指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

「お館さま」

2015年01月30日 | 映画
先日見た『大地の侍』では、伊藤久哉が演じた岩出山藩主伊達邦夷のことを皆が「お館さま」と呼んでいた。
家老の大友柳太郎のみならず、町の商人らも、そう呼んでいた。
「お館さま」は、戦国時代から武将のことを、そう呼んでいたようだが、この時代も同様だったのだ。

明治維新以後の近代社会で、「お館さま」と呼ばれて有名だった方がいる。
日本の近代史で三度首相になった近衛文麿の弟で、クラシック音楽、特に日本の交響楽団の発展に大変な功績のあった近衛秀麿である。
彼は、日本の交響楽団の父とでも言うべき人で、NHK交響楽団についても、本当は山田耕筰ではなく、近衛秀麿の功績とされるべきものだったようだ。
だが、やはり家柄の良さからくる鷹揚さと事務的能力の欠如から、山田耕筰のものとされてしまう。
もちろん、山田は、クラシックの公演のみならず、ラジオ、映画音楽、テレビなどでも積極的に活躍し、音楽を紹介するなど活躍したので、次第に非常に有名になったのだろう。美空ひばりとのレコードもあるなど、さすがというべきだろう。
今井正の映画『ここに泉あり』でも、東京から来た指揮者として映画に出てきてきちんと演技し、最後では指揮もしている。
戦時中は、軍服を着て活動し、そのことを戦後山根銀二から指摘され、批判された山田だが、戦後は、この映画のように「進歩的」陣営に属しているようなポーズをとっていたようだ。
その辺も、彼の方が時代への対応の仕方が非常に上手い。
要は、近衛秀麿の、特に戦後の不遇は、クラシツク音楽界における「貴族の退場」であり、日本の近代化に伴う民主化の結果だった。
今では、「お館さま」と呼ばれるような高貴な方は、天皇家とその近縁にしか存在しないに違いない。

『大地の侍』

2015年01月29日 | 映画
1956年の東映作品、原作は本庄睦男の『石狩川』で、明治維新によって宮城の土地を奪われ北海道に移住した岩出山支藩の苦闘を描く作品。
原作は、戦前に新協劇団で劇化されたこともあるそうだが、非常に良くできていて、筋も大変面白い。
監督は、抒情的な作風で昔から私は好きだった佐伯清で、彼は後に『昭和残侠伝』を作ることになる。
冒頭、侍たちが踊っていて、何かと思うと、藩士加東大介と高千穂ひづるの結婚式の祝いと、迫り来る官軍に対する戦いの戦意を上げようとしているが、
大きな砲声が宴会を終わらせる。
岩出山支藩は、勝利した官軍山形勲によって、領地召し上げと北海道への移住を命じられる。
家老は大友柳太郎で、藩主は伊藤久哉だが、東宝では皮肉で冷たい悪役が多い伊藤が気弱だが、素直で新時代に生きて行こうという役を好演している。
船と徒歩で、最初に与えられた石狩川河口に行くが、不毛の砂地だった。
大友は、江戸時代の旅行記にあった肥沃な奥地に行こうとして、開拓使の許可を得て原生林の中を踏査に行く。
一方、食糧を積んだ船は行方不明になり、責任を取って宮口清二は自害する。その妻は杉村春子など脇役も非常に良い。
踏査の案内をするのは花澤徳衛で、アイヌのにまで行きつくが、川を船で下ろうとして激流で加東大介と花澤は死んでしまう。
なんとか肥沃な原野に行きつき、開拓使に願い出て払下げを受け、その開拓の費用に、国の倉庫建設事業を請負い、原生林に道路を作って開墾に向かう。
細かい筋もよくできていて、また高千穂の父親が明石潮など、大変渋い配役が良い。私は、この人が非常に好きなのである。
最後、第二陣の連中が、開拓地を見下ろす丘に姿を現し、開拓地の連中との再会の大ロングのシーンに感動しない者はいないだろう。
音楽は、小杉太一郎で、伊福部昭を思わせる重厚な響き。

東映は、言うまでもなく満州に行った旧マキノ映画の連中が戦後引き上げてきて作った映画会社であり、複雑な思いがあったと思う。
因みに撮影の藤井静は、満州からシべりア抑留をされた方である。赤木春恵も満映から引き揚げてきて東映に入った役者の一人である。
この作品が公開された時の併映作品は、『電光石火の男』で、言うまでもなく高倉健のデビュー作だった。
高倉と、『大地の侍』の監督佐伯清は、後に『昭和残侠伝』シリーズを作ることになる。
フィルムセンター

死んだらそれまで 好きな映画スターベスト

2015年01月28日 | 映画
キネマ旬報の「好きな男女優ベスト」を見る。
男優の1位は、三船敏郎、女優の1位は高峰秀子で、これはきわめて順当だろう。
2位以下は、森雅之、市川雷蔵、勝新太郎、高倉健であり、女性の2位は、若尾文子、藤純子、浅丘ルリ子、原節子となっている。
やはり、幅広い役柄を演じた俳優が上位に入っているが、男優で長谷川一夫が入っていないのが変だと私は思う。
もっとも、「好きな俳優」なので、長谷川一夫を好きというのは、彼の日本映画界への功績を別にしても、ファン以外では難しいかもしれない。
今回のでも鶴田浩二や阪東妻三郎は入っているのだから、この辺はやはり名作に出たか否かの差でもあると思う。

さて、1985年にもキネマ旬報は、同趣旨のベストを実施しているが、これが今回とまったく違うのである。
男優の1位は、高倉健、2位は石原裕次郎、同2位で三船敏郎、4位阪東妻三郎、5位になんと長谷川一夫なのである。
女性は、1位田中絹代、2位山田五十鈴、3位原節子、同3位で吉永小百合、5位京マチ子である。

小沢昭一が、昔「懐メロ歌手は死んだら駄目、生きていることが重要で、淡谷のり子が偉大とみなされたのは、長く生きていたからだ」と言っていたが、俳優もそのようだ。
もっとも、原節子は、1985年の時点でもご健在だったが、現役引退していたのに、みなの記憶に残っていると言うのはやはりすごいのだが。

『チャンバラ』

2015年01月27日 | 演劇
流山児祥事務所30周年記念の公演で、黒テントの作家で2010年に亡くなった山元清多と、昨年亡くなった斎藤晴彦の追悼公演で山元作の『チャンバラ』が行われた。
演出は、黒テントにいたこともある鄭義信で、テントからは服部吉次、木野本啓、結城座から結城孫三郎、コンにゃく座から井村タカオ、そして流山児祥事務所からは塩野谷正幸など。
話は、天保水滸伝の笹川繁蔵と飯岡助五郎との利根川河原での出入の後日談である。
元は1971年の公演で、私は見ていないが、当時黒テントは、多くの役者、スタッフがいて最盛期の1974年の『阿部定の犬』を作る前夜の作品であり、齋藤をはじめ多彩な役者が出たと思う。
今回の再演で窺えるのは、時代劇のチャンバラ、通俗劇的構造、ダンス、楽器演奏など、その後の黒テント、さらに斎藤憐の『上海バンスキング』につながる一種の「ごった煮路線」が、この辺ですでに確立していたらしいと言うことだ。
今回の公演がどこまで山元の原作に忠実なのかはよくわからないが、そうは変えていないようだ。
現在流行の「静かな演劇」がいかにつまらないものであるかを見せてくれただけでも、この公演の意義は大きい。
それに、こうした過去の作品を再上演するのは大賛成である。
なぜなら、歌舞伎には沢山の名作があるが、それらは再演することによって、多くの名人が工夫を加えて、そのたびに面白くなったものだからである。
名作は、再演の結果に出来上がるものなのである。
下北沢スズナリ

『風の次郎吉』 宝塚花組公演

2015年01月26日 | 演劇
鼠小僧は、歌舞伎から講談、そして映画でもサイレント時代から作られているが近年はなく、1965年の大映での林与一主演、三隅研二監督の『鼠小僧次郎吉』が映画の最後のようだ。
テレビでは、フジテレビでの小川真由美主演の『女ねずみ小僧』がヒットしており、私は彼女の主演の明治座公演も見たことがある。
花組公演に専科から北翔海莉と夏美ようが参加し、北翔が主人公の鳶職の次郎吉で、実はねずみ小僧。

時代は江戸末期、江戸の町には悪徳商人から金を盗み、貧しい庶民に与える「義賊」のねずみ小僧が暗躍していて、町奉行所はねずみ小僧を追いかけている。
奉行所の元締めは遠山金四郎で、身分を隠して町に潜伏し、ねずみ小僧を探索している。
その他、女目明し、女手妻師、新内の師匠、奉行所の同心、悪徳商人などの時代劇でお馴染のキャラクターが入り混じる。
悪い連中の言う、
「お前も悪よなあ」には会場は大笑い。
遠山とネズミ小僧が同時代なのか、などと疑問を持ってはいけない。
要は、1950年代の東映の中村錦之助主演、沢島忠監督の時代劇ミュージカルの宝塚版なのである。
時代劇ミュージカルは、実は映画では日本でもトーキーになってすぐにあり、マキノ雅弘の『鴛鴦歌合戦』という名作もあり、戦時中には新興キネマの『狸御殿シリーズ』というヒットもあった。

筋などは、ほとんどどうでも良く、最後はねずみ小僧と遠山金四郎の活躍で、筆頭同心とぐるになった悪徳商人の悪行が暴かれて、恋人たちは結ばれて、江戸の町には平安が訪れる。
正月の芝居は、このように太平楽で気軽なのが一番だと思った。
日本青年館大ホール

『ポルノの帝王 久保新二の愛と涙の大爆笑』 久保新二 石動三六・小川晋(ポット出版)

2015年01月25日 | 映画
1970年代に、日活ロマンポルノを見に行くと、必ず1本は、久保新二出演作品を見せられたものだ。
ロマンポルノの他、外部からの買上作品の3本立となったからである。
首都圏では関係ないが、地方ではやはり2本よりは、3本の方が営業力があったからだろう。

その代表が「未亡人下宿シリーズ」で、実は日活ではなく、1969年のピンク映画、東京興映製作、新東宝興行配給の『貸間あり 未亡人下宿』が最初だったとのこと。勿論、監督は山本晋也。題名でわかるとおり、川島雄三の『貸間あり』に触発されたものだと思うが、見たことはなく、今はフィルムもないとのこと。
その5年後の1974年12月に『セミドキュメント・未亡人下宿』が日活で公開され、ナンセンス・コメディとして大ヒットする。
そして、10年間にわたって16本が作られる。
その中で、久保は、国土館大学(こくどかんだいがく)生として、学生服姿を延々と演じる。
当時は、すでに40代だったはずだが、これは日活では小沢昭一の学生姿としてファンには慣れっこのことだったので、違和感は全くなかった。
未亡人を一番多く演じたのは、劇団三十人会出身の女優の橘雪子さんで、この人は本当に芝居が上手かった。

それにしても、当時久保新二と一緒に出ていた、港雄一、野上正義、堺勝朗らがみんな死んでいると言うのにはあらためて驚く。
久保新二は、山本晋也の監督、脚本家としての力量を認めつつも、その生き方、ピンクは腰掛で日本映画界のメジャーに行こうと言う志向性については、批判的であるようだ。
それはその通りだと思う。

『三里塚に生きる』

2015年01月25日 | 映画
大島渚は、優れたドキュメンタリーができる条件として、長期取材と対象への愛を上げている。
この作品は、その二つの典型だろう。小川プロの『三里塚シリーズ』は、1960年代中頃からなので、50年近いし、監督・撮影の大津幸四郎は、小川プロの一員として撮影を担当したのだから。
私は、三里塚に行ったことはない。三里塚は、中核派と第4インター派の運動だと思っていたからだ。
友人が三里塚に行き、農民を賛美したときも、「ああそうなの」と思った程度である。
成田空港から最初に私が海外に行ったのは、1979年10月で、上海での「横浜工業展覧会」の代表団の一員で、当時成田はまだ開港から間もなく、横浜からのアクセスも悪くて成田のホテルに前泊した。
だが、ホテルに行くまでのバスの検問が凄くて、一度全員バスから降ろされ、荷物と身体検査をされてやっとゲート内に入った。
そのくらい成田空港の管制塔占拠事件の衝撃は大きかったのである。

さて、この長編記録は、三里塚の空港反対同盟の人たちの現在を追ったもので、適宜過去の映像が挿入される。
さすが小川プロで、映像は非常に豊富で、他の三里塚映画では見ていないものも多数あり、当然だが非常にリアリティがある。
今も現地で農業をやっている人たちがインタビューに応じているが、中で一番感動を受けるのは、青年行動隊長で、東峰十字路事件で機動隊員が死んだ後、自殺してしまう三の宮文男。彼は鎮守の森で首を吊ったのである。
その他に三里塚で死んだ学生もいるが、ここでは出てこない。

さらに、最後まで農家に立て籠もり、強制排除された最貧の農民だった大木よねさんの挿話は、日本の農民の典型の一つだろう。
ろくに小学校も行かずに子守などで生きて来たよねさんは、大木さんと内縁関係になり、三里塚の国有地(御料牧場だろう)で農業をしていた。
戦後、農地は国から払い下げられるが、3反部以上でないと払下げが受けられなかったので、大木さんは、別の人(教員だったS氏)の名前にして農地の払下げを受け、その後も農業を続けていた。
だが、そのS氏は空港建設の時に公団に売却してしまう。
大木よねの養子となった当時学生だった小泉氏は、裁判に訴える。
S氏は、小泉氏に、個人的には裏の事情を教えてくれたが、裁判では反対の証言をする。
だが、23年後、裁判で国、公団との和解が成立し、小泉氏は農地を再取得し、農業を今も行っている。

映画の冒頭に「ヨハネ伝」の「一粒の麦も死なずば・・・」が掲げられている。
この世の中には、誤りも、間違いのいくらでも起きる。
そして、一見すべての事態は少しも進んでいないように見える。
だが、この映画を見て改めて感じるのは、少しづつだが、世の中は変わっているのだと言うことであり、短期的に見れば間違いや誤謬はいくらでもある。だが、そのなかで次の世代は、きっと何かを学んで、世界は進歩しているはずだと言うことである。
横浜シネマ・ジャック

『石の虚塔』 上原善広(新潮社) 誤りをおかすのが人間である!

2015年01月24日 | 
ブログで、尾形修一さんが非常に評価されていたので読んだが、大変に面白かった。
2000年に起きた、旧石器時代の石器発掘の捏造事件、そこから遡って1947年の岩宿での相澤忠洋の岩宿遺跡の発見。
この岩宿から、捏造事件に至る日本の考古学の人物史というべきもので、石に魅せられた男たちの歴史。
相澤の他、彼を認知した二人のライバル学者の杉原壮介と芹沢長介、さらに共産党員で明治大学学長にまでなった戸沢充則など、多くの学者たちが入り乱れる。
彼らは、当初革新的な発見、発掘をするが、次第に保守化し、老いて最後は自説に固執するだけになる。
その果てに起きたのが、捏造事件だったようだ。
私は、この本で初めて知ったが、日本では考古学というのは、きわめて変わった分野で、所謂「素人の」考古学好き(考古ボーイ)が参入しているのだそうだ。
もちろん、どの分野でも最初は素人で、次第に学んで専門家になるものだが、考古学は、全国の考古学好きが、各地で発掘や発見を行い、その成果に依存してきたのだそうだ。
その典型が、相澤の岩宿遺跡の発見で、貧しい納豆売りの男が、日本にも旧石器時代があったことを証明する石器を見つけたのである。
もちろん、それは良いことだが、発見の後の検証がきちんと行われることが重要であるのは言うまでもない。
また、東大、京大、明治大学、東北大学と学閥の強いところなのだそうだ。

この本を読んで改めて痛感するのは、人間はいかに多くの誤りを犯すかということである。
恐らく、500万年の人類の歴史のほとんどは、すべて誤謬の歴史だったと言って良いのではないだろうか。
よくわれわれも反省して生きていかなければいけないなと思った。

小津安二郎と鈴木忠志

2015年01月23日 | 映画
演出家の鈴木忠志は、「演劇は、かつての日本の新劇のような特定の思想を表現することでも、商業演劇のように感動的な物語で感動させることではなく、役者の演技で感動させるべきだ」と言っている。
映画監督小津安二郎の作品も、スター俳優の美しいポートレートと無駄のない自然な動き、さらに正しい発音の台詞によって美しい画面を作り出すことにあると思う。
要は、そこに出てくる俳優の姿で、見る者を感動させようとしていると思われ、これは鈴木忠志の言っていることと同じである。
その二人が、世界中で高い評価を得ているのは、共通のものがあるように思える。

『ミュージック・マガジン』に田村光男の追悼記事を書きました

2015年01月21日 | 音楽
今月の雑誌『ミュージック・マガジン』で、昨年11月に67歳で亡くなった田村光男について書きましたので、ぜひ読んでください。
ただ、紙数の関係で、彼が実は三原順子や中山美穂、さらに元宝塚の明日香都さんらのコンサートやショーの演出家だったことは省いてあります。
彼の幅広い活躍について書きましたが、お読みいただければ幸いです。

彼は、67歳の誕生日に亡くなったので、小津安二郎やシェークスピア、さらにクリス・マルケルらと誕生日と死んだ日が同じという人間なのである。

田口史人『レコード寄席』

2015年01月21日 | 音楽
田口史人さんが、毎月最終火曜日にやっている「レコード寄席」
今回は、移民とのことで、日本から海外に行ってそこで作られたレコードなど。
まずは、日本人製作で最大の世界的ヒットになった『スキヤキ』から。
坂本九の『上を向いて歩こう』だが、イギリスのジャズ奏者ケニー・ボールによって最初に吹き込まれた時、適当に『スキヤキ』と名づけられ、坂本のオリジナル版が米国で出された時も、その名で大ヒットする。
非英語言語曲で、ビルボード1位になったのは、これとイタリアのドメニコ・モドーニョの『ボラーレ!』だけなのだそうだ。
『スキヤキ』には各国版があり、ドイツ、アラブでも作られているとのこと。

移民で、一番多いのは、言うまでもなくハワイで、『ジャパニーズ・ルンバ』『ゴメンナサイ』『サヨナラ』などの、日系ハワイ人によって日本語、英語チャンポンの摩訶不思議な曲が作られて、かなりヒットしたのである。
ハワイに続いては、アメリカ西海岸、日本語のラジオ局もあり、tokyo happy coats というグループの英語版『君といつまでも』も面白かった。
これは、「今日本ではこういう曲がヒットしてますよ」という番組で、日本のフジ・テレビの『ザ・ヒットパレード』のアメリカ版のようなもの。
ロスのクラブ西銀座を本拠としていた細川綾子さんのレコードも。この人は、日本でも活動している。
南アメリカでは、ブラジルも結構あり、1967年に皇太子夫妻(現天皇陛下)がご訪問された時の大集会の実況レコードが最高だった。
宮坂さんという実行委員会代表の方が最後にご挨拶されるが、途中で感極まって涙声になってしまい、ご夫妻ご退出の際が、『さくらさくら』の大合唱。
田口さんは、「まるで暴動が起きるみたいだ」と言っていたが、本当にすごかった。
最後は、アルゼンチンで録音された『タンゴ・イン・キモノ』で、藤沢嵐子と阿保郁夫のデュエット。
来月は、阿保さんとアルゼンチンの特集で、2月24日、黄金町の「たけうま書房」である。

岡田克也氏が民主党代表に

2015年01月20日 | 政治
日曜日に、民主党の大会が行われ、岡田克也氏が、決選投票で細野豪志氏を破って代表に選出された。
テレビ・ニュース的には、新鮮味のない結果だったが、これで良いと私は思う。
地方の党員や議員に細野氏を期待する声が多かったようだが、これは少々近視眼的である。
党首の顔が変われば勝てると思うのは非常に考えが浅いと思う。

1970年代から横浜市という地方での政治の現場を見て来た者にとって、自民党の強さは異常なほどのものだからである。
というよりも、日本で誰か政治を志せば、それは自民党の地方組織、あるいは同業組合等の草根の自民党組織に捉えられてしまうものだからである。
2009年に民主党が自民党に勝ったのは、奇跡的なことで、それは当時の国民の自民党政治への飽きと小沢一郎の巧みな選挙戦術によるものだった。
「コンクリートから人へ」はともかくとして、「官から政へ」も、スローガンとしては正しく、小沢一郎のような行政の裏も表も知り尽くした政治家が言うならともかくとして、昨日、今日議員になった程度の連中が「官から政」を唱えるのは非常に滑稽だった。
官僚の離反を招くだけで、無意味そのものだった。
では、岡田民主党はどうしたら良いのだろうか。
政策的なこともいろいろあるだろうが、一番重要なことは地方の組織作りである。

例えば、横浜市南区で自民党は、4月の県議会議員選挙について、定数2で、二人の同党候補を公認することになった。
これは、前回は三橋将雄氏を公認して当選したが、彼は横浜市北部に地盤を持つ三橋建設の御曹司で、本来は北部のどこかの区で出れば良いのだが、適当なところがなかったので、新堀紀彦氏が任期中で亡くなって空いていた南区から出て当選されたのである。
だが、彼は特に問題はなかったようだが、本来は市内北部の人間なので、地元への密着度では多少劣るところがあったようだ。
そこで出てきたのが、新堀史明氏である。
彼は、以前南区で県会議員、さらに衆議院議員にも当選したことのある新堀豊彦氏の息子だそうで、亡き新堀典彦氏から見れば甥に当たる方である。
だが、これにも批判はあるようで、「南区は新堀家のものではない」というものである。
新堀家は、南区の大地主で、真金町などには膨大な地所を所有されていたこともあるのだそうだ。
そして、議員には新堀源兵衛、新堀豊彦、新堀典彦と3人の先生を輩出されているのである。
この上また新堀なの、という声があるのだ。
この三橋、新堀の選挙は、今熾烈に戦われているとのことだが、こうした自陣営内の戦いが、票を掘り起こし、自民党を強くするのである。
これは、以前の中選挙区時代には、衆議院議員選挙で行われ、金のかかる選挙とのことで、小選挙区制度に変えられたのだ。
だが、同様なことはその下の地方選挙では行われているのであり、それが自民党の強さの一つなのである。

『従軍日記』 小津安二郎

2015年01月20日 | 映画
1939年1月13日(金)
今日から城外に慰安所ができる。金曜日がZ(野戦瓦斯隊)で開店早々のうちの部隊が当たる。慰安券が二枚 星秘膏 ゴムなど若干配給になる。半島人三名支那人一二名 計十五名の大雛だ。
慰安券に曰く *慰安所に於ける酒食を禁ず。*泥酔者の慰安所に出入を禁ず*軍機を厳守し之を遺漏せざる様万全の注意を要す。*時間の厳守*衛生に注意*自隊日割り外の出入を禁ず*性病者及び切符を所持せざる者の出入を禁ず。とあり、応城野戦倉庫之印の捺印がある。
兵隊ハ十三時から十六時まで半時間1円、下士七時から一九時まで三十分一円五十銭一時間二円。兵ハ一時間一円五十銭。高橋伍長試みに出かける。
点呼後二小隊に出かけて雑談。

これは小津安二郎の中国での『従軍日記』に記録されているものである。このように小津は、この日は慰安所に行かなかったようだ。
このZは、実はZの上に○が付いているのだが、私は書けないので、ただZにしたが、このマルZは、言うまでもなく毒ガス部隊で、小津が中国で毒ガス部隊にいて、修水河の渡河作戦で使用したことは、日記の他の部分で出てくる。
その意味で、小津の戦争体験は、相当に厳しいものだったと推測できる。
彼の戦後の映画では、登場人物たちは『秋刀魚の味』の笠智衆と加東大介のように概ね海軍に従事したように描かれていたと記憶している。
『早春』の池部良は、戦友と飲むが、ここでは陸軍らしいが、よくわからない。
いずれにしれも、戦争中に慰安所があったのは事実で、しかも中国人や朝鮮人を使っていたのも本当である。
ただ、それが強制連行であるか否かは、非常に微妙なところだが。

世界の三船の影

2015年01月19日 | 映画
テレビの芸能ニュースでは、三船美佳と高橋ジョージの離婚の件が大きく騒がれている。
三船美佳は、まだ32歳というのだから、驚いてしまう。
この二人の影には、三船敏郎がいることがよくわかる。
三船美佳が、24歳も上の男と結婚したのは、明らかにファーザー・コンプレックスからだったと言えるだろう。
また、ここで離婚すると言うのも、偉大な父の影から別れて、女性として自立する時期に来たということだろう。
そして、三船美佳が高橋に惚れたのは、彼が三船敏郎によく似ていたからだと思う。
彼の若いころ、映画『吹けよ春風』の頃の三船敏郎の要望に、高橋ジョージは大変にそっくりである。


『国士無双』

2015年01月19日 | 映画
サイレント時代の1932年の伊丹万作の名作ではなく、1986年に保坂延彦監督で作られたもの、脚本は菊島隆三、製作は藤井浩明と西岡善信、映像京都が全面的に参加している。

結論を言えば、この保坂監督は恐らくまじめな方であり、喜劇には向いていないということだろう。
話は、有名な筋書きで、偽物が本物に勝つということで、偽物は中井貴一、本物の伊勢伊勢守はフランキー堺で、原田美枝子が娘の八重。
中井は、悪くはないが、頭脳明晰に見え、この偽物のとぼけた感じは違うように思う。
また、女ヤクザの親分で江波杏子が出て来たりするのも余計である。
テンポとリズムがないのが致命的で、カメラは元大映のベテラン村井博だが、大映と喜劇は向いていないように思える。
さらに、喜多嶋修の音楽も少しも映像にあっていない。

DVDに付いていた特典映像を見ると残念ながら伊丹万作監督の原作の方が良い。
元は、片岡知恵蔵で、本物は高瀬実乗というのが笑わせてくれる。
また、娘の八重は、山田五十鈴だが、ほとんど見えず、仙人が伴淳三郎のはずだが、そのシーンはない。
フィルムセンター所蔵のフィルムで、パテ・ベビーのタイトルが出るので、玩具として売られたもののようだ。
結構リメイクは難しいということの見本だろう。