蘇我入鹿には「鞍作」「林臣」「林太郎」「蘇我大郎」の別名があるようです。
日本書紀 皇極二年、〈林臣入鹿也。〉とあります。
《蘇我大臣蝦夷聞山背大兄王等惣被亡於入鹿。而嗔罵曰。噫、入鹿極甚愚痴。専行暴悪。爾之身命、不亦殆乎。』時人説前謡之応曰。以伊波能杯爾、而喩上宮。以古佐屡、而喩林臣。〈林臣入鹿也。〉》
蘇我入鹿が山背大兄皇子の一族を滅ぼしたことを聞いて、父・蝦夷が入鹿は馬鹿なことをやったと嘆く場面です。この最後に〈林臣入鹿也。〉とあります。
また上宮聖徳法王帝説にも
(「飛鳥天皇御世 癸卯年十月十四日 蘇我豊浦毛人大臣児入鹿臣□□林太郎 坐於伊加留加宮 山代大兄及其昆第等 合十五王子等悉滅之也」)とあります。
そしてこの後に乙巳の変の文章が続くようです。
(ただし、その次の文章の初めが☐☐天皇なのか☐☐☐天皇なのか、欠字が二文字なのか三文字なのかわかりません。それで引用しませんでした。)
ともかく、「林太郎」は「蘇我入鹿」のことです。
さて、しかし、なぜ蘇我入鹿が林太郎なのかはわかりません。
前から引っ掛かっていました。
ところが、前回、蘇我入鹿=高市皇子(天皇)にたどりつき、それではこうなるのではないか、と下記のように推理しました。
太郎」は「たいろう」と読むようです。
「太郎」は現代語で、「たろう」と読んでみても、トップとかという意味を持っているのだろう、となんとなく察しはつきます。
ヤフーの辞書で検索すると
《た‐ろう【太郎】
1 長男。また、長男に多くつけられる名。「一姫二―」2 最初のもの、最大のもの、最高のものをさす語。地名や名詞に添えて用いる。「坂東―(=利根川)」「丹波―(=夕立)」》
ですが、だれでもこの「林」には最初戸惑うのではないかと思います。
違和感があると思います。
「林」という苗字はどこにでもあります。
「太郎」もそこらじゅうにいますが、「長男」に多く付けられる名前の他に意味があることはわかります。
「林」も辞書検索しなければ片手落ちですな。
ということで
《はやし【林】
1 樹木がたくさん集まって生えている所。「武蔵野の面影を残す―」「雑木―」
2 同類のものが立ち並んでいる状態。「アンテナの―」》
「林」という苗字の他に意味はありますが、この「林」がどうして「蘇我入鹿」の別名につくのか、やっぱりわかりません。
こんなところに引っ掛かっていたら、とても先には進めませんから、どなたも「入鹿の別名に林太郎というものがあるんだ。そうなんだ」と覚えて、そのままにしていることでしょう。
このたびこの「林」の意味をネットで検索してみました。
林臣に養育されたという説が見つかりました。
ですが、これではホントかどうか確かめようもありませんし、面白くもなんともありません。
信用していただけるかどうかわかりませんし、突飛でしょうが、私の説の方が面白いです。
これは「林」というよりも「木・木」のように「木」を並べたものではないでしょうか。
「林」を「はやし」と読もうが、「りん」と読もうがどっちでもいいです。
ともかく、「木」を並べたのです。もちろん「林」という字になります。
そういう字が既にあるということが重要だったと思えます。
古代では「木」は神です。
「稲羽の素兎」の「ウサギ」は「宇佐・神」ということで、卑弥呼トヨの別称で蔑称です。
そこで、前回、蘇我入鹿=高市皇子(天皇)を考えましたが、高市皇子(天皇)=草壁皇子でもあります。
草壁皇子は日並知皇子(ひなめしのみこ)ともいわれ、日を並べるということは「日・日」となります。「日・日」皇子となります。
これはヤマトタケルもあらわします。高市皇子(天皇)=ヤマトタケルともなります。
酒折宮で火の番の翁が「かがなべて・日日並べて」と歌いヤマトタケルのおめがねにかなったのは、歌に自分の名前が盛り込まれたからに違いありません。
同様に「林太郎」は《「木・木」並べて太郎》となります。
木は神ですから、《「木・木」並べて》となりますと、「神・神」となります。
わかりやすく言い換えるならば「神々の中の最も尊い神」とでもなるでしょうか。
まあこれも高市皇子(天皇)に対する‘お追従’になるでしょう。
又「木」は「ki」と普通表記されます。
しかし、「漢」「韓」は「ハン」と中国や朝鮮では読みます。
中国人は日本語の「k」が聞き取りにくいのです。(以前やりましたがカ行というより、無声破裂音と有声破裂音の区別が難しいらしい
『隋書』の「阿蘇」は「アスカ」であることの発音的根拠・2009年07月20日)
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/80dc6342b7c3bcce6cd365eca2c2de77
そこで、韓・カンがハンになるには「kan」と表記するよりも「khan」と表記して、そこから「k」を抜けば「han」になるわけです。
そこで「木」を「khi」と表記し「k」を抜けば「hi」になります。
「木」は「日」に変化します。
すなわち「林」太郎は「日日並」太郎と変わり、『日並知(ひなめしの)太郎』となり、草壁皇子を指し、実は高市皇子(天皇)を表わすことになるのです。
また「鞍作」という名は、天武天皇・高市皇子(天皇)が百済王・豊璋を殺した犯人だと暗示していると思えます。
《以前書きました。
馬子・入鹿・薬猟・2006年06月10日
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/bbbea1e9a25c94ecb356421dec562415
・・・・・・・・・・・・・・
2/23富士山は見えませんが、2/9と比べて太陽はだいぶ右側に沈みます。午後5時頃。
ずっと天気がよくありませんでした。日没が遅くなりました。1日1分。
2/9 ほぼ同じ時刻
2/23 月が出ていました。午後5時6分。
日本書紀 皇極二年、〈林臣入鹿也。〉とあります。
《蘇我大臣蝦夷聞山背大兄王等惣被亡於入鹿。而嗔罵曰。噫、入鹿極甚愚痴。専行暴悪。爾之身命、不亦殆乎。』時人説前謡之応曰。以伊波能杯爾、而喩上宮。以古佐屡、而喩林臣。〈林臣入鹿也。〉》
蘇我入鹿が山背大兄皇子の一族を滅ぼしたことを聞いて、父・蝦夷が入鹿は馬鹿なことをやったと嘆く場面です。この最後に〈林臣入鹿也。〉とあります。
また上宮聖徳法王帝説にも
(「飛鳥天皇御世 癸卯年十月十四日 蘇我豊浦毛人大臣児入鹿臣□□林太郎 坐於伊加留加宮 山代大兄及其昆第等 合十五王子等悉滅之也」)とあります。
そしてこの後に乙巳の変の文章が続くようです。
(ただし、その次の文章の初めが☐☐天皇なのか☐☐☐天皇なのか、欠字が二文字なのか三文字なのかわかりません。それで引用しませんでした。)
ともかく、「林太郎」は「蘇我入鹿」のことです。
さて、しかし、なぜ蘇我入鹿が林太郎なのかはわかりません。
前から引っ掛かっていました。
ところが、前回、蘇我入鹿=高市皇子(天皇)にたどりつき、それではこうなるのではないか、と下記のように推理しました。
太郎」は「たいろう」と読むようです。
「太郎」は現代語で、「たろう」と読んでみても、トップとかという意味を持っているのだろう、となんとなく察しはつきます。
ヤフーの辞書で検索すると
《た‐ろう【太郎】
1 長男。また、長男に多くつけられる名。「一姫二―」2 最初のもの、最大のもの、最高のものをさす語。地名や名詞に添えて用いる。「坂東―(=利根川)」「丹波―(=夕立)」》
ですが、だれでもこの「林」には最初戸惑うのではないかと思います。
違和感があると思います。
「林」という苗字はどこにでもあります。
「太郎」もそこらじゅうにいますが、「長男」に多く付けられる名前の他に意味があることはわかります。
「林」も辞書検索しなければ片手落ちですな。
ということで
《はやし【林】
1 樹木がたくさん集まって生えている所。「武蔵野の面影を残す―」「雑木―」
2 同類のものが立ち並んでいる状態。「アンテナの―」》
「林」という苗字の他に意味はありますが、この「林」がどうして「蘇我入鹿」の別名につくのか、やっぱりわかりません。
こんなところに引っ掛かっていたら、とても先には進めませんから、どなたも「入鹿の別名に林太郎というものがあるんだ。そうなんだ」と覚えて、そのままにしていることでしょう。
このたびこの「林」の意味をネットで検索してみました。
林臣に養育されたという説が見つかりました。
ですが、これではホントかどうか確かめようもありませんし、面白くもなんともありません。
信用していただけるかどうかわかりませんし、突飛でしょうが、私の説の方が面白いです。
これは「林」というよりも「木・木」のように「木」を並べたものではないでしょうか。
「林」を「はやし」と読もうが、「りん」と読もうがどっちでもいいです。
ともかく、「木」を並べたのです。もちろん「林」という字になります。
そういう字が既にあるということが重要だったと思えます。
古代では「木」は神です。
「稲羽の素兎」の「ウサギ」は「宇佐・神」ということで、卑弥呼トヨの別称で蔑称です。
そこで、前回、蘇我入鹿=高市皇子(天皇)を考えましたが、高市皇子(天皇)=草壁皇子でもあります。
草壁皇子は日並知皇子(ひなめしのみこ)ともいわれ、日を並べるということは「日・日」となります。「日・日」皇子となります。
これはヤマトタケルもあらわします。高市皇子(天皇)=ヤマトタケルともなります。
酒折宮で火の番の翁が「かがなべて・日日並べて」と歌いヤマトタケルのおめがねにかなったのは、歌に自分の名前が盛り込まれたからに違いありません。
同様に「林太郎」は《「木・木」並べて太郎》となります。
木は神ですから、《「木・木」並べて》となりますと、「神・神」となります。
わかりやすく言い換えるならば「神々の中の最も尊い神」とでもなるでしょうか。
まあこれも高市皇子(天皇)に対する‘お追従’になるでしょう。
又「木」は「ki」と普通表記されます。
しかし、「漢」「韓」は「ハン」と中国や朝鮮では読みます。
中国人は日本語の「k」が聞き取りにくいのです。(以前やりましたがカ行というより、無声破裂音と有声破裂音の区別が難しいらしい
『隋書』の「阿蘇」は「アスカ」であることの発音的根拠・2009年07月20日)
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/80dc6342b7c3bcce6cd365eca2c2de77
そこで、韓・カンがハンになるには「kan」と表記するよりも「khan」と表記して、そこから「k」を抜けば「han」になるわけです。
そこで「木」を「khi」と表記し「k」を抜けば「hi」になります。
「木」は「日」に変化します。
すなわち「林」太郎は「日日並」太郎と変わり、『日並知(ひなめしの)太郎』となり、草壁皇子を指し、実は高市皇子(天皇)を表わすことになるのです。
また「鞍作」という名は、天武天皇・高市皇子(天皇)が百済王・豊璋を殺した犯人だと暗示していると思えます。
《以前書きました。
馬子・入鹿・薬猟・2006年06月10日
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/bbbea1e9a25c94ecb356421dec562415
・・・・・・・・・・・・・・
2/23富士山は見えませんが、2/9と比べて太陽はだいぶ右側に沈みます。午後5時頃。
ずっと天気がよくありませんでした。日没が遅くなりました。1日1分。
2/9 ほぼ同じ時刻
2/23 月が出ていました。午後5時6分。
私は、後の時代のことが、それ以前のこととして書かれているとずっと主張しつづけています。卑弥呼・臺与(とよ)が亡くなり、その臺与の墓が造られた後で、13歳の臺与が現れた、と「魏志倭人伝」が勘違いしたことが基になっています。卑弥呼・臺与は復活し生き返ったことになったのです。280年ごろのことが247年ごろの事件となってしまいました。
ですが、私の説は全く違っています。蘇我氏は天皇家そのものでありながら、天皇家の敵とし設定された架空の氏族です。(天武系、天智《藤原氏》系のどちらでも)
蘇我氏は『魏志倭人伝』の「卑弥弓呼」から創造されたはずです。「卑弥弓呼」は敵とされていますが、実は卑弥呼の弟のはずです。
そして卑弥呼は弟の補佐を受け持ったのですから、女王などではなく、卑弥呼の弟が奴国の王だった、というのが私の説です。
浜麻呂の子は、千郷で、千郷の子は広貞で、和気清麿の事です。
私も「木」は神と思っています。そしてそれはシュメ-ルの蛇女神・キに由来すると考えています。「林」は「キの中のキ」と感じます。
神の子孫が増えすぎたため強調したように感じます。
たとえば「李」は「木の子」です。
蛇女神・キは牡牛神・エンキと共に書かれますがこのエンキ伝承が牛頭神・スサノオと変わったと判断しています。
那岐の技も葛城の城も「キ」の筈です。
また倭にも「木」が入ります。
「新羅」を「シンラ・ギ」=「シンラの奴等」と呼び、それが「シラギ」になった、から。