私の愛すべきNPOの子どもたちに、フリードリッヒ・ニーチェの言葉を引用して、自分の欲望を押し殺すことの残酷性を告発した女の子がいた。その子はディスレクシア(読字障害)なのに、である。
私自身は、これまで、ニーチェの著作を読んだことはない。読まないで、ドイツ哲学というものを嫌ってきた。その女の子に見習って、ニーチェの著作を何冊か読んでから、ドイツ哲学の悪口を言うことにした。
てはじめに、ニーチェの一番薄い『この人を見よ』(光文社古典新訳文庫)を選んだ。丘澤静也のリズミカルな訳がはしる。ネットでドイツ語の原文をダウンロードすると、ドイツ語の著作に珍しい、快適なリズムの短文がつらなる。「――」とか「…」かが、接続詞の代わりをする。
読んで一番さきに感じるのは、リズムある文章にもかかわらず、著者の混乱した心である。
精神科医であれば、統合失調症の前駆症状か双極性障害を疑うだろう。しかし、一方で、真摯な著者の心が伝わる。女の子を魅惑したのは、このためであろう。
ニーチェのこの最後の著作は、自己弁解の書であり、これまでの著作のガイドにもなる。
私が驚いたのは、このなかで、ニーチェがポーランド貴族の末裔を自称していることだ。
「私は純潔のポーランド貴族である。悪い血は一滴たりとも混じっていない。ドイツの血が混じっている可能性は一番小さい。」(丘澤静也 訳)
もしかしたら本当にそうなのかもしれない。あるいは、ニーチェの思い違いかもしれない。
私も子どものとき、自分の先祖はインドからの渡来人だと思っていた。母から お釈迦様の掛け軸がインドから来たものだ、と聞かされたことが、間違って自分の祖先がインドから渡来したと記憶したのだと、大人になって気づいた。しかし、自分が渡来人だと思ったことは、いま、移民を受け入れる私の心理的基層になっている。
ニーチェの父親はルター派の牧師であり、ポーランドはカトリックの国であるので、ポーランド貴族の末裔でないかもしれない。それに、私の好きなボーランド移民の娘は、ポーランド貴族の名前の末尾に「……スキー」がつくのだ、と、昔、教えてくれた。
しかし、ニーチェは、ポーランド貴族の末裔らしく、ドイツ的教養が大嫌いである。
ドイツが小国に分裂していた時期、ポーランドは文化的な大国であった。ユダヤ人がそれに貢献していた。今なお、ポーランドは、ヨーロッパでヘブライ語文字が刻まれた貨幣を発行した唯一の国である。分裂していたドイツは文化からほど遠かった。ポーランドとドイツはよく戦争をしていたのである。
いっぽう、ニーチェと同時代のドイツ人は、ポーランド人とユダヤ人が好きでない。
私がもつドイツ文化への嫌悪は、第1に、大学の教養課程の老ドイツ語教師の影響である。彼は、ドイツが権威的な社会でそれがドイツ文学をいびつにしたと教室でつぶやいていた。
第2に、ドイツ哲学の本を読むと、一文が長くて屈折していて、率直性にかけていることが、ドイツ文化嫌いにした。
第3に、私が外資系の会社にいたとき、論争相手のドイツ人が「プロフェッサー」を名乗り、下劣な顔つきをしていた。
第4に、深井智明が『神学の起源』(教文社)に、宗教改革が、森の住人たるゲルマン人の南方のローマ文化に対する劣等感の裏返しにすぎない、と語っていたことが影響している。
もっとも、ドイツ文化は日本文化よりもましである。日本はドイツ文化を取り入れたから、日本はドイツより後進国だ。
【蛇足1】光文社古典新訳文庫の『この人を見よ』は、訳注を[ ]の記号で使って本文に挿入しているが、不必要な先入観を与えるものであり、不愉快である。訳注を章末か本の後部においてほしい。
【蛇足2】1ページに何カ所か太文字で単語が強調されているが、そのため読みづらい。傍線かなにか目立たないものに置き換えてほしい。