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古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

イザナミの墓・再考Ⅰ

2010年10月09日 23時45分54秒 | Weblog

この写真の出雲大社-道成寺の線上に三国山がのっています。
そこで、思い出したのがイザナミの墓です。

古事記にはこう書かれていました。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/144ed76a4721f933e21c0250106a8ed8
『出雲国(いずものくに)と伯伎国(ははきのくに)との堺の比婆(ひば)の山に葬(はぶ)りまつりき

古事記に書かれた比婆の山は比婆・三国山のはずです。
出雲の国・伯耆の国・(もう一つは吉備の国になるのかな。備前・備中・備後)

もう一つ東に三国山があります。(これが、上記の写真のの道成寺-出雲大社のほぼ線上の三国山です。)



ただし、ピッタリとのっているわけではありません。


以前どっちの三国山にするのかで悩みましたが、こっちは伯耆(鳥取)・岡山・広島になるようで、出雲がありませんから、古事記に書かれている比婆の山は、私が勝手に比婆・三国山とした方になります。
(しかし、どうも、どちらの三国山も意識されていたような気がしてきました。
とりあえず、それは置いておきます。
出雲大社-比婆・三国山-橘湾-安土-伊吹山という直角三角形
出雲大社-三国山-道成寺-妙見宮(春日山原始林)-紫香楽宮跡-伊富岐神社という直角三角形)

さて、この比婆の山のイザナミの墓は、箸墓であると解きました。
以前書いていますが、比婆山のイザナミの墓は、和泉の国・紀の国の堺の三国山と芝村にある箸墓を念頭に入れて、創りだしたものだとしました。
そして、比婆・三国山-出雲大社の線は、紀の三国山-箸墓の線と直角になる、としました。
ところが、今回やってみて、直角にはなっていないことが、はっきりとわかりました。
いや、直角にならないことは、以前も分かっていたと思います。
ただ、手に負えないと放っておいているうちに忘れていました。

しかし、古事記のイザナミの墓は箸墓に間違いありません。
そこで、もう一度検討したいわけです。

(出雲大社-比婆・三国山-)-阿波・橘湾-安土城跡-伊吹山は直角三角形
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/1a6402f2cfb490217ac6d057d6fb3667

私の考えでは、橘湾がイザナギの禊の場所です。
「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」を「阿波・橘湾」と考えています。

三国山・全国で検索すると21件ヒットしました。
標高1129mの三国山・・ここはほんとに三県の堺のようです。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=350328&l=1331609

グーグルアースのポイントですと、下の位置でした。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=350324&l=1331606

比婆・三国山・標高1003.9m
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=350425&l=1330812

和泉の三国山(‘ウォッちず’では大阪府・和泉市とでます。紀の国ではない。)
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=342145&l=1352904

和泉の三国山から、比婆・三国山または三国山から出雲大社への直線と、直角になるように見えるのは、とりあえず藤ノ木古墳のようです。(横の線と平行ということと同じ)
藤ノ木古墳には男性二人が葬られていましたから、伊弉冊尊(イザナミノミコト)の墓にするにはおかしいと思えるかもしれません。(藤ノ木古墳の南に伊弉冊命神社がありました。ここの混乱というわけではないのですが、なぜ、混乱しているかの一つの原因として、出雲が聖地でありながら黄泉の国になっていることが挙げられると思います。元は天武系・天智系の相克?にあると思います。)

とりあえず、そこで、和泉・三国山と藤ノ木古墳と箸墓の位置関係をみます。
和泉・三国山→藤ノ木古墳
 ①38.9231度 ②219.061度 ③35.66707km
 Ⅰ39°03′04.46″  Ⅱ219°11′23.87″ Ⅲ35,666.960(m)
和泉・三国山→箸墓
 ①58.9068度 ②239.108度 ③38.12888km
 Ⅰ59°01′20.52″  Ⅱ239°13′26.88″ Ⅲ38,187.693(m)
藤ノ木古墳→箸墓
 ①128.331度 ②308.394度 ③13.03163km
 Ⅰ128°12′16.09″ Ⅱ308°16′04.22″ Ⅲ13,044.736(m)

藤ノ木古墳での角度
 219.061-128.331=90.73度
 219°11′23.87″-128°12′16.09″=90°59′7.78″≒90.9854度
箸墓での角度
 308.394-239.108=69.286度
 308°16′04.22″-239°13′26.88″=69°2′37.34″≒69.0408度
和泉・三国山での角度
 58.9068-38.9231=19.9837度
 59°01′20.52″-39°03′04.46″=19°58′16.06″≒19.97112度

すると、藤ノ木古墳-和泉・三国山の線上に聖徳太子御廟所があります。
聖徳太子御廟所
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=343111&l=1353821

聖徳太子御廟所→箸墓
 ①83.2765度 ②263.391度 ③18.61491km
聖徳太子御廟所→藤ノ木古墳
 ①38.8471度 ②218.898度 ③13.16425km
藤ノ木古墳→箸墓
 ①128.331度 ②308.394度 ③13.03163km

藤ノ木古墳での角度
 218.898-128.331=90.567度
聖徳太子御廟所での角度
 83.2765-38.8471=44.4294度
箸墓での角度
 308.394-263.391=45.003度

聖徳太子御廟所-藤ノ木古墳-箸墓は直角二等辺三角形になります。

しかし、「日本書紀」には伊弉冊尊(イザナミノミコト)の墓は熊野の有馬村となっています。
これを次回考えます。



















・・・・・・・・・・・
2、3日前




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