指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

年を偽って西南戦争に参加した男は・・・

2018年11月30日 | 映画

昨日、NHKで西南戦争の特集をやっていたが、これに年令を偽って参加した男がいる。

それは、軍事オタクだった「日高藤吉郎」で、彼は17歳だったのに年を偽って陸軍に入り、明治10年に起きた西南戦争に従軍したのである。

そして彼は、東京に戻った後、陸軍を退職し、いろいろな事業をやって大金を得て、日本体操学校と日本体育会を作る。

ここにナンバー2として参加したのは、日高氏の部下だった黒澤明の父黒澤勇氏なのである。

日本体育会と言っても、現在の体協とは何の関係もない、ただの任意団体の会であり、今でいえばスポーツ・クラブのようなものである。

これは私の推測だが、日高氏にとって、西南戦争での体験があったと思う。

        

戦争は、新政府軍の充実してゆく装備で西郷軍に勝つが、元士族の西郷軍の兵士と明治政府軍の兵士の農民兵との体格と訓練の差を、日高氏は痛感したに違いないと思う。

そこで彼は、強壮な兵士を作る場として日本体育学校を作るのであり、同様に秋田から出て来て学歴も伝手もない黒澤勇氏も、このまま陸軍にいても出世の道はないと思い、日高氏について行ったのである。

そこでの黒澤勇氏の地位は結構高いもので、上流の子弟が通う北品川の森村学園に、黒澤明の兄や姉は通学していたのだから、かなり裕福だったのだろう。

北品川にあった森村学園は、1970年代に横浜に移転し、跡地は高級マンションになり、新婚の三浦友和・山口百恵夫妻も住んでいた。

だが、大正3年、黒澤家は、一転して貧困に転落する。

大正2年に開催された、「大正博覧会」への日本体育会の出展の大赤字の責任を取らされて黒澤勇氏は、理事を解任されたからである。

だから、黒澤明も、私立の森村学園から文京区の公立小学校に転校している。

映画『夢』の2話目の、「桃祭り」の大きな屋敷は嘘で、黒澤勇氏が日本体育会にいた時代は、会の大井の官舎に住んでいて、首になってからは長屋住まいのようなものだったはずだからである。

あれは、黒澤家が裕福だったと思いたい黒澤明の願望だと言えるだろう。

 

 

 

 

 


津軽と沖縄の民謡は

2018年11月29日 | 大衆芸能

月曜日は、両角さんと小島さんの「よろず長屋」で、土生みさおさんの津軽ジョンガラ節を聞く。

           

高橋竹山のLPも持っているが、ジョンガラを生で聴くのは初めてだったが非常に感動した。

そして感じたのは、津軽民謡と沖縄は、日本に残る縄文文化ではないかと言うことだ。

また、沖縄音楽にアメリカが大きな影響を与えているように、ジョンガラ節の名人の一人だった白川氏は、三沢基地からの米軍放送を聞き、その影響を受けているというのだ。

このジョンガラ節を聞いて思うのは、かつて日本全土を覆っていた縄文文化の強さ、豊穣さである。

それは、北方アジアから来た弥生文化によって北と南に追われたのではないかと思ったのである。


『故郷』

2018年11月28日 | 映画

昨日に続き、山田洋次監督作品。見るのは初めてで、瀬戸内海の小島で木造船で石を運搬する井川比佐志と倍賞千恵子夫婦の話で、父親は笠智衆。

                         

木造船による石の運搬は、福山の日本鋼管の埋立などでは繁盛したらしいが、トラック輸送と鋼鉄船の普及で廃業に追い込まれている。

劇中に俳優ではない男たちの集まりの様子が挿入されているが、転廃業等への会議なのだろうが、この地方の言葉なので、ほとんど何を言っているか分からない。

エンジンが故障し、木造の船体の改修を工場主に相談すると「最低でも100万円」とのことで、到底不可能。

井川は、以前から声を掛けられていた尾道の造船所を見学に行き、船を運営することを諦める。

そして、井川と倍賞、さらに二人の子供は島を出ることになり、笠智衆は一人島に残る。

海産物等を小型トラックで売りに廻る商店の親父が渥美清で、これまた上手い。

これも、脚本は宮崎晃と共同で、おそらく宮崎が現地を取材して、元の脚本を書き、山田が仕上げたのだと思う。

故郷とは実に皮肉で、中国東北部(旧満州)生まれで、故郷喪失者の山田洋次にとっては、

「この島のように、本当に良い故郷を捨てて都会等に移動するのか、俺は故郷に行くこともできないに」という思いのような気がする。

『男はつらいよ』で、謳歌したのは一種の「故郷賛美」なのだから。

NHKBS


『家族』を見た翌日に、宮崎晃の訃報が出ていた

2018年11月27日 | 映画

昨日の午後は、、用があって外に出られずNHK BSで『家族』を見る。結構名画座等でやって見たので、3回目だと思う。

私は、山田洋次映画はあまり好きではないが、この1970年の作品は、長崎の炭鉱の小島から北海道の中標津に移住する井川比佐志・倍賞千恵子一家を描くもの。途中は大阪万博も出てくる。

最後、やっとのことで牧場に着き、しかしすぐに死んでしまう祖父が笠智衆。

               

2025年に大阪でやることになった万国博覧会だが、1970年のは国民的な大イベントで、映画界でも市川崑や松本俊夫ら多くの監督が映像展示に参加した割には、これを取り入れた作品はほとんどなく、その意味でも貴重な作品である。

長崎の伊王島から北海道の中士別に行くロード・ムービーだが、山田洋次と松竹のお力で、多くの俳優が出ていて、豪華である。

まず、島で金貸しをやっているスケベな親父で、花沢徳衛。福山にいる次男が前田吟。

上野駅では、ハナ肇と植木等以外のクレイジー・キャッツ(植木は、東宝とナベプロの契約で東宝以外には出ない)、上野の旅館の親父で森川信、青函連絡船の船中には渥美清と、この二人は本当に面白いね。

北海道の列車の中で春川ますみ、そして中標津の牧場では塚本信夫。

全体にドキュメンタリー的で、山田洋次の演出のやりすぎがないので平静に見ることができるが、これは脚本の宮崎晃の力のように思う。

今日の新聞を見ると宮崎の訃報が出ていた。84歳。

松竹で結構ユニークな作品を作っていた作家のご冥福をお祈りする。


慶応のプールがなくなっていた

2018年11月25日 | 音楽

昨日は、日本ポピュラー音楽学会の大会が開催されたので、日吉の慶応大学に行く。

ここに行くのは、たぶん1966年春の文学部受験以来で、大きく変わっていたのに驚く。その前に、中学受験でも来ているが、これももちろん落ちたのである。

一番変わったのは、入口の街路樹脇にあった屋外プールがなくなっていたこと。

1960年代前半、東京都城南地区にはプールは少なく、公営で安いのは神宮プールで、高いのが後楽園プールだった。中で日吉の慶応大プールは値段も安く、きれいで快適だった。

本当にそんなものがあったのかと思うなら、石原裕次郎、芦川いづみの『あいつと私』を見るとよい。

この中平康がまだ良かった時の娯楽作は、1960年安保を背景にしていて、その冒頭で裕次郎は慶応プールに突き飛ばされ、女装してキャンパスを歩き、服装を変えるために芦川いづみの家に行く。

                               

ここが凄い美女家族で、母は轟夕起子、長女は芦川、次女は吉永小百合、三女は酒井和歌子なのだ。

ついでに言うと、祖母は細川ちか子で、女装の裕次郎を見て

「おや、これがおカマやサンですか!」と言う。 在学生に聞いたら、屋内にプールはあるそうだ。

初日なので、個人発表を聞く。

最初は、中国の研究者劉さんの「戦前の大連放送局の流行歌放送」で、戦前、満州電電のケーブルを使って国内放送も中継されていた他、大連の放送も作られていたとのこと。森繁久弥のことはご存じなかったので、彼の伝記について話しておく。

2本目は、金沢区在住の島倉さんの、「太平洋航路における「船の学士」の軽音楽受容」で、東洋汽船、日本郵船の客船の中での楽師の音楽曲目についてで、非常に面白かった。特に驚いたのは、東洋音楽学校、現在の東京音楽大学の卒業生を日本郵船の船は多く採用していた。その理由は、当時東洋音楽学校を出ても、学校の音楽教師にはなれなかったので、その就職先として船の楽師があったというのだ。

音楽教師になるには、東洋音楽学校を出た後、東京芸大を出る必要があり、言わば予備校的な存在でもあったというのだ。

これは、黒澤明の父黒澤勇氏がいた日本体育学校でも起きていたことだった。日本体育学校は、その趣旨は強壮な兵隊を作るものだったので、教師などは関係なかったのだ。だが、これでは生徒が来ないとのことで、二代目の経営者は非常に頑張って教師になれる道を開き、生徒を多く集めることに成功したのだ。

3本目は、東京芸大の加藤さんの「1970年代以降のジャズフェスティバル」で、戦前からの日本のジャズフェスティバルを辿る有意義な発表。私は、高校生と時、行った「1964年の世界ジャズフェスティが日本に於けるポピュラー音楽のフェスティバルの嚆矢だろう」と言っておく。

そこでは、専門家によるジャズについての議論の場も開かれるなどもあり、この時録音された『マイルス・イン・トーキョー』は、1960年代にジャズ喫茶に行くと、一日1回はリクエストがあり、かかったものだ。

最後は、同じく芸大の澤田さんによる、「本土復帰前後の沖縄のロック」で、喜屋武マリー、ジョージ・紫、宮永英一らの軌跡を辿るもの。沖縄の音楽の独自性をよく描いたものだった。こうした沖縄の音楽の試行錯誤の上に、1980年代の喜納昌吉以降の沖縄音楽の大成功だったと思う。

書くことはいろいろあるが、時間がないのでまた書く。


『黒い潮』

2018年11月24日 | 映画

1949年に起こった下山事件を描いた作品で、原作は井上靖、脚本菊島隆三、監督は山村聡、1954年に製作再開した日活で最初にヒットした作品である。

見るのは多分3度目だが、非常によくできているのに感心し、ラスト近く、津島恵子が、福岡に左遷される山村に対して「私を連れて行ってください」と言うところでは初めて感動した。

国鉄総裁だった下山氏、ここでは秋山総裁、が行方不明になり、国鉄の亀有・綾瀬間の鉄道線路の上で轢断死体で発見される。

これは、他殺なのか自殺なのかは、新聞社でも見解が分かれ、中で唯一毎日新聞が自殺説を取り、その中心人物の山村を描くが、周囲の人間が素晴らしい。滝澤修、東野英次郎、千田是也、青山杉作などだが、自殺説に懐疑的な重役の一人として石黒達也も出ている。最初から自殺説の叩き上げの刑事が石山健二郎で、この人もいい役者だったなと思う。平の記者としては、信欣三、芦田伸介、下元勉らの民芸の俳優も出ているが、出ていないのは宇野重吉くらいだろう。

                    

山村の演出は、さすがに元新劇(文化座)出なので、実に淡々として行くが、最後で一気に盛り上げている。

「ついに死んだぞ」という台詞があり、なんだと思うと六代目尾上菊五郎の死で、「これで歌舞伎も終わりだな」と言う。だが、現実はまったく逆で、今や瀕死なのは、歌舞伎ではなく新劇の方であるとは非常な皮肉。

女子事務員の左幸子の他、「こども」とよばれる少年の使い走りがいて、定時制高校生だと思うが、つい最近までこうした非正規労働者を新聞社をはじめ多くの大企業でも使っていたことが分かる。

この事件はノイローゼによる自殺だと私は思うが、当時は国鉄総裁のような社会的に地位の高い人が自殺するとは思われいなかったので、他殺説が有力になったのだと思う。

松本清張は、『日本の黒い霧』では、米軍関係者による他殺説を取り、それに準拠した熊井啓の映画『謀殺・下山事件』もあるが、本当に困ったものである。

国立映画アーカイブ


『江戸城大乱』

2018年11月22日 | 映画

1991年に公開された東映とフジテレビによる時代劇映画。監督は舛田利雄なので、派手なアクションの見せ場も多く、最後まで見せる。

徳川4代将軍家綱は病弱で世継ぎがなく、家光の三男綱重に後継が決まり、堀田正俊は甲府に迎えに行くが、賊に襲われて綱重は暗殺されてしまう。では、その弟の舘林の徳川綱吉にとなるが、大老の酒井忠清は反対し、尾張や紀州の当主を候補にしようとする。

堀田は、桂昌院と協力して綱吉を5代将軍にすることができる。

酒井は、松方弘樹で、堀田は三浦友和、桂昌院は十朱幸代、派手なアクションシーンが多く、こんなことがこの時代にあったのかと思うが、映画なので良いだろう。

                                  

松方が悪役で、娯楽映画では、悪役が良くないと面白くないが、ここでは松方が大悪人を嬉々として演じているので面白い。

家綱が金田賢一、綱吉は坂上忍、綱重は神田正輝だが、時代劇の扮装とメークなので誰かがよくわからない。

また、老中には加藤武、江原真二郎、神山茂、また水戸の徳川光圀が丹波哲郎、尾張の徳川光友は金子信夫とベテランを配しているのはさすがに舛田利雄である。

徳川光圀が丹波哲郎だが、丹波の水戸黄門は面白かっただろうなと思った。

チャンネルNECO


『絢爛たる復讐』

2018年11月19日 | 映画

1946年の小石栄一監督の大映映画。

時代は明確ではないが、トルストイの『復活』を上演している劇団の話なので、大正時代だろう。

           

地方に来て恋仲になった人気俳優の小柴幹治を慕って、純情な娘の槙芙佐子が上京して劇団に来るが、小柴は『復活』のカチューシャ役の村田知恵子と熱愛していて、槙はまったく相手にしない。

劇団の演出家は月形竜之介で、背広姿の月形は珍しいが、演技はやはり上手い。

カチューシャは本来純情な女なのだが、「多情で淫婦のような村田では劇が壊れる」と月形は、村田と小柴を厳しく指導する。

すると村田はある日、幕間で居なくなってしまう。困った劇団は、月形の強い指示で槙を村田の代役に立てて舞台は大成功する。

「これで絢爛たる復讐なの」と思うが、欧米のサスペンスやミステリー小説が読まれていなかった当時では、こんなものだったのだろう。

木村威夫の美術は、元は幕内だった経験を生かして舞台裏の世界を上手く描いていると思う。作品に出てくる劇場は、昔の有楽座あたりをモデルにしているのだと思う。

中で劇団の俳優で小林桂樹に似た俳優がいたなと思ったら、やはり小林だった。大映時代の、東宝に移る前の小林桂樹だった。

国立映画アーカイブ

 

 


『夢見るように眠りたい』

2018年11月19日 | 図書館

『夢見るように眠りたい』は、林海象監督の1作目で、結構話題になっていたがみていなかったので見る。感想は、ダイアローグ映画と言うことで、三島由紀夫の『憂国』に似ているだった。

もう一つは、探偵が依頼者から失踪人探しを依頼されて迷宮に入るというのは、1960年代のアングラ劇によくあった。俳優も黒テントの小篠一成、福原一臣、状況劇場の十貫寺梅軒などが出ていて、主役の佐野史郎は元状況劇場である。

                 

映画製作について何も知らなかった林は、伝手を辿って木村威夫宅に行き、映画の趣旨を話し、金もないので駄目だと思っていたが翌日、

「面白い、やるよ」との電話があったそうだ。

それは、木村威夫が若いころいた新劇の世界が、この映画のような実験的な世界だったからだと思う。現在では誤解されているようだが、戦前、昭和初期の新劇は、戦後のようなリアリズム一辺倒ではなく、ソ連やドイツ演劇に影響を受けた前衛的で実験的な表現だった。

木村さんはとても面白い人で、「俺は150歳まで生きるような気がする」とか、

日活をやめてフリーになったのは、「ある日枕元に神様が来て、フリーと言った」からだそうだとは笑えるが実に面白い人である。

私も、木村威夫さんには一度だけ話したことがある。

川崎市民ミュージアムで松本俊夫の『ドグラマグラ』が上映された後、入り口に立っていた木村さんに、「鈴木清順の『殺しの烙印』のレンガの洞窟等はどこか」聞くと、即座に「お台場だよ」と教えてくれた。私は、鈴木清順なので、『殺しの烙印』の美術も木村さんだと思い込んでいたが、木村さんではなく、川原賢三だったのだが、実に親切な人だった。

国立映画アーカイブ

 


『夢のまにまに』

2018年11月17日 | 映画

2008年に製作された木村威夫の長編劇映画。日活芸術学院の学長を務めていた時のことを基にしているようだ。

木村の役の木室は長門裕之、妻は有馬稲子、元友人たちは宮沢りえと永瀬正敏となかなか豪華な配役だが、要はプライベートフィルムの一つである。晩年の黒澤明の映画もプライベートフィルムと言われることがあるが、これは黒澤よりも優越しているところが一つだけある。

それは、「カット尻」が短いことで、黒澤の晩年の作品がみなそれが長く、老人のくどさにしか見えなかったことだが、ここにはなくすぐ次のシーンに行く。

                 

学院に来て修行するが精神を病み上手くいかず、熊本の故郷に帰郷して最後は自殺する若い男が出てくる。

スタジオでの木室の院長就任祝賀会で、戦前の木村の美術作品の一つの『夜のプラットフォーム』を歌うが、非常に上手いので驚くが、なんと井上芳雄だった。

彼の母親は桃井かおりだが、全体として宮沢りえの美しさが光る。

国立映画アーカイブ


「武士道」ができたのは、江戸中期以後だった

2018年11月15日 | 映画

滋賀の自衛隊の饗庭野演習場で、実弾が場外に出て、一般人の車に被害があったそうだ。

この饗場野と言えば、関西の戦争映画や時代劇での戦闘シーンでよく使われた場所であり、関東で言えば御殿場のようなところである。

東映の中村錦之助主演の『宮本武蔵』シリーズもそうで、宝蔵院流の連中と闘う第2部の『般若坂の決闘』は明らかに饗場野と分かるが、第4部の『一乗寺の決闘』もそうなのだそうだ。

                                              

だが、あの「宮本武蔵シリーズ」で分かるのは、武蔵の勝ちは、ほとんど「だまし討ち」であり、「武士道」の正々堂々の戦いではなかったことだ。

それは、当然で死ぬか生きるかの時に、正々堂々の戦いなどありえないだろう。

「武士道」なるものが言われるのは、皮肉にも世の中が平和になり、剣での戦いがほとんどなくなった江戸中期以後で、かの『葉隠』も、その時代に創作されたのである。


『吉野の盗賊』

2018年11月14日 | 映画

1955年、松竹京都で作られた高田幸吉主演の時代劇。監督は大曽根辰保、脚本は八住利雄だが、原作は新劇の久保栄である。

要は、前年の東宝の『七人の侍』の成功に刺激されて作られた大型時代劇であり、多数の人馬が出てくる。

原作の久保栄の『吉野の群盗』は、ドイツのフリードリッヒ・シラーの『群盗』から刺激されたものである。

もともと黒澤明の映画『七人の侍』の元は、黒澤自身が書いているように、三好十郎が原作を書き、滝澤英輔監督で、黒澤がセカンド助監督だった『戦国野盗伝』なのである。

つまり、この高田幸吉映画は、久保栄、三好十郎と言う左翼劇作家を挟んで同根なのである。

ただ、ここで重要なことは、室町末期、細川管領の下で奈良の領主を務める鏑木家の当主御橋公には息子が二人いて、正義派の長男は高田幸吉だが、次男の鶴田浩二はひねくれものの悪人である。

この二人の対立、さらに高田の許嫁の姫・久我美子への鶴田の横恋慕が主題である。

                   

鶴田の悪役と言うのは珍しいが、それもそのはず鶴田浩二は、もともと高田幸吉劇団にいて、彼の弟子だったのだから悪役も喜んで演じているのだと思う。見ていると演技がよく似ているのに気づく。

また、高田は、時代の飢饉、百姓の困窮に対する細川や代官等の無策と贅沢から、こうした権力側に疑問を持つ。そして、山形勲と近衛十四郎を首領とする盗賊の群れに入り彼らの力で貧民を救おうとするが、それは自分の家や父への反逆になるので苦悶する。

これは、札幌の富裕な家に生まれながら、プロレタリア劇作家として天皇制国家に反逆した久保栄自身の苦悶のように思える。

久保栄は、劇作家として大変に素晴らしく、また演劇批評も鋭い人で、非常に真面目だったようで、この辺には彼の苦悩が出ているように思える。彼は、ついにはうつ病になり自死してしまうのである。

映画の最後、高田幸吉は代官の軍の手で死ぬが、その時彼は言う、

「われらは死ぬが、第二、第三の盗賊がてくるぞ!」

今の日本は久保栄の思いのようになっているのだろうか。

衛星劇場

 


『大空の誓い』

2018年11月12日 | 映画

1952年、羽田空港に米国人の機長ロバート・フレミングのミッチェルが来て、東京の町で「西田と言う男を探したい」といい、その住所の場所に行くが、邸宅は焼け落ちていて行方不明。彼と西田も戦時中は戦闘機乗りで、南方で空中戦になり、共に孤島に墜落して無人島で生きていたというのだ。

                            

こんなことはあったのかなと思うが、後に三船敏郎とリー・マービンの共演の『太平洋の地獄』という映画もあったのだから、これに類した実話はあったのかもしれない。

脚本は菊島隆三なのだが、筋に偶然が多く、西田は上原謙で暴露新聞の編集長で、造船所を乗っ取る経済人、政治家、政界の黒幕等を暴くが、その悪人経済人の娘が久慈あさみで、上原と恋仲になる。

要はロミオとジュリエットだが、それをミッチェルが仲を取り持ってくれてハッピーエンドになる。

要は、この年のサンフランシスコ平和条約締結を目指して日米は友好を深めようという趣旨のように見えるが、監督の阿部豊の真意はどこにあったのだろうかと思う。

というのも、サイレント時代にハリウッド帰りで、ジャッキー・阿部と言われ、日本の監督で最初に自家用車を持った(無論、外車)と言われ、バタ臭い監督だったが、戦争が始まると戦意高揚映画に転向してしまう。そして、戦後も『戦艦大和』や『日本敗れず』で愛国心を鼓舞していたのだから。この日米友好は本心なのだろうかと思う。

もっとも、晩年は相当に落剝していたと丹波哲郎の本に書いてあったが、その意味では時代に翻弄された映画関係者の一人だったのだろう。

衛星劇場


『雑居家族』

2018年11月11日 | 映画

女性作家の轟夕起子の家に起こる様々な日常的な事件を描く、庶民映画。

夫は織田政男で、本当は詩人なのだが、サラリーマンで一家を支えている。轟は、流行作家で、家で小説を書くのだが、故郷の小豆島から親戚の娘左幸子がいきなり出て来て、混乱を起こす。

轟は、子を産めない体で、自分の子でない男女を引き取り育てている。

            

轟の姉の元夫の伊藤雄之助も傑作な男で、元は二枚目だったらしいが、戦争で頭をやられたのか、稼ぎが全くなく、妻の飯田兆子らに馬鹿にされている一文無しで、轟の家に来ては誰にでも小銭を借りる始末。

左は、実は妊娠していて、その無軌道ぶりには轟も呆れるが、人の良い、轟も織田も結局は左を許し、皆元気に生きていく。

その悲喜劇は、ほとんど落語的で、戦前から経済の高度成長時代までの庶民世界は、江戸時代とほとんど変わりのないものであったことがよくわかる。

頬の手術以前の宍戸錠が、これまた親戚の子で居候する大学生に扮していて笑える。

木村威夫の美術は、世田谷の梅が丘の丘陵を利用して本物の家を建てている。日活は本当に金があったのだなと思う。

国立映画アーカイブ


BSは、なぜ小雨に弱いのか

2018年11月10日 | テレビ

午前中は、フランシス・レイを追悼して『危険なめぐりあい』を見て、雨模様なので隣のコンビニの饅頭で昼食を済ませ、テレビをザッピングしていると、少女が舞台で歌い、踊っている。

「何がジェーンに起こったか」だとすぐに録画する。

非常に変な映画だが、画面の力は凄くて、見いってしまう。

だが、途中から画面にノイズが入る。内のBSは、雨、特に小雨に弱く、ノイズが入るのだ。

最後の海岸のシーンもノイズでよく見えなかったのは、非常に残念。

         

これは、少女時代は人気子役だったが、1930年代になると演技がだめで没落した妹と逆に演技派女優になった姉との確執を描くものである。

これは、トーキーになって台詞がだめだった俳優のことを題材としていると思う。日本でもトーキー以後は、新劇の役者がトーキー以後は多く起用されるようになったのは、この台詞の問題だったのだ。

以前、JCOMにも来て見てもらい、管理会社にも連絡したが、だめなようだ。

8Kに替わるときに、ブースターを入れるしかないのだろうと思う。