指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

山の上ホテル、休業

2024年02月13日 | 東京

お茶の水の山の上ホテルが、休業するそうだが、閉鎖だろう。

               

大岡昇平によれば、日本の都市では企業などの民間の物はどんどん変わるが、公共の物は変わらないそうだ。

これもその一つで、いずれマンション等を含んだ建物になるのだろう。

ここに入ったのは、一度だけで、故下川博がNHKの仕事をしているときで、

「ここにいるから見に来い」とのことで行ったのだ。

当時は、NHKのスぺシアル番組の企画、脚本を書いていたときで、中国が題材だった。

例によって、スタッフの悪口で、下川のよくない癖だったが、大手の連中と仕事すると、すぐに彼らの悪口になるのだった。

私は思った「我々は、倉本聡や山田太一のような一流の人間ではないのだから、お相手をしてくれるスタッフも、それなりなんだから」

だが、彼は最後まで、考えは変えなかったようだ。

それも、素晴らしいことだったと今は思うのだ。


下北沢は良くなっていたが、渋谷はひどい

2024年01月30日 | 東京

『文明開化四谷怪談』を見に行くために、久しぶりに下北沢に行く。

整備について、議論があったようだが、エレベーターがきちんとしていてよかった。

渋谷に戻るが、相変わらず滅茶苦茶で、まだ5年は掛かるだろうと思う。

             

安藤忠雄、早くなんとかしろと思う。


墨田区にもある私設図書館

2023年11月22日 | 東京

昨日の夕刊に、京都に私設図書館が「鈍考」があると出ていた。

ここには、なにも書かれていないが、東京墨田区には、渡辺信夫さんがやっている「眺花亭」がある。

墨田区森下で、墨田川に面したマンションにある。

              

学生時代から、映画、音楽、芸能、都市論等が好きだった渡辺さんが集めてきた本や雑誌を展示しているもの。

コロナ以前は、定期的に映画会も開かれていて、私も行ったものだ。

最近は、私も行っていないが、きちんと活動されているようだ。

 

 

 


渋谷TSUTAYAの場所は

2023年10月31日 | 東京

渋谷TSUTAYAが、休店するそうだ。レンタルが減っているからで、店舗は必要なくなったからだろう。

この場所の地下には、渋谷宝塚という東宝系の名画座があったと思う。

東宝の新作は、もちろん道玄坂の渋谷東宝でやっていて、ここは戦時中に文学座の『女の一生』の初演も行われた大劇場だった。

                   

これに対して渋谷宝塚は、東宝系の邦画の名画座で、ここで黒澤明の『隠し砦の三悪人』を見た記憶がある。2本立てだったはずで、もう1本が何だったかは思い出せないが、『天国と地獄』だったような気がするが。

大岡昇平によれば、大都市で変化が少ないのは公共が所有しているところで、民間が所有していた場所は、どんどん変化するものだそうで、ここもその一つなのだろう。


神殿を作ればよい

2023年10月29日 | 東京

東京の渋谷で、ハロウィーンでの若者の集合、騒ぎが問題となっている。

                

バカバカしいと言えば、それまでだが、それは、この渋谷に神殿がないことによると私は思う。

正月各地の初詣では、どこでも数万人が集合しているが、どこでもこのような騒擾は起きていない。

それは、そこには神殿があり、参拝して帰るからだ。

だから渋谷区も、どこかに神殿を作ればよいと思う。

そうすれば、浄財も得られて財政的にも潤うことになる。

渋谷公会堂に、ハロウィーン神殿を仮設すれば良いのではないだろうかと思うのだ。

そうすれば、渋谷駅からパルコの前を登り、公会堂の神殿でお祈りして、三々五々散れば良いだろうと思う。

渋谷区のご賢察を期待したいと思う。


町田市は、もともと東京都ではなかった

2023年10月27日 | 東京

昨日の朝日新聞に、ちびまる子ちゃんの中で、「東京に行くと言ったら、そこは町田で、東京とは思えなかった」との挿話が出ていた。

だが、これは問題が逆で、もともと町田は、東京ではなく神奈川県だったのだ。

明治初期、全国で自由民権運動が盛んだったことはよく知られているだろうが、とくに横浜市と町田等の多摩エリアは、大変にその運動の盛んな地域だった。

しかも、この二つの地域は、絹、生糸の生産と海外への輸出を通じて深く結びあっていて、貨物鉄道の横浜線が関係者によって作られるくらいだ。

そこで、明治政府は考えて、この二つの地域を分割することにした。

町田市は、神奈川県から切り離して、東京に入れて三多摩の一部としたのだ。

                                   

逆に、後に神奈川県に編入された地域もあり、それは小田原県だった。

明治維新の廃藩置県のとき、小田原は、小田原県となったが、その後に足柄県となり、最後に神奈川県の一部になったのである。

現在の地域は、昔と同じではないのである。

 

 


ベルリンの壁、イン・ワセダ

2023年06月16日 | 東京

1966年春のことだが、早稲田大学に「ベルリンの壁」とよばれるものがあった。

場所は、正門から入って突き当り、21号館、共通講堂とも言われ、特定の学部ではなく、文学部以外のいろんな学部の授業が行われる建物で、そこと屋上から外部の道路に出るところにコンクリートの壁が作られたのだ。

 

                   

それには、原因があり、1965年12月から、早稲田では第二学生会館の使用法と学費の値上げで「学費・学館闘争」が始まっていて、12月中旬には全学封鎖、ストライキになった。

この全学ストで、授業はなくなり、ほとんどの授業がレポート提出に代わった。

そのために政経学部7年生だった林裕通さんも、無事8年生に進級されたのだそうだ。

在学生は、それでよいが、新入生の受験テストがあるので、大学は2月初旬に機動隊を導入して封鎖を解除し、203人の学生を逮捕し、逆にロックアウトにした。

このとき、わが劇研の部員も3人が逮捕されたのだそうだ。だが、この3人は、夜中に麻雀をしていて電車がなくなったので、本部に泊まって逮捕されたとのこと。まあ、そんなものだが、もちろん意気は上がっていたそうだ。

そして、無事入学試験は行われ、私も受けて教育学部になんとか合格した。

前年の12月まで、なにもしていなかったのだから、良く受かったものだと思う。

さて、このロックアウトの余波のごときもので、21号館の「ベルリンの壁」は、その後も数か月残っていた。

だが、柔らかいコンクリートだったので、少しづつ穴が空かれ、ついにはほとんどなくなり、大学側が撤去したのは、6月頃だったと記憶している。

実におかしなものだった。

 


新宮から来た鈴木先生

2023年05月09日 | 東京

六角精児のBSの『呑み鉄旅』の最後の駅が新宮だった。

私が小学校に入ったときの、1・2年は宮内さんという少々太った優しい女性の先生だった。

あだ名は「みやデブさん」だった。

この方は、絵は上手かったが、意外にも音楽はだめで、ピアノは弾けなかった。そのために音楽の時間は、別の組の二井先生という大柄な男の先生に代わってもらっていた。

この二井先生は、一見粗暴に見えたが、ピアノは非常に上手いのに驚いた。

そんなことをやっている内に、お二人は親しくなられて、ついにはご結婚されることになった。

そして、宮内先生は、別の学校に移られ、3年になるとその後任で鈴木先生が来られた。

        

鈴木先生は、和歌山県の新宮から来られた方で、小柄な女性だったが、非常に厳しい方だった。

母によれば父兄会で、先生は

「東京の子供は甘やかされいるので、今後はきびしく教育する」と宣言されたとのことだ。

事実、私はあまり怒られなかったが、田辺君などは、なんども

「田辺君、今なにをした!」と大声で怒られたそうだ。

当時、和歌山と東京の地域格差は大きく、その地域差が、鈴木先生の怒りの元だったのではないかと今では思っている。

だが、幸いにも、この厳しい鈴木先生は、1年間だけで、4年になると、再び女性の先生で、かなり年配の奥田先生になった。

この先生は普通の方だったが、ダンスがお好きで、われわれ男の子も踊らされるのには参った。

後に、この方は、どこかの校長先生と「玉の輿結婚」されたと聞いた。

そして、最後は飯伏さんという男の先生で、相当に厳しく、時には竹の杖で生徒を叩くなどもあり、今では完全に暴力教師と非難される人だった。

そして、この方は、日教組の熱心な活動家だったようだが、私は意外にも好きだった。

その理由は、よく怒る人だったが、単純で分かりやすい男だったからだ。

奥田先生も、たまに怒られることがあったが、それは理由が不明なことが多く、

子供ながらにも「女性の感情はよく分からないなあ」と思ったものだからだ。

女性の不可解さを初めて知ったときだと思う。

 

 


品川駅港南口

2023年04月29日 | 東京

昨日は、用があって品川駅の港南口に行ったが、大変な混雑だった。

ここは、昔は、本当になにもなく、東京都の食肉市場、東京新聞本社、そして本の少し、新宿西口のような飲食店街があるだけだった。

なにしろ、ここに出るには、長くて細い地下道があるだけで、ここの暗い地下道は、多くの映画で使用されたくらいだ。

                                           

そして、これを抜けて海岸に行くと東京水産大学がある、というだけの地域だった。

それが、今や高層ビル街になっていて、そんな昔など何も知らない若者が群れ集っていた。

おそらく、山手線の駅で、一番変化した駅の出入り口だと思う。


文化村とは何か

2023年03月04日 | 東京

『アンナ・カレーニナ』を見るために、渋谷の東急本店に行くと、デパート部分は閉鎖されていて、シャッターが降りている。

だが、劇場シアターコクーンの入り口には「文化村」のサインがきちんとある。

             

この文化村とはなんだろうか、皆気づいていないようだ。

これは、もともとは「アーチスト・イン・レジデンス」をやるつもりで、文化村と名付けたのだ。

元サイマル・インターナショナルにいて、その後横浜コンベンション・ビューローにもおられた滝田さんからお聞きした話である。

要は、堤清二さんの「パルコ文化」を上回ることを東急の五島さんもやりたかったからだろう。

だが、この「アーチスト・イン・レジデンス」は、ここでは全くできなかった。

そして、閉鎖である。

もともと「アーチスト・イン・レジデンス」は、東京や横浜のような大都市ではなく、地方の小都市でするべきものだと思う。

滝田さんも、2年前に亡くなられた。


東京にもあったトロッコ列車

2023年02月24日 | 東京

トロッコというと、地方の列車のように思えるが、東京大田区の池上でも、トロッコがあったことがある。

それは、池上の本門寺の崖のところに大田区民会館を作った時のことで、本門寺脇の崖から、呑川までトロッコの軌道が引かれて、土砂を運搬していた。

                

当時は、トラックがまだ普及していなくて、工事での土砂の運搬にはトロッコが使用されていたのだと思う。

そうした図は、成瀬己喜男監督の大映映画『あにいもうと』で、兄で肉体労働者の森雅之が働く、多摩川の土手での作業用のトロッコが出てくる。

 

                  

大田区民会館は、大ホールの他、結婚式場、会議室などもあり、そして図書館もある総合的な文化施設だった。ここには、豪華な詩集などもあり、埴谷雄高なども、ここで読んだのだ。

また、大ホールでは、定期的に映画会をやっていて、ここでは『黄色いカラス』のような子供向けの映画もやっていたが、溝口健二監督の『近松物語』も上映していたのだ。

                             

もっとも、その時は、ただの暗い映画だなとしか感じていなかった。ところが、30代になり、銀座の並木座で『近松物語』を見ていて、最後の長谷川一夫と香川京子が裸馬に乗せられて市中引き回しの場面にきて、

「区民会館で見た映画は、これだ!」と思ったのだ。

意外にも良い映画をただで上映していたのだ。

 


正月の新年会

2023年01月05日 | 東京

私の父は、大田区で小学校の校長をやっていたが、脳梗塞で倒れるまで、任地の小学校(馬込小学校)の教職員を全員呼んで正月の新年会を家でやっていた。

たぶん、1月3日だったと思うが、その学校の職員全員が昼間に来た。

そして、御節料理を出すのである。だから、そのために年末に家では、父は兄と一緒に餅を突いて作っていた。

               

さらに、母親の指揮の下で、3人の娘が御節料理を作り、もちろん酒も出していた。

家は、明治時代の作りだったので、唐紙を開ければ、20人以上が入れる広さがあったのだ。

手数はともかく、それなりにかなり予算は掛かったはずで、母親は、「12月のボーナスはこれで消えた」と言っていたそうだ。

父は、酒もたばこも一切やらない「堅物」だったので、日頃付き合いのない職員たちへの年に一度のサービス、職員管理法だったのかもしれないが。

ちなみに、私は横浜市役所に40年間いたが、上司の家に呼ばれたのは、1回だけで、自分の家を建てたとのことで、その局の管理職、と言っても10人以下だったが、呼ばれたのだ。


力道山

2022年11月10日 | 東京

このところ、プロレスについてのユーチューブを見ていて、非常に人間関係が面白い。

中で、私のようにプロレスに興味のない人間でも、レスラー間のドラマは面白い。

だが、やはり一番興味深いのは、日本のプロレスの創始者・力道山だろう。

彼と豊登・シャープ兄弟戦は、池上の銭湯・久松湯の二階のテレビで見た。

なにより、シャープ兄弟のタッグの巧妙さ、ずるさに怒りを持ったものだ。

そして、力道山の自宅は、池上本門寺の裏の馬込にあり、われわれ子供は見に行ったものだ。

坂道の脇の豪邸で、高いコンクリートの塀があり、コンクリの塀には、無数の落書きがあった。

自宅と言っても、東京には複数のビルを持っていたので、住んでいるはずもなかったと思うが。

彼が、北朝鮮の人間であることなど、当時は誰も知らなかったと思う。

そして、意外なことに彼は、以下の多数の映画に出ており、記録のみならず、実際に演技もしているのである。

                      

この点では、アントニオ猪木も、長嶋茂雄もまったく叶わない実績である。

    1. 1953.09.22 薔薇と拳銃  新生プロ
    2. 1954.09.15 力道山大いに怒る  伊勢プロ
    3. 1954.09.29 力道山逆襲す  伊勢プロ
    4. 1954.12.13 力道山の鉄腕巨人  新東宝
    5. 1954.12.28 お月様には悪いけど  日活  ... 特別出演
    6. 1954.12.29 力道山に挑む木村  伊勢プロ
    7. 1955.02.01 力道山対山口六段 打つ蹴る投げる!  伊勢プロ
    8. 1955.05.01 力道山 勝利の記録  伊勢プロ
    9. 1955.10.18 やがて青空  東京映画  ... 特別出演
    10. 1955.11.15 力道山対キングコング  伊勢プロ
    11. 1955.11.22 続力道山対キングコング  伊勢プロ
    12. 1955.11.29 力道山対キングコング決勝戦  伊勢プロ
    13. 1955.12.27 力道山物語 怒濤の男  日活
    14. 1955._._ 続力道山、東富士・大暴れ  伊勢プロ
    15. 1955._._ 力道山、東富士・大暴れ  伊勢プロ
    16. 1955._._ 力道山・オルテガ・最後の決戦  伊勢プロ
    17. 1956.05.03 力道山の世界征服  日活
    18. 1956.05.03 力道山空手チョップの嵐 東京大会  日活
    19. 1956.05.10 再び捲起す空手旋風 大阪大会  日活
    20. 1956.06.11 力道山・シャープ最後の決戦  日活
    21. 1956.07.12 力道山、鉄腕の勝利  日活
    22. 1956.07.31 プロレス世界選手権 挑戦資格決定戦 力道山・タムライス 「61分3本勝負」  日活
    23. 1956.08.29 力道山 男の魂  協同プロ
    24. 1956.09.11 力道・タムライス 最後の激闘  日活
    25. 1956.10.31 怒れ!力道山  東映東京  ... 力道山
    26. 1957.01.15 純情部隊  東映東京
    27. 1957.10.15 力道山対ルー・テーズ世界選手権争奪戦  相模映画
    28. 1959.09.13 激闘  松竹大船
    29. 1983.09.15 ザ・力道山  松竹

 

そして、こうした映画の中で、彼は「やさしい叔父さん、リキさん」を演じているのだが、実際は非常に暴力的な人間だった。

だが、映像の中で、やさしい叔父さんを演じられたという点で、彼は本当に優れた俳優だったのである。

最初から「プロレスは、八百長だ」と言われ続けてきたが、八百長は上手い役者でないと演じられない「一つの演技術」なのだと私は思うのだ。

 

 


蓮沼について

2022年10月25日 | 東京

「ちい散歩」を見ていたら、大田区蓮沼が出てきた。

ただ、主に矢口側で、他のところについて書く。

まず、駅近くにあったのは、2館の映画館で、洋画の南星座と邦画のヒカリ座だった。

南星座は、かなり上質の洋画館で、ディズニー作品などをやっていたが、1960年前後に閉鎖された。

これに対し、ヒカリ座はずッとあって、もともと大映や松竹をやっていたが、1970年代はピンク映画やATG作品も上映していて、松本俊夫の『修羅』もここで見た。

山田洋次監督の映画『男はつらいよ』の1作目もここで見た。

11月で、過激派の「羽田闘争」から町を自衛した「蒲田自衛団」の連中がオールナイトで寝たまま、椅子の上で寝ていたのをよく憶えている。

この2館の反対側の蒲田方向には、新東宝系の帝都座があり、新東宝倒産の後は、閉鎖されていた。

 

                                                                   

だが、1960年代末に再開されて、主にピンク映画だったが、佐久間良子主演で東映の『雪夫人絵図』はなぜか日活ロマンポルノ系で公開されていて、ここで見た。

ピンク映画を期待した方には不満足だったと思うが。

 


アントニオ猪木の墓は 本門寺だろうか

2022年10月13日 | 東京

昨日は、池上本門寺のお会式だったはず。

このところ、まったく行っていないが、池上の子供にとって、一年で一番に心躍る日だった。

なにしろ、池上小学校は、この日は休みだったのだ。

お寺の祭式で、公立学校が休日というのは、全国でもそうはないことだったようだが、今はどうだろうか。

さて、先日、プロレスラーのアントニオ猪木が亡くなったが、その墓はどこになるのだろうか。

順当にいけば、彼が尊敬する力道山のお墓のある、池上本門寺となるだろう。

そこには、沢山の有名人のお墓があり、力道山の他、児玉義雄、大野伴睦、さらには市川雷蔵、渋くは幸田露伴のもあった。

              

映画関係では、溝口健二の墓もあり、先日亡くなったゴダールもお参りに来た。

そのすぐ近くには、花柳章太郎のもあったと思う。