指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『その場所に女ありて』

2006年04月30日 | 映画
こんなにいい映画とは知らなかった。とても驚いた。
昭和37年、監督鈴木英夫。脚本は監督と、東宝の宣伝部にいた升田商二で、広告業界の内幕。

製薬会社の宣伝企画をめぐるライバル会社(電通と博報堂だろう)の営業マン宝田明と司葉子の争い。
実際、業界にいた人だけに話にとてもリアリティがある。
しかも、司葉子主演で、同僚の大塚道子、水野久美、原知佐子など、完全なフェミニズム映画である。
現在見ても全く古くなく、この時代にこれだけ女性をきちんと、また反面の悲しさを描いているのは大変少ない。

特に、大塚道子が独身で、お局様的姉御なのだが、これがとてもぴったり。俳優座での芝居を含めても、多分代表作だろう。

この時代、すでに一部ではピンク映画など、セックス表現が過剰になって行くのだが、ここでは性表現はない。結局、宝田と司は関係するが、その表現はなし。

だが、約10年後に、大映はつぶれ、日活はロマン・ポルノになってしまう。
今考えるときわめて早い時代の推移だった。

悲劇の行方

2006年04月28日 | 映画
監督大島渚によれば、昭和30年代前半まで、日本映画は、日本人をすべて悲劇の被害者として描くものだったそうだ。戦争、封建制、貧乏の被害者。

確かに大ヒット映画『君の名は』は、戦争と封建制の(親が決めた結婚による)悲劇であり、大映のドル箱だった『母』シリーズは、戦争と貧乏、さらに封建制の(生みの母なのに、実の子に母と名乗れない)悲劇だった。
それが、変わったのは昭和30年代中頃以降である。
増村保造、中平康、岡本喜八、沢島忠、さらに大島渚、あるいは今村昌平らの作品を経て、悲劇は一面的ではなく、複雑なものになった。

また、その転換期の作品として、吉永小百合主演、浦山桐郎監督の『キューポラのある町』のように、「貧しく暗くても明日を目指して頑張って行こう」という日本共産党・民青路線のような、悲劇を悲劇として認めない、変な映画もあった。

今や、高度成長、バブル崩壊を経て、日本の映像界では、悲劇は実態を喪失しつつあるように見える。
ここで、主流を占めるのは、難病、生き返り、ホラー等である。
これは、いずれにしても悲劇の実態が見えにくくなった時代の産物である。
だが、不思議なことに悲劇こそ実は最も日本の大衆に愛される劇なのである。

『肉体の学校』

2006年04月27日 | 映画
大森キネカの「三島由紀夫映画祭」の4本目。1965年に東宝。脚本井手俊郎、監督木下亮。主演岸田今日子、山崎務。音楽は大映等で、師匠伊福部昭なみの重厚な作品(『夜の素顔』『白い巨塔』『陸軍中野学校・開戦前夜』など)が多い池野成で、この映画には合っていない。

物語は、元男爵家の未亡人岸田今日子がゲイバーの美青年山崎務を愛し、彼を通じて愛の駆引きを学ぶ。
「肉体の学校」とは羊頭狗肉で、せいぜい「愛の学校」程度。時代がまだ、ポルノ以前なので、きわめて微温的な性表現。日活ロマン・ポルノでは、この手の話を多く見た気がする。その意味では、先駆的な作品。

木下亮監督は、デビュー作『男嫌い』を見たことがあり、テクニックばかりの凡作で呆れたが、これはじっくりと撮った作品で相当に良い。この人は演劇をかなり知っている、と言う気がした。
三島の原作の性もあるが、全体にきわめてお芝居、お芝居しているが、それが上手く行っている。

話は、レイモン・ラディゲ以来の愛についての「ビルドゥグス・ロマン・遍歴小説」で、それをゲイバーの両刀使いの青年(山崎が到底21歳の大学生には見えないが)にしたあたりの皮肉が、実に三島由紀夫らしい。

滝沢秀明と松島菜々子あたりで、リメークできるのではないか、と思った。

好きな巨人選手

2006年04月26日 | 野球
阪神ファンだが、巨人でも好きな選手はいる。
高橋由伸、仁志、二岡ら。実力があり、嫌味がないからだ。上原も嫌いではない。
反対に大嫌いなのが、去年引退した元木。ゴマスリで組織を生きるのは、サラリーマンだけにしてもらいたい。

高橋由伸の打撃は天才的だと思うが、どこか決定的なところがない。
こういう天才型の打者はタイトルに縁がない。昔、阪神にいた藤田平を思わせる。藤田も完成された天才的な打者だったが、タイトルには縁がなく、確か首位打者を1回しか取っていないはずだ。
高橋もまだタイトルを一度も取っていず、巨人生え抜きのエリートでありながら、チーム・リーダーになれないのは、実に嘆かわしい。

やはり公明党がキャスティング・ボードを握っている。

2006年04月25日 | 政治
衆議院千葉7区は、僅差で民主党が勝った。期日前投票があまり多くないという報道だったので、もしかすると民主が勝つのではと思っていたが、そのとおりになった。
期日前投票というのは、実は公明党票が大変多いのである。
なぜ多いかは書かないが、事実だ。感じで言えば期日前投票の50%くらいは公明党票だろう。
今回、これが多くなかったことは公明党が、熱心にやらなかったということになる。

前回の衆議院総選挙は自・公与党の圧倒的勝利で、自・公と民主の得票数は、大体3対2だった。だが、小選挙区制なので、議席としては3分の2を越す大勝利になる。
だが、この3の内、自民は2で、公明票が1だったのである。
だから、自公大勝利には、公明の1が大きく貢献してた。
本来、自民と民主は2対2で、大きな差はないのだ。
だから、今後もし公明が自民から離れたら、形勢は一挙に逆転することになる。

今回、公明があまり熱心にやらなかったのは、来年の地方選、参議院選を考えるととても興味深い現象である。

『愛の渇き』

2006年04月25日 | 映画
1966年蔵原惟繕監督、浅丘ルリ子、中村伸郎、石立鉄男主演。脚本は蔵原と藤田繁矢(藤田敏八)。原作は三島由紀夫。1967年に鈴木清順の『肉体の門』等と3本立で見ているが、難解でよく分からなかった映画。

関西の大富豪中村の次男(小高雄二)の嫁だった浅丘は、夫の死後、義父中村のものとなり、広大な屋敷に住んでいる。
そこにはインテリの長男山内明・楠有子夫婦、出戻りの小薗蓉子らがいる。

浅丘は下男・石立の若く粗野な魅力に惹かれている。今やアンパンマンのごとき石立がまだ若く細い。
石立が、小屋で鶏の羽をむしっているとき、血の性的な匂いに浅丘は気を失う。
倒れている浅丘に石立が接吻する。
この二人の関係は、三島と、彼の同性愛の相手で最近亡くなられた『剣と寒椿』の作者福島次郎氏との関係のように私には思えた。
気を失っている自己に相手が接吻するというのは、甘美な性的欲望である。

この作品での浅丘の抑圧された性的意識は、三島の抑圧されて倒錯した性的関係そのものである。

最後、屋敷から中村と浅丘が東京に出てゆく前夜、浅丘に呼び出された石立は「もっと苦しめばいいのだ」と本心を言い、浅丘をおそおう。
叫び声に駆けつけた中村の前で、浅丘は石立を鋤で惨殺する。
石立を埋めるため、泥を掘り返すと、そこに彼が中村の部屋から盗んだ愛の彫像
が姿を現わす。

見事な愛の悲劇だが、ここで最も「愛に渇い」ていたのは、実は三島由紀夫本人であることがよく分かる。

当時、日活で蔵原とコンビだった間宮義雄のカメラが大変美しく、黛敏郎の音楽がすごい。
かつて日本映画に文芸映画というジャンルがあったが、その最高峰の一つである。
三島も、生前「市川昆の『炎上』と並び最もよく出来た自作映画」と言っていたそうだ。

『日本残酷物語』

2006年04月24日 | 映画
阿佐ヶ谷ラピュタでの中川信夫監督特集。新東宝が倒産後、小森白、高橋典らと撮ったドキュメンタリー。題名は、大ヒット映画『世界残酷物語』の頂き。
内容も、『世界残酷物語』に倣い、日本の奇祭、イカモノ喰い、前衛芸術などで、言ってみれば今テレビでよくやっている、「世界仰天ニュース」程度の内容である。

アイヌの熊祭りで、熊を生贄にし、その皮を剥ぐあたりがショッキングだが、全体に中川監督らしくほのぼのとしている。
そして、制作された昭和38年という年は、日本経済の高度成長が始ったばかりで、まだ後の狂騒的な雰囲気まで行っていない時代である。

特に、奇祭等取材先の、田舎の人々ののんびりした表情が捉えられているのが大変興味深い。
この時期、特に田舎ではまだ高度成長の効果は波及していなかったことがよく分かる貴重なフィルムである。

あまり上映されない作品なので、なんと開場30分前に満員で、入れずに帰る人多数。

『郷愁は夢のなかで』

2006年04月23日 | ブラジル
「人生は一行のボードレールに如かない」と書いたのは芥川龍之介で、「人の命は地球より重い」と言ったのは、福田赳夫元首相だが、どのように平凡で無名の人の一生にも、どんな技巧を凝らした劇より複雑なドラマがあることが例証されるビデオ。
サンパウロ在住の映像作家岡村淳氏の作品で、再編集版の日本最初の上映。世田谷下高井戸シネマ。

2時間30分と長いが、様々な証言で主人公西政市(にし・せいいち)の一生が明かされる。
戦前、先にブラジルに行っていた叔父のまねきで鹿児島からブラジルに行く。
戦後、マットグロッソで大きなコーヒー農園を持つが、失敗し1980年に帰国する。
だが、兄弟とも上手く行かず、再びブラジルの戻る。
日本から持っていった金も騙し取られ、最後は隣人等の好意で1998年に養老院で死ぬ。

言わば最も失敗した移民事例で、いくらも反論はあろうが、私は大変興味深く、いろいろと考えさせる作品だった。

こういうドキュメンタリーを見ると、いいかげんな劇など見たくなくなる。

『ひとりぼっちの二人だが』

2006年04月22日 | 映画
昭和37年の日活映画。吉永小百合、浜田光夫、高橋英樹ら青春スターに、当時全盛期の坂本九、渡辺トモ子らが絡む歌謡映画でもある。この辺から、日活歌謡映画が生まれ、西郷輝彦、舟木一夫らの作品につながって行く。
監督が何でも作る舛田利雄で、脚本が熊井啓と江崎実生。
吉永が浅草から芸者に出る少女で(当時17歳だが、実に大人びてきれいである)、友人がチンピラの浜田とストリップ小屋の劇場係の坂本。若手ボクサー高橋は、吉永のいなくなった兄という設定。テレビが普及してきた時代で、テレビ中継で肉親を見つけるシーンがある。

とてもテンポが早く、また映像が深くていい。音楽も中村八大で洒落ている。
舛田利雄の青春映画でも最上級だろう。

また、高橋らを脅すヤクザが小池朝雄で、この小池と浜田の兄貴・弟分の関係は、この作品の翌年に制作され大ヒットした吉永小百合・浜田光夫の最高傑作『泥だらけの純情』でのヤクザの構成員につながっていることに気づいた。
いつも書いているが、傑作映画というのは、孤立して出てくるのではなく、ある傾向の作品の連続したつながりの中からのみ出てくるという例の一つである。

この映画のチーフ助監督は江崎だが、その下には後にプロデューサーとなる伊地知啓と岡田裕が付いていた。
岡田は撮影中のある日、日活の助監督を辞めジャーナリストになるため、某新聞社の入社試験を受けに行ったそうだ。
勿論、落ち岡田はその後、藤田敏八の助監督当を経てロマン・ポルノ時代になり、プロデューサーになる。
先日は萩原健一の脅迫事件の原告になり、勝訴しているのは周知の事実であろう。

東門前のパゴダは

2006年04月21日 | 都市
川崎大師の駐車場だった。
首都高からも近い、巨大な駐車場の真ん中に立っているので、恐らく将来は車の御祓いをここでするための施設だろう。

場内の石碑を読むと昔は製鋼会社の工場だつた。
道理でとても広い用地である。

ブラジル

2006年04月21日 | ブラジル
ブラジルは、今やロシア、インド、中国と共に「BRICS」として注目されているが、大変興味深い国である。
音楽など、ポピュラー文化も優れているが、ビジネスも大変合理的で、中南米では一番仕事のしやすい国なのだそうだ。

中南米では、産業が人種や民族で決められている国が多い。
金融がユダヤ人なのは有名だが、電気産業や販売はドイツ人といった具合である。
勿論、アメリカでもドイツ人は肉食加工業に大きなシェアを占めているということはある。これはドイツがソーゼージやハムなど、肉食加工にすぐれ、その技術を持ち込んだからなのだそうだ。
中南米の人種的産業の区分は実は大問題で、そのために新規参入を阻んでいるのであるが、ブラジルにはないそうだ。

ブラジルは、アメリカと同様世界中の移民によって出来た国で、地域毎の人種、民族の差異はかなり大きいようだが(日本人は中部に多く、イタリア人は南部に多いというように)、全体としては人種、民族の構成が大変多様な国である。日産のゴーン社長はレバノン系のブラジル人である。
そうした人種的多様性が、経済的合理主義が成立している理由の一つだろう。
私も、ブラジルの未来に大いに期待している。

『猫と鰹節』

2006年04月19日 | 映画
森繁久弥、三木のり平、森川信、伴淳三郎、それにミッキー・カーチスの「詐話師」が詐欺で儲ける話。カモを見せ金でつり、様々なインチキ賭博で金を取ってしまうプロの仲間。彼らが住んでいるところが、ひどいボロ・アパート。森繁の奥さんは乙羽信子、三木のは賀原夏子。
最後、仲間の一人だった千葉信夫が自殺し、その弔い「詐欺師大会」をする。

大阪の巨大キャバレーのセットや詐欺師大会でのバカ騒ぎが面白い。
こういうバカバカしさは、豊田四郎の『駅前旅館』にも出てくるが、東宝の上品な監督たちもバカ騒ぎが好きなようだ。
この映画は、黒沢明の『七人の侍』のチーフ助監督で、まだご存命の堀川弘通。
堀川は、市川昆と並び日本の元監督で最年長だろう。
他は、やはり元東宝の谷口千吉だろう。

大庭秀雄

2006年04月19日 | 映画
以前買った大庭秀雄監督のビデオ『ある落日』を見終わる。
井上靖原作、岡田まり子(字が出ない)、森雅之主演のメロドラマ。
妻のある社長森(勿論、病気で療養中)と独身のタイピスト岡田の不倫劇。
この二人の関係の描き方が大変論理的で、自然なのだ。
最近のいい加減な恋愛劇に比較して、極めて清潔で見ていて気分が良い。

大庭秀雄は、大ヒット映画『君の名は』の監督であり、大島渚の師匠だが、『君の名は』でも三角関係の描き方が大変論理的で感心したものだ。
ここでも森と岡田の二人が関係する過程がとても自然に描かれていて、全く無理がない。
大庭は、『君の名は』のために、メロドラマ監督とみなされ、松竹大船の監督でも中村登などよりは低い評価を受けているようだが、私は大庭の方が上だと思う。

この映画の制作中、大島渚は新人紹介の短編映画『明日の太陽』(十朱幸代のナレーションで、桑野みゆき、山本豊三、杉浦直樹、九条映子らを紹介する)を撮ることになり、チーフ助監督田村孟が大船撮影所をクルーが出発するとき、「大島組、『明日の太陽』出発します」と連呼するので、師匠の大庭さんが『ある落日』なので、中てつけみたいでとても気がとがめたと書いている。

役者黒木和雄と経歴

2006年04月18日 | 映画
先週、映画監督黒木和雄がなくなった。彼は、実は役者として何本かの映画に出ている。藤田敏八監督の日活映画『非行少年・陽の出の叫び』、村上春樹原作、大森一樹監督のATG作品の『風の歌を聴け』である。

『非行少年・陽の出の叫び』は、ラストシーンで非行少年が仲間の奪還を企て護送車を襲うところ。川の対岸で釣りをしている小説家。
この映画の撮影は、岩波映画以来の盟友の鈴木達夫なので、出たのだろう。
『風の歌を聴け』では、精神科医の役。なぜ出たかは不明。

どちらも余り出来の良い作品ではないが、上映されることがとても少ないので、いずれ黒木和雄特集をやるときは、関連作品として是非上映してもらいたい。

彼の訃報は各社とも、大学卒業後、岩波映画に入社となっていたが、彼の本によれば卒業後、ほんの一時期だが東映京都に助監督としていたらしい。
当時の東映は「撮影所内を歩くものは皆無、皆走っている」と言われた時代で、最悪の就業状況だったらしく、すぐに辞めて上京したようだ。

黒木は、最初に『飛べない沈黙』を見たときは、とても難解だったが、その後『祭りの準備』では、抒情的でとても分かりやすく、その変貌に大変驚いた。

彼は、画面構成が上手く、また役者の演出も良い。
60年代以降の日本の映画監督の中でも最上級だったと思う。

『海の野郎ども』

2006年04月17日 | 映画
新藤兼人脚本・監督の日活映画。主演裕次郎、安井昌冶ら、東京港に入港した外国貨物船の話。
積荷の鉄くずを横流ししている船長以下の白人船員と下級船員のインド、アラブ人との対立が主題。
最後は悪人連中の下っ端だった裕次郎も彼らから別れ、自立の道を暗示して終わる。

船が港に入ると、多数の商人がやってくる。これは船に食糧等を供給するもので、マリン・サプライヤーズと言い、日本語では「艦船商工業」と言う。
かつては港湾局の許可業であったが、現在はない。ここでは、食糧の他、女性も供給している。石井輝男の『ライン・シリーズ』にも同様の描写があった。

一番おかしかったのが、下級船員が「反乱」を起し、自国の独立を告げられ、「独立!、独立!」と叫び、アラブ的音楽(伊福部昭の「ゴジラ」的ドンドコ・ドラム)で踊るところで、これには参った。

アラブ人船員のリーダーがプロレスラーのユスフ・トルコ。
さすがに裕次郎とのアクション・シーンが上手く、裕次郎に手加減している。

アラブ人船員で、黒塗りしてジェリー・伊藤が出ている。
この人は、舞踏家伊藤道郎の子で、伊藤喜朔、千田是也の甥である。60年代映画の代表的外人の一人。

裕次郎がこんな映画にも出ていたという珍品的作品。
撮影が宮島義勇でやはりすごい。

言うまでもなく新藤兼人は大脚本家だが、監督としてはどうか。
私はいつ見てもやたら緊張させられ、息苦しい作品が多く、苦手である。
これも見ていて大変苦しい映画であることは間違いない。