猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

「令和」、巧言令色すくなしジンジンジン

2019-04-05 22:12:43 | 天皇制を考える


4月2日のテレビ朝日のモーニングショーで、日本中世史の研究者、本郷和人が、元号に「令」の字の選択が余りにもセンスが悪いと言っていた。彼の時代の人間には、NHK人形劇『新・八犬伝』の歌詞「巧言令色(こうげんれいしょく)、鮮し仁・仁・仁」を思い起こさせるという。

「巧言令色鮮仁」は、『論語』の学而に、また、陽貨にも出てくる有名な句で、「口先だけうまく(巧言)、顔つきだけつくろう(令色)ものに、真の仁者はいない」という意味である、という。

本郷和人の評は、あまりにも的を射ており、スタジオに笑いを引き起こした。というのは、前日に、新元号発表の後の会見で、安倍晋三が、いつもの軽い調子で、新元号を素晴らしいもののように言っていたからだ。

「令」の字源は、上部が人を集めるさま、下部がひざまずくさま、を表わす。すなわち、君主が民を集めて命令するさまをいう。

前日、子どもたちが外で大声で言っていたように、新元号は、「命令」の「令」が「和」の上にのったものだ。

4月2日の朝日新聞の座談会『新元号のメッセージ』で日本近世史研究者の磯田道史は、「令を上につけた年号は、過去に「令徳」、徳川に命令するという案があったが、退けられた」と話す。同じく、中国哲学者の水上雅晴は、「読み方が和に令すだと、日本に命令するという風にも読まれかねない」と話す。

漢書でなく、国書からとったのが、画期的だと、安倍晋三のおべっか屋さんは言う。

万葉集の時代は、平仮名もカタカナもないから、どんな書も、漢字だけで書かれていた。そこから、2文字をひろうのであれば、どんな変な組み合わせも起きうる。だから、1つ1つの漢字の意味が大事なのだ。

しかも、今回、大伴旅人が太宰府の役人を集めて「梅」の花をみる宴会を開いたときの和歌の前書き「初春令月気淑風和」から、2文字とったのだという。この前書きは漢文(中国語)である。座談会で、辰巳正明や水上雅晴は、この漢文が中国古典の「於是仲春令月時和気清」にもとづくと話す。

何ということか。新元号は「万葉」にでもすれば、よかったではないか。あるいは、中国語の「令月」のかわりに、大和言葉の「きさらぎ」でもよかったのではないか。
令和天皇より、万葉天皇、きさらぎ天皇のほうが、語呂が良い。

安倍晋三の周りには、おべっか屋さんだけで、本当のことを言うものがいないんじゃない。元号に関する懇談会の有識者といっても、山中伸弥、宮崎緑、林真理子じゃ、どうしようもないではないか。

きょうの朝日新聞に、懇談会にも閣僚にも「令和」の反対意見があった、という記事がのった。みんなが「令和」に賛同したというのは、安倍晋三の嘘だ。

1979年に制定された元号法は、次の2行からなる。

1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。

これだけである。元号を国民生活で使えとは、どこにもない。

それなのに、政令、省令で、国民に、年を記入するとき元号を使用するよう強制する。これって、象徴天皇にひざまずけと、行政府が国民に命令していることになるではないか。

「令」とは近代の「民主制」と相対立するものだ。議会で定める「法」とは異なる。

元号は天皇が時を支配するという思想からくる。
こんなバカな思想のために、
天皇が変わるたびに、年号が変わるのなんて、不便でたまらない。
歴史の記述のための、時をはかる基準点は固定すべきである。世界で多数の人が使っている西暦で十分である。

私は、年号「令和」を絶対に使わない。

コスモポリタン、知は国境や言語を越える

2019-04-05 21:34:36 | 思想


コスモポリタンという言葉が好きである。
コスモポリタンという言葉から、
2500年以上も前の、地中海沿岸の都市から都市へ旅した人たちを、私は思い浮かべる。
知と自由を求めて、あるいは、伝えるために、言語や文化や宗教の違う世界を旅した人がいたと思うと、ぞくぞくする。
コスモポリタンはギリシア語で世界市民のことだ。

約2600年前のミレトスの賢人タレスも、約2500年前のサモスの賢人ピタゴラスも、知を求めて、エジプトを旅した。
約2400年前の原子論者デモクリトス(紀元前460年頃-370年頃)は、エジプト、ペルシアを旅した。

2000年近く前には、パウロが、地中海沿岸の都市から都市を旅し、キリスト教を伝道した。

日本だって、古代に朝鮮半島から渡って来て、色々な文化を伝えた人がいる。
埼玉県にある高麗川(こまがわ)も、高句麗からの渡来人がいた名残だといわれる。
また、空海、最澄だって、危険を犯して海を渡り、古代中国に知を求めた。

モンゴル帝国、オーストリア帝国、オスマントルコでも、言語や文化や宗教の違いを越えて国が形成され、人々が行き来し、新しい文化が生まれた。
デューラー、ゲーテー、アンデルセンは、北の自分の国に閉じこもらず、アルプスを越え、イタリアを旅し、自分の創作の力を得た。

ノーベル賞創設で知られるスウェーデン生まれのアルフレッド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel)は、若いときはロシア、ドイツ、フランス、米国などを旅し、ダイナマイトを発明してから、20以上の国々に工場を作った。
19世紀のことである。

死ぬとき、科学技術、医療、文学、平和に貢献した世界中の人に、賞を出すよう遺言した。
19世紀は民族主義の勃興期だから、親族だけでなく、スウェーデン国内にも、国を越えて賞を出すことに反対があった。
国民国家という馬鹿げた考えが、起きた時代である。

しかし、遺言は実行された。
ノーベル賞は、コスモポリタンの精神を受け継いでいる。

知は、国境や言語を越えるのだ。