古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

出雲大社と箸墓の関係

2005年03月09日 21時29分18秒 | Weblog
 やはり問題となった墓からいくべきでしょう。
 初めは墓の位置が問題になります。
「古事記」ではイザナギ・イザナミは国を生み終えて、更に神を生みます。
そしてイザナミは火の神を生むことが原因で病を得て亡くなります。
「古事記」(p56、古事記上・講談社学術文庫)では次のように記されています。イザナミは

『出雲国(いずものくに)と伯伎国(ははきのくに)との堺の比婆(ひば)の山に葬(はぶ)りまつりき。』
 
 伯伎国(ははきのくに)は伯耆国(ほうきのくに)です。このイザナミの墓は架空のものと考えられています。しかし、このイザナミの墓の位置は、まず大和・三輪山の西にある箸墓を想定して決められたものです。
 箸墓は日本書紀には描かれているが、古事記には描かれていない、とどなたも考えておられます。しかし違います。古事記に描かれたイザナミの墓は箸墓を指し示しているのです。
箸墓の位置を古事記風に書くとこうなります。箸墓の主は、

『和泉国(いずみのくに)と紀国(きのくに)との堺[から離れた]芝(しば)の地に葬(はぶり)りまつりき。』

箸墓の存在している場所の地名は芝(村)といいます。

≪この箸墓は、日本書紀には「日(ひる)は人が造り、夜は神が造った。」と記されています。正式名称は倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)・大市(おおち)の墓です。≫

出雲と和泉(いずも、いずみ)
伯伎と紀(ほうき、き)
比婆と芝(ひば、しば)

これは偶然ではありえません。箸墓が国境から離れているために、今までに気づいた方はおられないようですが、古事記の編纂者は意識して地名を利用したのです。地図を見て確かめてください。

 そしてもう一つ大事な地名があります。三国山です。それぞれの国境に三国山があります。三国山という以上、それぞれもう一つの国があります。出雲・伯耆に関していえば備後がそれにあたります。和泉・紀に関していえば河内になります。ところが備後と河内ではまったく音韻上の類似点はありません。ですから古事記では備後が省かれました。もし両者も似た地名だったとしたら古事記には備後も載せられていたはずです。
 
なぜ、古事記はこのように箸墓を指し示すのに、とんでもなく離れた土地を利用したのでしょうか。
そしてなぜここで隠れた形で箸墓を登場させたのでしょうか。
そして、なぜ語呂合わせまでしなければならない必要があったのでしょうか。

まず一つには、箸墓と出雲大社を結びつけるためにイザナミの墓は設定されています。
そしてもう一つには「魏志倭人伝」に語呂合わせのような間違いの例があるからです。
 またここだけでなく、古事記には地名の語呂合わせの例はたくさんあります。旧約聖書にも地名の語呂合わせの例は数多くあります。ただイザナミの墓の和泉、出雲の例は「魏志倭人伝」から来ています。
 「魏志倭人伝」の「伊都国」がそれです。伊都国は「糸島郡の国」と「和泉国」を一緒くたにされたのです。諸国の怖れた一大率が存在したのは和泉国です。
 大和に女王国があったのならそうなるしかありません。女王国は二つありました。ただ卑弥呼が移動しただけの話です。
 そしてそれぞれの女王国の西側には伊都国があったのです。糸島郡の国の伊都国の東隣は「奴国」です。「奴国」が最初の女王国です。陳寿は女王国という言葉に惑わされ、女王一人の絶対権力と考えましたが違っていました。弟も男王という立場だと考えた方がいいのです。和泉国に存在したのも弟です。和泉の場合は本当の弟ではなく、年上で仮の弟です。
 「魏志倭人伝」では、実際には二つあった女王国と伊都国がそれぞれ一つずつになり、一つしかなかった奴国が二つあることになってしまいました。女王国から最も離れた国として、最初の女王国の奴国が挙げられてしまったのです。陳寿は日本における土地勘を、二つの女王国と二つの伊都国によって、完全に狂わされたのです。
 伊都国が和泉国になるのは日本の方には合点が行かないかもしれません。しかし、中国の人にはいたしかなかったでしょう。
 この場合は日本語と中国語の発声の違いからくる、両国民の音声の聞こえ方の差異が及ぼした必然的な中国人の勘違いによる‘伊都国’のとり違いです。
 
 こういうことです。日本人はその二つの国を違った発音で紹介したはずですが、中国人はその二つの違いを区別できなかったのです。そして二つの別々の地にある国を同一の国と勘違いしたのです。
日本人には区別できても、中国人に区別できない音とは濁音と清音です。
(例えば、ヅとツを、ダとタなどを区別できないで同じ音として聞いてしまうということです。日本人にはRとLが区別できないということと同じようなものです。そして中国人は有気音・無気音の区別ができますが、日本人にはできません。それぞれの民族は違った発声をするために、聞き取りの得手不得手といったものが存在します。)

「倭人伝」に書かれた≪伊都国≫とは九州肥前糸島郡にあった糸国と近畿の和泉国の二つを示していたのです。中国人には区別できないため、二つのまるで違った位置にある国が同一のものとされてしまったのです。
 和泉のイズミ(イヅミ)とイツミの違いは、中国人には(日本語に慣れている人でないと)区別できません。それでも変だとお思いになるかもしれません。イズミとイツミが区別できなくても、イツミとイトは区別できるのではないかと考えられるからです。
 確かに、「魏志倭人伝」の伊都国は‘イトコク’と読まれると考えられてきました。それが正しいなら問題はありません。
 ところが、伊都国の伊都をイトと呼ぶかどうか疑問に思えるのです。
なぜなら、「記・紀」では‘都’という字はほとんど‘ツ’と読まれているからです。‘ト’と読まれているものはないようです。「倭人伝」の‘都’を‘ツ’と読んだからこそ、「記・紀」では‘ツ’と読まれているのではないでしょうか。
≪例・大気都比売神(おおげつひめのかみ)・天比登都柱(あめのひとつばしら)・志那都比古神(しなつひこのかみ)・弥都波能売神(みつはのめのかみ)・豊布都神(とよふつのかみ)・建布都神(たけふつのかみ)・伊都之尾羽張(いつのをはばり)・都牟羽の大刀(つむはのたち)、これらは古事記の神話の初めの部分の、しかも名詞だけです。原文にあたればいくらでもあるはずです。以下略≫

とすると伊都国は‘イツコク’となります。
となると、イツミとイツの違いを区別できたかどうかになります。もちろん同じにしては変だと思ったかもしれません。しかし、中国人は何らかの聞き違いと考えたに違いありません。その結果‘ミ’は消されました。
糸国も和泉国も伊都国と表記されることになります。
糸国も和泉国も同一国になったのです。
また漢和辞典によると≪都≫の発音を‘ト’と読むのは「漢音」で、‘ツ’と読むのは「呉音」だそうです。現在の中国語の発音では‘dou’のようです。
‘d’で始まりますが、濁音ではありません。

出雲大社と箸墓の関係に行く前に、ごろあわせの説明で終わってしまいました。続く。

まあなんにしろ、古代人は未来の人が、邪馬台国を「やまたいこく」とか「やまいちこく」などと読むような突拍子もない間違いをするとは夢にも思わなかったことでしょうね。
 



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