昨日、NHKで西南戦争の特集をやっていたが、これに年令を偽って参加した男がいる。
それは、軍事オタクだった「日高藤吉郎」で、彼は17歳だったのに年を偽って陸軍に入り、明治10年に起きた西南戦争に従軍したのである。
そして彼は、東京に戻った後、陸軍を退職し、いろいろな事業をやって大金を得て、日本体操学校と日本体育会を作る。
ここにナンバー2として参加したのは、日高氏の部下だった黒澤明の父黒澤勇氏なのである。
日本体育会と言っても、現在の体協とは何の関係もない、ただの任意団体の会であり、今でいえばスポーツ・クラブのようなものである。
これは私の推測だが、日高氏にとって、西南戦争での体験があったと思う。
戦争は、新政府軍の充実してゆく装備で西郷軍に勝つが、元士族の西郷軍の兵士と明治政府軍の兵士の農民兵との体格と訓練の差を、日高氏は痛感したに違いないと思う。
そこで彼は、強壮な兵士を作る場として日本体育学校を作るのであり、同様に秋田から出て来て学歴も伝手もない黒澤勇氏も、このまま陸軍にいても出世の道はないと思い、日高氏について行ったのである。
そこでの黒澤勇氏の地位は結構高いもので、上流の子弟が通う北品川の森村学園に、黒澤明の兄や姉は通学していたのだから、かなり裕福だったのだろう。
北品川にあった森村学園は、1970年代に横浜に移転し、跡地は高級マンションになり、新婚の三浦友和・山口百恵夫妻も住んでいた。
だが、大正3年、黒澤家は、一転して貧困に転落する。
大正2年に開催された、「大正博覧会」への日本体育会の出展の大赤字の責任を取らされて黒澤勇氏は、理事を解任されたからである。
だから、黒澤明も、私立の森村学園から文京区の公立小学校に転校している。
映画『夢』の2話目の、「桃祭り」の大きな屋敷は嘘で、黒澤勇氏が日本体育会にいた時代は、会の大井の官舎に住んでいて、首になってからは長屋住まいのようなものだったはずだからである。
あれは、黒澤家が裕福だったと思いたい黒澤明の願望だと言えるだろう。