指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『まり子自叙伝・花咲く星座』

2007年09月30日 | 映画
おそらく今の50代以下の人は、女優の宮城まり子を見たことがないに違いない。
だが、昭和20から30年代、彼女は、日本の映画、テレビ、舞台、歌謡曲で最も有名な女性の一人だった。
レコードでは『毒消しゃいらんかねぇ』が最大のヒット曲だが、『ガード下の靴磨き』も有名である。
彼女の歌の特徴としては、音程が正確で大変パンチがありながら、一種独特の哀愁味があるところにある。
その魅力、人を引き付ける力は、美空ひばりに匹敵するものがあった。
ただ、ひばりと違うのは、宮城まり子にはクールな知的な味わいがあったことで、これは彼女の弟が作曲家で(映画では池部良の兄に変えられている)、音楽監督だったことによるのだろう。
そして、言うまでもなく彼女の生涯の伴侶だったのは、作家吉行淳之介である。
吉行は、勿論妻がありながら、宮城に会い「私の人生感のすべてが変わってしまった」と書いている。
今日映画を見て、宮城が人を引き込む物凄い能力があることが分かった。

戦前、貧困の中で大阪で養女に出されたまり子は、女学校進学が叶わぬと、歌手になることを夢見る。
父の坂本武は、事業に失敗するとまり子を中心に兄池部と旅回りの一座を作り、戦時下の九州を巡業する。
戸畑での公演中、一座の中心夫婦が逃げ、仕方なくまり子は、すべての演目を一人でこなし、観客の圧倒的声援を受ける。
ここから、まり子の独演公演が大成功する。
戦後、上京して、浅草、日劇、さらにはビクターの専属、ついには『極楽島物語』で東京宝塚劇場のミュージカルに主演する。
その間に、近所の中学生久保明との淡い恋と戦後の失恋など、大分フィクションが挟まれているらしいが、宮城まり子の一代記を菊田一夫が大変ドラマチックに、そして上品にまとめている。元は菊田の作・演出でヒットした舞台劇である。
宮城まり子の芸質は、現在の女優で言えば吉田日出子に似ていると思う。
本質的に一人芸であり、一種とぼけたスットンキョウなところが。
現在で言えば、「天然ボケ」と言うのだろうが、本当に彼女は演技ではなく天性として嫌味なくぼけられるのである。

雨の中ラピュタには、監督松林宗恵氏と共に宮城まり子もきていた。
少し太られたようだが、その童女のような容姿と話し方は全く変わらず。
終了後のトークでは、映画は舞台の合間の夜間撮影で、完成するとすぐに次の舞台だったので、映画は一度も見たことがなく、今日初めて見た、とは驚いた。
そのくらい当時の大スターは忙しかったのである。
彼女が、すべての芸能活動をやめ、障害児施設「ねむの木学園」に専心するようになったのは、弟が交通事故で亡くなったことが大きな理由で、当初は「姉弟学園(きょうだい学園)」と名付けたかったのだそうだ。

「集団自決強制」

2007年09月30日 | 政治
太平洋戦争末期の沖縄での軍隊による「集団自決強制」の存否が問題になっている。沖縄では歴史教科書からの削除・変更に抗議する11万人の大集会が行われた。沖縄の方が抗議するのは当然である。
だが、この問題は、そう簡単ではないと思う。
集団自決について、軍隊からの強制はあったことは間違いないだろう。資料のあるなしは無意味である。敗戦の戦場で書類で指示することはないからだ。手榴弾を配布し、自決方法を指示したのは軍以外にあり得ない。
だが、沖縄人も積極的に戦争協力したのだと思う。
このことを、現在の状況で考えてはならない。
戦前、戦中、沖縄は本土に比べ「二流国民」としてひどく差別されていた。
「三流国民」は、朝鮮半島や台湾の人である。
だから、沖縄の人は、「二流国民」としての汚名をそそぐため自ら進んで戦争協力したのである。
ひめゆり部隊の悲劇も、そう考えないと辻褄が合わない。
だから、集団自決は、軍隊の強制と沖縄人の自発的行為によるものだったと思う。
勿論、そうした状況にあったこと自体が、一種の強制であり、軍隊と日本政府は責任を免れないのは当然である。

金沢文庫芸術祭

2007年09月29日 | 横浜
最近は余り使われないが「民衆芸術」という言葉がある。
大正時代、トルストイなどの影響を受け民本主義と併せ、民衆的、大衆的な生活文化を評価する傾向で、白樺派をはじめ今日では陶芸家バーナード・リーチなどが有名であろう。「民芸」と言う言葉も、ここからきた。
横浜市金沢区で金沢文庫芸術祭が行われていて、土曜日29日はメイン・イベントだったので3時過ぎに行ったが、これなど今日的な民衆芸術であろう。
海の公園の芝生部分に様々なテントが広がり、各国の料理・飲食から手工芸品、美術品、ワークショップ等が行われていた。

夕方、イベントの最後として「サンセット・パレード」が行われた。
主催者浅葉和子さんを先頭に、様々な仮面、フェース・ペインティングされた子供等のパレードで、なかなか楽しいものだった。
1989年にイギリス、サン・オーステレルでの「ウォーマッド・フェステバル」に行ったときのことを思い出した。
そこでは、3日間現地にキャンプした親子にワーク・ショップで仮面、フェース・ペインティングをして最終日にパレードを行っていた。
1991年に横浜のみなとみらいで、パシフィコ横浜のオープニング・イベントとして実施した「ウォーマッド横浜」でも、イギリスからワークショップ・アーチストなるものが来て、それをやったが、残念ながら日本では上手くできなかった。
それは、ウォーマッド横浜の場合は滞在性が全くなく、その日だけの観客でやったので、面白くなかったのだろう。
それが、この金沢文庫芸術祭では、上手くできているのに大変感心した。
多分、日本のこうしたイベントで、このようなパレードをやっているのは、他にないと思う。
金沢区役所からの補助もあるが、多くの部分を自分たちの力、手作りでやっているのは大変素晴らしい。今後のさらなる発展を期待したい。

ただし、この日の夕方のプログラムと過去のビデオを見ただけだが、このイベントの美術系はすごいが、音楽系は少々弱いように思える。
サンセット・パレードの演奏のバグ・パイプと太鼓など、リズム感ゼロの音楽だったのには大変がっかりした。
「ロック時代でこういう音楽で良いのかね」とおじさんは思うのである。
夕方には、林英哲のコンサートも雨のため、会場を室内に変更して行われたらしいが、林英哲の音楽は少々オーバー・コンセントレーションで苦手なので、遠慮して野毛に飲みに行く。

販促は浪花節で

2007年09月29日 | 横浜
横浜に横浜アーチストというイベント会社がある。
老舗の帝国社が約10年前に倒産したので、旭広告社と並び横浜では大手の一つである。イベントの企画、運営の他、広告代理店業もやっている。
この会社の始まりは、神奈川新聞の営業部にいて新聞の販売促進をやっていた。
その「販促品」は、浪花節の公演だったのだそうだ。
読売新聞が巨人軍の試合を販売拡張に利用したのと同じである。

昔むかし、市会議長の公設秘書をやっているとき、ある議員の後援会があり、そこでは全く名の知らない浪曲師の公演がアトラクションで行われていたが、それを手配したのは、すべて横浜アーチストだった。
某議員曰く、
「横浜アーチストは、浪花節の手配は本業なんだよ」
それほど、昭和30年代まで浪花節は人気があったのである。

キッスで殺せ

2007年09月29日 | 事件
テレビを見ていたら、中国で浮気をした恋人にキッスして毒薬カプセルを飲ませて殺害したとのニュースをやっていた。
これはまるで昔の映画『キッスで殺せ』ではないか。

『キッスで殺せ』は、ミッキー・スピレーンの小説で、ロバート・アルドリッチ監督作品である。
私は見ていないが、ハードボイルド映画として有名である。
まことにハードボイルドな事件である。
中国は意外にもハードボイルドな国である。

相撲と野球

2007年09月28日 | 相撲
またまた暴力行為で問題となっている大相撲だが、相撲は日本のプロ野球に大きな影響を与えていると思う。
大リーグ放送を見ていると、その投手と打者のやり取りが全く違うことに気づくだろう。
日本の野球は、やたらに駆け引きが多く、投手が打者をじらせたり、逆に打者が間を取ってタイミングと言うか、間を自分のものにしょうとする。
これは、明らかに相撲の「立会い」である。
メジャーリーグのゲームにはそうしたものはなく、進行が極めて早い。
野村ID野球の普及で、野球の相撲化はますます進んだと思う。
これも、一つの文化の日本化の結果だろうと思う。

今回の暴力問題は、まさか高砂親方が「朝青龍騒動」をそらすために流したのではないだろうね。

朝日新聞の演劇評は正常なのか

2007年09月26日 | 演劇
新国立劇場の『アルゴス坂の白い家』について、昨日朝日新聞夕刊に山口宏子氏の批評が出ていた。
だが、否定的なのには驚いた。川村毅の脚本の非論理性に文句をつけても意味はないのだ。
それは、小林旭に知性がない、と言うようなものである。
川村毅は、非論理的で乱暴なところが魅力なのだから、そこを取ったら良いところは何もない。

朝日新聞の演劇評は、扇田明彦以来レベルの高さでは定評があったが、最近はそうでもないようだ。去年は、鈴木秀勝演出、平幹二郎、西村雅彦ら出演の駄作『ドレッサー』を誉めていて、これにはあきれたのだが。
大新聞だからと言って常に正しいとは限らないのは、当然なのだろう。

犬塚稔氏死去

2007年09月26日 | 映画
脚本家で、監督でもあった犬塚稔氏が亡くなられた、106歳。
サイレント時代には長谷川一夫の代表作『稚児の剣法』等、多数の作品を監督されているが、なんと言っても特筆すべきは、『不知火検校』など戦後大映での脚本家としての活躍だろう。

勝新太郎の代表作『座頭市物語』を子母沢寛の短編というより、わずか1頁の掌編をシナリオにし、日本映画を代表する大ヒット・シリーズ座頭市の原型を作った。
その後、座頭市シリーズではかなりのシナリオを書いている。
晩年には、執筆委嘱されたシナリオをめぐって勝プロとも訴訟になったが、ご高齢にもかかわらず大変元気で、勝プロに対し一人で戦い賠償金を取ったらしい。

彼の本を読んだことがあるが、なかなか他人に厳しい方で、同僚だった監督衣笠貞之助を機会主義の低劣な人間と書いていた。
確かに、戦前の前衛的な作品から、戦後は東宝スト等での共産党への同調的な姿勢、さらに大映との契約など、衣笠はよく言えば時代に即応した、悪く言えば世渡りの上手い人間であろう。
ともかく日本映画に偉大な貢献をされた106歳のご冥福をお祈りしたい。

『アルゴス坂の白い家』

2007年09月23日 | 演劇
新国立劇場の新芸術監督鵜山仁演出のギリシャ悲劇3部作の第一作で、作が川村毅。
川村の芝居は、劇団第三エロチカ時代にひどいものをさんざ見たので、今回も全く期待しないで行ったが、意外にも良い出来で驚く。これだから芝居は分からない。

開幕は、いきなりエレクトラの小島聖とオレステスの山中宗のロック調の歌唱で、姉弟が母のクリタイメストラを殺す悲劇の筋が語られる。音楽久米大作。
悲劇を書こうとして、上手く書けない作家島岡の中村彰男が、新宿でエウリピデスの小林勝也に出会う。勿論、あり得ない話。

そこで、ギリシャ悲劇、アトレウス家の物語、トロイ戦争、復讐等が現在との比較の中で解説される。ここは小林の名演技で大変面白かった。
そして、戦争が始まり、中村は新宿で事故死してしまう。だが、戦争はどことの戦争かは不明。
そこに、島岡の母で女優クリタイメストラの佐久間良子が喪服姿で来て、1幕は終わる。
「栗鯛メス虎なんて言いにくいわね」の佐久間の台詞には、笑った。

第二幕は、女優クリュタイメストラの佐久間と映画監督アガメムノン磯部勉との家の話。そこはアルゴス坂の白い家。
アガメムノンは、戦意高揚映画で大ヒットを一時は取ったが、それも今は消え失意の日々をおくっている。
エレクトラの小島聖は作家で、母を憎んでいるが、オレステスの山中宗は、家出してたまま。
磯部は中国人女優カッサンドラの李丹を愛人にしており、クリュタイメストラもシナリオ・ライターのアイギュストス石田圭祐を恋人にしているなど、ギリシャ悲劇が上手く日本の家庭劇に置き換えられている。
この辺の感じは、森本薫の戯曲『華々しい一族』を思わせる。

そして、最後ギリシャ悲劇のように佐久間によって磯部は殺され、父親の殺害をを憎んで山中と小島は母の佐久間を殺さなければならないのだが、誰も他人を殺せず、悲劇は成就しない。そこが喜劇的である。
戦争がない日本では、本当の悲劇はない、という皮肉であるのか。

小島が完全な男言葉で、山中は戦場から戻ってくると女性に性転換しているなど、川村らしく乱暴だが、挑発的で面白い設定だった。
小島聖が宝塚スターみたいで、カッコ良かった。

鵜山仁は、今後どのような芝居を見せてくれるのか、大いに期待したい。
できはともかく今回のような挑発的で、冒険的な企画を望みたい。
今は、楽しくてで分かりやすい芝居しか日本にはないのだから。

設楽幸嗣

2007年09月23日 | 映画
『黄色いカラス』の主人公設楽幸嗣は、大人気の子役スターだったと書いたが、1960年代以後は映画には出ていない。
だが、彼はもともと音楽をやっていたそうで、その後は作曲家になり、アリスのヒット曲『ハンド・イン・ハンド』の作曲は彼なのである。
現在も作・編曲で活躍されているそうだ。

『黄色いカラス』

2007年09月23日 | 映画
小学校3年の主人公設楽幸嗣は、母親淡島千景と戦後ずっと二人暮らしだったため、9年間の中国抑留から帰ってきた父の伊藤雄之助と打ち解けることができない。鎌倉の大仏の写生でも、黒バックに黄色い大仏様を書いてしまう心理的問題を担任の久我美子は心配する。

間もなく妹も生まれ、ますます設楽は、両親からかまってもらえなくなる。
隣家の田中絹代は、鎌倉彫りを商っていて、淡島も内職をしているが、田中の優しさと幼い養女が設楽の唯一の慰安。
さらに設楽は、その孤独をねずみ、亀、そしてカラス等の動物の飼育に求めるが、きれい好きの伊藤はいよいよ設楽につらく当たる。
伊藤も横浜の商社では、時代とのズレにやりきれない日々をおくっているのである。この戦後社会とのズレは、左翼映画人が終戦直後の民主化万歳から次第に「逆コース」になり、復興して行く日本経済への違和感でもあるだろう。

伊藤が、とうとうカラスを放鳥した大晦日の夜、設楽は「お父さんは死んでしまえ」と家出してしまう。
さすがに伊藤も大雨の中、町中を探すと、設楽は隣の家の田中のところに戻っていた。
正月、設楽と伊藤は互いに打ち解け、鎌倉の海岸で凧揚げを楽しむ。

主人公の設楽少年は、当時大人気の子役であり、小津安二郎映画にも出ているが、ここでも主人公の孤独な姿を巧みに演じており、涙が出た。
実は、この映画は東京池上の大田区民会館で小学校4年で見ているのだが、今回見て憶えていたのは、カラスが放鳥されるシーンだけだった。

昭和33年五所平之助監督作品で、カメラは宮島義勇、制作は歌舞伎座。
ここは左翼独立プロの最後の拠所でもあった。
歌舞伎座は、松竹の子会社として失業左翼映画人を使って、こうした良心的作品や子供向け時代劇等を作っていたが、それもテレビ映画へと次第に移行したようだ。
例によって、戸田春子、島田頓、などの左翼映画の面々も出てくる他、伊藤の会社の嫌な上司が多々良純、同僚が高原俊雄、近所のお婆さんが飯田蝶子とけっこう賑やかな配役は、五所監督の人徳だろう。
音楽が芥川也寸志で、ロシア民族派的なメロディーを奏でる。

鎌倉が舞台で、すでに石原裕次郎の太陽族もいたはずなのだが、その匂いはなにもない。
障子と畳の日本家屋など、当時はまだ戦前と同じ生活が続いていたことが分かる。
テレビはなく、ラジオのみ。
私の実感からも、日本の家庭生活が根本的に西洋風になるのは、昭和40年代以降の経済の高度成長期以後のことだろう。

誰も森雅之を知らなかった

2007年09月22日 | 映画
先日、30代から50代の人間4人(誰も映画や演劇に興味がないのだが)と話していて、全員が森雅之を知らなかったのには驚いた。

彼は、黒澤明、溝口健二、成瀬巳喜男の名作に出ている大スターだが、よく考えれば1973年に死んでいるのだから、40代以下の連中が知らないのも当然なのだろう。
「彼は、作家有島武郎の息子で、その娘が以前日活ロマンポルノ等に出ていて癌で死んだ中島葵で・・・」と説明すると宇宙人になった。
だが、一般人の映画俳優にたいする認識など、その程度なのだろう。
われわれ、映画好きは異常な人間だと知るべきと再認識した。

『真実の瞬間』

2007年09月20日 | 映画
1965年、イタリアの映画監督フランチェスコ・ロージーの作品、スペインの闘牛士を描いたドキュメンタリー的な映画。

スペインの田舎の若者ミゲルは、貧しさから脱出するため闘牛士になる。
運良く有力興行師に認められ、闘牛士としてデビューし、次第に成功を収める。
社交界との付き合い、仲間との争い、女性からの誘惑など、闘牛の世界を巡る様々が記録的な映像で刻銘に描かれる。ロージーは、ドキュメンタリー出身なので、闘牛のシーンの描き方はすごい。

主人公ミゲルは、実際に闘牛士らしいが、実に官能的で美しい立ち姿である。
世に、セクシーという言葉はあるが、闘牛士ほどセクシーな存在もあるまい。
何よりそれは、死と紙一重で生きているためであり、ミゲルは本当に美しい。
この映画は、なんとATGで公開されたらしいが、日本のメジャーの配給会社には美的センスのある奴はいなかったのだろうか。
私は、全く趣味はないが、三島由紀夫が泣いて喜ぶ映画である。

闘牛は、見たことははないが、極めてアフリカ的な匂いを感じさせる。祝祭的であり、人間の原初的な本能を刺激する。
フランチェスコ・ロージーは、ルキノ・ビスコンティの助監督で、左翼的な監督だが、イタリア人らしく極めて官能的な映像を作り出している。
日本で言えば、山田洋次がプロレスの記録映画を作ったようなものだろうか。

嵯峨三智子

2007年09月18日 | 映画
嵯峨三智子は、昭和30年代は大スターだったが、40年代以後急速に駄目になった女優である。
言うまでもなく日本映画史上の大女優で、まだご存命の山田五十鈴の実子であり、山田と同様10代で映画界入りした。
松竹京都映画が多いが、演技は決して下手ではなく、台詞も悪くない。
ルックスは、下膨れの顔で、西欧的な美人ではないが、本来日本の美人とは、あのような下膨れの、きわめて色っぽさのある女性だろう。

昔々、嵯峨三智子は、「その存在自体がわいせつで、不道徳」とみなされた時代があった。
確かに、あの顔は決して健康的ではなく、前向きな傾向を意味するものではない。
実に不健康、退廃美なのだ。
だが、こうした嵯峨のあり方は、次第に日本映画界の中でも疎まれるようになる。
簡単に言えば、芸能界の健全化であろう。
、河原乞食の末裔たる役者は、いつの間にか歌舞伎役者で大芸術家になった。
いまどき、嵯峨の退廃美に匹敵する女優が日本映画界にいるだろうか。
葉月里緒菜もお騒がせ女優だったが、嵯峨三智子のスケールとは比べ物にならないだろう。