指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『山麓』

2006年10月29日 | 映画
あこぎな母親山田五十鈴が中心の家の4姉妹(扇千景、淡島千景、岩崎加根子、三田佳子)の結婚と幸福の話。
三田は、製薬会社のセールスマン千葉真一と好き合っているが、金がすべての山田は、公認会計士渡辺文雄との結婚をすすめる。

山田は、戦後事業に失敗し、何もしない夫の笠知衆に代わり、娘を金満家たちに嫁がせ家を保持している。
次女淡島千景の夫西村晃からは、仕送りをして貰い、自分は優雅な生活をしている。
この山田の自己中心的な金の亡者ぶりがすごくて笑える。
娘よりきれいでいたいため、夫ともセックスしないのだからすごい。
3女の岩崎は、山田に反発し、駆け落ちして国鉄機関手の南広と一緒になった。

淡島が西村の不貞(愛人はキャバレー女給八代万智子)に家出すると、西村は淡島の着物を送り返してくる。
そのときの山田の台詞。
「嫁に持って行かせた着物しか返してよこさないね」

最後、山田のあまりのやり方に笠は家出し八ヶ岳で自殺しようとする。
山田も改心し、淡島は本当は好きだった気象学者木村功と結ばれ、三田は千葉との結婚を選ぶことで終わる。
長女で丹波哲郎と幸福な生活を送っているのは、何と扇千景議員。
全体としては、家や金の結婚よりも、好き合った同士の恋愛結婚が正しいという昭和30年代の自由主義イデオロギーを鼓舞する作品。
ラピュタ阿佐ヶ谷

著作権保護期間の延長は本当に良いことか

2006年10月29日 | 著作権
先日、共同通信系(神奈川新聞)に評論家永江朗氏が、保護期間の延長について書いていた。

今回、サン・テクジュペリの期間が死後50年を過ぎ、『星の王子さま』の多くの新訳がでたことを積極的に評価したもの。
その通りだと同感する。
著作権の保護期間を延長すれば、一概に良いとは言えない。
三田誠広は、きちんと読んだだろうか。

戦争がなくなると

2006年10月28日 | 政治
パプア・ニューギニアで、1990年代まで部族間戦争があったことは、すでに書いた。今はなくなったが、新たな問題もあるそうだ。
戦争をしている時代は、男は外敵から女子供を守るという明確な役割があった。
だが、戦争がなくなると、男は役割、目的がなくなり、困っているのだそうだ。

それは、現代社会の問題の象徴のようにも思える。
先進国の社会では、男は戦争の代わりになにを役割としているのだろうか。

蕎麦はいつから

2006年10月25日 | その他
少し用があったので、早目に家に戻りテレビを点けると、『水戸黄門』をやっていて、蕎麦を食べているシーンがあった。

だが、黄門様が活躍された江戸初期には、まだ蕎麦はなかったのである。
蕎麦は、ご存知のように小麦粉を混ぜて打って伸ばすわけだが、こうした技術はかなり時代がたってからだそうで、元禄時代には現在のような麺の蕎麦はなく、「そばがき」で食べたのだそうだ。

だから、忠臣蔵で赤穂浪士が蕎麦屋の二階に集合し、吉良邸に討ち入りに行ったというのも、勿論ウソなのである。
第一、江戸時代の初期に47人も入れるような大建築物があるはずもないのである。

時代劇の江戸は、ほとんどが幕末の風俗と思えば良い。
歌舞伎の大狂言作者、河竹黙阿弥の狂言の大半は、なんと明治時代になったから書かれたものなのである。

『ココダ前線』

2006年10月25日 | 政治
パプア・ニューギニアでのオーストラリア軍と日本軍との戦いを本国に知らせたニュース映画。「シネサウンド・レビュー」という、日曜日の『ニュースフロント』で描かれたニュース映画そのもの。

ココダとは、東ニューギニアの地域(当時はオーストラリア領)で、近くのニューブリテン島ラバウルを防衛するため、日本軍は大山脈を越え、要衝ポートモレスビーを攻略しようとした。
これは、ジャングルの大山脈を徒歩で踏破するを大変無謀な作戦だった。
オーストラリア軍は、勇敢に反攻する。大規模な空輸作戦で歩兵行を支援するが、勿論日本軍にはそんなものはなかった。
厳しい戦いを知らせたもの。

従軍カメラマンが再三言う。
「日本人は危険で勇敢である」
戦時下の報道だが、かなり正確で、誇張とウソばかりだった日本の報道とは相当に違う。
欧米の報道は、実態を正確に知らせ、そのことで国民の戦意を鼓舞するのが方針だったようだ。

ニューギニアの現地人の協力へのコメントが笑える。
「彼ら、皮膚は黒いが、心は白い」
フィルム・センター

『ジャパニーズ・ストーリー』

2006年10月25日 | 映画
先週に続くオーストラリア映画。日本人松永を嫌々ガイドした女性地質学者サンディは、砂漠の中で孤立させられる。
そのとき日本人ビジネスマンの頑張りで危機を脱出でき、彼の心情を理解し結ばれる。
しばし、二人は幸福なときを過ごすが、彼は池に飛び込み、何故か心臓麻痺で急死してしまう。大慌てにすべてを忘れるサンディ。

松永の妻が飛来して葬儀も終了し帰国するとき、サンディは日本人の妻に自らの不注意を心からわびる。
すると妻は、代わりに彼からサンディへの手紙を渡す。
そこには、サンディへの感謝と愛がつづられていた。
フィルム・センター

日本人などにわびたことを理解できない同僚と分かれ、日本に飛ぶ飛行機を見送るサンディの姿で終わる。

どのようにオーストラリア人は日本人を本当に理解できるか、大変きちんと描いた作品である。
大変正確で公平な描き方に感心した。
音楽が日本人側の感情になると沖縄メロディーになるのがおかしかった。
オーストラリアの鉄鉱石の鉱山など、そのケタはずれのスケールの大きさにあらためて驚く。

短波伝送番組

2006年10月24日 | テレビ
今、衛星中継で海外からテレビ画面が中継される。メルボルン・オリンピックでは、まだラジオ中継だけだったが、1960年のローマ大会からは、NHKは短波放送による実況中継を放送した。
情報を短波で送るもので、情報量の少なさか、分解写真のような映像だった。
スムーズな動きの映像ではなく、パラパラと動くものだった。
これで、100メートル決勝などを見たことを憶えている。
完全な同時中継になったのは、多分東京大会からだと思うが、我々は国内にいたので分からなかったわけだ。
1968年のメキシコ大会は、カラーの中継だったと思う。

戦争の原因となる女性問題とは

2006年10月23日 | 政治
パプアニューギニアの部族間戦争の原因の一つが女性問題だそうだ。
そこは、クラン、氏族社会で、同族内では結婚できず、違うと村や集落から嫁を貰うらしい。その辺は、同一族譜の内の結婚を認めない韓国に似ている。

ところが、結婚しても約束の金品を払わないとか、虐待される、結婚前にいろいろあった等のトラブルで戦争にまで発展することがあるらしい。

女性問題で戦争になるとは、ギリシャ神話のトロイ戦争だが、あれは古代以前のアジア的生産様式時代のことで、多分実際に起きたことなのだろう。
パプア・ニューギニアの話を聞いて思い出した。

パプア・ニューギニアは、つい最近まで古代以前のアジア的生産様式段階の国と言うか、地域だったのだから、アジア的生産様式時代の風習が残っていたわけである。

『ニュースフロント』

2006年10月23日 | 映画
日曜日、フィルム・センターに夕方もいて、オーストラリア映画『ニュースフロント』を見る。

1940年代から1950年代、ニュース映画は全盛時代だった。
オーストラリアに2社あったニュース映画会社のカメラマンを描く作品である。

日本でも、フランキー堺主演の、日本映画新社の実在ニュース・カメラマンを主人公にした『ぶっつけ本番』という作品もあった。

日本では、昭和の満州事変あたりから、ニュース映画は大変盛んになり、大都市にはニュース映画専門劇場が出来る。新橋ニュース、内外ニュース、横浜の野毛にも横浜ニュース劇場があった。
テレビのない時代、戦争映像は、血わき肉躍る、最も人気のあるアクション映像の一つだった。

この映画でも、第二次世界大戦から選挙、移民受入、共産党非合法化国民投票、さらにカー・レースなど、様々なニュース報道にかける男たちが描かれていて、彼らは大変な人気者である。
今の女子アナ人気みたいなものだろう。

2社とは、シネトーンとニュースコムで、シネトーンとは、明らかにムービートーン・ニュースのもじりだろう。
ムービートーン・ニュースとは、トーキーを始めた20世紀フォックス社のニュースで、よく洋画館でやっていた。
他には、ライオンの咆哮から始るメトロ・ニュース、フランスのパテ・ニュースなどがあった。
日本映画の各社もニュース映画会社と提携し、必ずニュースを併映していた。
東宝は日本ニュース、東映は朝日テレビニュース、大映は新理研ニュース、松竹が読売ニュース、日活は毎日ニュースだったと思う。
ニュース映画は言うまでもなく、テレビの発展で衰退する。
日本の映画館でも、一部の三番館などで中日ニュースやサンケイスポーツ・ニュースをやっていたのが最後だろうが、1970年代の初頭には消滅した。

この映画でも、1956年、アメリカに行き大成功して戻ってきた弟と一緒になる妻と別れ、主人公が辞職届けを役員室に持って行ったとき、経営難からの2社の合併を知らされる。
そして、その年にメルボルン市で開催されるオリンピック映画の撮影監督に任命される。

ハンガリー動乱の遺恨試合の、ソ連とハンガリーの水球試合の乱闘映像を、弟からアメリカの映画社に高額で売ってくれと言われたとき、主人公はきっぱりとはねつける。
主人公は、労働党支持の左翼的知識人なのである。
元の妻と弟は言う。
「時代遅れなんだ」
オーストラリアの知識人の複雑な心情が分かる作品である。

『わが青春の輝き』

2006年10月23日 | 映画
気恥ずかしい題名だが、なかなか感動的な作品だった。1901年に発表された原作を女性の監督らが制作したオーストラリア映画。

19世紀末のオーストラリア、開拓地の農民の娘の主人公は、文学や音楽好きで、富豪のおばあさんの家に預けられる。
憧れの若者に会い求婚されるが、父親の借金のかたに、遠い開拓地で家庭教師を務めることになる。
これが、大変な過疎の農家で、周囲に学校がないため子を教えるのだが、その両親は金はあるというのが不思議。
極貧の生活に見えるが金はあるらしい。

その他、大土地所有者らしいおばあさんの家の生活や、周囲の富豪らとの交際、パーティ等が面白い。完全にイギリスの風習を持ってきているらしい。
主人公は、上流階級の付き合いよりも、普通の人間の生活感情に憧れており、そこが周囲との軋轢の原因。
最後、主人公が本の原稿を出版社に郵送して終わる。
永井愛に見せたい「フェミニズム」映画である。
フィルム・センター

戦争の原因と和解

2006年10月22日 | 政治
川崎市民ミュージアムの「牛山純一テレビ・ドキュメンタリー」上映で、長年にアジア・太平洋を取材された市岡康子氏の話がとても興味深かった。

パプア・ニューギニアでは1990年代まで部族間戦争があった。
最初は、弓や槍で総員化粧してお祭りのように騒ぐ。
その段階ではせいぜい数人の負傷者くらい。
その内、銃器の戦闘になると死者が出る。
しかし、狭い地域での極めて近い戦争で、いわば隣の人間との戦争なので大変深刻で、日常生活にも支障をきたす。
そこで最後は、「和解の宴」が開かれ終了するのだそうだ。

戦争の原因と和解方法を質問した。
勿論、ミュージアムのライブラリーにあるそうだが。
原因は、農地の領土争いや女性問題だそうだ。

和解の方法は、宴で双方が出て盛大にやる。
中身は、コンペンセイション、賠償である。
具体的には豚をあげる等で、その数をめぐってまた争いになりかけたりする。
その席には、州知事、警察等が出て見守る。
一種の儀式、ドラマであろう。

20世紀の近代戦とは実態は異なるが、戦争の本質が分かる気がした。
今度是非、ビデオを見ることにしよう。

『ファイルーツ・愛しきベイルート』

2006年10月21日 | 音楽
前も書いたが、ファイルーツは、アラブで最高の女性歌手である。
レバノンに生まれ、ラジオやバールベック音楽祭で有名になり、長年アラブ世界に君臨してきた。
一度聞いたら、絶対に忘れられない「ベルベット・ボイス」と言われる独特のふるえるような歌い方。日本で言えば、いつも泣き崩れている中島みゆきの歌い方を想像すれば、近いだろう。

私は、30年前に銀座のレコード店ヤマハでアメリカ・モニター盤のバールベック音楽祭実況録音版『デイズ・オブ・ファクルー・イデーン』を買い、ずっと愛聴してきた。
その後、『愛しのベイルート』など、多数のLP、カセット、CDも購入してきた。
フォークダンスの『マイム・マイム』、70年代に日本でも仲雅美の歌で大ヒットした『ポリシカ・ポーレ』もアラブの曲であり、それらに収録されている。

この映画は、ファイルーツに対してのベイルート市民の様々な声をインタビューしたもので、その裏に彼女の声がかぶさる。
オランダ制作の映画で、パレスチナ寄り反イスラエルの声が多いが、右派キリスト教徒のタクシー運転手も出てくる。
この辺の政治、宗教の複雑さは、我々にはなかなか分かりにくい。

最後、ファイルーツの『朝も夜も』を歌う姿で終わる。
たった1曲とは残念だが、彼女の歌う姿を見られただけで大変うれしい。

ファイルーツは、日本で昔はフェイルーツと表記されていたが、ファイルーツが正しいとして、現在はファイルーツになった。
ところが、ベイルート市民はすべてフェイルーツと言っている。一体どちらが正しいのだろうか。

翻訳の重信メイは、赤軍派重信房子の娘か。

会場のアップル・リンク・ファクトリーは、前はパルコの近くにあり8年前『ポール・ボウルズの告白』を見たが、現在は広くなり東急文化村の奥に移転していた。

『爛(ただれ)』

2006年10月19日 | 映画
昔から見たかったが、上映機会がなかったもの。原作徳田秋声、脚本新藤兼人、監督増村保造、主演若尾文子、田宮二郎、水谷良重(二代目八重子)。
増村の昭和30年代の最高作は、『妻は告白する』だが、これもすごい作品。

キャバレーの女給だった若尾は、敏腕自動車セールスマン田宮の愛人になり、田宮はヒステリーの妻藤原礼子と別れ、若尾と一緒になる。
藤原の兄殿山泰司、若尾の兄浜村純らの吝嗇ぶりが面白い。
要は、金と色の話である。

若尾の同僚だった丹阿弥谷津子は三流歌手船越英二と苦労し、元将軍永田靖と一緒になった弓恵子は、子供を孕み幸福に暮らしている。
弓の生活を見て、妊娠の手術で若尾が入院した間に、田宮は若尾の姪の水谷とできてしまう。
ここからは、若尾と水谷の争いになるが、鬼気迫る。
水谷は、奔放というより相当に淫乱で、結婚式の前日まで田宮とホテルに行くのだから相当な女。
最後は、若尾が水谷を田舎の豪農の仲村隆と結婚させて、一応終わる。
勿論、女と男の争いはいつまでも終わるはずもない。
音楽は、伊福部昭の一番弟子の池野成の重厚な響き。
新文芸座

『次郎長社長と石松社員』『馬喰一代』

2006年10月17日 | 映画
金沢で『ヨコハマメリー』を見た後、北上して阿佐ヶ谷のラピュタで瀬川昌治監督の『次郎長社長と石松社員』『馬喰一代』を見る。2本ともできが良かった。

『次郎長社長と石松社員』は、東宝のサラリーマンものを真似したニュー東映作品。
進藤英太郎の社長と中村賀津夫の社員が、同じ会社なのに互いに知らず、進藤の妾宅で知り合うというシュチュエーション・コメディー。
泥臭いギャグが多いが、進藤と賀津夫は、演技と台詞の間が上手いので、的確に笑える。
妾宅に本妻の清川玉枝が乗り込んできて進藤と鉢合わせたとき、
妾の星美智子が、「この人誰、知らない人よ」という台詞が上手いのはさすがでした。
音楽は、大島渚映画など真面目な作品が多い真鍋理一郎だが、ラテンを使って軽快。
最後、会社の機密を売ろうとしていた一派を取り押さえ、賀津夫も出世する。
水木譲も出ていた。
彼は、なぜか木暮三千代にひどく可愛がられていたが、いつの間にか消えた。
『釣りバカ日誌』の元祖であろう。

『馬喰一代』は、昭和20年代に三船敏郎の主演で映画化されたものの三度目の映画化だそうだ。
主演は三国連太郎。
三国は『無法松の一生』も三船がやった後に主演しているが、三船コンプレックスだったのか。

大正時代の北海道北見での、一本気な馬喰の一生を描くもの。
音楽は斉藤一郎で、成瀬巳喜男作品とは異なり悠大なスケールのオーケストラ曲。

三船の息子(金子吉延)が成績が良いのだが、「馬喰に学問はいらない」と言い、「馬の世話を憶えろ」と仕込むところがある。
今の教育族議員が見たら、あるいは子供が見たら、何と言うだろうか。
そうした無知蒙昧は、知恵者西村晃によって駆逐されるのが時代と言っているのだが。
むしろ、三国の方が、今では人間として正しいと再評価されるのかもしれない。

根岸屋について

2006年10月17日 | 横浜
『ヨコハマメリー』の前半に出てくる根岸屋は、勿論前を歩いていたが、入った事はない。

一度、職場で夜に100食近く食事を出すことになり、当時はコンビニもデリバリーもなかったので、困って根岸屋に急遽お握りを作ってもらって出したことがある。

根岸屋は、終夜営業だったので、可能だった。
昭和40年代の当時、そうした店は横浜でもなかったのである。

倒産した後空家だったが、ある日火事で焼け落ちた。
中にいた浮浪者の出火との噂だった。