指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

ヘーシンク対神永の柔道の決勝戦

2017年06月29日 | その他

今も忘れられないオリンピックの試合と言えば、1964年の東京オリンピックの柔道無差別級の決勝戦である。

オランダのヘーシンクと日本の神永の対戦で、ヘーシンクに押さえ込まれた神永は、足を動かすが体はまったく動かすことができず押さえ込まれ,神永の負けになった。

審判の手が上がり、ヘーシンクの優勝が決まったとき、驚いたのは彼の次の行為である。

喜びのあまり、畳に上がろうとしたオランダの男をヘーシンクは、右手を上げて静止したのである。

この時、日本人は、本当に負けたと思った、ヘーシンクは柔道の精神をきちんと分かっていて、行動で示したのだ。

 

 

                                       

 

 

 

約30年前、私がパシフィコ横浜にいるとき、新日鉄から来ていた山中邦捷氏が、一人の大人しそうな男を連れてきて、社長室で高木文雄社長に面談していた。

終わって、その男が事務室を出て行った後、山中氏は言った。

「あれは神永ですよ」

「へえ、あの大人しそうな人が神永だったのか!」と思った。

 


50年目の告白

2017年06月22日 | 東京

先週の土曜日は、高校のクラス会があり、男女25人が来た。

どうしても病気と家族の話になってしまうが、中で伊豆谷君の話が最高だった。

『ララ・ランド』の話をされたのだが、途中で『シェルブールの雨傘』になり、

「実は、これをTさんと日比谷映画劇場に見に行ったのです」と言った!

誰も知らなかったので、非常に驚いた。

小山台高校は、非常にまじめな学校だったのだが、こういうことを密かにやっていた人もいたのかとうれしかった。

         

当のTさんは「違う映画だったんじゃない」と事で、女性は残酷なものである。

50年目の告白には皆驚いた。


『バラカン・モーニング』が終わったので・・・

2017年06月22日 | 音楽

インターFMの『バラカン・モーニング』が終わってしまったので、朝に必ず聞く番組はない。

           

昼と午後は、TBSラジオを聞いていて、他の局に比較すると、やはりTBSは大人の番組が多いと思う。

菊池の『粋な夜電波』も、以前は毎回聞いていたが、このところはやや面白さに欠けるので、聞かない時も多い。

NHKでは、サラーム海上君の『エキゾチック・クルーズ』を聞くが、月1なので、残念なところである。

HPは、http://sasurai.biz/ に変えましたので、どうぞよろしく。


1982年以来だろう 梅が丘

2017年06月20日 | 東京

ここの羽根木公園では、1980年代に黒テントが公演をやったことがあり、見に来たことがある。当時は、郊外の駅だったが、今は非常に繁華な街になっていた。

多分、1982年の『比野置ジャンバラヤ』以来だと思う。

この町の近くには、小高い丘があり、そこをロケセットにして映画が作られたことがある。

1955年、久松静児監督、田中絹代、宇野重吉らの『月夜の傘』であり、のんびりしたいい映画だった。

                 

 

井戸端会議が出てくるが、実際に丘に井戸を掘って撮影したそうである。

帰りは、千代田線、副都心線を経由して戻って来る。へえ、こんなルートがあったのかと思う。ネット様のおかげである。


『オバQ』の大合唱には驚く 『哀愁の夜』

2017年06月20日 | 映画

録画しておいた見た舟木一夫、和泉雅子の日活での1作目の『哀愁の夜』は、非常に良い映画だった。

舟木は、弁護士事務所の見習いで、インテリを演じるのが好きだった彼は、大変に気に入ったそうだ。

また、和泉雅子は、大会社社長神田隆の娘だが、テレビのアニメ―ション番組を作る会社を自分でやっている。

その番組は、『オバQ』で、アニメスタジオのシーンでは、社員全員で「オバQ」の歌を合唱するのだ。

監督は西河克己で、彼は松竹出身なので、結構時代の先端の風俗が好きなのである。

松竹は、古臭いように見えるが、実はかなり新しもの好きなのである。

ここでも、ゴーゴークラブのシーンも出てくる。

チャンネルNECO


イデッシュ語とヘブライ語

2017年06月18日 | その他

「ユダヤの精神史」の3回目は「言語から見たユダヤ」で、東大の鴨志田聡子さん。

イデッシュ語とヘブライ語の関係はよくわからないものだが、古代にユダヤの地で話されていたのは古代ヘブライ語とアラビア語だそうで、キリストが生きていた頃は、大体アラブ語だったそうだ。

だが、旧約聖書はヘブライ語で書かれている。

ユダヤの滅亡後、欧州各地に移住して、南西ドイツにいた人たちが話していたのが、イデッシユ語で、ドイツ語の影響を受けたものだった。それが次第に迫害で東欧に移動し、ポーランドやロシアに居住するようになる。

画家のシャガールはイデッシユ語だったそうで、彼の絵にはイデッシュ語のサインがあるそうだ。

また、スペインに行った人の言葉がラディノ語で、これもレコンキスタ以後トルコへと移住する。

19世紀末から、欧州でのユダヤ人迫害に対し、パレスチナへの復帰運動・シオニズムが起こり、特にロシア、東欧のユダヤ人がパレスチナに行くようになる。

イスラエルの初代大統領のベングリオンがその典型で、ポーランド生まれで戦前にパエスチナに移住し、シオニズムに参加し初代の首相になったが、「イデッシュ語は嫌いだ!」と言ったそうだ。

           

 

このように、イスラエルの公用語は、現代ヘブライ語だそうだ。だから、次第にイデッシュ語を話したり、小説を書くという人は減っているとのこと。

村上春樹のヘブライ語の翻訳はあるが、イデッシュ語はないというように。

鴨志田先生によれば、古代ヘブライ語とイデッシュ語の関係は、漢文と日本語の読み下し文のような関係を想像するとわかりやすいそうだ。

ヘブライ語では数行の分が、イデッシュ語では、その3倍くらいの長さになってしまうとのこと。

因みに、ロシアのシベリアにもユダヤ自治州があり、南米のブラジルやアルゼンチンにもかなりいて、日本では1,000人くらいだろうとのことだった。

 

 


野際陽子、死去

2017年06月16日 | 映画

野際陽子、死去、81歳。

最初に見たのは、TBSの『女性専科』だった。

女優になってからでは、加藤泰の『風の武士』に出ているが、これは非常にいい映画だった。

            

一番興味深いのは、小川知子とルノ・ベルレーの『恋の夏』である。

中で、野際は言う、

「日本の女の子って、なんで外人の男の子に弱いのかしら」

自分もフランスに行っていいるのに、皮肉な台詞だなと思った。

肺腺癌とのことで、やはりタバコは良くない。

ご冥福を祈る。


禁じ手映画 『地球が静止する日』

2017年06月15日 | 映画

録画しておいた『地球が静止する日』を見たが、これほどいい加減なシナリオの映画を見たことがない。

全部が、超能力的な力で解決されてしまうのだから、どこにも知恵が働かされる場が存在しない。

そもそも、題名自体が誤訳ではないかと思う。

原題は、The day the Earth Stood still.である。

この stannd still  は静止するではなく、じっとしている状態のことなので、「地球が存在する日」とでもすべきものだと思う。

もっとも、後80億年後には、地球は止まってしまい、太陽の熱で破壊されて、宇宙に散ってしまうそうだ。

勿論、私はいないので、関係ないことだが。


村上さんが家に来たことがある

2017年06月14日 | 映画

村上さんとは、松竹大船楽団のアコーディオン奏者だった村上茂子さんで、1950年代の小津安二郎の愛人だった方である。

時期的には、小田原の芸者だった人と別れ、最後の銀座のクラブの若い女性と付き合う晩年の間のことである。

なぜ家に来たかと言えば、私の兄が当時大学生で、、村上さんの楽器アコーディオン運びのアルバイトをしていたからである。

多分、彼女が家に来たのは、1961年夏だと思う。

村上さんは、戦時中は某劇団で楽器を担当していたらしいが、桜むつ子と知り合い、その紹介で松竹大船に入ったそうだ。

アコーディオンは、言うまでもなく重い楽器なので、兄がアルバイトで運びをしていて、彼女の家から浅草駅まで運び、地下鉄で新橋、そこから東海道線か横須賀線で大船へ、大船からは車で撮影所に行っていたのだと思う。

なぜ知り合ったかは、村上さんは結構活発な女性でスキーをしていて、兄も友人らとスキーに行き、帰りの列車で知り合ったのだそうだ。

このアルバイトは事実で、映画『秋刀魚の味』の、横浜の華正樓での打ち上げの時の記念写真に兄も写っているのだから本当である。

さて、この村上さんだが、小津の『東京物語』に出ている。

                    

笠智衆と東山千栄子夫妻が熱海に行くと、周りが団体旅行で騒いでいて寝られない。旅館の外に移動すると、道で演歌師が歌っているが、隣でアコーディオンを引いているのが村上さんである。

戦後、村上さんは、弟の浅草の家にいて、大船楽団の他、近所の子供にピアノを教えていたそうだが、実は一度結婚したが、その相手の型は戦争で亡くなられたのだそうだ。

こう書くと、感の良い方は、もう気づくだろう。

村上茂子さんは、『東京物語』で原節子が演じた、次男の元嫁の紀子さんのモデルなのである。

私が、このことに気づいたのは、「あの原節子には男がいるのではないか」と死んだ山本亮から言われたことである。

そう言われると、笠と東山が、原のアパートに来た時、酒と醤油を隣の女性・三谷幸子に借りに行く。

すると三谷は「はい、はい」とすぐに借してくれる。これは、時々原の部屋には男が来ていて、こうしたことがちょくちょくあったからではないかと思えるのだ。

村上さんは、なかなかきれいな方で、洋風のシャレた方であったと記憶している。

そして、「戦争未亡人」の村上さんには小津安二郎と言う愛人がいたように、原節子が演じた紀子にも男がいたと思うのだ。

そう考えないと、最後の原節子の「私は、そんなにいい人ではありません、・・・でもお母さまには言えなかったんです」の号泣が理解できないのである。

 

 

 


梅雨で嫌なこと

2017年06月13日 | その他

梅雨で嫌なことは、傘をさすことだ。

なにを当たり前のことを言われるだろうが、杖を突いて歩いているので、その上に傘と言うのが非常に面倒なのである。

さらに、コンビニ等で物を買ったときには、それを持つ手がなくなる。

仕方がないので、傘の柄に袋の端を吊って歩いたりするのだ。

幸い今年は、関東地方は雨が少なくて非常に良いと思っている。

           


大蔵映画60年

2017年06月13日 | 映画

あるところで聞いた話だと、今年は大蔵映画60年だそうだ。

一応の歴史では、1962年の『太平洋戦争とひめゆり部隊』の直前なので、そこから計算すれば55年となるのだが。

どういう計算の仕方をしているのだろうか。

大蔵映画は、映画製作と言うよりは、1960年代以降は、不動産事業が中心なのだが、それでも映画製作があるというのが同社の誇りなのだろうか。

                   


酒井和歌子も可愛かった

2017年06月11日 | 映画

先日見た『大日本スリ集団』には、高橋紀子と酒井和歌子の女優が出ていた。

                 

当時、酒井和歌子は内藤洋子と並び、東宝の二大青春スターであり、内藤派かと酒井派かのばかばかしい議論があった。

私はもちろん、内藤派だったが、今回酒井和歌子の映画を見て理由がわかった。

酒井も可愛いが、それで終わりで他に何もないように見える。

だが、内藤洋子には、画面に現れたもの以外の何かがあるように思えたのだ。

彼女は、いつも比較的上層の大人しいお嬢様役を演じたが、実際はかなり活発な女性だったようだ。

つまり、その意味では、彼女は実際の自分とは違うものを演じていたのである。

それこそが演技の第一歩なのだ。

それは、かの原節子が、実際はビールが大好きで、皆と囲んで陽気な麻雀をする、さばさばした女性であったように。


『東京物語』はヒットしていた

2017年06月11日 | 映画

1953年、昭和28年は日本映画全盛時代で、キネマ旬報のベストテンでは、

1位 『にごりえ』 今井正監督

2位 『東京物語』 小津安二郎監督

3位 『雨月物語』 溝口健二監督

4位 『煙突の見える場所』 五所平之助監督

5位 『あにいもうと』 成瀬巳喜男監督

6位 『日本の悲劇』 木下恵介監督

7位 『ひめゆりの塔』 今井正監督

8位 『雁』 豊田四郎監督

9位 『祇園囃子』 溝口健二監督

10位 『縮図』 新藤兼人監督

とまさに名作揃いだった。黒澤明が入っていないが、『七人の侍』の撮影が長引いて、この年には公開できなかったのである。

                      

 

さて、さらに凄いのは、興行収入で見ると、

1位 『君の名は・二部』 3億円

2位 『君の名は・一部』 2億5千万円

だが、なんと8位が『東京物語』で、1億3千万円だった。

2005年のBS・NHKの番組で、西河克己と篠田正浩らは、「小津安二郎の映画なんかはヒットしていない」と言っていた。

だが、事実はそうではなく、それなりにヒットしていたのである。


『日蝕の夏』は

2017年06月08日 | 映画

石原慎太郎主演、堀川弘通監督の『日蝕の夏』を期待して見に行ったが、ひどかった。

http://sasurai.biz ですが、以下に書きます。

 

い間、見たいと思っていた映画が実際に見てみるとガッカリというのはよくある。石原慎太郎主演の1956年の『日蝕の夏』がまさにそうで、これは真面目な監督の堀川弘通に不向きなジャンルであり、ともかく慎太郎の演技のひどさがすごい。見ていて、こちらが恥ずかしくなってしまうほどである。

もっとも、湘南の金持ちの次男坊が、父親と母親にそれぞれ愛人がいて、自分は幼馴染で付き合っていた司葉子を友人の本郷淳に取られるという役なのだから、可哀そうなのだが。役者本人に近い役柄というものは、芝居の演技経験のない者にはむしろ演技しにくいもので、まったく関係のない役なら演技できるものなのだが。

その証拠に、普通の人間を演じる小津安二郎や成瀬巳喜男の映画は、名優たちが演じていることでよくわかるだろう。堀川監督も、あまりしごいていないようで、きわめて中途半端な演技になっている。後の映画『危険な英雄』では、監督の鈴木英夫が徹底的に慎太郎をしごいたそうで、それなりに様になっていた。大学でサッカーをやっている青年が慎太郎で、大会社の社長らしい父は山村聡、母は三宅邦子、兄は平田明彦。平田の元婚約者が若山セツ子だが、若山の家が急に没落したので、婚約を解消している。慎太郎は、湘南の不良グループの佐藤允らと付き合い、悪さをしているが、謎の中年の美女高峰三枝子と出会い、彼女といきなり那須高原に行く。するとゴルフ場で見たのは、山村聡と若山セツ子で、憤激して家に戻ると、三宅が男とキスしているのを見てしまう。怒りの燃えた慎太郎は、山村の車のタイヤのナットを緩めてしまい、山村は事故で半身不随になってしまう。

いずれにしても、原作・脚本・主演の石原慎太郎が表現しているのは、大人は皆インチキで汚れているということだろう。

今更、そんなことを言われても白けるだけである。