指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

山崎徳次郎作品2本

2019年02月24日 | 映画

森下にある渡辺信夫さんの私設図書館「眺花亭」での映画会は、『事件記者』2本。『仮面の脅迫』と『真昼の恐怖』。

どちらも、今から見ればサスペンスとしての謎解きは単純すぎるが、映画は面白い。

なによりも、警視庁記者クラブの連中の動静が面白い。中心は、NHKテレビと同じく「東京日報」の永井智雄、滝田祐介、園井啓介、原保美らが活躍し特ダネを取る。そこに新人として沢本忠雄が入って起こす喜劇的筋もある。

              

なぜかいつもいる「ご老体」とよばれている大森義夫は、いったいどういう身分なのか議論になる。

一番の喜劇的役割は、「中央日々」の高城淳一と新人の山田吾一のやり取りが最高で、大いに笑えた。

そして、仕事の夜は、いつもの小料理屋ひさごで、おちかさんと酒を飲む。このルーティンは、後の刑事ものでもいつも使われたシーンである。テレビでは元松竹の坪内美詠子だったが、ここでは相馬千恵子。

何よりは、1950年代末の東京の情景が出てくることで、また江の島海岸も良く出てくるが、これは江の島水族館が日活の堀久作がやっていたためである。今の新江の島水族館も、堀の息子堀雅彦氏と結婚した女性が社長になっているのは、そのためなのだ。

因みに事件記者という言葉はなく、作者島田一男の造語で、本来は社会部記者である。

山崎徳次郎監督は、各種のベストテンに入るような作品は1本もないが、安定していて面白い娯楽作品が多い。

なかでは赤木圭一郎の『霧笛が俺を呼んでいる』がベストだと思う。

 


『続・座頭市物語』

2019年02月22日 | 映画

1962年に公開された「座頭市」シリーズの第二作目、監督は二作目監督とも言われた森一生。

                    

この人は、新興キネマ以来、永田雅一の子飼の監督だが、非常に良い作品が多いが、これも三隅研次の1作目と並ぶ映画になっている。

冒頭は、取手川の渡し船を客を退けてヤクザ達が乗り込むが市がいて、争いになり川に叩き込まれるが、頭目も顔を切られていて、伊達三郎はきずく「座頭市だ!」

勘兵衛の沢村宗之助、助五郎の柳永二郎が悪役で、そこに侍姿で、実はお尋ね者のヤクザの城健三郎と子分の中村豊が絡んでくる。

もちろん、城健三郎も凄い腕で、途中で勝新との対決もあり、盛んに「兄貴、兄喜」と言っているのでなぜかと思うと、最後で市の本当の兄であったことが明かされる。

だが、この辺ではまだ座頭市の勝新太郎は、後のように明るく喜劇的な役柄ではなく、不気味で不敵な面構えである。

また、カラーではなくモノクロなのもよく合っていると思う。

1962年というのは、次第に映画界が下り坂になる時期だったが、勝新の「座頭市」シリーズはまさしく上り調子で、田宮二郎との『悪名』と併せて、勝新太郎は大映の看板スターになっていくのだ。

この作品の特色として、音楽がいつもの伊福部昭ではなく、斎藤一郎なのも面白い。女優として水谷重江と万里昌代が出ていてこれも非常に良い。

日本映画専門チャンネル

 

 


独立プロデューサーたち

2019年02月22日 | 映画

昨日書いた映画『愛奴』のような変な作品ができた背景は、製作の篠ノ井公平という人だと思う。

どこかで、「インチキ・プロデューサーの一人」と書いてあるのを見たことがあるが、要は独立製作者だったのだろう。

元は、日米映画で助監督をやっているので、新東宝系の助監督だったのだと推測される。

新東宝は不思議な会社で、元は東宝ストライキの時の反組合派だが、中心の渡辺邦男や長谷川一夫はすぐにいなくなり、様々な独立製作者が関係してくるようになる。

篠ノ井公平の映画で私が見たのは、『黒幕』のみだが、エロ的表現のないピンク映画のようなものだった。

篠ノ井公平

                

  1. 製作
    1. 1966.02.19 黒幕  創映
    2. 1967.02.11 日没前に愛して  松竹大船
    3. 1967.09.02 夜のひとで  松竹大船
    4. 1969.05.22 愛奴  創映プロ
    5. 1969.07.26 やくざ非情史 刑務所兄弟  創映プロ
    6. 1969.10.08 やくざ非情史 血の盃  創映プロ
    7. 1970.02.21 やくざ非情史 血の決着  創映プロ
  2. 監督
    1. 1958.08.17 強奪された拳銃  日米映画=NTV  ... 助監督

篠ノ井と同じような製作者に望月利雄という人がいて、この人の悪口もどこかで読んだことがあるが、結構大作を作っている。

 

望月利雄

           

 

  1. 製作
    1. 1951.01.13 夜来香  新東宝=昭映プロ
    2. 1951.03.03 月が出た出た  新東宝=昭映プロ
    3. 1953.06.15 戦艦大和  新東宝
    4. 1956.02.26 姿なき一〇八部隊  大映東京
    5. 1961.05.31 北上川悲歌  第一プロ
    6. 1963.08.28 男の嵐  日米映画
    7. 1969.03.29 さくら盃 義兄弟  ニューセンチュリー映画
    8. 1969.08.23 さくら盃 仁義  ニューセンチュリー
    9. 1970.01.15 関東義兄弟  ニューセンチュリー映画  ... 企画
    10. 1970.05.16 喜劇 女もつらいわ  新国劇映画
    11. 1970.07.22 あしたのジョー  新国劇映画=日活
    12. 1971.02.06 夜の最前線 東京(秘)地帯  日活  ... 企画
    13. 1971.05.22 暁の挑戦  フジテレビジョン=新国劇映画
    14. 1972.08.12 海軍特別年少兵  東宝映画
    15. 1974.08.17 樺太1945年夏 氷雪の門  JPM
    16. 1976.10.23 星と嵐  東京映画=M・M・C
  2. 原作
    1. 1971.05.22 暁の挑戦  フジテレビジョン=新国劇映画

 

1950から60年代の日本映画界は、6社体制が崩壊する中で、いろいろな動きがあった。

最初は新東宝がその受け皿になり、その後は松竹が他社で作られた作品の配給先になるが、その一つだといえるのだろうか。 


『愛奴』 芸術エロとしてもまったくダメ

2019年02月21日 | 映画

なんでこんなのを作ったのか、と思う作品。

元は、栗田勇原作の芝居で、ここに出た早大生金沢優子は、「女子大生が裸になった・・・」とのことで話題になり、私も週刊誌のグラビアで見た。1966年頃は、現役女子大生ヌードはまだ珍しかったのだ。後の黒木香とは時代が違う。

私が早稲田の演劇研究会に入った時には、金沢優子さんはすでにいなくて、一度だけどこかの喫茶店で見たことがある。思ったよりも小柄、色白で、大人しそうな女性だった。噂では、その後は編集者になったとのこと。

さて、映画は羽仁進の監督で、主役は入社第一作と出た河原崎健三、彼は大学生で人形劇の一座にいるが、ある夜、不思議な女性円城寺夫人・額村喜美子と運転手・九重京司に案内されて謎の大邸宅に行く。

              

そこには、夫人の下僕のごとき女の愛奴・末松百合がいて、彼女と河原崎は陶酔的な一夜を過ごす。当時の言葉で表現すれば、めくるめく官能と言った奴だろう。

この表現が実におかしなもので、ハイキーの画面で、超クローズアップの連続なので、結局行為がよくわからない。

要は、筋書き同様に変にもったいぶっているだけで、無内容そのものなのだ。「芸術エロ」としても全くダメ。

公開された1967年は、まだピンク映画しかなく、ATGも『無常』などの芸術エロで大ヒットしたが、こうした作品群は、1971年からの日活ロマンポルノの出現で駄目になる。

芸術エロは、当時の大島渚、吉田喜重、さらに新藤兼人にもあったもので、衰退期の松竹の興行を支えた。

最後、円城寺夫人は東京大空襲で死んでいて、その亡霊がすべてを動かしていたとのばかばかしい謎解きになる。

この映画には、もう一人早稲田大学の劇研関係者がいて、助監督の榛葉光紀さんだった。榛葉さんは、3年上で照明をやっていて卒業後は東映の助監督になったとのことだが、契約助監督だったんだろう、この独立プロにもついたのだ。

俳優では、人形劇団のリーダーが増田貴光なのには驚いたが、声は吹替えのようだ。

      

その他、冒頭の方で慶応大学の白井健三郎先生が、最後の羽田飛行場のシーンには植草甚一が出ていた。

本当に変な映画だった。

もう1本、鰐淵晴子と姫ゆり子の家出娘映画の『明日はいっぱいの果実』は、大脚本家になった山田太一も、こんなひどいのを書いていたことがあることを証明した作品。

監督の斎藤正夫は、特に才気も感じられず、普通の下の出来で、これをヌーベルバーグの1本に入れるのはあんまりだと思う。

シネマヴェーラ渋谷


佐藤純彌、死去86歳

2019年02月18日 | 図書館

映画監督の佐藤純彌が亡くなられたそうだ。

この人の作品は、まじめだがテンポがのろく、私はあまり好きではなかった。

ただ、『新幹線大爆破』だけは、大傑作だったと思う。見逃したので、反町にあった反町東映で見たが、非常に面白いので驚いたのだ。
これ1本だけでも、日本映画史に残ると思う。
ご冥福をお祈りしたい。

headlines.yahoo.co.jp
 
映画監督の佐藤純彌さんが9日に多臓器不全による衰弱のため都内の自宅で死去したこと - Yahoo!ニュース(デイリースポーツ)

廣澤栄氏は・・・

2019年02月16日 | 図書館

元東宝の脚本家、助監督の廣澤栄氏の長男廣澤厚氏が、廣澤栄氏の資料を小田原市図書館に寄付したそうだ。

廣澤氏は、小田原の生まれで、横浜市神奈川区の神奈川県立工業高校図案科に入る。

卒業後は大好きだった映画の道へ行こうとのことで、小田原で喫茶店をやっていた実家に、あるウエイトレスを目当てでよくやって来る小田原東宝の支配人の世話で東宝砧撮影所に入ることになる。

入社して撮影のとき、製作の担当者から

「ここに付くとトクですよ、絶対に徴兵されませんから・・・」と言われる。

なぜなら、東宝は、「軍需企業」で、真珠湾攻撃の「マニュアル映画」等を東宝第二製作所(戦後は、新東宝撮影所、現東京メディアシティ)で沢山作っていて、きわめて陸海軍のおぼえめでたい映画会社だったからだ。

石井輝男も、「撮影部にいて、軍に協力していたので、会社が徴兵延期を二三度やってくれた・・・」と書いている。

黒澤明が、徴兵されなかったのも、東宝、具体的には映画製作責任者森岩雄氏の判断だったと思う。

「黒澤を第二の山中貞雄にするな!」との考えである。

だが、廣澤栄は1944年9月に徴兵される。廣澤のような若者で、会社にまだ貢献していない者には、東宝は徴兵延期をしてくれなかったのだ。

そして、応召して千葉の九十九里海岸で対米軍上陸戦のための塹壕作りに従事する。

そして、戦後東宝に戻ると、そこは戦前と同じ映画作りが進行していた。

戦前、応召する直前に従事した映画は、防諜映画衣笠貞之助監督、轟夕起子主演の『間諜海の薔薇』だった。

戦後に復帰して付いた作品は、同じく轟夕起子主演、阿部豊監督の『歌え、太陽』と、戦意高揚映画から娯楽映画への大転換だった。

 そして、さらに驚くことに、廣澤氏は、会社に籍をおきながら、鎌倉にできた鎌倉アカデミアに入ることになる。

東宝に再度復帰後は、多くの作品の助監督に付くが、注目されるのは黒澤の『七人の侍』にもセカンド助監督として従事していることだろう。

1960年に自作シナリオで『筑豊の子どもたち』で監督昇進の話が来るが、製作条件の問題で会社と対立し、監督昇進はできず、以後シナリオライターとして、テレビ等で活躍する。

これは公開当時に見たが、監督は娯楽派の内川清一郎で、中学生の目で見ても、中途半端な気がした。

岡本喜八や仲代達矢らとのテレビの仕事が多く、秀作が多数あったがここでは書かない。

                       

映画では、1961年の堀川弘通監督の『別れて生きるときも』は、非常に良い映画であり、現在公開されているなら、、間違えなくベスト10に入る作品だったはずだ。だが、当時は映画作品量産の時代であり、特に注目されず、16位とは非常に不幸だった。

また、堀川氏も、黒澤の直弟子とのことで、水準作品を作っても、「この程度?」という風に評価されていて、過少評価されていたことも逆作用していたと思う。

因みに以前、小田原市図書館の方に聞いた話だが、長男の方は、父の大変な姿を見ていたので、映画界とは関係のない普通のサラリーマンの道を選んだとのことだ。

 

  1. 監督
    1. 1951.05.11 その人の名は云えない  藤本プロ=東宝  ... 助監督
    2. 1952.03.14 息子の花嫁  東宝  ... 助監督
    3. 1952.10.09 生きる  東宝  ... 監督助手
    4. 1952.10.30 狂妻時代  東宝  ... 助監督
    5. 1953.05.27 母と娘  東宝  ... 助監督
    6. 1954.04.26 七人の侍  東宝  ... 監督助手
    7. 1955.03.08 泉へのみち  東宝  ... 監督助手
    8. 1956.01.14 驟雨  東宝  ... 監督助手
    9. 1957.10.27 善太と三平物語 風の中の子供  東宝  ... 監督助手
    10. 1957.12.01 善太と三平物語 お化けの世界  東宝  ... 監督助手
    11. 1958.07.12 喜劇 駅前旅館  東京映画  ... 監督助手
    12. 1960.01.15 女が階段を上る時  東宝  ... 監督助手
    13. 1960.05.21 娘・妻・母  東宝  ... 監督助手
    14. 1961.04.04 別れて生きるときも  東宝  ... 助監督
  2. 脚本
    1. 1960.11.13 筑豊のこどもたち  日本映画新社=東宝
    2. 1962.04.01 娘と私  東京映画
    3. 1964.07.11 悪の紋章  宝塚映画
    4. 1967.11.18 喜劇 駅前百年  東京映画
    5. 1968.02.14 喜劇 駅前開運  東京映画
    6. 1968.06.08 日本の青春  東京映画
    7. 1969.10.10 赤毛  三船プロ
    8. 1969.10.29 わが恋わが歌  松竹大船
    9. 1974.11.02 サンダカン八番娼館 望郷  東宝=俳優座映画放送
    10. 1981.06.06 漂流  東京映画

『荒野のダッチワイフ』

2019年02月12日 | 映画

1967年に国映から公開された大和屋竺監督作品。

             

大和屋らしく、殺し屋の話で、港雄一と山本昌平、津崎公平らで、さらに麿赤児らも出ているようだが、どの役かよくわからない。

明確に分かるのは医者の山谷初男で、この人は当時と変わっていない。

実は、大和屋さんの最初の作品『裏切りの季節』は、本当なら見る機会があった。それは早稲田大学映画研究会の部長曽根益男さんからで、

「大和屋という元日活の助監督だった人が、ピンクで映画を撮ったので見にってやってくれ」という映画のチラシだった。

当時、ピンク映画にはあまり興味がなかったので行かなかったが、今考えると貴重な機会を逃したことになる。

まず、海岸線の長い崖が続く場所で、殺し屋と依頼人がいて、腕試しをして縦断を13発発射し、明らかにわざと野っ原に1本だけ立てた木を撃つと、木は半分に折れ倒れてしまう。

「こんなところに立っている木は珍しいんだぞ!」には大笑いした。

殺し屋は「犯し屋」の港雄一だが、若いので顔つきが違うのには驚く。山本や津崎らも、今とかなり風貌が異なる。

画面が過去と現在、想像と現実が交錯するので分かりにくいが、同時期の鈴木清順の『殺しの烙印』によく似ているシーンもあり、鈴木清順作品の脚本に大和屋が大きく寄与していることが分かる。

新宿らしいバーや旅館の一室での殺しのシーンでは、いきなりアクションが展開するので少々戸惑う。

幻想的なところや詩的な部分も大和屋らしい作品だろう。

新宿の東口には、まだ都電の停留所があったのだ。音楽は当然にも山下洋輔。

シネマヴェーラ渋谷

 


『ゴメスの名はゴメス』

2019年02月11日 | 映画

長い間見たいと思っていて機会がなかなかなく、やっと見るとガッカリと言う作品は結構多いが、これもそれに属する映画。

  

中東で石油開発をしていたという技師の仲代達矢が帰国する途中に香港に寄って学生時代の友人平幹二郎に会うが、すぐに姿を消してしまう。

彼の消息を探すが、その中で同棲していた不幸な中国少女の栗原小巻、新聞記者芥川比呂志、貿易商の永田靖らと邂逅するが、分かったのは平幹二郎は、スパイになっていて、ベトナム戦争の和平を目指していたというのだ。

そして、二重スパイだったことがばれて殺されたというのだ。

成島東一郎の画面は美しくてきちんとしているが、監督の高橋治には、サスペンスの素養がないので少しも面白くない。脚本は星川清司で、本来は娯楽派なのだが、なぜかドラマは上手く盛り上がらない。

元はテレビで放映したものを再編集して映画用にしたものだそうで、画面もスタンダード版になっている。

栗原小巻の中国人女性は適役だが。

「ゴメスの名はゴメス」とは、スパイの暗号だが、元は昔平和と愛を目論んだゴメスと言う老人がいたそうで、世界の平和と愛を祈るのがテーマだと言うが、到底信じられない。

こういうのを、英語で言えば、プリテンシャスといい、形だけの中身のない映画と言うべきだろうか。

この後、高橋治は、大島渚、吉田喜重、篠田正浩などの松竹ヌーベルバーグの兄貴的存在だったが、決定的な作品はなく、この次にイスラエルで少年を主人公にした映画を作って松竹と映画界を去ったのは当然だったと思う。

この人の小津安二郎について書いた『絢爛たる影絵』は、『東京暮色』での有馬稲子を評価していないのは極めて不当だが、悪くない本である。

シネマヴェーラ渋谷

 


紀元節と言えば 『のりちゃんの喜劇教室』

2019年02月10日 | テレビ

明日は、建国記念日、元の紀元節である。

紀元節と言って思い出すのは、三木のり平の『のりちゃんの喜劇教室』である。

土曜日の8時半ごろにNTVから放送されていて、のり平とコンビの有島一郎がレギュラーで、毎回異なる設定の喜劇で、私は好きな番組だった。

その日は、紀元節の日で、南方の孤島に元日本兵が二人いて、三木のり平と有島一郎である。

そして、南島から宮城に向かって遥拝し、紀元節の歌を歌う、

「雲に聳える高千穂の・・・」「雲に聳える高千穂の・・・」「雲に聳える高千穂の・・・」

二人は、何度歌っても、次が出てこない。

最後は、いつも「・・・カラスと一緒に帰りましょう」になってしまうのだった。

ここにあるのは、戦争の愚かしさである。

誰が書いていたのか知らないが、当時のテレビ作者たちには、共通の意志として、戦争反対があったのだと思う。

              

              写真は、『座頭市二段斬り』のニセ座頭市 左は勝新太郎と小林幸子


『遠すぎた橋』

2019年02月06日 | 映画

1977年に公開された戦争映画の大作。

1944年に米英連合軍でドイツに対して実施されたマーケットガーデン作戦を描く。

                     

ショーン・コネリー、ジーン・ハックマン、ロバート・レッドフォード、ダーク・ボガード、エリオット・グールドなどの大スターが出るが、製作は独立製作者のジョセフ・E・レビンと言うところが凄い。

日本ではユナイトと松竹で配給され、映画館に行くと何度も予告編を見せられたものである。

ノルマンディー上陸作戦に続いて、オランダのドイツ軍を空挺部隊で攻撃するが、渡河作戦に難渋し、ついには撤退に至る。

英軍のモントゴメリー将軍の作戦に問題があったようだが、そうしたことろもきちんと描くところは英米の映画らしい客観的なところだろう。ただし、さすがに将軍本人は出てこなくて、部下のダーク・ボガードが代弁するのは仕方のないところだろう。

前半は、ショーン・コネリーらによる空挺大作戦だが、途中の渡河作戦になるとロバート・レッドフォードが中心になってかっこいいところを見せてファンにサービスしている。

最後は、結局は撤退になってしまうので、やや盛り上がりには欠けるが、戦争の実像が捉えられている作品だと言えるだろう。

監督は、元俳優のリチャード・アッテンボロー、英米には俳優から監督になった人が多いが、日本で少ないのはどうした理由だろうか。

ザ・シネマ

 


『疑惑』

2019年02月05日 | テレビ

テレビ朝日開局60年記念で、『疑惑』が放映された。

               

夫中村梅雀殺しの容疑者の若妻は黒木華、弁護士だが「悪徳」と言われているのは米倉涼子、そして冷酷な女性検事が余喜美子。

元の、1982年は、桃井かおりと岩下志麻で、検事役は男だったと記憶している。

女3人の怒鳴り愛の劇だが、黒木華の独壇場で、ほとんど一人芝居のよう。

最後、殺人事件ではなく、梅雀の自殺事件であることが分かって無罪となる。

殺人事件なので、裁判員制度になったので、検察、弁護の弁舌の巧拙で判決が左右されるという筋書きが作りやすくなったと思う。

ただ、最後のシーンは、映画で、無罪を勝ち取った二人が、互いに嫌な女として、桃井と岩下が服に赤ワインを掛けあう方が良かったと思う。

かつて、大竹しのぶは「芸獣」と呼ばれたが、黒木は大竹しのぶ並であり、芸獣二代目とよんでよい。

 


『アッシイたちの街』

2019年02月04日 | 映画

アッシイとは部品のことで川崎の比喩であるそうだ。川崎で、家族的部品工場をやっている古谷一行の1981年の映画、大映映像である。

脚本が山内久なので、テレビの『若者たち』のように兄弟が怒鳴りあう芝居が多い。

     

三国連太郎から花沢徳衛、乙羽信子、中原早苗、野村昭子、そして江藤潤、奥田英二、友里千香子、新井康弘、森川正太、水島涼太、佐藤万里などの若者まで、個々の役者に芝居のしどころを作っているのは、非常に上手い。

監督が山本薩夫なので、民青的歌声が展開されるのかと心配したが、それは全くなく、ブルース・スプリングスティーン風のロックなのには安心した。

山本は、元は画家を目指していたとのことで画面作りも上手く、さまざまなドラマをさばいていく手腕は凄いと思う。

また、特別出演が沢村国太郎で、元教頭で会社の経理を任せるが、連鎖倒産に直面した時、現金を持ち逃げする役には驚く。

この中で、奥田英二は、自分の工場で不良品を作ってしまい、古谷の会社を苦境に陥れ、恋人の友里の前で、トラックに飛び込んで自殺してしまう。この頃は、まだチンピラ役者だったのだが、今や大スターになったとは!

最後、古谷の弟の江藤潤と一緒になる関根恵子は、まさに「掃き溜めにツル」と言うべき美しさだった。

よく考えると、最後に苦闘の末に倒産してしまう古谷一行は、戦後東宝争議の後、新星映画、中央映画など数多くの映画製作会社の倒産にもめげずに映画製作をしてきた山本薩夫のことのようにも思える。

よく山本薩夫は同じ東宝出の監督として、黒澤明と比較されることが多いが、晩年は5年に1本しか映画を作れなくなった黒澤に対し、メジャー会社で次々と大作を監督していた山本薩夫の方が凄いといえるだろう。

川崎市民ミュージアム


『野獣の門』

2019年02月02日 | 映画

昨年亡くなられた古川卓巳監督の1961年の作品で、二谷英明の主演。

タイトルとラストで変な歌が流れるが、二谷の歌で、宍戸錠に似た声である。

          

原作山村正夫、脚本小川英。古川監督はまじめな作風で、アクションには不向きではと心配したが、非常に面白かった。

端的に言えば、鈴木清順的な世界なのだ。美術が木村丈夫ではない分、抽象的ではなくリアリズムであることが違う程度だろう。

秘密捜査官の二谷が、新規の銃弾の密輸入・使用を暴くために、暴力団安部徹の組に潜入する。

安倍の子分に杉山俊夫などがいるが、安倍の商売のパートナーは、杉山曰く「チャイニーズの李」こと二本柳寛で、安倍は彼にいいように使われている。

日活の誇る二大バンプ女優の中原早苗と楠有子も出てくる楽しさ。

二本柳と安部が仕組むのは、企業の経理担当者をだまして引き入れ、会社の金を奪取して、担当者を殺してしまうというもの。

最後、彼らに倣われるのは銀行の支店長下条正巳で、娘は松原智恵子。

年に二度だけ、公務員の現金の賞与が出る前日の夜の帰りに、下条を襲い、支店に戻らせて、金庫を開けさせて金を取る。

その時、二谷が、一味をかく乱し、二本柳は金を秘密工場(ふ頭の地下にあり、どうやら横浜港の新興ふ頭あたりのようだ)に運ぶ。実は、そこで改造銃弾も作っていたのだが。

そこに警察が来て銃撃戦となり、二本柳も安倍も死ぬ。

二谷に惚れていた中原早苗も、現場に駆けつけてくるが二谷はいない。秘密捜査官の彼は、次の事件に向かっていたのだ。

これの前に見た、若松孝二監督の1969年の若松プロの『裸の銃弾』は、いつもの裸と暴行の若松映画だが、脚本が大和屋竺なので、鈴木清順の『殺しの烙印』に似た感じもある。

この『野獣の門』の後に見た、1956年の東宝の『恐怖の逃亡』は、「カービン銃事件」を基にした作品で、監督のマキノ雅弘は、自伝では「ピンと来ない脚本だった」と書いているが、マキノ作品としては、きわめて冴えない映画だった。

シネマヴェーラ渋谷