原宏治というキャストである。

撮影は、「宮島天皇」こと宮島義勇で、カメラも凄いと思うが、脚本が成沢昌成なのが作品に大変に寄与していると思う。

興味深いのは、お吟が右近と逃亡する場面で、裸馬に乗せられた女の岸恵子を目撃するシーンがあることだ。

これは、言うまでもなく溝口健二の名作『近松物語』の長谷川一夫と香川京子が裸馬で京の町を引き廻されるシーンであり、それへの尊敬である。やはり、田中絹代は、溝口健二を尊敬していたと思うのだ。

  1. 1953.12.13 恋文  新東宝
  2. 1955.01.08 月は上りぬ  日活
  3. 1955.11.23 乳房よ永遠なれ  日活
  4. 1960.01.27 流転の王妃  大映東京
  5. 1961.09.05 女ばかりの夜  東京映画
  6. 1962.06.03 お吟さま  にんじんくらぶ

 

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『流転の王妃』

2019年03月13日 | 映画

昔、テレビで見て、結構いい映画だと思っていたが、あらためて見るとただのきれいごと映画だった。

菅原家の娘京マチ子は、満州国皇帝愛新覚羅溥儀の弟溥哲・船越英二の嫁にと嘱望され、始めは満人のところにやれるかと思っていた父母や祖母も、溥哲の素直で優しい人柄に安心し結婚を認める。

関東軍の御用係の軍人が石黒達也で、非常に良い。溥儀や周囲の者は、中国人俳優のようで、満州での会話は中国語になる。

新京での生活は意外に質素なもので、それは皇帝溥儀の性格からきているようで、溥哲は派手好きとされている。

1941年に太平洋戦争が始まり、1945年夏にはソ連軍が侵攻してきて、満州国政府は新京を去る。

通化事件等の悲劇があり、石黒も死んでしまい、京マチ子は船越とも別れ、国民党軍に追われる八路軍に同行して満州奥地に行くが、1947年にやっと佐世保港に上陸し、父母の東京の家に落ち着く。

娘の英世は、女子学習院に通うが、ある日自殺してしまう。

これは天城山心中として、大事件となり、新東宝で石井輝男監督で『天国で結ぶ恋』として製作されていて、こちらの方が扇情的だったようだが、この田中絹代監督版は、非常にきれいに描いている。

最後、葬式に列席している女学生の真ん中に江波杏子がいた。

角川シネマ有楽町

 

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『おとうと』 山根成之版

2019年03月12日 | 映画

市川崑監督の1960年のではなく、1976年の松竹の山根成之監督のもの。

市川崑の作品は、池上劇場で見た。

ここは始めは、東宝と東映で、日本最初のシネスコ作品の『鳳城の花嫁』は、ここで見たが、第二東映の系列として池上東映ができたので、東宝と大映の館になったいた。もちろん、今はなくマンションになっている。

たぶん、自分から見ようと思って見た「最初の芸術的映画」で、ラストシーンの「終わり」が階段の黒のところに出たのには、「随分とシャレた映画だな」と思った。

                            

山根成之のも知っていたが、市川崑の名作に比較すればと思い見なかったが、出来は悪くない。

脚本は、同じ水木洋子なのだから、後は役者と演出の問題である。

郷ひろみと浅茅陽子の弟姉は、岸恵子、川口浩に対してそう悪くはない。また、父の木村功、母の岩崎加根子も名優で、森雅之、田中絹代と比べて劣るものではない。

ただ、木村と岩崎は、森と田中に比べて台詞が楽に発語されているのは問題だなと感じた。

市川崑版では、森雅之と田中絹代は、いやいや台詞を言っているが、山根版の木村と岩崎は、かなり流暢に台詞を言っている。

これは時代と俳優の演技術の差異に起因するものだと思う。

最後、郷ひろみの碧郎は、当時は不治の病だった結核で死んでしまう。結核菌は、若い細胞を好むのだそうで、日本の近代では石川啄木、正岡子規などの若者が結核菌の餌食となった。

これは大正時代のことだが、見ていると、明治、大正から昭和30年代まで、日本の都市の風俗はそう変わっていないかったのだなと思えた。

その意味では、1960年という経済の高度成長時代前に作られた市川崑版は、かなり楽にできたといえるのではないかと思えた。

衛星劇場

 

 

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