指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『セヴェン・イヤーズ・イン・チベット』

2022年11月12日 | 映画

1939年春、オーストリアのハンスたちは、ヒマラヤの山に登る。

登山は苦労つづきで、滑落事故などの後、彼らはイギリス軍に逮捕され、収容所に入れられる。

ドイツとイギリスが、戦争になったからだ。

 

                                                             

だが、ブラピは、友人と共に収容所を逃げて、インドからチベットを目指す。

途中、山賊に襲われたりするが、なんとかチベットに入る。

そこは、極めて宗教的な世界で、人々は仏教的習俗の中で生きている。

それは、苦行の果てにこそ、魂の浄化が得られると信じているからで、いつも楽な道を選択している私は絶対に行き着けない心境である。

要は、これこそが小乗仏教というものなのだろうか、と思う。

そして、ダライ・ラマの基に行くことになる。現在の14世で、まだ子供である。

このチベットの幼児が王になるというのは、日本の平安時代の幼帝と同様に思える。

幼児には、神聖があると考えられていて、日本の天皇制は政治的というよりは、宗教的存在だと言えるだろう。

1945年戦争は終わるが、二人のオーストリア人はチベットに残る。

ブラピは、ダライ・ラマの相談役のようになり、森羅万象を教えて、ラマの要望で映画館を作り、そこで英国王の戴冠の式のニュースなどを見る。

そして、中華人民共和国が成立し、それまでいた中華民国軍は退却してゆく。

中国軍が進駐してきて、暴力的に制圧する。

だが、チベットの人間は、中国の暴力に耐え、平和主義を貫く。

多くの点で、日本とチベットは、対中国関係で類似していると思える。

それは、絶えず北や西から異民族に侵略された中国王朝に対し、日本は島国で、チベットは高地で外敵から容易には侵略されなかったからろう。

1951年、ウィーンに戻ったブラピは、彼の息子に登山を教えている。

チベット人と中国人が全部英語の台詞を話すのには参る。

もっとも、日本の『天平の甍』でも、滝澤修の鑑真が日本語で、日本人の弟子に説教するのには驚嘆したことがあったが。