一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

南三陸町

2011-08-16 | 東日本大震災
南三陸町も津波の被害が甚大だったところのひとつです。
南三陸町は元は歌津町と志津川町が「平成の大合併」により誕生した町ですが、町役場などの中心部は旧志津川町にあります。(Googleマップ参照)

国道45号線を下ってくると、中心部に入るはるか前の気仙沼線を越えたあたりから津波の爪跡が残っていることに驚きます。


港の堤防
津波の威力と共にかなり地盤沈下していることがわかります。





港周辺
右に見える水門しか残っていません。





港から市街地側をのぞむ



平地部分の建物は大半が津波に流されてしまったようです。一部の鉄筋コンクリートの建物を除けば解体が進んでいるようですが、基礎周り外向部分はまだ片付いていません。
大船渡、陸前高田や気仙沼に比べると、心なしか重機の数が少ない感じもします。


志津川病院
4階まで津波の跡があります。
5階建ての増築部と屋上に避難した人だけが助かったそうです。





南三陸町防災庁舎
職員の女性が最後まで防災放送で避難を呼びかけていたところです。
津波は庁舎の屋上を越えていったそうです。



南三陸町のwebsiteにある防災庁舎屋上からの写真は息を呑みます。



市街地から南に3kmほど行った戸倉地区。
周辺部はまだ手が回っていないところが多いようです。





2日目はここから北上川の河口(落橋した北上大橋は工事中のため近づけず)経由で一関で東北自動車道に乗り盛岡までレンタカーを返却に行き(予約がいっぱいだったので乗り捨てができなかった)、新幹線で仙台まで戻って仙台泊。
ちなみに、軽自動車は高速を飛ばすよりより一般道を流す方が燃費がいいみたいです。

東北自動車道は被災者の無料通行が有人ゲートを通る必要があるために出口のかなり手前から渋滞してました。
この措置は8月いっぱいで終了ということですが、ETCカードを使ってもう少し効率的な方法もできたのではなかったかと思います。



そして翌日土曜日は仙台から日帰りの南三陸町へのボランティアツアーに参加しました。

仙台駅を7時に出発するツアーですが、バスは満員。仙台の人は一人だけで、あとは首都圏などの人たちです。
東京からのツアーは夜行バスなのできついと思うのは僕だけではないようですが、仙台市内のホテルは予約が取りづらくなっています。

三陸自動車道は朝早くから渋滞していました。
この道は東松島市、石巻市、女川町など被害の大きかった町に向かう主要道なので、支援に向かう車が集中するようです(それに無料通行証チェックのための渋滞もあります)。



南三陸町のボランティアセンターは、市の仮庁舎などがある丘の上のスポーツ交流村にあります。





ここの体育館は避難所になっています。





同じ丘の上には町の商工団地があり、水産加工業者などの工場が被災を逃れて残っています。
また、コンビニや銀行なども仮設店舗を建てていて、ここが復旧の拠点になっています。





ボランティアツアーのバスは自分たちのを含めて5台。遠く和歌山県からも来ていました。
また、個人単位で自家用車で来る人もけっこういます。
そして、空き地にテントを張って長期滞在している人も10名以上いるようです。
ヤマト運輸は自分でマイクロバスを仕立てて20人くらいのチームで来てました。




ここで奇遇が。
ボランティア・コーディネーター(班に分けて割り振りをする人)とツアーの人が知り合い。
しかも両方とも鹿児島から来た人。
ツアーの参加者は鹿児島の建設業の人数名で、水曜から被災地を視察し、土曜はボランティア、そして日曜は千葉県浦安市で液状化の視察という盛りだくさんの業界視察団。一方のコーディネーター氏(水色のTシャツ)は鹿児島で建設業に勤めていたのを震災を契機に辞めて、3月からずっと南三陸町でボランティア・コーディネーターをやっているそうです。
同業だけ合ってよく飲む機会もあったそうでお互いに「何でここにいるんだ?(in 鹿児島弁)」と盛り上がってました。





今回は建物が流された跡の細かい瓦礫などの整理。
建物自体は20mほど流されてしまい、大きなものは重機で撤去が終わっているのですが、屋根瓦、ガラス、建材の破片や残っている食器などの家財道具を分別して整理します。
多分、そこまで終えれば、持ち主が(資金のめどが立てば)立て直すなり整地するなりが可能になるということだと思います。

ボラセンのリーダーが1名ついて、その人の指示で動きますが、細かい役割分担を決めなくても、自然と分担ができてきます。
ちなみに旅行会社の添乗員の人も参加します。
スコップなどはボラセンが用意してくれるので、長靴(踏み抜き防止のソール入り)と手袋(軍手でなくガラスなどに強いもの)を持ってくれば大丈夫です。
あと、破傷風の予防接種も忘れずに。


昼休み。
雨よけ・日よけのテントもボラセンで用意していただきました。
当日は雨だったのですが、ピーカンよりは暑さと日射がないだけずいぶん楽だそうです。




ちょうど僕のやっていたところが居間にあたったらしく、沖縄土産のシーサーを1匹見つけたので対もいるはずと探したら、2組見つけることができました。





添乗員氏は釣りが好きでよく南三陸町にも来ていたそうです。
牡蠣やアワビのとれる豊かな港だった、ここに何のお店があって・・・という話を聞くと、改めて津波の奪っていったものの大きさを感じます。


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