古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

野馬臺詩・野馬台詩

2010年05月03日 19時46分38秒 | Weblog
本日5/3午後3時05分から、NHKで吉備真備の唐での活躍を描いた『吉備大臣入唐絵巻』の説明をしていました(スポーツクラブのランニングマシーンに塔載のテレビで見ました。歩いているだけです。・・念のため。・・4/29の再放送でした。)
現存の『吉備大臣入唐絵巻』は前半の部分だけが残っていて、後半部分は残っていないそうです。
しかし、NHKの解説では、絵巻の前半とされている部分に、後半の部分が紛れ込んでいるのではないかというものでした。
絵巻物がばらばらにされて、次につなげるときに間違った部分に入ってしまったようです。(錯簡《さっかん》というらしい)
(細かな説明はできませんので、番組をみていない人は検索してください。オンデマンドとやらでやるかもしれません。)

しかし、私は故意にそれがなされたのではないかと感じました。
『魏志倭人伝』のように、順序を逆にさせたのではないかと、・・。

その後、『野馬臺詩』なるものが登場します。
唐の皇帝が優秀な吉備真備を‘へこます’ために、普通には読めない、順序を変えなければ解読できない『野馬臺詩』を吉備真備に見せ、読んでみろ、ということのようです。

しかし、『野馬臺詩』とは「邪馬臺国の詩」であり、「ヤマトの詩」ということです。
それがバラバラであるということは三国志のいわゆる『魏志倭人伝』が順序どおりになっていないということを示していることは明らかです。
それを中国人が知っているということは、普通ならありえません。
日本人が中国人に『魏志倭人伝』はバラバラで逆になっていて、卑弥呼復活の預言書・予言書であるということを教えた場合にのみ、ありうることです。
しかし、知ったとしても理解できるはずはありませんし、理解できた場合でも、中国人は暗号のように作った詩を『野馬臺詩』と名づけるわけはありません。
仮に何人かの中国人が『魏志倭人伝』は間違いだらけであることに気づいたところで、『野馬臺詩』を創って、正史を揶揄するということは考えられません。
『野馬臺詩』なるものは日本で創られる以外ありえません。
そして、当時の日本のお役人の大部分は『魏志倭人伝』が間違いだらけであるということを知っていたことになります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E8%A9%A9

野馬台詩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
《野馬台詩(野馬臺詩、耶馬台詩、やばたいし、やまたいし)とは、日本の平安時代から室町時代に掛けて流行した予言詩。中国・梁の予言者、宝誌の作とされるが、偽書の可能性が高い。偽作者については不明で、日本で作られた可能性はあるが、中国で作られたのは本当とする説もある。》

《・・・平安時代末期に成立した『江談抄』によれば、遣唐使の吉備真備が唐の玄宗に謁見した時、解読を命じられた。詩は文がバラバラに書かれていて、まともに読めないようになっていた。真備が困り果てて日本の神仏に祈ると、蜘蛛が落ちてきて、蜘蛛の這った後を追うと、無事読むことができたという。また、現存の前半部分には、野馬台詩に関する部分を欠くが、同じく平安末成立の絵巻物である『吉備大臣入唐絵巻』も、同じ事柄を描くものである。》

下記に、野馬臺詩の全文、そのままの文と解読した文がのってました。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/jpn59.htm

・・・・・・・
全部、手近なところで済ませています。
写真にすると、住環境の良いとこそうに見えるのですが・・・・


5/1・青空


5/3




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