古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

「魏志倭人伝」は正確か

2005年03月04日 18時20分36秒 | Weblog
 それでは、そもそも「倭人伝」は正確なのでしょうか、不正確なのでしょうか。先に答えをだします。「倭人伝」は、現在の感覚でいうと、『なぜこれほど』と思うくらい間違いだらけです。歴史書・地理書としては、致命的な欠陥があります。
 ところが「倭人伝」の内容が古代日本に伝わったとき、「倭人伝」が正確か不正確かは問題になりませんでした。正確・不正確という次元をはるかに超えたところで問題は生じてしまっていました。正確か不正確か、理解するとか、しないとか、そんななまやさしい言葉で表わせない衝撃がそこに発生していたはずだからです。
「倭人伝」の内容は、その時の古代日本の為政者にとって息の根が止まるような、心の底から震え上がるものでした。
なぜならば「倭人伝」の、現在の感覚でいう間違いは、体制を変えうる破壊力を持つものになっていたからです。
日本人は「倭人伝」に沈黙などしていなかったはずです。
 私の考えでは、「倭人伝」は大変な混乱を、古代日本にもたらしていたはずなのです。
簡単に表現すると、古代日本人は、「倭人伝」の間違いを、間違いとは受け取りませんでした。間違いは、奇跡的に、特別なもの(神の声)に変化して把握・理解されたために、古代日本に不可思議と言うだけでは済まない現象が生じたということです。
「倭人伝」を正確だという前提に立つことも間違いです。それ以上に、検討に値しないと切り捨ててしまうことは、もっと大きな間違いです。
なぜなら、「倭人伝」を切り捨てたならば、我々はすべてを失ってしまうからです。確かに、史料として正確かどうか判定されるには他の史料が必要だ、という考え方は有益です。しかし、その史料はたっぷりと存在します。
信じがたいでしょうが、(全てかどうかはわかりませんがかなりの部分の)「倭人伝」の肝心な部分は、当時日本人自身が伝えていた内容とことごとく逆になっていました。
そしてそれは、古代日本人に衝撃を与えたはずなのです。
ところが、このことは、現代に残された日本の書物の表面上には、どこにも書かれていません。そのために、今まで、より正確にいえば、近世以降どなたも気付いていません。近世以前には、少なからず知っていた方々がいたはずです。しかし、それが記述されることは金輪際なかったのです。
 表面上、「倭人伝」の痕跡は、ほとんど、消えています。何の影響も、わが国にもたらさなかったと、されているように見えます。
ところが、実際は、「倭人伝」の恐ろしさは「記・紀」「源氏」の構造の内部には、しっかりと保存されているのです。「記・紀」「源氏」は「倭人伝」の絶対的な影響を受けながら、現代の我々はそれに気付かされていません。

私は先に「倭人伝」は‘間違いだらけだ’と書きました。
しかし、「倭人伝」の間違いの中で最も肝心な部分の間違いがなかったら、そのほかの部分の間違いは、取るに足りないものになっていたはずです。間違いは一笑にふされていたことでしょう。あまりにも「倭人伝」の間違いが多く、例えどんな偶然がおきていたとしても、古代日本人はただ単にあきれかえっただけだったかもしれません。そして古代日本には、さしたる影響もなかったはずです。
 ところが、肝心な部分の間違いのために、すべての間違いが重要なものとなってしまいました。
その肝心な部分とは、「倭人伝」の最後の文章です。
そして、「倭人伝」のすべての間違いは、この最後の文章のために、ある意志の元に、統一性をもって、故意に表現されたものと受け取られました。
なぜなら、この最後の文章のために「魏志倭人伝」の文章全体が、古代日本人には≪神の声≫として聞こえてしまったはずだからです。

「倭人伝」は正確さではなく、≪間違い・不正確さ≫が重要なのです。「倭人伝」は間違っていればいるほど、その破壊力を増すという常識はずれの存在になっていました。
そして「倭人伝」の間違いには特殊な、運命的といっていいものが多いのです。そのように扱われたというほうが正確かもしれません。
 すぐには、現在の我々には「倭人伝」のすべての間違いを確定することはできないかもしれません。そして、それはあるいは、不可能かもしれませんが、できうる限り、やり遂げられなければなりません。
 古代日本の根底に激震をもたらし、大津波として襲ったものは、「倭人伝」の最後の部分の≪間違い・不正確さ≫であることは確かなのです。そして、ここを押さえない限り、古代日本史を解くことは不可能なはずです。
古代日本史の謎の肝心な部分のほとんどは「魏志倭人伝」に隠されているといって過言ではありません。



 


 
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