指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

山田真二死去

2007年10月31日 | 映画
今月中旬に、東宝の青春スターだった山田真二が死んだ。70歳だったそうだ。
山田は、昭和30年代の東宝の青春スターの一人で、外人のような顔で大変人気があった。
岡本喜八監督のデビュー作『結婚のすべて』など、多数の作品に出ている。
だが、彼に関して一番有名なのはヒット曲『哀愁の町に霧が降る』だろう。
椎名誠の著作の題名にもなっこの曲は、当時大ヒットであると共に、とても下手な歌い方で、「ああ哀愁の町に霧が降る」の「ああ」のところがフラットしてしまい、よく物真似番組でも真似られたものだ。
だが、彼は実は音楽学校の出身なのだとは、最近知ってさらに驚いた。
最近は、映画は勿論、テレビにもあまり出ていなかったので、ほとんど忘れられていたので、新聞の扱いも極めて小さかった。
昭和30年代の活躍、人気を考えれば、そんなものかなと思った。

佐藤亜土の作品

2007年10月31日 | 横浜
映画『変奏曲』の主演男優は、画家佐藤亜土だと書いた。
佐藤亜土がどういう画家だったか、私は全く知らないが、作品の一つはよく知っている。
何故なら、横浜市庁舎の二階のロビーの壁に、彼の手になる大きなパネルが飾られていたからだ。
それは、赤と白の板で、波を抽象化したような模様になっていた。
多分、横浜の海や港をヒントにしたものだったのだろう。
佐藤亜土は、オペラ歌手で「カルメンお美し」と言われた佐藤美子の息子で、多分当時の飛鳥田一雄市長と佐藤美子が知り合いだったので、市の金で買ってあげて市庁舎に飾ってあったのだろう。
これを見たとき、彼など大した画家じゃないと即座に思った。
何故なら、母親の顔で絵を買ってもらう画家など大した奴じゃないのは当然だからだ。
そのパネルだが、いつの間にかなくなり、今は何もない。
聞けば、あの壁自体が実は陶製の作品であり、ちゃんと見せないのはいけないのだそうだからと聞いたことがあるが、本当だろうか。

『三文オペラ』

2007年10月30日 | 演劇
世田谷パブリック・シアターで、ブレヒト作、白井晃演出の『三文オペラ』を見る。
主演が吉田栄作なので、ひどいだろうと思って行くが、やはりひどかった。
主人公メッキー・メッサーの恋人で、結婚するポリーは、ご贔屓の篠原ともえで、予想以上に頑張って好演だったが、他に余り良い役者はいなかった。
ブレヒトの劇を見るたびに、クルト・ワイルの音楽が素晴らしいと思う。
今回も素晴らしいと思ったが、全体に知的なかっこ良さが不足していたのではないか。
言ってみれば、粋とかモダンといったような。
ブレヒト劇も、千田是也のは見ていないが、佐藤信と黒テント演劇センター系のものや、6年前には蜷川幸雄のも見た。
白井のは、かなり乱暴に俗化させていたが、1・2幕はともかく、休憩後の3幕目は退屈で十分に昼寝ができた。

それにしても、吉田栄作って一体どこが良いのだろうか。
顔が変に嫌らしいし、背が高くて足は長いが、声は良くないし、演技も魅力がない。
第一、『匕首マック』を主人公の吉田ではなく、ジェニー役のROLLYが歌うというのは一体どういうことなのか。
ブロードゥエーでスティングがやったときも、賛否はあったがスティングが『マック・ザ・ナイフ』を歌った。主題歌を歌えないのなら、主役にする必要はない。
もっとも、吉田はホモ・セクシュアルには大変人気があるらしく、NHKの大河ドラマ『元禄繚乱』では、ライターの中島某がご執心で台詞を増やしてしまい、そのため主人公中村勘九郎(現勘三郎)のご機嫌を損ね、穴埋めにNHKは年末紅白歌合戦の司会を勘九郎にやらせたとか。

最近、世田谷パブリック・シアターは、吉田栄作や仲村トオルのような人気若手男優を出して若い女性の動員に結びつけようとしているようだが、余り感心できない営業方針だと思う。
やはり、芝居小屋は中身で観客動員を勝ち取るべきではないだろうか。

『黒の報告書』

2007年10月29日 | 映画
ツタヤにあったので借りる。
増村保造監督なので、『黒の試走車』のような産業スパイものだと思っていたら、増村得意の『妻は告白する』と同様の法廷劇で、最後まで二転三転の実に面白い傑作だった。

千葉の自宅で、東京の会社社長が殺される。
犯人は、元は社長の秘書で、社長の若妻近藤美恵子とできている神山繁で、社長から闇で預かっていた金と社長の妻との情事から。
若い検事宇津井健は、老刑事殿山泰治の助けを借りて捜査し証拠を固め裁判に臨む。
だが、老練な弁護士小沢栄太郎が現れ、関係者を買収して証人を偽証させて無罪を勝ち取ってしまう。

無罪判決で宇津井の東北への左遷の朝、途中で検事調書の証言を翻して偽証した社長の秘書で愛人の叶順子が来て、「自分は偽証罪で捕まっても良いから、神山、近藤らの悪人を捕まえて」と。
宇津井は、殿山に言う。
「また、人間を信じられそうだ。甘いかな」
増村は皮肉で辛らつな映画も作ったが、最後は人間、特に女の情念を信じていたことを示す作品だろう。
その辺が、晩年になるほど人間を信じなくなった中平康との差である。

『変奏曲』

2007年10月29日 | 映画
世の中にひどい映画は沢山あるが、この作品は日本映画史上おそらく最もリアリティのない「嘘映画」だろう。
なにしろ主演女優麻生れい子の台詞が余りにひどいというので、全部声優が吹き替えたというのだからすごい。
麻生れい子は、テレビに出ていたから良く憶えているが、ガラガラ声で下品な物言いだったが、それが上品できれいな声になっているのだから、およそ嘘にしか見えない。
そんなにひどかったら、女優を替えれば良かったのだが、この映画は麻生れい子の裸を見せるだけにしか意味がないので、それは不可能なのだ。
だが、今時の「巨乳」娘に比べれば、胸は極めて貧弱でほとんど栄養失調である。
この間の日本女性の体格の向上は大変なものだったのだ。

五木寛之の原作がどの程度のものかは知らないが、昭和30年代の日本で学生運動をしていてその後ずっとフランスにいた主人公佐藤亜土と、17年ぶりにパリで出会ったかつての恋人で、今は富豪(二谷英明のカメオ出演)の妻となっている麻生れい子とのフランスでの恋模様など嘘そのものとしか思えない。

佐藤亜土は、クラシックのソプラノ歌手佐藤美子の息子で画家で、ずっとフランスに住んでいた者で、勿論芝居は素人。
その素人と声優の芝居では映像にリアリティのある演技が生まれるべくもない。
ともかく、こえほどつまらない作品もまずないだろう。
一番傑作だったのは、やはり欧州に来て家具デザイナーとして成功した松橋登が愛人と一緒にいるところに出会い、互いの愛人を交換し、麻生が松橋と性交するところである。
松橋は、これしか感じないと言い、麻生を自宅のバルコニーに立たせたまま性交する。片足を上げてよがる麻生の表情の裏に港の船の汽笛が「ブオー」と聞こえる。
一瞬、私はオナラをしたのか、と思った。
全体が全くお笑いなのだ。
真面目にやっているのが実におかしいのである。
かつて日活の歴史的作品『狂った果実』で鮮烈に監督デビューした中平康にとっては、映画では遺作になる。
この作品の大失敗で、映画界からはお呼びでなくなり、テレビに行く。
最後は、アルコール中毒でベットに寝ながらの演出だったそうだ。
実に痛ましい最期である。
川崎市民ミュージアム。

5本のドキュメンタリーを見た

2007年10月26日 | 映画
東京国際映画祭の『映画が見た東京』特集の「ドキュメント東京」の5本を見たが、一番面白かったのは、昭和22年に東京都都市計画課が作った『20年後の東京』だった。

他は、NETテレビ(現テレビ朝日)の番組「日本発見シリーズ」で土本典昭が作ってお蔵入りした『東京都』と、それを各務洋一が再編集した『東京都』
この2本は、続けて上映され、私は土本版がお蔵入りしたことは知らなかったので、同じショットやナレーションの内容が似ているのでおかしいと思ったら、再編集版と原版だった。
1962年で、東京オリンピック直前の建設ブームの東京、特に西口開発が着手された新宿が出てくる。今はない新宿西口にあった美空ひばりから吉永小百合までが卒業した精華学園がある。畑と林だったところに建設したのに、いつの間にかすべてビルになってしまったのだそうだ。
また、各務版には若死した落語家春風亭柳朝の人形町末広での高座が、土本版には日劇での坂本九、ジェリー藤尾、森山加代子、渡辺トモ子らのロカビリーが出てくる。
土本、カメラマンの奥村昭夫らのトークショーの後、1958年に羽仁進、勅使河原宏らが海外向けに作った日本紹介映画『東京1958』
ほとんどがフランス語のナレーションだったので内容はよく分からず。パートカラーだが、これの画質がひどかった。
中でラジオの「素人ジャズのど自慢」が撮影されていて、司会が丹下きよ子。『セブンティーン』を歌った女の子はちよっと可愛いくて、合格したが、これはやらせだったのだろうか。
その後、優勝賞品の電気製品を下町の自宅に持ってくるところがすごい。大変な貧乏長屋なのだ。

その後の土本典昭のデビュー作『路上』は、タクシー運転手の目で見た東京だが、かなり芸術的な映画で、その後の『水俣』等の土本の作風とは随分違う。

問題の『20年後の東京』は、昭和22年、東京の焼け野原の空撮から始まり、これを「白地図に計画できる都市計画の千載一遇のまたとない機会」として始まる。
計画の目標は3つあり、まず1友愛の都 2楽しさの都 3太陽の都 と理想が謳われる。
戦後民主主義の最たるもので、友愛においては、日本の都市は封建時代の城郭が起源で民衆のものではないとし、相互友愛に基ずくべきとする。地域、さらに家には広場があり、そこで厚情を交わすのだそうだ。
さらに、地区計画として用途地域の区分が説かれ、交通、港湾、緑地等も計画的に配置されるべきが力説されている。
総じて、この計画者たちの理想は、ソ連のソフォーズ、コルフォーズ、後の中国人民公社のような共同体都市らしい。
本当に、20年後、すなわち昭和42年には、東京はオリンピックも経て、世界の大都市にになった。
だが、この計画の恐らく数パーセント程度しか実現しなかっただろう。
言うまでもなく、土地所有権の問題である。 
そんな都市ができなくて良かったと思う。
東京の魅力は、無秩序であり、無計画性なのだから。

梨田で平気か

2007年10月25日 | 野球
パ・リーグ優勝した日本ハムは、ヒルマン監督が予定どおりやめて、後任は元近鉄監督の梨田になったそうだ。
日本ハムは、札幌への移転など、長期的な球団経営のあるチームだが、本当に梨田で良いのだろうか。
確かに梨田は、近鉄で優勝しているが、監督期間中好成績だったのは、2001年の1回だけで他はあまり大したことなく、特別に監督として才能があるとは思えない。

来年、梨田監督で上手くいかなったったら、すぐにヘッド・コーチの白井一幸にすれば、またヒルマン監督のように勝つに違いない。
そこまで読んだ監督起用なのだろうか。
個人的は、そうなってほしいのだが。

『新・夫婦善哉』

2007年10月24日 | 映画
豊田四郎監督、森繁久弥、淡島千景主演でヒットした『夫婦善哉』の続編。
先日、フィルム・センターでもカメラの岡崎宏三の追悼で上映されたのだが、時間が合わず見られなかったが、これも前作同様にとても面白い。
原作に上司小剣の『鱧の皮』が加えられているらしいが、船場の大店の息子の森繁と雇女の淡島という関係は、織田作之助原作の前作と同じ。

船場の維康商店を勘当された森繁は、相変わらずぐうたらしていて妻の淡島に食わしてもらいながら、養蜂の事業化を夢見ている。
そして、ついには房州で養蜂をすると東京に行ってしまう。
養蜂は勿論口実で、若い女淡路恵子と下町で同棲している。
朝鮮人辻伊万里の二階に下宿し、淡路には兄の不動産屋小池朝雄がやって来るが、小池は兄ではなく、淡路のヒモである。
金持ちを引っ掛けるために淡路は大阪に行き、文無しの森繁を連れ帰ってしまったのだ。
小池、淡路、森繁の三角関係も傑作で、夏の夜、狭い部屋に3人で雑魚寝するが眠れず、仕方なく朝鮮人夫婦の内職アイスクリームのカップ作りを手伝うところなどは最高。
蝶子に惚れていて、浪花千栄子と若宮忠三郎夫妻が結婚を勧めるのが三木のり平だが、堅物巡査というのがおかしい。
豊田得意の皮肉なシーンが多く、森繁の娘中川ゆきが嫁入りの際に、隠れて会いに来た森繁に、中川が「立派な人になってね」などと言うところは総てが普通と逆で。
中川ゆきの婚約者医者の藤田まことの診療所に病気と偽って見に行くところも森繁の独演。

最後、金のために森繁と付き合っていたと見えた淡路も、本当は好きだったことが分かる。
また、改心して房州で養蜂に働いている森繁のところに淡島が来て、この「だめ男とそれに尽くす女」という構図が完結する。
その構図は、豊田の女性感であり、祈りなのだろう。
東京映画という別天地で、豊田四郎らの映画職人が、楽しんで作った大人の映画である。

夏休み映画会

2007年10月24日 | 映画
昭和30年の新東宝映画『たけくらべ』をビデオで見たが、これは公開当時に小学校の校庭で夏休み映画会として見たことがある。
昭和30年頃、学校、市民会館、公民館等の公共施設で盛んに映画会が行われていた。野外が多く、中には数千人を集める大規模なものもあり、そうしたものは実は戦前から新聞社等の主催で、遊園地や海水浴場等で行われてきたそうだ。

『たけくらべ』は、言うまでもなく樋口一葉の小説を八住利雄が脚色し、五所平之助が監督したもので、主演は美空ひばり、岸恵子の姉妹、ひばりの相手役の信如は北原隆、さらに正太は市川染五郎(現松本幸四郎)で、その他稲吉靖、服部哲治など、その後青春ドラマで見た連中が出ている。

下町出身でサイレント時代からの名監督五所なので、明治の時代表現が極めて細かい。
音楽が芥川也寸志だが、テーマのボレロのようなメロディーは、NHKテレビの大河ドラマの『赤穂浪士』と全く同じである。
勿論、この方が先なので、芥川はあのメロディーが余程好きだったのだろう。
この映画が製作されたとき、今井正も樋口一葉原作の『にごりえ』を作っており、言わば樋口作品競作だったので、今井のオムバスドラマの名作は、「十三夜」「わかれ道」「にごりえ」「おりき」「大つごもり」を脚色しているが、「にごりえ」は、入れていない。同業者としての配慮である。昔の人は偉かった。

『氾濫』

2007年10月22日 | 映画
原作は伊藤整のベストセラー小説で、白坂依志夫脚本、増村保造監督の昭和34年の大映映画。
増村は昔から大好きでほとんど見てきたが、これは余り上映されず、先週新杉田のTSUTAYAにあったので、早速借りてくる。
増村の作品の中でも、日本の現代社会を鳥瞰した傑作だった。
原作は所謂「全体小説」で、日本の社会全体を描こうとしたものだが、映画もかなり上手に再現している。

科学会社の地味な技術者だった佐分利信は、接着剤の発明で一躍有名になり、会社も彼を重役にする。
と、彼の周囲が一変する。
家には伊藤雄之助らの奇妙な華道の連中が出入りし、娘の若尾文子は国立大学の助手川崎敬三とでき、佐分利のところには戦時中に同棲した女教師の左幸子が子を連れて現れ、ついには貞淑な妻沢村貞子までが若尾のピアノ教師船越英二の餌食になってしまう。
最後、ドイツから会社が買って来た特許の改良を川崎にやらせるが、その手柄も国立大学の堕落した教授の中村伸郎に横取りされ、自分は重役を辞任して平技術者に戻る。
家を出て、左の家に行くが、左の言葉はみな嘘で、戦後疎開から家族が田舎から戻って来たとき、「自分を捨てて家族に戻ったあなたに私を愛する資格はないわ!」と突き放されてしまう。
この辺は、成瀬巳喜男の名作『浮雲』とその戦後篇である『妻として女として』によく似た構造である。

この映画は、昭和34年の時代という横軸と戦中・戦後という縦軸が見事に重なった「全体映画」になっている。
最後、佐分利は、元の研究室に戻り、職工の多々良純と冷酒をコップで飲む。
無事会社に入社した川崎は、若尾を捨て、重役の娘らしい金田一敦子と石油タンクの上で抱擁する。
増村と白坂ら戦後派世代は、「戦前派はもう終わりで、これからは我々の時代だ」と言っているように見える。だが、映画『殺したのは誰だ』で、「戦前派はもうお呼びでない」と宣言した監督中平康ほど単純には言っていないように私には思える。

公開当時、この映画はひどく誇張されたあり得ない話として批判されたようだ。
だが、その後の経済の高度成長とバブルを経た日本社会にとって、これは極めてありふれた物語のように見える。
こんなことは、当時日本の誰もが経験したことのように私には思えるからだ。
その意味で、これもまた実に先駆的、予知的な作品である。
増村はやはり面白い。

初めて面白い教室劇を見た

2007年10月21日 | 演劇
高校演劇のジャンルに「教室劇」がある。多分、高校演劇の70%くらいは、この教室劇だと思う。
教室劇は、教室の放課後を舞台に高校生が演じるドラマであるが、勿論教室に特別面白いドラマはあるはずもないので、大抵は退屈である。
友人同士で秘密をすぐに言わなかったとか、本当は最初から好きだ嫌いだった等のどうでもいい筋書きに終始する。

泉区民文化センターテアトル・フォンテで横浜高校演劇連盟の中央地区大会があり、予定が何もなかったので見に行く。
昼前の平沼高校の『マオウ』は、シューベルトの歌曲『魔王』をヒントにしたものらしいが、見たのが最後の20分くらいなのでコメントしないが、これも女子高生の自室で起きるもので、教室劇的なものらしかった。

昼食後の岸根高校の『空×虹』も、高校演劇部の話で、一人の生徒が引越しで部を辞めるのをすぐに友人に言わなかったことが唯一のドラマで、これは少々苦しかった。少々皮肉に言えば、普通の高校の普通の生徒の劇で、特徴に乏しかった

県立横浜緑ヶ丘は、井上ひさしの『父と暮らせば』を1時間に短縮したもの。
父と娘の二人だけの芝居だが、二人がよく稽古したらしくてなかなか上手く、きちんと演じていたのは感心した。
特に父親をやった男は、劇の辻萬長、映画の原田芳雄らとは全く異なる資質だが、庶民的な親父をよく表現していた。

そして、一番感心したのは、横浜共立学園の『雨の日の放課後に』だった。
これも、女子高の雨の日の午後の教室で、5人の生徒と二人の教師の劇。
ただし、ドラマの進行がきちんとしていて、また元ソフトボール部の筋肉女(横浜共立のような「お嬢さん学校」にこんな粗暴な女生徒がいるとは思えないが)や真面目な女子学生などが、役者たちに合わせて良く書き分けられていて退屈しなかった。
最後、元ソフトボール部は両親の離婚で高校中退することが分かり、真面目学生と和解する。
劇作も演出も生徒らしいが、なかなか上手くて演技も立派で、初めて教室劇で面白いものを見た。

『夢のシネマ・東京の夢』

2007年10月20日 | 東京
引き続き、吉田喜重監督のドキュメンタリー作品。
元は東京メトロポリタン・テレビ(東京MXテレビ)で発表されたもので、19世紀末に映画、すなわちシネマトグラフィアを発明したフランスのリミエール兄弟は、すぐに世界中にカメラマンを派遣し、映画を撮影させた。
その一人、ガブリエル・ベールはメキシコ、中南米の撮影の後、1998年日本に来る。

だが、その映像は特に面白いものでも、貴重なものでもない。
何故か、それはどうやら彼が、日本のような欧州から遠い国に対するエキゾシズムに疑問を持っていたらしいからだ。
それを象徴する映像として、吉田はベールが来日する2年前にメキシコで撮った大統領やインディオへのショットに見る。
インディオは撮影されるのを嫌い下を向いているが、後ろの白人がインディオの顔を上げるようにさせたとき、撮影を中止している。
そこから、吉田は映画、そしてカメラは暴力と権力の装置であると結論付ける。
これは、正しく、同じ松竹大船出身の大島渚も、映画が被写体への暴力であると書いている。

このベールが撮影したフィルムの中で一番興味深いのは、田舎の田圃で足踏みの水車を回す農民の写真とフィルムである。
褌姿の男とその隣にいる上半身裸の女を、吉田は冬枯れの中に裸は不自然として、当時すでにこうした撮影に応じる職業があったと言っている。
職業があったとは思えないが、西欧人の要望に応じ、気楽に演じた人間がいたのだろう。多分、それは大道芸人ではないだろうか。
ベールが来日したのは、パリ万国博での上映素材の撮影と明治天皇への映画の上映だったらしい。
だが、どちらも結局叶わず、パリ万国博では、海外映画の上映をやめたリミエールのためベールらの作品は上映されず、明治天皇への上映はできず、皇太子、つまり大正天皇に天覧されたらしい。

映像中に、私の実家の池上本門寺が出てくる。
政府の密偵・高橋明がベールの人力車を追うシーンである。よく見えないが、東京で唯一の五重塔がある。
ここは、本門寺から上野寛永寺周辺へとつながれている。

このドキュメンタリーで最も面白いのは、監督吉田喜重のナレーションである。
抑揚がなく、棒読みのような独特のナレーションは実に作品にふさわしい。
一度聞いたら、絶対に忘れられない読み方である。


『小津さんの映画』

2007年10月19日 | 映画
監督吉田喜重が語る小津安二郎映画である。
吉田喜重も小津も松竹大船撮影所にいて、共に監督としてかなり意識していたらしい。
有名なのは、正月の監督会の宴会で小津が吉田に酔って絡んだというエピソードである。
松竹ヌーベルバーグの一人として作品を発表していた吉田のところに小津は来て、「映画監督は、橋の下でこもを持ち男が来るのを待っている娼婦みたいなものだ」と言ったそうだ。
実に小津らしい韜晦した言い方である。

吉田は、サイレント時代の作品から晩年の作品までを紹介し、小津の映画は「現実の無秩序に秩序を与える映画」と言っている。
確かに小津の映画の持つ秩序はすごいもので、何も中身がないのにスタイルだけで秩序を作り出している。
この辺は、スタイルがやや似ている成瀬巳喜男との大きな違いで、成瀬は無秩序の現実になんの意味も与えない。
スタイルは似ているように見え、小津安二郎と成瀬巳喜男は全く異なる傾向の監督なのだ。

やはり日ハム対中日だろう

2007年10月19日 | 野球
パ・リーグのクライマックス・シリーズは日本ハムがロッテに勝ち、日本シリーズへの出場を決め、セ・リーグは中日が巨人を破った。
こうなると、最後はやはり日本ハム、中日だろう。
去年と同じでつまらないという話があるだろうが、強いのだから仕方がない。
そして、日本シリーズは日本ハムだろう。

『蜜の味』

2007年10月17日 | 映画
トニー・リチャードソン監督のイギリス・フリー・シネマの1961年の作品。
昔見ていたと思っていたが、見ていなかったので、ビデオを買って見る。
見たと思い込んでいたのは、原作のシーラ・デラニーの戯曲を読んで大感激しているからで、このデラニーが10代で書いた劇は大傑作なのだ。
映画は、ワンセットで総てが行われる戯曲と大分異なり、映画の大部分は外で演じられる。
最後は、戯曲と同じく救いようのない結末だが、主人公ジョーの孤独さが胸に響く。内容はイギリスの下層階級の少女の話で、日本で言えば『キューポラのある町』だが、もっとリアルで美しい。
ジョーを演じた女優リタ・トウシンハムは、1960年代にイギリス映画に出ていた実におかしな顔の女優だが、主人公の悲しさを良く演じている。

監督のトニー・リチャードソンは、女優バーネッサ・レンドグレーブと結婚していたが、カトリーヌ・ドヌーブとも浮名を流し最後はレッドグレーブと離婚したが、この映画でも黒人の船員の子を妊娠してしまった少女をやさしく扱う男に、ホモの少年が出てくる。
トニー・リチャードソンは、最後はエイズで死んだので、この頃からホモ・セクシュアル的傾向があったのだろうか。