古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

ちょっと、ホムチワケノミコについて

2005年10月14日 22時47分22秒 | Weblog
 わけのわからない話とは、古事記・中巻の本牟智和気王(ほむちわけのみこ)の物語です。
 たぶん、現代のどなたにも理解できないであろう話が並んでいます。
国生みの神話や、八俣の大蛇の話は、具体的な意味がこめられていて、たとえそれが理解できないとしても、神話として受け入れられます。
 しかし、本牟智和気御子の話は、具体的にもかかわらず、神話的なのです。
 いや、神話的というより、呪術臭が漂いすぎているという感じでしょうか。
 どこか、毛色の違う話に感じられるのは、ここの話が新しいものだからではないでしょうか。すべての構想ができ上がった後で、まとめられた話のように感じられます。
 どうせ、理解不能の話でしょうから、勝手に想像します。ですから、後で考えると、まるっきり違っていたということもありえます。

 本牟智和気御子は炎の中で生まれます。(サホヒメ)
 炎の中で出産する話は、他に古事記上巻の最後近くに、木花之佐久夜毘賣が火照命・火須勢理命・火遠理命を出産する時にもありました。
 これらの話は、火の呪縛のところで書きましたが、卑弥呼トヨが火事によって殺されたために創られたものです。炎を克服しないと卑弥呼の子孫は『天孫降臨』・大和への復活が完成しないのです。
 
 本牟智和気御子は、幼少のころ、二俣榲(杉)で造られた二俣小船で遊びます。この二俣は、卑弥呼トヨの子孫が、最初の卑弥呼を殺したスサノヲの子孫でもある、ということを表わしています。卑弥呼トヨの子孫は、二つの勢力を結びつける唯一の血統です。
 しかし、炎の中から生まれたにもかかわらず、本牟智和気御子は大人になってもしゃべることができません。この口をきけないということは、政権を担当できないということを意味します。
 本牟智和気御子は空高く往く鳥(鵠・くぐい)の声を聞いて、ものをいおうとされます。各地を飛び回る鳥をやっと捕まえますが、それでも、本牟智和気御子は、期待通りにしゃべることができませんでした。
 この鳥は飛鳥を意味すると考えます。卑弥呼トヨの子孫は、飛鳥に着いてもすぐには、王権を担当できなかったのでしょう。(継体天皇が大和に二十年間入ることができなかったという話と通じるならば、飛鳥には入れなかったということを表現しています)
 また、スサノヲと磐之姫の子孫の前王朝の最後の王がまだ残っていたか、それとも前王朝が滅んでいたとしても、すぐには認められなかったのどちらかとも考えられます。
 
 この鳥が飛び回った国々は、たぶん、この時、卑弥呼の子孫の側についたほうです。それとも、逆かしら(木の国、針間国、稲羽国、旦波国(たんば)、尾張国、科野国(しなの)等々)。
古事記・岩波文庫p111注では
《紀伊→播磨→因幡→丹波→但馬→近江→美濃→尾張→信濃→越》
鳥は広範囲に飛びまわっていますが、書かれていてもよさそうな国が書かれていない気がします。

 また、(垂仁)天皇は夢で、本牟智和気御子がしゃべれないのは、出雲の大神の御心のせいで、大神の宮を立派に造れば、本牟智和気御子はしゃべれるようになることを知ります。
さらに、誓約(うけい)の話、出雲に行くのに縁起のいい道を選ぶ話が続きます。
この時、出雲に行く本牟智和気御子に付き添う二人の王の名前も意味ありげです。倭者師木登美豊朝倉曙立王(やまとは、しきとみとよあさくらあけたつのおう)、莬上王(うなかみのおう)。
前者は卑弥呼に関係する名前や地名などが並べられているように感じられます。
(大和にある地の名前という説明がありましたが、北九州の地名でもあります。登美は登美毘古、豊は卑弥呼の名前、朝倉は甘木の近くを表わしています)
(やまとは、しき)で分けましたが、(はしき・愛しき)にしたかったのかもしれません。
 
 さてここからが、出雲での話です。
 ここの話の地理的な関係がよく理解できません。たぶん、理解できる人はいないのではないかと思います。
 直角三角形の内部での話で、直角三角形に関係する話だと想像しますが、いまいちはっきりしません。でも、ともかく、やってみます。
           続く

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 荒神谷遺跡の位置② | トップ | 本牟智和気御子の出雲での行... »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事