goo blog サービス終了のお知らせ 

古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

久米田池Ⅰ

2010年10月23日 21時10分41秒 | Weblog
天智天皇陵の真南に藤原宮跡、天武・持統陵、高松塚古墳などがあります。
記述されている順番からするなら、天智天皇陵ができた後で藤原京ができたはずです。(天智天皇崩御が671年、藤原京は690年に着工された)
ならば、天智天皇陵を意識して藤原京が造られたことになります。
しかし、それは違うと考えます。
天智天皇は存在しなかった、といえばそれで終わりですが、後になって天智天皇が創造され御陵が造られたのは間違いないと思っています。
《天智天皇実在を疑う最大の理由は、天智天皇の娘(皇女)たちが天武及びその息子(皇子)の妃になっているからです。仲の悪い兄弟にそんなことが起こるはずはありません。いや、仲良しでも起こりえないことです。》
誰が天智天皇を必要としたのかが問題です。
そこで、天智天皇を必要としたのは、聖武天皇・光明皇后だったのではないかと思いたりました。
天智天皇陵-紫香楽宮跡-恭仁宮跡は正三角形でしたし、天智天皇陵-紫香楽宮跡-聖武天皇陵は二等辺三角形になっていました。
聖武天皇が紫香楽宮や恭仁宮を造営するときに、天智陵が既にできていたか、聖武天皇が天智陵を想定していなければ、この図形は創ることはできません。
ただ、聖武天皇以前に天智陵が造られていたことを否定する材料が今のところ見当たりません。

それはともかくとして、久米田池を検討します。
久米田池の位置も、聖武天皇の思惑だけではなく、天智天皇陵を意識しているように見えるからです。






紫香楽宮跡-恭仁宮跡の延長線上に久米田池があります。
久米田寺では一直線上にならないことは、写真から明らかですが、とりあえず
紫香楽宮跡→久米田寺
 ①230.445度 ②50.0631度 ③79.75952km
紫香楽宮跡→恭仁宮跡
 ①229.843度 ②49.7175度 ③26.24626km
恭仁宮跡→久米田寺
 ①230.614度 ②50.3583度 ③53.51542km

26.24626+53.51542=79.76168km・・・0.00216km・・約2m違う
普通なら一直線上とはいえないでしょうが、久米田池だと範囲が大きいですから、このくらいなら完全に一直線上です。



以前、天智天皇陵-高松塚古墳-伊勢神宮・内宮が直角三角形になることはみています。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/5ea6bae1125297d695310b3145b65b95
高松塚古墳と天智天皇陵と伊勢神宮・内宮の位置関係

今度は西側の天智天皇陵-高松塚古墳-久米田池の三角形をみます。
しかし、久米田池がどんなものだかまだみていませんでした。

http://www2.odn.ne.jp/afn-sensyu/kouti/tameike-shokai/kumedaike/kumedaike.html
《大阪府最大の満水面積のため池
久米田池
 大阪府内最大の面積をもつ久米田池は、岸和田市池尻町と岡山町にまたがり、広さ45.6ha、周囲2.6km、貯水量万トンのため池です。
久米田池と人々の暮らし
久米田池の築造は奈良時代にさかのぼります。行基年譜によれば、神亀2年(西暦725年から天平10年(西暦738年)の14年の歳月をかけて完成したと言われています。
 当時、久米田池北西に位置する八木郷一帯は、水量の少ない天の川に頼っており、干ばつに悩む農民を見て、僧行基と橘諸兄が農民を集めて当時の久米田池を築造したと言われています。
 その後、岡山町よりの物部田池と当時の小さな数個の池を集めて、現在の大きな久米田池にしたと伝えられています。》

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%B1%B3%E7%94%B0%E5%AF%BA
《久米田寺
この寺は、行基が開削指導したため池である久米田池を維持管理するため天平10年(738年)行基によって創建されたと伝えられる。》

http://orange.zero.jp/kkubota.bird/kumedaji.htm
《また、岸和田「だんじり祭り」の際には全ての「だんじり」が寺の境内に入り「行基堂」にお参りしていくので有名である。》

いっぺんでは終わりませんので続かせます。

また、久米の枕詞は「みつみつし」ですが、私はその「みつみつし」を「みづみづし」ではないかとしました。
この久米田池はまさに「水」ですから、久米の枕詞は「みずみずし」だったと考えると、この池に「久米田池」と名前をつけるということは、このため池が枯れることなく農業用水などにいつまでも利用されることを祈ったということになります。
もともと「久米田」という地名だったなら、そのような推測は意味がありませんが、チラッとみたところではそうではなさそうです。

この「みつみつし」については、せんだって大変興味深いコメントをいただきました。
有名な合唱曲にこの「みつみつし」がでてくるんだそうです。

http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/90331e8e65d38cc6baf0997a864eb097
古事記に清音と濁音の間違いはあるのか
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 阿武山古墳-(阿部山・キト... | トップ | 久米田池Ⅱ »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事