古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

焼津神社-熱田神宮の延長線上はなんと・・

2009年06月13日 13時17分43秒 | Weblog






 熱田神宮-焼津神社-酒折宮もほとんど直角三角形になります。
 焼津神社での角度は88度ぐらいで、少し直角よりは小さくなりました。
 しかし、直角三角形にしたかったのだろうと考えられます。
 
 ところで、焼津神社-熱田神宮の延長線上になるところはどこだろうと探したところ、元伊勢・内宮に行き着きました。
 前回見たように、焼津神社-熱田神宮-伊勢神宮・内宮が特異な直角三角形になりましたから、焼津神社-熱田神宮の延長線上が元伊勢・内宮というのはうまくできていると感心します。
 
 ところが衝撃的なことに、この延長線上には、なんと朝鮮半島の公州(コンジュ)がありました。
 公州(コンジュ)は百済の扶余(プヨ)の前の首都で、武寧王陵(ムリョンワンヌン)のあるところです。
 伊勢神宮・内宮-出雲大社の延長線上も公州(コンジュ)でした。
 ですから、焼津神社-熱田神宮-元伊勢・内宮の延長線と、伊勢神宮・内宮-出雲大社の延長線は公州(コンジュ)を交点としていたことになります。

 ということで、大和朝廷の百済と密接な関係がみられます。
 ところが、酒折宮などの位置は高句麗との関係も窺えるのです。
 細かいことはさておき(といっても、意味は、はっきりとはわからないのですが)とりあえず計算結果をだしておきます。

皇大神社《福知山市大江町内宮》(元伊勢・内宮)
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=352548&l=1350916

皇大神社(元伊勢・内宮)→熱田神宮
 ①101.420度 ②282.433度 ③162.6537km
 Ⅰ101°22′06.64″ Ⅱ282°22′54.10″ Ⅲ163,077.925(m)
皇大神社(元伊勢・内宮)→焼津神社
 ①101.425度 ②283.244度 ③293.8466km
 Ⅰ101°22′17.13″ Ⅱ283°11′25.57″ Ⅲ294,606.777(m)
熱田神宮→焼津神社
 ①102.444度 ②283.249度 ③131.1929km
 Ⅰ102°23′17.60″ Ⅱ283°11′38.59″ Ⅲ131,528.853(m)

162.6537+131.1929=293.8466km
163,077.925+131,528.853=294606.778(m)・・・1mm違い

公州(コンジュ)
 北緯36度27分20秒、東経127度7分26秒

公州(コンジュ)→皇大神社(元伊勢・内宮)
 ①96.5899度 ②281.308度 ③731.2458km
 Ⅰ96°33′04.05″ Ⅱ281°16′12.55″ Ⅲ733,241.433(m)

公州(コンジュ)→焼津神社
 ①96.6233度 ②283.161度 ③1025.092km
 Ⅰ96°34′48.97″ Ⅱ283°07′04.93″ Ⅲ1,027,847.881(m)

731.2458+293.8466=1025.0924km
733,241.433+294,606.777=1027848.21(m)・・0.329m・・32.9cm違い

公州(コンジュ)→熱田神宮
 ①96.6102度 ②282.342度 ③893.8994km
 Ⅰ96°34′08.68″  Ⅱ282°18′04.12″ Ⅲ896,319.161(m)

731.2458+162.6537=893.8995km
733,241.433+163,077.925=896319.358(m)・・0.197・・19.7cm違い

 この距離ですから一致とみます。

 この公州(コンジュ)の位置は武寧王陵(ムリョンワンヌン)と違います。
 ちょっと南にしています。
 武寧王陵にするともっと一致に近くなりそうです。
 時間がないので次回。
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