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古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

五社神古墳の位置・・修正

2010年05月04日 19時49分40秒 | Weblog
前回のこの写真の線は五社神古墳から10ヶ所の点に引いたものです。


10ヶ所の点から五社神古墳を通り10ヶ所の点にいったものではありません。
結果は大して変わらないだろうと考えましたが、ずいぶんと違いました。
すみません。
そこまで精密にはできないようです。

五社神(ごさし)という名前からしてぴたりだと思いましたが、可能性は残るとはいえ、性急に結論づけられません。
ただし、(ごさし古墳)という名前がなぜ五社神と書かれるのかわかりませんし、神功皇后陵になぜ比定されているのかわかりません。
検索して調べてみた限りでは、どこから「五」がでてきたものかわかりませんでした。
(私の想像では、もともとは地名の佐紀が入った御佐紀古墳か後佐紀古墳だったものが、五芒星に引っ掛けられたのではないかと考えましたが、でてきませんでした)

五社神古墳→大斎原
 ①180.591度 ②0.58528度 ③96.90685km
 Ⅰ180°35′38.46″  Ⅱ0°35′16.50″ Ⅲ96,727.577(m)
五社神古墳→伊吹山頂
 ①35.3496度 ②215.706度 ③97.14261km
 Ⅰ35°28′18.52″  Ⅱ215°49′41.91″ Ⅲ97,123.548(m)
五社神古墳→豊受大神社(元伊勢外宮)
 ①323.467度 ②143.103度 ③96.50413km
 Ⅰ323°20′37.33″  Ⅱ142°58′46.05″ Ⅲ96,493.684(m)

五社神古墳→伊弉諾神宮
 ①252.476度 ②71.9475度 ③89.63004km
 Ⅰ252°33′10.13″  Ⅱ72°01′24.09″ Ⅲ89,839.409(m)
五社神古墳→伊勢神宮・内宮
 ①107.717度 ②288.251度 ③90.48038km
 Ⅰ107°38′28.07″  Ⅱ288°10′29.88″ Ⅲ90,690.907(m)

豊受大神社(元伊勢外宮)の位置を東に2秒修正しました。

一点に集中するのは不可能でした。
全体・これくらい離れていると一点に集中するように見えますが、そうはいきませんでした。


近づくとこうです。


交点を結んで、新たに五芒星を創ります


ごちゃごちゃでわかりにくい


そこで、五芒星だけを創っていきます








五点のとり方によっては、平城宮がすっぽり入るものもできます。
平城宮及びその東の部分が入っている
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