古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

平城京は動いていた・もう一つの証拠(平城天皇陵)

2009年01月02日 00時41分24秒 | Weblog
平城京は動いたはずです(2008・2/17)の追加です。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/f2a0a7bad5606a003d2fa5da603f2a0f

平城天皇陵
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344147&l=1354750



 平城京・平城宮跡の北側の「水上池」がどんなものなのか、知りたくて検索したところ、面白い事実を知りました。
 ただし、それは「水上池」のことではなく、その隣の平城天皇陵についてです。
(なぜ、「水上池」を知りたかったかは、別に書きます。)

 平城天皇陵は‘ウォッちず’を見ますと「円墳」のようですが、実は「前方後円墳」だったそうです。
 宮の造営に伴い、その前方部は破壊されていた、ということのようです。

 以下、わかりやすいので、長々と引用させていただきます。
《平城天皇陵 楊梅陵 その2(その1もあります)
水上池
 http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/nara/burial-mound/51-heizei-02.htm
前のページでもご紹介したように、第51代平城天皇の御陵 楊梅陵は、市庭古墳とも言われています。
市庭(いちば)古墳は、平城宮の内裏の北 北面大垣に接した場所にあります。
今は、径100メートルほどの円墳になっていますが、もとは、前方後円墳だったそうです。
昭和37年、奈良国立文化財研究所の調査で、これが、前方後円墳だったことがわかり、宮の造営によって、前方部が破壊されたことが、わかったそうです。 ななんとっ。削られていたんですね~ (‥;)
平城天皇陵(市庭古墳)
元々は、全長250メートル、後円部径150メートル、前方部幅160メートル 周囲に約40メートル程度の周濠があった模様です。
で、この古墳から、円筒埴輪などが出土しているようですが、その造りは、この東にある、ウワナベ古墳より古いらしい・・・。
平城天皇陵になっているんだけど、どうやら、これは違うのデワということです。あらら~ (^_^;)
 平城天皇って、「日本紀略」によると~ 天長元年(824年)に、亡くなっているんですね。ってことは、9世紀の人になるでしょ。
でも、古墳としては、5世紀中頃に築造されたモノだそうな。
んじゃ~ この市庭古墳は、はてさて、だれの古墳だったのでしょうね。謎だわ・・・となるワケです。(;^_^A
現在、陵墓は、宮内庁の管轄ですから。謎のままで・・・(^^)
さて、この市庭古墳の東隣は、広大な水上池が広がっています。》


 平城宮跡のすぐ北側という、この陵の位置からすると、相当重要な方の陵でなければなりません。
 9世紀の平城天皇の陵だとすると、既に平城京は廃墟になっていたでしょう。(たぶん)
 ところが、5世紀中ごろの築造で、前方後円墳だったとすると、平城宮造営のときに邪魔だったために壊した、という可能性が一番高いことになります。
 もちろん、そうであれば、平城天皇陵ではありえません。
 では、なぜこの陵を平城天皇陵にしなければならなかったのでしょうか。
 やはり、それは位置のせいなのでしょう。 しかし、・・

 また、たとえ、どなたの陵であっても、たとえそれが庶民の墓であったとしても、破壊するということは、なかなかできないでしょう。
 たぶん、古代では、墓を破壊するような王から民の心は離れる、といって、忠臣は王をいさめるはずです。(追記・たたりを恐れることも考えられます。)
 さて、そのように考えた場合、最初に平城京を造営するときに、陵を壊すような設計をするでしょうか。
 しかも、あとから、天皇陵に比定されたのがいつであったとしても、天皇陵にしなければならないような位置の陵を破壊するでしょうか。
 最初にそのような設計をするはずがありません。

 ということは、729年長屋王の変以降、平城京を動かさざるをえなかったときに、現在「平城天皇陵」とされている陵の前方部を破壊するしかなかったと、考えられます。
 繰り返しますが、平城京が動いたからこそ、陵が破壊されたとしか考えようはないのです。
 (追記・・グーグルアースでみますと、なんとなく前方後円墳の名残があるようです。)

この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 《欽明~皇極天皇》の系図は... | トップ | (思いつき)用明天皇・池辺... »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事