古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

荒神谷遺跡の位置②

2005年10月12日 23時35分01秒 | Weblog
 荒神谷遺跡と船通山の位置関係はこうです。
 
 荒神谷遺跡→船通山イチイ
  ①129.744度 ②309.932度 ③38.40558km
  
 129.744度ですから、東南東(辰)の方角になります。
  
 巽・辰巳は135度を中心として22.5度ずつの方角で、全部で45度です。
112.5度~157.5度ということです。(合っていますよね)
 そのほかの二遺跡(加茂岩倉遺跡、神原神社古墳)もそれぞれ130.3度、129.7度で、巽の方角に船通山があります。
 では、巽の象意はどんなものでしょうか。
 あまり、理解できませんので、いろいろ引用しました。
http://aazito2.tripod.com/kasou3.htmlでは
 『◆巽宮(そんきゅう)
方位では、東南を示します。
易象では「巽」を風とし、船とするため、遠方の取引などを行う、貿易業にとっては、繁栄をもたらす力があるために、好まれる方位です。』

http://www.kaiun-navi.com/html/4roku.html
ここでは『‘風’‘従順’‘股’‘早熟’‘出入り・往来・道’
‘遠方・旅行・取引’‘ 鳥・航空機・飛ぶ’‘長い・紐・蛇・腸’』などがあげられています。

また、易経に
‘巽’があります。「巽為風」(そんいふう)。
『風・従順・(命令を重ねる)(命令を丁寧に繰り返してから実行する)。
巽(したが)う態度が度をすぎて寝台の下にはいつくばる。』てなことが書かれています。
 
 また、周易説卦伝「岩波文庫・易経下p299、p304」
『巽は木であり、風であり、長女であり、・・・風が遠くまで吹き渡るということからすれば長い、木がどんどん成長するということすれば高いの意味であり、・・・果断でないという意味であり・・・』

 やはり、これらの三遺跡(たぶん荒神谷遺跡だけでなく、他の二遺跡も)はこれら、出雲大社・佐太神社・熊野大社・船通山に守護されているように見えます。
(自分勝手な解釈ですが)荒神谷遺跡の東西の出雲大社・熊野大社は太陽の循環・自然の循環をつかさどり、巽の方角にある船通山は風を送りその循環を滑らか、速やかにし、鬼門にある佐太神社はその循環を妨げようとする阻害要因・ウィルスを防ぐセキュリティを受け持ったという風に考えます。
専門家が見たらいい加減な表現でしょうが、たぶん、解釈の方向はあっているでしょう。
これらの遺跡は、よほど大きな役目を担っていると感じられます。
大和朝廷にとっての呪力の要とでもいえそうです。

船通山に船という字が使われているのは、船通山が三遺跡の巽・辰巳の位置にあるからでしょう。
こんな山の中に、船という字を持つ山があるのはそういうわけだからではないでしょうか。
高い木というのも「いちい」を思い起こさせます。(樹齢千年だとおかしいですが)
また、蛇の象意があるということは、スサノヲが船通山に降り立ち八俣の大蛇を退治することにつながりそうです。
「股」という象意も「(八俣の大蛇の)俣」と通じるかもしれません。

さて、前にやったように、船通山・神原神社古墳・荒神谷遺跡は一直線になっていました。
船通山に降りたったスサノヲは神原神社古墳の斐伊川の支流・赤川で退治したとします。すると、尾の位置はどこになるでしょうか。荒神谷遺跡になるしかないのです。
納得いかないでしょうが、荒神谷遺跡から船通山まで(変な言い方ですが)すべて巽・辰巳で蛇だと考えれば、大蛇の大きさは船通山を頭にすると、尾は荒神谷遺跡になります。
強引ですが、出雲はすべて卑弥呼の霊魂に覆われているといっていいはずです。
すると、荒神谷遺跡に埋められた358本の銅剣は「草薙の剣」になります。
しかし、書紀には草薙の剣は「一振り」になっています。
数は合いません。(考えようはあります。)
ですが、巨大な八つの尾をもつ大蛇の一つの尾からたった一本の剣だけでは寂しいではないですか。(強引ですな)
また、スサノヲは大蛇から出てきた草薙の剣を天照大神に献上しています。
なぜその剣が荒神谷遺跡にあるのでしょうか。
それは荒神谷遺跡のある神庭が高天原だからです。(もちろん仮想の一つです)
スサノヲが草薙の剣を天照大神に献上したことは次のことを意味します。
八俣の大蛇を退治したということは、卑弥呼を殺したということです。しかし、卑弥呼を殺害して権力を獲得した王朝は三百年以上経て崩壊します。スサノヲが天照大神に剣を献上したとは、卑弥呼を殺したものの子孫が祭祀権・政治権力を卑弥呼の子孫に戻したということを意味しています。
たった一行で三百年以上の時の経過を表わしています。
ですから、出雲から『天孫降臨』は行われたということです。

また古事記には神庭の話でわけのわからない載っています。





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