指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

久しぶりのシモキタ

2014年03月31日 | 東京

用があって、雨の中を下北沢に行く。

シモキタに行くのは久しぶりで、小田急線が地下になっていて、井の頭線からもエレベーターで南口に出られるようになっている。

まだ工事中だが、以前よりも随分よくなっていると思う。

以前は、井の頭線から急な階段を下り、小田急線脇の狭い通路を通ってから階段を上がってやっと南口改札にたどり着くものだった。

私たち高齢者には、非常につらいものだったが、随分良くなったはずだ。

一部には、この整備工事に反対する方もいるようだが、バリアー・フリーの観点からは反対できないものだ思う


まだ、古本屋に加えて中古レコード屋があるのはさすがシモキタ。


どちらも横浜では、近年急激になくなってしまったものなのだから。


『その前夜』

2014年03月30日 | 映画

山中貞雄を中心とした京都の脚本家の集団「梶原金八」の作品の一つで、前年に山中貞雄が中国で死んだため、追悼作品として1939年10月に東宝京都で作られたもの。

幕末の京都、新撰組や長州などの勤皇派らの武闘派が町中を跳梁跋扈している。

       右は河原崎長十郎、左は河野秋武(山崎進蔵)

だが、そんな戦闘は京都の庶民には関係ないよ、というのがこの映画の主張である。

賀茂の河原では新撰組が戦闘訓練をしていて、汚れた衣服を川で洗濯している下級組員の加東大介(市川莚司)を見て、中村梅之助は洗濯業を思いつく。

梅之助の家は、老舗旅館の大原屋だが、父親は、将棋にしか興味がなく、家業は傾きかけている。

滞在しているのは絵描きの武士・河原崎長十郎のみであり、長女で芸者の山田五十鈴は、彼に秘かに恋心を抱いている。

次女が高峰秀子で、新撰組の下士・市川扇升と恋仲だっただが、彼は池田屋事件で死ぬことになる。

反して殷賑を極めているのが池田屋で、諸国の藩士が多数宿泊している。

祇園祭の夜、勤王派の連中が事を起こすことを密偵の報告で察知した新撰組は、池田屋に踏む込み、池田屋事件になる。

河原崎長十郎は、江戸に行き、大原屋をはじめ、京の人々は、いつものように生きている。

 

監督は、梶原金八の一員だった萩原遼だが、あまりメリハリがなく内容的にもよく分からないところもある。

萩原は、戦後は『新諸国物語』をヒットさせて東映の興隆に貢献したが、1960年代にはクビになり、ピンク映画も作るようになる。

「その前夜」は、言うまでもなく明治維新前夜のことだが、これが公開されたのは、1939年10月で、皮肉にも太平洋戦争の前夜になるのであった。

時代劇専門チャンネル

 


『活瓣時代』 御園京平(岩波書店)

2014年03月29日 | 映画

『地球防衛未亡人』を見た後、伊勢佐木町を歩いているとチャリティー古本市をやっている。

600円と安かったので買い、夜阪神が巨人に惨敗したゲームを見つつ読んでしまう。

低めの変化球が得意の能見が高めにストレートばかりを投げているのだから、打たれるのは当然である。

 

なかなか面白い本で、特に御園さん自身がサイレント映画を見ていて幼いころから弁士に憧れ、芸能事務所にいた経験もあるので、記述が豊富で正確である。

横浜の歴史の大家であり、元港湾局の田中常義さんは、いつも「原典、原資料に当たれ」とおっしゃっているが、その通りである。

最後にトーキーになり、弁士が失職した後の経歴が面白い。

徳川夢声、牧野周一、大辻司郎、大蔵貢らが有名だが、小津安二郎映画によく出てくる北竜二も元は弁士であった。

早稲田や銀座にあった全線座を経営した樋口旭琅という人もいたようだ。

歌手の前説の元祖西村小楽天も弁士からの転向組である。

因みに彼らは弁士といわれるのを嫌い、映画説明者と称したのだそうだ。


松本典子、死去

2014年03月29日 | 演劇

女優の松本典子が死んだ、78歳。間質性肺炎とのことだが、だいぶ前に舞台女優をやめたのは、その頃から具合が良くなかったのだろうか。

民芸の女優だったが、昔は民芸の芝居を見ていないので、その頃のは知らないが、以前戸板康二さんがレーニンを描いた芝居での女性闘士役が適役で良かったと書いていて、そうだろうと思ったことがある。

彼女を知ったのは、日活の女優としてで、多分蔵原惟繕監督の『狂熱の季節』が最初だが、これを見たのはかなり後で、他の作品だったが、すぐには思い出せない。

ただ、彼女の名前の「のりこ」は、「てんこ」と読めば、蔵原惟繕監督、石原裕次郎、浅丘ルリ子主演の「典子3分作」の『銀座の恋の物語』『何か面白いことないか』『憎いあンちくしょう』の、榊田典子になる。

これは、シナリオライターの山田信夫が、松本典子と知り合い、気にいって主人公にその名テンコを付けたと聞いたことがある。

                                         

意外な作品では、東映よりも先にヤクザ映画を日活がやった、石原裕次郎、浅丘ルリ子の『花と竜』にも出ていて、なんと芸者役で着物姿である。

舞台では、蜷川幸雄演出、清水邦夫作の『タンゴ、冬の終わりに』が良かったと思うが、この時は見て正直に言って、「随分と年をとられたな」と思ったものである。

今回の極めて早い死で考えれば、そのころから病は進行していたのだろうか。

知的で、少し冷たさも感じさせる特異な美人女優のご冥福をお祈りする。

ああいう知的な女優は今はいないのは、時代の性だろうか。

 


『地球防衛未亡人』

2014年03月28日 | 映画

世界のどこに出しても恥ずかしい監督と言われている河崎実の新作。

東宝の空想科学映画の中では『地球防衛軍』が一番だと信じ、正月には秘密基地の場所の西湖まで行った私にとって『地球防衛未亡人』とは見逃すわけにはいかない。

勿論と言うべきか、当然にも出来はチープである。ただ期待したほどは笑えなかったのは残念。

売り物が、壇蜜しかないのは厳しいが、三角諸島(尖閣諸島のこと)に上陸した怪獣が本土に上陸し、核再処理物質を食べ、世界中から再処理できない物が集まって日本中が好景気になると言うのはおかしかった。

そこから怪獣が核を食べてばかりで一切排泄せず便秘で、もし爆発すると地球滅亡の危機になると予言する博士は、かつての美少年堀内正美、JAPなる防衛軍の隊長は森次晃司

安倍首相、石原慎太郎をニュースペーパーが演じるところのみが大いに笑えた。

一時三角諸島に怪獣がいたため、日本、中国の双方が領土権を譲り合うのがおかしい。

最後は、勿論適当な解決だが、それに文句を言うバカはいない。

意外にも女性客が多かったが、壇蜜には女性ファンが多いのだろうか。

ラスト、怪獣を欲情させる彼女の踊りはいただけなかったが。

横浜ニューテアトル

 


『バルカン超特急』

2014年03月28日 | 映画

1938年、イギリス時代のヒチコック映画、大変有名な作品だそうで、私が見るのは多分4回目くらいだが、非常に面白い。

ものの本によれば、列車のシーンはほとんどスタジオで撮ったそうで、終盤近くで、コンパートメントに閉じ込められたマイケル・レッドグレーブが列車の窓から出て、悪漢と誘拐されかけた婦人がいる隣の部屋に乗移るシーン。

明らかに外に出ていて、別の線に列車がギリギリに疾走してくるのは、どのように撮ったのだろうか、何度見ても分からない。

多分、婉曲したスクリーンプロセスか、特撮で画面を嵌め込んでいるのだと思うが。

                           

話は、バルカンと言っているが、多分バルカン半島の旧ユーゴあたり(映画ではバンドリア国となっている)から、特急列車、オリエント急行でイギリスに戻る乗客たちのサスペンス映画。

所謂グランド・ホテル形式で、結婚式のためにイギリスに戻るマーガレット・ロックウッドと民族音楽学者のマイケル・レッドグレーブが主人公で、クリケット試合にしか興味のない英国紳士、不倫らしい愛人カップル、イタリア人奇術師らの乗客が乗っている。

貴婦人が乗ってきて、彼女に当てようとした花瓶が駅の二階から落ちてきて、彼女の代わりに頭にぶつかってしまったマーガレット・ロックウッドが知り合いになる。

だが、彼女が眠っている間に、目が覚めると貴婦人は姿を消していて、乗客の誰もが「貴婦人などいなかった」と言う。

彼女を信じてくれるのは、マイケル・レッドグレーブだけで、二人で列車中を探すことになる。

要は、彼ら以外の全員が嘘をついているわけで、最後は、このナチスに支配されているらしいバンドリア国の警察との銃撃戦になる。

事態を静観し、巻き込まれないようにしていたイギリス人たちも最後は戦いに立ち上がる。

そして貴婦人は実はスパイであり、二国間条約の暗号をメロディでマイケル・レッドグレーブに伝える。

最後、英国外務省に無事二人は付き、ロンドンに出迎えに来ていた婚約者を無視して二人は抱き合う。

ヒチコックの映画技術が完成されていたことを示す映画で、その意味ではわが日本の円谷英二も、この頃すでに東宝の航空教育製作所で、特撮技術を磨いていたのである。

ヒチコック映画に意味をさがすのは、あまり意味のないことだが、あえて言えば、情勢に無関心、静観していると、いずれは紛争に巻き込まれるぞ、ということだろうか。

この翌年には、ドイツのポーランド侵攻で、第二次世界大戦が始るのだから。

イマジカBS


朝倉摂、死去

2014年03月28日 | 演劇

美術家・画家の朝倉摂が亡くなられた、91歳。

私が知っているのは、舞台美術だが、特に蜷川幸雄の芝居での作品がすごかったと思う。

『ロメオとジュリエット』、『にごり江』でのほとんど一つの舞台のような仕掛けの中で、役者たちに濃厚なドラマを演じさせた。

     

『心中近松物語』では、かなり開かれた空間になったが、この人の舞台の良さは、一種閉じ込められた空間で、役者たちを演技させる場の提供だったと思う。

それが、蜷川幸雄の要求する過激なドラマを成立させていたと思う。

私事で恐縮だが、私の次女が彼女の舞台美術が大好きで、『朝倉摂の舞台美術』という大部の本を買わされたこともあった。

その娘も、昨日やっと大学を卒業して就職した。


ご乱心もの 『続・道場破り』

2014年03月27日 | 映画

前作の『道場破り』がヒットしたのだろう、長門勇主演、丹波哲郎助演で作られた松竹京都の時代劇。

話は、ある剣法道場の三代目の御曹司の長門勇が、有望な弟子の一人菅原文太をいきなり殺してしまい、一切理由を言わない。

そこから長門は様々な奇行を起こすようになるという、『忠直卿行状記』のような「ご乱心」ものである。

もちろん、最後はご乱心、ご乱行の理由が明かされるが、あまり納得できるものにはなっていなかった。

こうしたご乱心ものは、大正ヒューマニズム的で、武士道の非合理性、非人間性を描くもので、以前は納得できなかった。

     

だが、4年前の鳩山由紀夫首相の、「宇宙人的言動」を知って私は考えを変えた。

「こういう上流にいて、普通の人間の世界から隔絶されて生きてきた人間には、ご乱心と見えるような性向がありうるのだ」と。

そう考えると、現在の安倍晋三首相の言動のおかしさも、一種の「ご乱心」として考えられるのではないかと思った。

安倍首相は、幼少時から公立学校には通わず、彼と同じ階層の私立学校に行っていたのだから、多分友人も側近のごとき者で、忠直卿のような生育環境だったのだと思う。

誰か、若殿のご乱心を止める本当の忠臣は、自民党にいないのだろうか。

 


『赤土の家』 朝比奈愛子

2014年03月26日 | 音楽

前から、朝比奈愛子(雪村いづみの妹で、ロカビリー歌手として結構人気があり、舞台、テレビ、映画にも出ていたが)、最近まったく姿を見ないがどうしているのか気になっていて、ネットで検索すると、この小説を書いていることを知った。

小説と言っても、ほとんどが彼女と姉雪村いずみのことで、「ああそうだったのか」と思うことが多々あった。

彼女たちの父朝比奈愛三は、戦前にハワイアンバンドのカルア・カマアイナスでギターを弾いていたという人だった。

このバンドは三井財閥の御曹司朝吹英一が友人たちと作ったものであり、朝比奈愛三氏も上流の方だったのだろう。

彼は戦後は語学力を生かして米軍関係の仕事についていたが、突然自殺してしまう。

原因は、彼の美しい妻と米人の上司との仲を疑い、その煩悶の果てだったようだ。

そして、長女が雪村いずみとして歌手デビューし人気を得て、美空ひばり、江利チエミとの3人娘として大人気になる。

当時、私はまだ小学生だったが、3人娘の中では、雪村いずみが一番好きだった。

理由は、多分最も垢抜けていて、西欧的な雰囲気を持っていたからだろう。

また、当時は気がつかなかったが、彼女は家庭の事情から急遽歌手になったもので、そうした素人らしさに好ましい感情を持っていたのかもしれない。

現在聞くと、言うまでもなく美空ひばりがジャズを歌っても圧倒的に上手く、ついで父がジャズメンだった江利チエミで、残念ながら雪村いずみは最後になってしまうが。

長女いづみの成功につられて長男も歌手になるが大して成功せず、次女も朝比奈愛子としてロカビリー歌手デビューする。

彼女は結構テレビに出ていて、先日今井正の映画『キクとイサム』にも出ていて不思議な気がしたが、これは彼女が水谷良重(二代目水谷八重子)らと調布の中央映画スタジオで遊んでいた。

そこでは、映画も撮影していて、今井監督が「あの子が良い」としてキャスティングされたのだそうだ。

だが、彼女は姉に比べて常に自分は劣っているという感情を捨てられず、歌手を諦めることになる。

そしてその後、彼女はどうしているのか、雪村いずみの付人として働いているようだ。だが、実際は別にベテラン女性がいるので、ほんとんど愛子にはすることがない。

だが、そうした人間を雪村は、朝比奈家の長女として庇護するのだそうだ。

彼女と、年下のアメリカ人ジャック・セラーとの関係もそうで、雪村のアメリカ巡業の時の学生アルバイトとして知合い、婚約して日本のマスコミで大騒ぎになり、結局はなんとか結婚したが、彼には勿論日本での仕事はなかった。

悪く言えば、彼女のヒモごときになってしまい、最後は米国から両親まで家に来て居候するようになる。

その時、彼女はこう言ったという。

「彼が自立して両親を扶養する機会を奪ったのは私なのだから、私がみんなの面倒を見るのは当然でしょう」

ジャック・セラーとは結局離婚するが、1本だけ彼が出ている映画がある。

日活の石原裕次郎主演の『零戦黒雲一家』である。

ここでは、敵対する戦闘機のパイロットで、なぜ出ているか不思議だが、この作品には永六輔がギャグ・ライターとして参加しているので、その関係だろう。

 


「ラ・ベビー・シッター」という映画

2014年03月25日 | 映画

ベビー・シッターに子供を預けたところ、死んでしまった事件が問題になっているが、原題が「ラ・ベビー・シッター」という映画があった。

邦題は『危険なめぐり逢い』と言うルネ・クレマン監督のサスペンスの傑作である。

美術学生で、彫刻をローマで学んでいる貧乏学生のマリア・シュナイダーは、ある日「子供を見てくれ」との依頼の電話が入り、大きな邸宅に行くと男の子が一人でいる。

そこから彼女は、児童誘拐事件に巻き込まれる。

       

それは、彼女のルームメイトのシドニー・ロームと彼女の仲間ロバート・ヴォーンらが仕組んだ事件だった。

彼らは、もともとはアメリカの映画俳優だったが、失業してイタリアに来ていた。

ポルノ映画の撮影の時、シドニー・ロームは、ヌードを要求されるができない。

彼女のお腹には大きな傷跡があったからだ。

その傷は、大会社の社長の秘書の男が自動車事故で付けてしまったもので、彼はシドニー・ロームへの同情から愛し合うようになっていた。

最後は、意外な結末になり、誘拐事件は解決し、一時は誘拐犯と思われたマリア・シュナイダーのことを、男の子が警察に聞かれると、彼は、

「あの人は素晴らしい人だった」と答える。

ボーイッシュで寡黙な演技のマリア・シュナイダーが素晴らしい作品だった。

確か彼女も数年前に死んだはずだ。

また、フランシス・レイの甘美な音楽も非常に良かった。

 


『日本映画学会会報38号』が送られてくる

2014年03月25日 | 映画

「日本映画学会会報38号」が送られてきた。昨年秋に映像関係では一番小さいこの学会に入会したのは、ここは会費が安く、また入会に推薦者が不要だったからである。

勿論、拙書『黒澤明の十字架』も送ったので、その書評と私が書いた自己紹介文『黒澤明産業に新規参入して』も載っている。

拙書の書評は、中部大学の小川順子さんで、筋を簡単に紹介した後、社会のコンテキストの中で黒澤作品を読み取ろうとしていると書いている。

それは正しいのだが、『羅生門』では、セックスを肯定しているのに、『赤ひげ』では、同性愛を否定し、さらに同時期にピンク映画を作っていた本木荘二郎を軽侮するような記述があるなどと見当違いもあって驚く。

私は、同性愛もピンク映画も否定していないが、黒澤が否定的だったという風に書いたつもりだったのだが。

要は、この人が言いたいのは、「この本はエッセイであり、学術論文ではない」ということのようだが、それは当然である。

普通の人が読む本として書いたのであり、当初は単行本ではなく新書版くらいで出すつもりだったのだから。

黒澤明への愛に溢れているとは少々驚いた。

私は、実は黒澤は、いつも尊大で偉そうなのでそれほど好きではなく、少なくとも溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男、黒澤明の四大監督の中では、小津についで好きではない監督なのだが。

好きな順で言えば、溝口、成瀬、黒澤、小津になり、下から二番目であるのだが。

黒澤をはじめ、映画と時代、社会を考える入門書として最適とのご評価を頂いた。

小川先生、大変ありがとうございました。今後もどうぞよろしくお願いいたします。


『香港の夜』

2014年03月24日 | 映画

2007年にフィルムセンターの『歌謡映画特集』で上映された時、私は次のように書いた。

東宝と香港のキャセイ・オーガニゼーションの1961年の合作映画。
監督は東宝のベテラン千葉泰樹、脚本井出俊郎。
主演は宝田明と香港の美人女優尤敏(ユーミン)
彼女は、鈴木保奈美と安田成美を足して二で割った美人。
後に、歌手ユーミンが出たとき、あの美人女優と同じ名を名乗るとは良い度胸だと思ったが、ひどいブスだったのには驚いた。やけくそだったのだろうか。

話は通信社記者宝田が偶然寄った香港でユーミンと知合い、恋に落ちる。
女性画家司葉子が恋敵で、司の感情が大変きめ細かく描かれている。
ユーミンが実は日本人の母との間の子であり、戦後日本に帰国後、行方知れずになっている母親探しをするあたりから真面目な物語になる。
木暮三千代との再会には、やはり涙が出た。

最後、母を見て宝田との結婚を躊躇していたユーミンが決意したとき、宝田はラオス内戦の取材で死んでしまう。
その時の司の台詞
「この悲しみもいずれ時が解決してくれるでしょう」
それに対するユーミンの言葉
「あの人を愛したことは決して忘れません」
これは、すべてを水に流す日本といつまでも忘れない中国との意識の差である。
合作映画は安易な作品が多いが、きちんと作られた作品で大変感心した。

だが、この映画、歌はサンパンでユーミンが歌う『香港の夜』だけで、一体どこが「歌謡・ミュージカル特集映画」なのか。

非常に良く出来た合作映画だと思う。

日本と中国、ここでは香港だが、との映画というと、戦前の長谷川一夫と李香蘭の3部作がある。

だが、そこでは日本人の男は中国人女性から必ず惚れられる役だが、ここでは相思相愛というよりも、むしろ宝田、つまり日本の男が中国人の女性を追掛けるように変化している。

日本と中国の関係の変化の現れというべきだろうか。

ともかく宝田明が、ユーミンと司葉子の二人の美女に持てるのがおかしいといえばおかしいが、それがメロドラマであり、娯楽映画というものである。

十分に堪能したが、ユーミンは後に女優を辞め、華僑の実業家と結婚したが、早く亡くなられているようだ。

やはり美人薄命である。
日本映画専門チャンネル


『道場破り』

2014年03月23日 | 映画

去年亡くなった長門勇の主演第一作と謳っているが、そのとおり彼の数少ない1964年の主演作品。

監督は、内川清一郎で、脚本は小国英雄だが、原作は山本周五郎の『雨上がる』より、となっている。

『雨上がる』と言えば、小泉堯史の愚作『雨上がる』の原作ではないかと思いつつ見るが、この二流時代劇の方がはるかに面白い。

冒頭、多くの武士に護衛された駕籠の列を長門勇が襲い、岩下志麻を救い出す。

そこから話が飛んで、長門はある天領で、道場破りと賭け試合で生き、最下層の連中が住む宿にいる。

長門の殺陣の上手さを味わう作品だが、そこに丹波哲郎と倍賞千恵子の特別参加があり、原作を大きく膨らましている。

それは、諸国を旅している浪人の長門勇と岩下志麻夫婦は、実は藩主の側室になることを嫌った岩下を下級武士の長門が救い出し、夫婦になったとされている。

この設定は、山本周五郎の原作にはなかったように記憶しているが。

最後、天領の領主宮口精二に剣の腕を見込まれて剣術指南役に取り立てられようとするが、掛け試合のことがバレて取り消しになる。

道場破りは良いが、賭け試合で金を得ることは駄目と言うのは不思議な論理に思えるが。

二人は、関所での立回りにも勝って再び次の藩へ旅立っていく。

長門は、「今度は、大藩なので、きっと仕官の口が」と言っているが、岩下志麻は、もうそんなことは信じていない。

監督の内川清一郎は、新東宝出の二流娯楽映画監督だが、それでもこの程度のものは作っていた。

1960年代の日本映画のレベルの高さがよくわかった。

衛星劇場

 

 


モンゴル4人目の横綱誕生か

2014年03月22日 | 相撲

シネマジャック&ベティを出て、黄金町のたけうま書房に行き、福田陽一郎の『渥美清の肘付き』と「はま太郎」を買って戻る。

福田の自伝は、初期のテレビ界のことが詳述されているようで、興味深い。この人は4年前になくなったが、女優の稲野和子と結婚していた

 

4月19日の「映画『細雪』の戦後史」のチラシも置いてもらう。

 



部屋につくとちょうど高校野球の前の試合が終わった時で、阪神とオリックスのオープン戦を少し見た後、4時前から小山台の試合を見る。

 

小山台の伊藤投手は悪くないピッチャーだが、本格派だったので、履正社に力で打ち込まれてしまう。

 

逆に軟投タイプの投手だったら、もう少し点は取られなかったのかもしれない。

 

まあプロとアマが戦っているようなものだから、結果は仕方ないだろう。

 


大相撲で、白鵬を琴奨菊が破ったのを見る。

 

いよいよモンゴル横綱4人目が誕生になるのだろうか。

 

私は賛成である。


『ペロコスの母に会いにいく』

2014年03月21日 | 映画

上映が今日までというので、シネマジャック&ベティに行く。

ペロコスとは、玉ねぎのことで、ハゲ頭の息子岩松了のこと。

岩松は、元は劇作家・演出家だが、最近は俳優の方が多いようだ。

                  

長崎の広告会社に勤める岩松は、高齢の母赤木晴恵と、フリターの息子大和田健介との3人暮らし。

仕事は不景気で上手くいかないが、彼はライブハウスで自作曲を歌うのが唯一の趣味、一番の気がかりは母が最近認知症が進んでいること。

日常生活の不都合から、グループホームに入所させることになるが、そこの入所者はまるで子供に戻ったようなおかしさ。

監督の森崎東は、そうした認知症を嘆くでも、告発するでも、行政等の不備を言い立てるのではなく、彼らの日常のおかしさと悲しさをやさしく見つめる。

森崎は、松竹大船時代から、常に虐げられた者や世間から蔑視されるような人間たちを主人公にして作品を作ってきた。

それは、時として非常にクセのある、重たいものになり、簡単に同意できないときもあったが、ここでも新たな弱者というべき認知症、ボケ老人を対象にしている。

作風は、前作の『ニワトリは裸足だ』あたりから、少し重さが取れて、軽くなったようで、ここでも母と息子の関係は、異常に歪ませることもなく、普通のこととして描いている。

赤木の若い頃が、原田貴和子でその友人が原田知世というのが上手い配役である。

原田貴和子の夫で、酒乱の父親は、加瀬亮というのも適役である。

 

最後、長崎のランタン・フェスティバルで、赤木が過去の追想にひたり、一瞬意識を戻した場面は、大変感動的である。

それにしても人の一生というものも、実に儚いものである。

わずか数十年しか人間相互の関係はなく、いつか消えてしまう。

だが、それが人生だとして、どこかで何かにつながり、誰かに受け継がれていくものなのである。

森崎監督の人徳だろう、主演の赤木、岩松、大和田らの他、グループホーム職員の根岸季衣、赤木の姉妹の島かおりや長内美奈子など、多くの古い役者が出ている。

キネマ旬報第一位だそうだが、それにふさわしい作品である。

シネマ・ベティ