指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

恵方巻きと恵方参り

2021年01月31日 | その他
今、コンビニに行くと恵方巻きの予約が出ている。恵方巻きなど、昔はなかった、あれはコンビニの謀略だとの説があり、私もそうだと思う。
ただ、恵方という考え方はあり、昔は恵方参りをしていたのだ。
その意味では、初詣の方が新しい行事なのだ。
たしかに、鉄道やバス、さらに車もろくになかった昭和初期まで、普通の庶民が有名な神社仏閣に詣でることは難しかっただろう。
だから、普通の庶民は、近くのその年の恵方の神社等に行ったのだ。
嘘だと思うなら、永井荷風の小説『踊子』を読むが良い。

        
そこには、戦前のことだが、浅草の踊子とバンドマン(楽隊家と言うべきか)が、正月に恵方参りをするところがある。ちなみに、この小説は、踊子が時代につれて男性遍歴をする話で、非常に面白い。
京マチ子、淡島千景、船越英二らの出演で大映で映画化されているが、あまり辛辣でないので面白くない。
年中行事といえども、双昔からあったものではなく、時代によって変遷するものなのだ。

『ロケーション』

2021年01月30日 | 映画
1984年の松竹映画、原作は晩声社の『ザ・ロケーション』で、このドキュメンタリー本は、映画の原作になっていて、日活の『キャバレー日記』もそうだったと思う。
これは、本とは少し違っていると思われ、脚本の近藤昭二の想いが強くなっているようだ。

        
物語は、今や絶滅危惧種といわれるピンク映画の人たちのこと。
カメラマンの西田敏行が主人公で、同棲している大楠道代は女優だが、もう辞めようと思っている。ライターが柄本明で、この西田、大楠、柄本は高校時代からの仲間だった。また、チーフ助監督は竹中直人である。
もともと、主役に予定されていた大楠が下り、ロケ現場の闇ホテルの下女だった美保純が、急遽代役に当てられて、なんとか撮影は進み出すが、その途端に監督の加藤武が心臓病で発作を起こし、これも竹中がすることになる。
さらに、主役の美保が、お盆に故郷に墓参りに行ってしまい、スタッフは後を追って福島に行く。
そこでもいろいろあるが、なんとか撮影は終了し、試写室で加藤も来て、試写が行われ、加藤から西田は、撮影の腕を絶賛される。
だが、配給会社の矢崎滋は、「こんなめちゃくちゃな作品はない!」と怒る。

昨年亡くなった森崎東監督としては、普通のできだが、「このピンク映画の撮影悲喜劇は、大手の松竹だって大して変わりはないぜ」と言っているように見える。
20代を「演劇青年」として過ごした私としては、身につまされる感じもあるが、70になるとさして感傷はない。
近代映画協会と青年座の協力なので、ホテルの婆さんが乙羽信子、福島の映画館の館主が殿山泰司、大楠が自殺未遂で担ぎ込まれる病院の医者が森塚敏,
照明が大木庄司、福島の駄菓子屋の女が初井言栄とそれぞれの重鎮が脇で出ているのが非常に良い。
よく考えれば、西田敏行は、元は劇団青年座なのだ。
これは、市原悦子が元俳優座であったことに同じように、今ではあまり知られていないことかもしれない。
衛星劇場



古墳時代は寒かったのか

2021年01月30日 | 横浜
昨日、用があって京急に乗り、南太田駅に来た。
すると、横浜のY校(横浜商業高校)の生徒が乗ってきたが、ほとんど女子。
かつては、甲子園常連だったこの高校も、今は女子が多いのだ。
スカートで歩いていて、「寒くないのか」と思う。
一人だけ、「ハニワ・スタイル」の女子がいた。

        
「ハニワ・スタイル」とは、スカートの下に、ジャージー等をはいているスタイルで、古墳時代の埴輪によく似ている。
そうなると、縄文時代は暖かったそうだが、古墳時代は寒かったのかなと思った。

『東京エロス千夜一夜』

2021年01月29日 | 映画
西村昭五郎は、神代辰巳や武田一成らと共に、日活のロマンポルノ以前に監督昇進している人である。
神代のデビュー作『濡れた欲情』が記録的不入りで、しかも今見ると凄いが、私も全く理解できなかったのに対し、西村の『競輪上人行状記』は比較的評判は良かった。

              
ただ、近親相姦や犬喰いと言ったところが会社からは不評だったようだ。監督2作目の『帰って来た狼』も、被差別の問題を内包しているように見え、問題作を作る人のように見えた。

ロマンポルノ以後は、一転して娯楽作を多作しており、監督の名など見ずに館に入り、「面白かったな・・・」と思うと、西村作品だったと言うこともあった。
だが、1981年のこれは、西村作品としては、ひどい方だ。
4浪生が主人公で、父は零細工場をしている小松方正で、若妻は志麻いずみ、工員は丹古母鬼馬児。
アラビアンナイトのような話に途中でなるが、最後は元に戻り、主人公の夢だったというひどさ。
「夢落ち」は、シナリオで、第一にしてはならない作法だが、堂々と使っているひどさ、脚本は、大工原正康。
唯一、おかしかったのがアラジンになった小松の本名が、「荒木甚五郎」で、「アラジン」というのには爆笑した。

チャンネルNECO

渋谷の映画館

2021年01月27日 | 東京
横浜や蒲田、川崎に次いで、見に行った映画館で多かったのは、渋谷だったと思う。
最初に行った映画館は、高校2年くらいで、百軒店にあったテアトルハイツで、黒澤明の『悪い奴ほどよく眠る』と岡本喜八の『江分利満氏の優雅な生活』で、ここは音響が良いので有名だった。隣には、ストリップ劇場のテアトルSSがあったが、私が大学に入って行ったころは、ピンク映画館になっていた。
次いで、行ったのは、今はTSUTAYAになっている駅前のビルの下の東宝系の渋谷宝塚で、ここも黒澤明3本立てだったと思う。
東宝系では、杉村春子の『女の一生』が初演された道玄坂の渋谷東宝があったが、ここでは地下の渋東地下によく行った。ここは、銀座の並木座のように、元は倉庫だっっとのことで、大きな柱があり、見にくい場所があった。サム・ペキンパーの旧作などは、ここで見た。
駅の西側には、東急文化会館があり、5館くらいがあったが、一番好きなのは一番下のパンテオンで、この広い劇場で見るのは気分が良かった。
1970年代の12月31日は、ここでクリント・イーストウッドの映画を見て、どこかのそば屋で酒を飲んで家に戻り、『紅白歌合戦』を見たものだった。
ここには、渋谷東急などもあったが、最上階に東急名画座があったが、なるべく行かないようにしていた。理由は、高校生の時、『太陽がいっぱい』を見に行って、痴漢にあったからだ。普通のサラリーマン風の男だったと記憶しているが、非情に不快だった。
西口には、全線座があり、邦画と洋画をやっていたと思う。
ここでは、お見合いをしたことがある。座席指定券を送り当日お会いした。
中学の先生をやっていた方で、非常に元気な女性で、ややその元気に押されて駄目になった。見たのは、沢田研二主演の『魔界転生』である。
渋谷の公園通りの近くには、パレス座があり、ここは名画座だった。

他に映画館ではないが、パルコ劇場が時々映画をやっていて、「左幸子特集」に行った。新東宝の『思春の泉」』と日活の『踏みはずした春』だった。
左自身が出てきて、『踏みはずした春』とは、まるで自分のことのようだと自嘲していた。
また、大林宣彦もあり、何本か見たと思う。

          
今は、渋谷の映画館といえば、東急本店近くのシネマヴェーラだが、遠いので夏と冬は到底歩いて行けないのは、参る。





アメリカ式に判定すればゼロ、もしくはマイナス

2021年01月24日 | 政治
30年前に、英語の研修に富士宮にあった(財)国際貿易研修センターに行かされたことがある。
毎日、一日中、英語付けで参ったが、中に「プレゼンテ-ション」の授業があった。
研修の後、最後に各自が発表した。
中身は、各自が好きなものを選んで、発表した。

そして、もちろん講師から採点された。
それは、内容などどうでも良く、態度、顔の向け方、アイコンタクト等で採点されるものだった。
要は、どのように表現したかが、問題とされるので、中身はどうでも良いのだ。
幸いに、私は70点くらいだったと思う。

          

さて、菅義偉首相のことだが、いつも下を向いて官僚の作文を棒読みというのは、どうだろうか。
アメリカ式に判定すればゼロ、もしくはマイナスだろう。
ともかく、自分の意思として言葉を言っていないと思えてしまうのが最悪である。

坂本スミ子,死去

2021年01月23日 | 映画
『楢山節考』だろうが、同じ今村昌平の『エロごと師たちより『人類学入門』』の方が凄いと思う。
これでは、坂本の頭が変になり、アパートの窓枠から叫ぶところの迫力!
これは、大阪球場の近くのアパートで、わざと南海のゲームが終わるときに、準備していたサクラの連中に、
「あれは何だ!」と叫ばして撮影したのだそうです。
本物なので、凄い迫力です。
いかに今村が尊敬されていたが分ります。





NEWS.YAHOO.CO.JP歌手で俳優の坂本スミ子さんが死去(共同通信) - Yahoo!ニュースNHKのバラエティー番組「夢であいましょう」の主題歌を歌




半藤一利氏、死去

2021年01月23日 | 政治
半藤一利氏が、亡くなられた、90歳。
氏の業績について、今さら私がいうこともなく、面識もない。
ただ、数年前に拙著『黒澤明の十字架』を送り、「黒澤明が徴兵されなかったのは、軍需企業だった東宝の力である」ことを書いた。
すると、ご返事があり、雑誌『近代文学』についてのことが書かれていた。
平野謙、本多秋五、荒正人らの『近代文学』の同人は、大井広介の力で徴兵を逃れていたとのことだった。それは、大井は、本名は麻生賀一郎で、麻生鉱山の人間だったので、近代文学の人たちを麻生鉱山の職員として、徴兵を逃れたいたというのだ。戦中期、死ぬかもしれない戦争に行くのは、誰でも嫌だったので、徴兵逃れはある意味で当然のことだった。

そして、半藤さんの思想の根底には、1945年3月の、米軍による東京大空襲の体験がある。
東京下町にいた14歳の半藤さんは、目の前で人が焼かれ、建物と町が業火に焼き尽くされるのを見たのだ。
戦後の自民党の首脳でも、佐藤栄作、田中角栄、野中広務などの戦争体験者には、同様の戦争への思いがあったと思う。


             
今の、安部晋三、菅義偉のような、
「戦争を知らない子供たち」は、戦争をゲームのように取り扱っているが、かつての自民党とは異質な連中である。
自民党は、憲法改正を党是としてきたが、ずっとしなかったのはなぜか。
それは、現在の天皇制は、平和憲法とセットであることを熟知してたからである。


『女死刑囚の脱獄』

2021年01月22日 | 映画
1960年の新東宝映画、監督は中川信夫、主演は高倉みゆき、恋人は和田孝である。
高倉は、父親の林寛から、和田と結婚するように勧めていられていたが、彼女は、寺島達雄の子を孕んでいた。
林と口論になるが、林はウイスキーを飲むと死んでしまう。青酸カリが入れられていたのだ。高倉は、グラスに指紋が付いていたこと等から父親殺害の犯人とされてしまい、死刑になり、盛岡刑務所の収監される。
そこは、雑居房で、死刑囚が雑居房というのもおかしいが、大蔵貢好みのレズ的関係もある。
高倉は、もう一人の脱獄常習者に誘われて脱獄に成功し、盛岡に来ていた和田孝と東京に向かう。
列車でのサスペンス、列車の外に出て掴まり、刑事の目を逃れるのは、ヒチコックの『バルカン超特急』を思わせる。
東京では、事件の担当だった刑事の沼田曜一が再度調査を始めていて、寺島達雄と母親の三田泰子が組んで林を殺害したことが分る。
音楽は松村禎三で、ギターを使っている。

        

和田孝さんは、1980年代に横浜市山下町の産業貿易センターの横浜市港湾局によく見えられていた。たぶん、みなとみらい整備と横浜人形の家の再整備のことだったと思う。いつもニコニコされていた。

『無頼・非情』

2021年01月20日 | 映画
1968年の江崎実生監督作品で、「無頼シリーズ」3本目。

                         

昭和31年の地方都市、ヤクザの葉山良二の部屋に渡哲也が来て、
「一宿一飯の仁義で殺す」という。妻は、扇千景で、アパートの外の公園で、殺し合いになり、渡は中で躊躇するが、名和宏がとどめを刺す。
葉山は、死ぬときに『妻は体が弱いので、故郷に連れて行ってくれ」という。
渡に殺人を依頼した組の親分は富田仲次郎で、名和らは子分。
扇を長野に連れて行く途中で、再度襲われ、扇は病院に入院する。

横浜の聖トーマス病院で、渡が手配したのだ。
横浜のレストランの親父は、高品格で、娘の松原智恵子は、山下公園でヤクザに絡まれたときに渡に助けられて、一目惚れしてしまう。
また、そのときに渡は、旧友の内田良平と会う。
彼らは、戦後の横浜の焼け跡の孤児で、互いに助けあって生きてきたのだ。
また、内田の妻の藤江リカは、富田らの仲間の渡辺文雄の妹で、内田は、次第に渡と富田、渡辺との間の板挟みになる。
元は、ヤクザとの関係を持っていた高品は、松原智恵子に「渡と付き合うな」と言う。高品の出番は結構多く、『麻雀放浪記』以前では役が大きな方だろう。
横浜がよく出てくるが、1968年なので、まだコンテナ船以前であり、大桟橋や新興埠頭が活発に活動している。
『紅の流れ星』といい、
「渡哲也には横浜がよく似合う」
全体に、ニュー・アクション的ではなく、昔の日活映画的である。
それは、監督がニュー・アクション以前に監督デビューした江崎実生だからである。
美術が西河克巳映画で有名な佐谷晃能であり、非常にきれいで華麗である。
最後、渡と富田らは埠頭の塗料倉庫の中で決闘になり、ペンキ缶から赤、青、イエロー等が床に飛び、そこに倒れた男達は、ペンキまみれになる。
まるで、黒澤明監督の『酔いどれ天使』のラストシーンのように。

チャンネルNECO



正月映画

2021年01月20日 | 映画
1960年代の日本映画全盛時代には、正月映画があった。
昔は、サラリーマン以外、頻繁に休暇は取れなかったので、正月とゴールデンウィークは、映画界のかき入れ時だった。
映画各社は、スター総動員の大作を公開したものだった。
松竹の1962年の『今年の恋』など典型で、岡田茉莉子と吉田輝雄が主役で、除夜の鐘を突いて新年の幸福を祈るという正月らしいベストの作品だった。

      

この年、東宝は、黒澤明、三船敏郎の『椿三十郎』、大映は山本富士子の『女と三悪人』、日活は小林旭の『渡り鳥北に帰る』、東映は『ひばり・チエミの弥次喜多道中』と中村錦之助の『若き日の次郎長』といった具合だった。
このように賑やかな作品が並んだが、新東宝のみは、『赤と黒の花びら』という地味な作品だった。前年には、『狂熱の果て』と意欲的な作品が公開されていたのだが。

こうした正月映画のあり方は、1970年代以降なくなったと思う。
その原因は、日本映画のあり方が変化したこともあるが、洋画封切りで、『タワーリング・インフルノ』に始まる、一斉公開・ブロック・バスター方式公開の普及もあったと思う。
これを邦画で応用したのは、角川映画で、短期にテレビ広告をはじめ広告を集中的にやって一斉に公開してヒットを狙うものだった。
最後まで、「正月映画」を維持していたのは、松竹の渥美清、山田洋次の『男はつらいよ』シリーズだったが、これも渥美清の死で、終了になってしまった。






柳田悠岐の父親は、柳田豊の従兄弟

2021年01月19日 | 野球
昔、近鉄に柳田豊という投手がいた。

         
右のアンダースローで、ものすごい二段モーションだった。
一度、完全に後ろを向いた後に投げてくる投手で、たぶん二段モーション投手で一番に二段ぶりが大きかった投手だと思う。
100勝をあげているのだから、一流だったと思う。

この柳田の父親の従兄弟の子が、ソフトバンクホークスの柳田悠岐なのだそうだ。
柳田は、高校時代から地元広島では注目されいたそうだが、東京では無名で、中央大学のセレクションを受けたが不合格で、広島経済大学に進んだとのこと。当時は、体が細くて駄目だったのだそうだ。
その後、体ができて、ソフトバンクホークスに入り、今日のトリプルスリーの柳田ができたとのこと。

米穀通帳

2021年01月19日 | その他
長く市役所にいたが、一度も関係しなかったのが、米穀通帳事務である。
若い人は、知らないかもしれないが、封筒くらいの大きさで、実家の茶の間にも吊されてあったと思う。

       
戦後の映画を見ると、この「米穀通帳・・・」が出てくるが、これは食糧管理制度の一環だった。ちなみに、食管制度ができたのは、1918年の米騒動の結果である。
このとき、できたのが食管制度、中央市場と意外にも、同和事業なのだ。
それは、米騒動の打ち壊し等に、被差別の人が多数参加していたとのことで、為政者は恐怖した。ロシア革命も、フランス革命も、基は食い物の問題だから、日本の為政者が恐怖したのも無理はない。

その食管制度も、改良はなかなか進まなかったが、戦時中の米不足で可能になっやのが、米穀通帳だった。
1970年代に横浜市役所に入ったときにも、区役所総務課の事務分掌に「米穀通帳に関すること」があった。
具体的には、 なにをしたのか知らないが、元々は新規の転入の歳に発行していたのだと思う。
『ゴジラ』の大作曲家の伊福部昭先生も、戦後東京に転入するのに苦労したというのだから、戦後の日本の食糧事情は悪かったのだ。




『夫婦旅日記・さらば浪人』が終わった

2021年01月18日 | テレビ
BSフジで放映されていた『夫婦旅日記・さらば浪人』が終わった。
これは、大映倒産後の1976年にフジテレビと勝プロダクションで製作されたシリーズで、1回づつの読み切り作品だった。原作は、山本周五郎で、映画では松竹で『道場破り』として、さらに黒澤明脚本・小泉竣史監督の『雨あがる』でも作られている。

         

25本のシリーズの最初は、森一生監督の「雨あがる」で、最後も森で「ふるさとの空ふたたび」だった。
話は、故あって越後高田藩を離れて浪人になった三沢伊兵衛(藤田まこと)と妻たよ(中村玉緒)が、旅の地で遭遇するもので、人情劇である。
この二人で、興味深いのは、伊兵衛が妻に対して、普通の言葉で、むしろ敬語を使って会話していることで、伊兵衛の人間性がよくわかる。
つまり、非常にやさしい人なのだが、実は大変な剣客となっている。これは、藤田まことに大変によく合っている。

最後の「ふるさとの空ふたたび」は、伊兵衛のところに、かつての同僚の米倉斉加年から、藩の師範が急死して、三沢を後任に推挙したところ「藩主の許可を得たので、帰郷せよ」との手紙が着く。
高田への途中で、二人は旅の女性の伊藤ルリ子に会う。腹痛に襲われていたが、たよは「子を孕んだための悪阻だ」と言う。

伊兵衛は、藩主にもお目通りし、ほぼ師範になることが決まる。
だが、家老内田稔の祝宴に招かれた伊兵衛は、内田の娘と、同僚草薙幸二郎の息子の大田博之が結婚することを聞く。だが、根津の大工の娘伊藤ルリ子は、大田博之の子を孕んでいたのだ。
伊兵衛は、草薙と内田から、伊藤ルリ子に金を渡して江戸に帰せと命ぜられる。さらに、大田から藤田は、喧嘩を仕掛けられるが、逆に撃ち伏せてしまう。

最後、伊兵衛は、内田に詫びを入れるが、伊藤ルリ子を「江戸に帰せ」には同意できない。
そして、藤田と中村、さらに義父の田崎潤と妻の楠田薫、息子の伊藤洋一の5人で、またふたたび旅に出て行く。

この5人の旅出は、戦前から映画製作を続けてきた大映が倒産し、日本の映画、テレビ界という旅に出て行くしかない森一生らの京都の映画人の心情だったようにも見える。
これも、かの小泉の愚劣な『雨あがる』より、森の第1作目の方がはるかに上だったように、これも優れた作品だった。






「私はブレない」

2021年01月17日 | 政治
誰のスローガンだろうか。

         
これは、小泉純一郎内閣の郵政選挙の時の、菅義偉議員の標語だ。
今は、「国民のために働く」だが、本当だろうかと思うのは、私だけではあるまい。
一部には、「一部の国民のために働く」だという評もある。

さて、日本の近代史を見ると、昭和初期から敗戦に至る過程で、
「こんなひどい首相がいたのか」と思うが、菅義偉首相を見ていると納得できる。
当時と、現在では首相の選び方が違うが、無能な指導者が出てくるのは、一体どうしてなのだろうか。
逆に、菅義偉首相は無能ではなく、自分の考えを実施しているという意見もある。
デモクラシータイムスで、ジャーナリストの斉藤貴男氏は、
「先日、記者会見で国民皆保険制度の見直しを言ったのは、彼の本音で、このコロナ問題で、高齢者など不要な人間はいなくなれと思っているのではないか」と言っていた。中小企業も遅れたものは、淘汰されてよいとも思っているようだ。
小泉・竹中の「新自由主義経済」路線は、人を選別し、弱い物、遅れた者は、淘汰されても良いとする考えである。
実は、この新自由主義経済は、皮肉にもグローバル化で、無効になっているのだ。というのも、グローバル化で、企業はある国で利益を上げても、それを他国にもってしまうので、いわゆる「トリクル・ダウン」効果はないのだ。