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古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

竹島-白頭山-武寧王陵(ムリョンワンヌン)

2012年09月05日 12時28分17秒 | Weblog
竹島が朝鮮にとっても重要であったのか、が問題です。
日本にとって重要であったのは、今までみたとおりですが、それはひとえに、朝鮮と日本を結びつける島だったからです。
交易とか人々の往来には片一方だけに重要ということはないはずです。
ただ、百済の滅亡とその後の事情によって、日本にとって竹島の重要性は朝鮮の方よりも増していたでしょう。
で、つながるのかどうかわかりませんが、△竹島-白頭山-武寧王陵(ムリョンワンヌン)をみますと、二等辺三角形になりそうです。
意味があるのかどうかわかりません。
意味があるとすると、武寧王にとって竹島がきわめて重要だったことになります。

以前見ましたが、武寧王は加唐島生まれとなっていました。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/6fb1b15066d8d38206a2cd5d7387d3be
武寧王は本当に加唐島生まれでしょうか。 2009年06月23日

しかし、ここで、加唐島、竹島、武寧王陵が意味のある三角形を造るならば、
何かいえそうですが、そうともみえません。
(意味のある三角形になったら、こういうつもりでした。武寧王は加唐島で生まれたことになっていますが、竹島近くを航海中、または竹島に上陸して生まれたのではないか。)
△竹島-白頭山-武寧王陵に意味があるとすると、思いついたのはこんなことぐらいです。
まぁ、ただの偶然かもしれませんが、投稿します。

《以前

白頭山-高千穂峰-太白山はほぼ正三角形になっていることをみたことがありました。
ただ、竹島とでていますが、だいぶ北側を通っています。
また、△白頭山-扶余(プヨ)-竹島よりも△白頭山-武寧王陵-竹島のほうが二等辺三角形になっていました。》

海溝はずいぶんと深いのに驚きます。






竹島
北緯37度14分26.14秒、東経131度52分07.33秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=371426.14&l=1315207.33
白頭山
 北緯41度59分31.00秒、東経128度04分38.00秒
武寧王陵(ムリョンワンヌン)
 北緯36度27分38.76秒、東経127度06分45.86秒

白頭山→竹島
Ⅰ147°05′30.73″  Ⅱ329°30′43.52″ Ⅲ619,745.738(m)
白頭山→武寧王陵(ムリョンワンヌン)
Ⅰ188°01′55.01″  Ⅱ7°25′16.68″ Ⅲ619,680.007(m)
竹島→武寧王陵(ムリョンワンヌン)
 Ⅰ259°54′05.62″  Ⅱ77°02′53.30″ Ⅲ432,849.537(m)

白頭山での角度
188°01′55.01″-147°05′30.73″=40°56′24.28″≒40.9401度
武寧王陵(ムリョンワンヌン)での角度
77°02′53.30″-7°25′16.68″=69°37′36.62″≒69.6268度
竹島での角度
329°30′43.52″-259°54′05.62″=69°36′37.90″≒69.6105度

619,745.738(m)-619,680.007(m)=65.731(m)しか違っていません。
いうまでもありませんが、ほんの少し位置を違えれば、一致します。

竹島は、どうみても、日本と朝鮮をつなぐ島です。
縄文時代からその可能性があります。
日本と朝鮮を離間させる島であってはなりません。
どちらか一方の領土というのは、竹島に似つかわしくないでしょう。

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