指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『三島由紀夫VS東大全共闘』

2020年06月04日 | 映画
コロナで休館となっていた横浜の映画館が再開したので、伊勢佐木町の横浜シネマリンに行く。
館内は、コロナ対策で、数席おきになっていた。
1969年5月、東大教養学部の大教室で、東大全共闘主催の「焚祭」が行われ、その一つとして三島由紀夫との討論会が行われた。
以前、その音声テープをもらったことがあるが、映像はもちろん初めて。



このイベントの趣旨は、1月に本郷の安田講堂の封鎖解除があり、2月には秩父宮ラクビー上で、民青同盟(共産党系)と大学当局との集会が開かれ、大学入試の中止と封鎖解除、ストライキ解除へと動き、それが実現し、全共闘運動の退潮を食い止めようとするものだったとのこと。
場所は、東大駒場で、駒場は共産党系の民青の支配するところだったが、この900講堂は、中間地帯でイベントができたのだそうだ。
全共闘の意図とは別に、三島が共産党と大学の合意による日常化に反対していたことは、非常に興味深い。
これを見て、あらためて思ったのは、三島由紀夫は、つねにドラマを求めていたということだろう。
太平洋戦争の中での劇的な死(それは夭折だが)ができなかった三島は、以後の戦後の社会の中でも、一貫して求めていたのは、劇的な瞬間だったと思う。
1960年代後半の若者の過激化の中で、三島自身と「楯の会」も、その騒乱の衝突で死ぬことを求めていたのだと思う。
だから、1968年の10月21日の新宿騒乱の時は、三島も新宿に行き、過激派と警察の衝突を見ていたのだ。

三島は、あえて自分の上半身の筋肉を見せるかのように、ポロシャツ姿で一人で壇上に立つ。
全共闘の木村修、小阪修平、芥正彦らが質問し、三島との討論になる。
ここで一番目立つのは、やはり芥で、赤ん坊を背負って三島に盛んに抽象的な質問をする。
全員がタバコをしきりと吸っていて、三島と芥は、ピースである。
芥は言う、「想像力は事物を越える」。
本当によく言うよと思う。彼はホモ・フィクタスという劇団で有名だったが、当時は見ていなかったが、7年前に池袋の東京芸術劇場で見たが、実にひどいものだった。
なにしろ面白くない上に、適当で下品なには本当に驚いた。
彼は、日活ロマンポルノの女優だった中島葵の愛人だったこともある。中島がガンで死んだとき、その死へと向かう骸骨のような彼女の肉体を撮った写真集があり、昔知り合いに見せられた時は、非常に驚いた。
本当の恋人がするべきことなのかと。

このドキュメンタリーを見て最大の違和感は、この当時全共闘の連中が、革命を志していたということだ。
東大全共闘の連中がどうかは知らないが、私の記憶では、当時の過激派の連中で本当に革命ができるなどと思っていた人間はまずいなかったと思う。
この辺は、当時の人間でないと分からないことだと思う。
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『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声(1950)』

2020年06月01日 | 映画
昔、テレビで見て暗い映画としか記憶がなったが、今回見てみるとそう悪くはない出来である。
インパールの地図が出てきて、これはインパール作戦のことなのかと気づく。
二等兵の信欣三と花沢徳衛が泥沼を歩いていて、兵の集まりに会う。悪辣な河野秋武で、いつもは善玉の河野が悪玉と言うのは珍しい。



そこは、一つの兵士が集まっていて、きちんと部隊長と呼ばれる男もいて偉そうにしている。
下士官が現れて「先生!」と信欣三のことを言う。
沼田陽一は学徒兵なので、二等兵の信より上官なのである。
花沢は言う「地方でどんなに偉くても、ここでは兵の序列だ」
その通りで、帝国陸海軍は、日本社会の階級制度とは別で、その意味では平等だったわけで、丸山眞男大先生も二等兵だった。
この矛盾を描いた映画に渥美清の『拝啓天皇陛下様』があり、大変に痛快な喜劇だった。
信欣三は、東大の助教授でフランス文学、モンテーニュを沼田らに教えていた。
無知な団長は聞く、「フランスで一番偉いのは、シェークスピアか!」
笑えないギャグだが、本当だろうか。
信は、河合事件には反対せず、沼田は反対運動をするが簡単につぶされていた。

そこは結構大きな集団で、ニワトリを撃ってきて食べるなどの挿話があるが、終わりに司令部から、移動と突撃命令が来て、部隊は移動する。
だが、もちろん傷病兵もいて、それは置いていくことにする。
元左翼学生の伊豆肇もいて、彼は飢えた兵隊のため、部隊長の馬を殺して皆で食べてしまう。
人が死ぬと身ぐるみはいで、ついには肉を切って食べたそうで、人肉食は、大岡昇平のレイテ島だけではなく、インパールでもあったようだ。
英軍は、戦争当初とは異なり、軍備も戦意も高くなっていて、日本軍は到底相手ではなかったなかったのだ。
最後、移動の途中で河野と長は逃げ出すが、彼らも英国軍の砲弾にやられる。
他の連中も砲弾の餌食になって終わり。
戦没学生の手記なので、あの学徒出陣のフィルムと、兵隊の泥濘の歩みが重ねられている。
これの製作担当は、岡田茂で、脚本は舟橋和夫、監督は関川秀雄で、後の『いれずみ無残』のような無残な出来ではないのは、当然だろう。
関川の監督デビュー作のように思われているが、彼は本当は東宝航空教育資料製作所で、1944年に戦意高揚映画『大いなる翼』が初監督作なのである。
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斉藤晴彦の『ベートーベン人生劇場』

2020年05月31日 | 演劇
『題名のない音楽会』で、斉藤晴彦の『ベートーベン人生劇場』を見た。
小沢昭一がやったのは見たが、これは見ていなかった。




斉藤は、黒テントを代表する役者で、私は好きだったが、2014年に亡くなられてしまった。その頃は、黒テントの代表も務めていたようで、非常に残念なことだった。
内容は、たぶん小沢昭一がやったのと同じだと思うが、若きベートーベンが、温泉場でゲーテと会い、様々な名作を作っていくものだった。
おそらく、構成の藤田敏雄が書いた浪曲台本だったと思うが、大変に面白かった。
黛敏郎は、この番組のモットーを「クラシックから浪花節まで」と言っていたそうだが、それは本当に正しいと思った。
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『題名のない音楽会』が嫌いになった理由が分かった

2020年05月30日 | 音楽
ネットで、昔の『題名のない音楽会』を見て、これが嫌いになった理由を思いだした。
気障な黛敏郎の言い口は気になっていたが、中身は大変に面白いので、12チャンネル時代から見ていた。
その後現在に至るまで、長くテレビ朝日で放映されているので、元は東京12チャンネルで放送されていたことなど、皆知らないに違いないが、初めは12チャンネルだったのだ。

だが、あるころから見るのが嫌になった。
その理由が今回見てよくわかった。それは、ある時期のこの番組の冒頭のことだ。
それは、ソリストがジャズの『聖者が町にやって来る』のメロディーを演奏しながら、客席から舞台へ上がり、そしてオーケストラ全体の演奏になる。
これが、当時毎回のことだった。
私は、この『聖者が町にやって来る』が嫌いで、当時はジャズと言うと、この曲で参ったものだった。



いかにこの曲がジャズを象徴していたかは、ロマンポルノ最登板になる1966年の西村昭五郎の作品に、ジュディ・オング主演の『涙くん、さよなら』がある。
これは、ベトナム戦争で父を失ったジュディが、日本人の母親を探して日本に来ると言う映画で、結構面白かった。
冒頭の米国の家で遊んでいる(実際は、横田基地あたりで撮影したと思うが)ジュディが、友達と歌っているのが、『聖者の行進』で、1960年代なのに、なぜフォークかロックではないのか、と思ったのだ。
その程度に、1960年代は、ジャズと言えば『聖者の行進』で、これは違うと黛先生ともあろうものがと思い、見るのがいやになったのだ。

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『土俵物語』

2020年05月29日 | 映画


1958年の大映映画で、相撲の房錦と父親の行司式守錦太夫との親子関係を描く作品。
房錦は、「黒い弾丸」と言われてかなり人気があり、また彼の父親が行司という非常に珍しい関係で話題となっていたので作られたもの。
相撲の映画は結構あり、若の花(初代)が主人公の映画もあった。
また、各場所の模様は、日活で前半戦、後半戦と言う形で公開されていた。
テレビも十分に普及していなかった1950年代当時、相撲の映画は大変に人気があったのだ。

戦後、房錦となる桜井少年は、医者を目指していたが、ある日友人(後で丸井太郎が演じる)との話から、相撲取りになることを決意する。
父の行司式守錦太夫(見明凡太郎)も、特に母親の村瀬幸子は強く反対するが、若松部屋に入門する。
厳しい稽古のなかで、次第に出世し、二段目からは、房錦本人(当初は小櫻)が演じていく。
本場所の他、地方巡業の様子も出てくるが、本物の土俵の他、ただの土の上で稽古するのも出てくるのには驚く。
朝汐も出てきて、小櫻に稽古をつけたりする。
二段目では、親友も辞めて部屋を去り、小櫻自身も自信を失って実家に戻ってきてしまう。
母は、彼が好物のカレーライスを食べさせ、父は家に戻ってきて、元気づけ、小櫻を改名して房錦にする。

また、入幕してからは、栃錦も出てくるが、本番での取り組みでは本人ではなく、大映の俳優の浜口喜博になっているのは、多分彼には多少の台詞と演技があるからだろう。
ちなみに浜口も、元オリンピック選手で、後の飯島に至るまで、大映の永田雅一は、有名選手が好きだった。

最後、初入幕で優勝争いになり、11日目に父の行司の日に負けてしまうが、千秋楽には勝って父の声で勝ち名乗りをもらう。
房錦は、非常に子供に人気があった力士で、蔵前国技館では子供の姿が多く描かれている。
最後は、関脇まで上がったそうで、それなりの力のあった力士と言えるだろう。
監督の村山光男は、房錦には、ほとんど台詞を言わせず、周囲の役者から台詞を掛けられるようにしていてドラマを作っている。

衛星劇場


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『ドント節・サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ』

2020年05月28日 | 映画
1962年の大映映画、これほど羊頭狗肉の作品もないと思う。
クレイジーキャッツは、冒頭とラスト、その他3シーンしか出てこない。



筋は、三日月商事と言う会社の「しなの支社」のいい加減な社内を描く喜劇の脚本があり、そこに急遽クレイジーを入れたものなのだと思う。
なにしろ、主人公川崎敬三の父親の見明凡太郎は、小遣い(警備員か)で、川崎も中卒で見習社員と言うのだから、昭和初期のことかと思ってしまう。

意外にもクレイジーは、東宝ではなく、最初の映画は、これと前作『スーダラ節』も、大映なのだ。
『スーダラ節』は、見ていないが、たぶん同様なダサい作品だったと思う。
特に音楽が駄目で、ここでも萩原哲昌だが、大映の音楽は、伊福部昭、池野成に象徴されるように重音楽であり、クレイジーの「軽音楽」ではない。
クレイジーは、元はジャズバンドなので、軽音楽なのだ。
「大映は合わないな」と思い、たぶんハナ肇が、東宝で映画を作ることにしたのだと思う。
唯一、救いと言えば、万里昌代が、ここでもきれいだと思えたことで、弓恵子と浜田百合子も非常に色っぽい。

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『予期せぬ出来事』

2020年05月26日 | 映画


ロンドンの空港を舞台としたスターが出てくる1963年の娯楽映画。
いわゆるグランドホテル形式で、ほとんど演劇で、脚本は劇作家でもあったテレンス・ラディガンで、台詞がよくできている。
飛行場ものには、1970年の『大空港』があり、ある高度以下に下りると爆発する爆弾が仕掛けられたもので、絶対絶命と思うと、どこかの州にその高度以上の空港があり、無事エンドとなるものだった。この「エアポート・シリーズ」は結構面白く、衝突事故で死んだ操縦士に代わってCAのカレン・ブラックが操縦してしまうのもあった。

ここでは、大会社社長のリチャード・バートンと妻のエリザベス・テーラー、この二人は当時は夫婦だったが、リズは、プレイボーイでジゴロのルイ・ジュールダンとニューヨークへ逃避行しようとしていて、これが映画の中心になっている。
オーストラリアの農夫からトラクター会社の社長になったロッド・テーラーと秘書のマギー・スミス。
監督で税金問題を抱えているオーソン・ウエルズと女優のエルザ・マルチネリ、飛行機に初めて乗る伯爵夫人など、多様な人間が出てくる。

当時の作品にしては、結構きわどい台詞があり、リズにバートンは聞く、
「あいつはセックスが上手いそうだが、もうしたのか」など。
いろいろと紆余曲折はあるが、リズとバートンのよりは戻り、一時は倒産となったロッドの会社も、バートンが切ってくれた小切手で救われる。
やはり、ハリウッド映画なので、最後はハッピーエンド。
ここには、まだベトナム戦争も人種問題もないのである。
まだ、幸福なアメリカ社会と時代の産物だったと言えるのだろう。
邦題に反し、予期したように終わりがくるのだった。



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『若い人たち』

2020年05月25日 | 映画


1954年の新東宝配給作品、脚本は新藤兼人、監督は吉村公三郎、銀行の店の実態を描くもので、銀行の組合の金でできた作品。
実話からとられていると思われるので、意外にも面白い。
吉村と新藤は、誇張が強く、こんなことがあるかと思われることもあるが、ここでは比較的淡々と進行する。
主人公は言うまでもなく乙羽信子で、帝都銀行京橋支店の従業員、父の御橋公も銀行員で、この親子は非常にまじめで融通が利かない人である。
乙羽は、毎日8時過ぎには出てきて、掃除をしたりするので、日高澄江、中原早苗、岸旗江らの女性からは、嫌味に見られている。
中には、会社重役の娘木村三津子もいて、なんのために勤務しているのか不明。
男性には、金子信夫、原保美、信欣三、芦田伸介らがいて、次長は神田隆、支店長は誰かよくわからなかったが、非常に偉くて、店に来て席に着く時は、芦田が立って背広を脱がせてあげる。
本当かねと言いたくなる場面もあるが、女性の家庭をきちんと描いているのは、さすがに吉村。
吉村の説では、「映画で重要なのは風俗を描くこと」だそうで、日高の家は居酒屋であり、金子が下宿しているのは雑貨屋で、おばさんは戸田春子。
金子は意外にも正義派の組合幹部で、驚く、後年の山守組長ではないのだ。
夜、組合の集会で議論されているのは夏の旅行で、箱根に一泊で行くことになる。
日高は、朝のお茶くみのことの議論を提案するが、却下。
一応、女子職員が交代ですることになっているが、なぜ女子のみかと女性は思っている。
旅行が凄いもので、バスで行き、温泉に入った後、宴会となるが、芸者が来る。
さらに傑作は、支店長の代わりに妻がくることで、清川玉枝と言うのが良い。
乙羽は、泊まらずに帰ることにし、金子も一緒に電車でかえる。
金子と乙羽は、憎からず、そう強くはなく、木村の方が強く惹かれている。
乙羽が帰ったのは、父が病気だからで、原因は貸し倒れ先の殿山泰司の工場に処分に行った時、殿山に暴行されたからなのだ。
最後、父親は自費で熱海の療養所に入院し、その費用が問題になるが、公務災害ではないのか。
ある日、急遽オートレース場の売上金の業務が入り、信欣三の下、女子職員が動員されてレース場で現金の処理を行う。
実際にロケされていて、場所は川口か船橋のように見え、大井オートではないようだ。
集計すると10万円不足していて、支店に戻ると、女子が全員取り調べを受け、ついには刑事が呼ばれる。
乙羽は、父の入院の金10万円を、乙羽に恋している自動車会社の社員の内藤武敏から借りていて、職場に電話してもらうが、内藤は社の金を使いこんでいて、彼は恥じて貸していないと言う。
女子職員は、そのまま当直室に泊まらされ、翌日になる。
レース場から電話が入り、中にあったとの知らせが入る。
最後、金子信夫は、静岡の視点に左遷されるが、乙羽は木村にいう。駅に見送りに行って来なさいと。
そして、刑に服する内藤に、乙羽は「出てくるまで待っているわ」と言って終わり。
ここでも、マージャンは仕事の一環となっているが、1970年代まで、日本の企業は同じだったのだろうか。
要は、村社会だったと言うことだろう。

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『吸血鬼ゴケミドロ』

2020年05月24日 | 映画


1966年に作られた松竹作品。監督は、東映で怪奇ものを撮っていた佐藤肇。
羽田から伊丹空港に行く日本航空機、機長は吉田輝男、客室乗務員は佐藤友美。
乗客は、大物政治家の北村英三、商社社長の金子信夫と妻の楠郁子、学者の高橋昌也と加藤和夫、さらに得体のしれない山本紀彦と高英男、さらに夫がベトナムで戦死したキャシー・ホーラン。

水平飛行に入ると、いきなり赤い雲に遭遇し、鳥が機体にぶっかって来て死ぬ。
すると羽田から無線が入り、「機体に時限爆弾を仕掛けたので、秘密裏に畿内を調べて、羽田に引き返せ」という指令が来る。
客の手荷物を調べるが、一人だけ何も持っていたい者がいて、それは高英男。
佐藤は、持ち主不明のバッグを発見し、開けると中に爆弾があり、喬が来て「私のものだ」と言う。
その時、赤い雲が機体にぶつかり、エンジンが壊れて不時着する。
その地の果てには赤く光る物体があり、UFOらしい。

そして、高は期待から出て逃げて行き、UFOに進むと、吸血鬼に首筋を噛まれ、額が割れて赤い血が出てくる。
さらに、銀色の液体がどろどろと出てきて、完全に吸血鬼になる。
次には高橋昌也も吸血鬼になるが、この二人は二枚目なので、吸血鬼には適役。
次々に血を吸われてしまい乗客・乗員は、吉田輝男と佐藤友美以外は、みな死んでしまう。
二人は、手に手を取って大地をにげ、高速道路の料金所の着くと、係員が死んでいる。
最後、大きなホテルに入るが、多数の人間が折り重なって死んでいる。
まるで、今のコロナウイルスさわぎを予測するような作品だった。


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『暗黒街の美女』

2020年05月21日 | 映画
1958年の鈴木清順監督作品、脚本は佐治乾で、音楽は山本直純。
舞台は、横浜で、当時の実景が出てくる。夜の街路のマンホールの蓋を開ける男がいて、水島道太郎。
下りると地下の下水道で、レンガの壁の一つを外すとダイヤと拳銃がある。
それを持って大きなキャバレーに行き、そこの店の社長の居場所を聞くと、トルコ風呂にいるという。
ニュートルコという店に行くと社長は芦田伸介で、トルコとはいっても、60年代以降の性的サービスの店ではなく、女性は半裸だが、サウナのような店で、本来のトルコ風呂のようだ。



水島は、裏町でおでんの屋台をやっている安倍徹のところに行く。
彼は、水島や芦田との仲間で、宝石の取引で安倍は片足を失い、水島は懲役3年を食らったのだ。
水島は、安倍に宝石を上げようと思っている。その屋台には、刑事の二谷英明も様子を見に来ている。
安倍には白木マリの妹がいて、マネキン人形のモデルなどをやっていて、その工場長は近藤宏である。
近藤は、非常に繊細で知的な男で、白木をデッサンする他、洋書をナイフで切って読んでいる。

山下ふ頭の鈴江倉庫の屋上で、外人らと宝石と金の取引が行われる。
ところが途中で、覆面をした他の連中が現れて、宝石を持っていた安倍は、追い詰められて宝石を飲み込み、屋上から飛び降りる。
安倍は、しばらくして病院で死んでしまうが、そこは横浜十全病院のようだ。だが私はこの時期の十全を知らないのでよく分からない。
病室には、芦田や子分の高品格らがいて、高品は「死体を焼けば宝石は残る」と喜ぶが、近藤は「ダイヤモンドは燃えるよ」と返す。
そして、芦田は棺桶を久保山の葬祭場に持っていって焼く。
宝石も燃えてしまったのかと高品らは落胆するが、実は近藤が病院の死体から、本のペーパーナイフで体を切って取出していたのだ。
この辺は、サディズムとブラックユーモアは佐治乾のセンスだと思う。
「よくやった!」とねぎらう芦田。
そして、水島は白木と一緒に、近藤の工場に行き、宝石を出させるが、その時芦田らも来たので、白木はマネキンの胸に練りこんで隠す。
それを水島は取戻し、ダイヤは水島のものになる。

だが、白木が芦田らに監禁され、ダイヤとの交換を言われるので、水島は、芦田のトルコ風呂に行く。
白木は、スチームで蒸されているのだ。
ここから水島・白木と芦田らのギャング連中とも銃撃戦になる。
水島は、店の貯炭場の石炭の山を崩し、道路への穴を開けて、白木を逃す、水島はあわやと言うところで、警察が来て皆御用となる。
再び、ひどい火傷を負った水島が病院のベッドに寝ていて、白木と二谷英明が見舞っているところでエンド。
『野獣の青春』や『殺しの烙印』の鈴木清順は、すでにできていたことが分かる。
麦田町の市電と車庫が出てくるのは、非常に貴重な映像だと思う。
白木マリが、ボーイッシュな女で面白い。




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『座頭市』で言えば、誰の役どころだろうか

2020年05月21日 | 事件
類は友を呼ぶ、とはこのことだ‼️
あるいは、身内に甘く、外にはきびしく、
これぞ権力の遣口、まるで『座頭市』を見ているようだ。
この黒川検事の役は、誰がふさわしいだろうか。
三島雅夫は、本当は悪い岡っ引きレベルなので、安倍徹あたりだろうか。






黒川検事長が辞意 賭けマージャン、法務省調査に認める
朝日新聞デジタル7320
東京高検の黒川弘務検事長(63)が新型コロナウイルスの感染拡大を受けた緊急事態宣言が出ている5月初旬に産経新聞記者や朝日新聞社員とマージャンをしていたと週刊文春(電子版)が20日に報じたことを受け、黒川氏が法務省の聞き取り調査に対し、賭けマージャンをしたことを認めたことがわかった。黒川氏は関係者に辞意を漏らしているという。

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日本ニュース177号

2020年05月20日 | 映画
日本ニューㇲは、社団法人日本映画社が製作し上映したニュース映画で、中でも177号は、いちばん有名で、テレビ等でも使われることが多い作品だろう。



かの「学徒出陣」の雨の神宮外苑競技場である。昭和18年10月21日に行われた。
高校の時の倫理社会の教師Sが、教育大生で、これに出たと言っていた。
彼の言葉では、「スタンドに女子大生がいて感激したよ」とのことだった。
この177号は、実は後半で、本当は前半がある。

「決戦」とのタイトルで、南太平洋海戦で、沈没したアメリカの空母ホーネットからカメラマンが撮影したフィルムなのだ。
どのような経緯からから知らないが、それが日本側に取られ、海軍から日本映画社に提供されたものだとのこと。
そこでは、空母ホーネットに次々と向かってきては撃ち落とされる日本の戦闘機、雷撃機等が写されている。
本当の海戦なので、非常に迫力がある。
ニュースで、戦闘と言っても実は、訓練のフィルムというのが多く、本当の実戦を撮ったのは非常に少ない。
やはり、実戦は危険なので、撮影できないのである。
当時の日本映画社の方は、これをどこで使うかよく考えて保有していて、「学徒出陣」が起きたので、そこに繋げたのだ。
もちろん、その意味は、戦場の実態を見せることと、神宮から出て行く学徒は、こうなるのではという暗示だった。
その意味でも、177号の後半の学徒のシーンは良くできている。
学生の後ろ姿がパンダウンされて、腰弁からゲートルに落ち、その泥濘に汚れた足は、まさに泥沼に入り込んでいる日本の姿だった。
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石黒達也だった 『新、平家物語』

2020年05月19日 | 映画
一般の評価の低い『新、平家物語』だが、私は好きで、たまに見る。
冒頭に、時代背景を説明したナレーションがあるが、これは石黒達也であることを確認した。

石黒は、元は新劇だが、戦時中から多数の映画に出ている。ただ、悪役がほとんどで、非常に憎々しい役が多い。
だが、ここでは雷蔵の清盛が結婚する久我美子の父親で、藤原氏ではあるが、出世欲がなく、閑職の書寮にやられるが、
「自分はこれだ好きだ」という善玉を演じている。
そして、その冒頭のナレーションも石黒なのだ。




これでは、祇園祭の祭礼のところが凄いといわれているが、撮影の宮川一夫は、クレーン車を乗り継いだそうだ。
フランスで上映された時、ゴダールは「こんなシーンはあり得ない・・・」とフィルムを点検したというので有名である。
ただ、現在のフィルムでは、カットでつながれているようだが。

また、最後、比叡山の僧兵たちが、清盛勢対決するために山を下りてくるシーンもすごい。
人また人で、僧兵の列が続いてくる。
言うまでもなく、学生アルバイトらだと思うが、当時の大映の力を認識させられる。
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『大空のサムライ』

2020年05月16日 | 映画
               

海軍の撃墜王坂井三郎を描く作品。
坂井は、藤岡弘で、少しかっこよすぎる。冒頭で本人も出てくるが、脚本の須崎勝弥によれば、坂井は非常に粘着質の粘り強い人間で、そうでなければ最後まで生き残れなかったとのことだ。
坂井がラバウルに来るところから始まるが、戦局は次第に悪くなる。
乗務員とのドラマが中心となるが、彼は下士官の務めとして、どんなことをしても生きのこることを部下にいう。
搭乗員の養成には一番に金と時間が掛るので、乗員の安全が一番に大事だからだ。
部下の一人が、伊藤敏孝で、多くの作品に出ていた子役だが、この辺が最後になったのだろう。
彼も、上官機をかばう為に撃墜されてしまう。
その姉が看護婦の大谷直子で、非常に色っぽく、部隊に来るが、全員発情しないか心配になる。

途中で、米軍による対ゼロ戦攻撃法の「一撃離脱」、さらにゼロ戦が米軍機に対抗する新戦法なども解説され、この辺は他にないものだろう。
最後は、米軍のサザーランドとの空中戦になり、坂井は目をやられるが、なんとか基地に帰還できる。
この映画は、実際に館員となった、熊本の天下一家の会(ネズミ講)の資金で作られたので、公開後、あまり上映されないのは、不幸なことである。
部隊の指令の丹波哲郎がいつもの調子で笑える。
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『楊貴妃』

2020年05月15日 | 映画



ユーチューブを探していたら、溝口健二監督の『楊貴妃』があったので、見る。
映像はよくないが、最後まで見てしまう。
溝口の晩年の作品で、評価は低いが、中盤で、后となった楊貴妃が、玄宗皇帝と祭りに出て楽しむシーンは面白い。
同じ溝口の『新・平家物語』の祇園祭のシーンに比べれば落ちるが、やはりすごい。
大群衆のシーンは、この頃の日本映画の独壇場だと思う。

ここでも、様々な民族の舞踊が出てくるが、これには当時の「国民文化論」の影響もあるように見えた。
「国民文化論」とは、戦後日本で盛んになった議論で、上層の文化ではなく、民衆の文化、特に民衆の舞踊などを高く評価し、再創造する動きだった。
これには、戦後の文化の解放が大きく作用していると思われ、それが溝口の作品にも取り入れられていると私は思った。

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