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日の丸太陽電池の“優等生”パナソニックが投資凍結へ ドイツに見る脱原発の実情

2012年11月01日 13時21分24秒 | 原発問題

日本核武装講座から、つづけてもう一つの記事を転載です。

自然エネルギーの代表格である太陽電池が、けっして原発に取って代わる程の力のないことが明らかになりつつあります。

 

 

 

 

日の丸太陽電池の“優等生”パナソニックが投資凍結へ

ダイヤモンド・オンライン 10月29日(月)8時30分配信
 
 
 日の丸太陽電池に生き残りの道はあるのか──。

 パナソニックは世界的に厳しさを増している太陽電池の生産について、世界トップクラスの性能を目指してきた太陽電池「次世代Hit」の商品化を見送る方 針を固めた。さらに最先端のマレーシア工場(年内稼働予定)などでも、今後の拡張用に検討していた投資をすべて凍結する。
太陽電池は支那の低価格製品に押されて、今や先進国で作ってもなかなか儲からない事業になってしまている。
棺直人の言う「再生エネルギー投資で景気回復」などは夢のまた夢。
というか、言いだした時点でボロが出ている事はちょっとでも新聞を読んでいる人には常識だった。
「知らぬは脱原発ばかりなり」ってとこだ。
 
再生可能エネルギーなど原発の代わりにはまるでならないものである事はドイツの失敗を見れば明らかだ。
ドイツは昨年3月までは電力の23%を原発で賄っていた。ところが世論に阿るメルケルが脱原発を決めて以来、エネルギー危機の足音が聞こえてきつつある。
一部の原発を停めた事に伴う電力料金の高騰に消費者が激しく反発し始めた。
産業界は生産施設を国外に移転させると言い始め、近隣諸国はドイツの電力輸入が増加して、ヨーロッパの国々が電力を融通し合う国際送電網が不安定化する事を恐れ始めた。
隣のポーランドではドイツに電気を売るために原発新設を計画している。なんと本末転倒ではないか?
 
 
ドイツが原発の段階的停止を打ちだして僅か一年。既に計画は暗礁に乗り上げつつある。
その殆どはコスト負担。
電気料金の上昇により、ドイツ経済が被った打撃は340億ユーロに達する。
仮にこのまま原発を全廃すると発生するコストは1200億ユーロにまでなるらしい。
この負担は、電気料金の上昇となって一般消費者を直撃する。
電気料金が高騰すれば、企業投資が減り、個人消費も冷え込む。その結果あらゆる産業で雇用が減るだろう。
 
 
ドイツは再生可能エネルギー関係の補助金をかなりの割合で太陽電池に投資している。
曇りや雨の多いドイツで、太陽電池が有効な訳は無いのだが、多くの補助金を突っ込んだので太陽電池だけ見れば世界の発電量の35%を占めている。
しかしこれで補う事が出来るドイツ全体の電力量に占める割合は4%くらいだった。(2011年)
節電しても節電しても電気料金は上昇する一方であり、既に80万世帯が電気料金を滞納しているという。
そのうち電気を停められれば、冬を越せない人達が出てくるのではないか?
 
ドイツは来年選挙があるのでメルケルも考え直し始めているらしい。
来年の一月に電気料金の大幅な値上げを予定しているらしいが、国民が怒ってそっぽを向けば脱原発などどうなるか解らない。
ドイツの製薬会社バイエルは、エネルギーコストの上昇が止まらないなら生産拠点を海外へ移すと発言した。
それで得をするのはエネルギーコストの安価な国(アメリカなど)だろう。
ドイツには石炭が大量にあり、それを使って火力発電が可能だ。
しかしエネルギーを海外に頼る日本がドイツのような道を選んだ場合、電力を補う物は何も無い。
 
ドイツはかつて太陽光パネルの技術では世界をリードしていた。だが今や太陽光パネルの生産は支那にとって代わられ、ドイツ国内では見かけなくなった。
日本企業もシャープや京セラなどは赤字だ。
パナソニックは辛うじて黒字を保ったとはいうものの、結局先が無いと判断して投資を凍結した。
 
支那のサンテックパワー社も赤字らしい。
ということは、訳の解らない変な企業が太陽光パネルを安く大量に作っていると云う事だ。
「太陽光パネルは20年メンテナンスフリーで維持出来ます」などと言って業者は売り込みに来るが、支那の製品が20年持つなんて信用出来るのだろうか?
さらに太陽光パネルはリサイクルするのに膨大なエネルギーを使う。業者によっては不可能とまで言い切る者もある。
民主党の言うように再生可能エネルギーを推進した場合、20年経ったら産業廃棄物の山川豊になってしまっているのではないだろうか?
太陽光パネルにも便所は無さそうだな。
太陽光パネルは生産するのにも非常に電気を食うので、「太陽光パネルを生産するのに原発が必要となる」まるで笑い話のような事も伝わって来ている。
 
考えられる将来に於いて、太陽光パネルや風力発電が原発の代わりになる事など無い。
好むと好まざるとに関らず、原発の安全性を向上させつつ使って行くしかないのだ。
 
脱原発などは寝言だ。 
 

クラゲ議員を落選させよう!

2012年11月01日 13時11分45秒 | 原発問題

日本核武装講座からの転載です。

原発ゼロを煽る勢力がどういう人々かがよく分かる記事です。日本の産業を衰退させ、国力を衰退させる、そんな脱原発ですが、メディアの宣伝に多くの人が騙されて、原発で大事故大悲惨事が起こりかねないと思わせられています。しかし実際に本当の被害がどの程度だったかをよく考えて欲しいと思います。かなりずさんな管理もあったと言われていますが、それでもあの程度の被害です。実際には住民の避難などは必要なかったとも高田先生(放射線医学専門教授)などは言われています。

また今の日本の技術は更に高度に発達しており、非常に安全性が高くなっているのです。管理の問題であるとすれば、これはあらゆる技術に共通のことであり、何も原発だけが危険なのではありません。あたかも原発を原爆と混同するようなイメージ操作で核爆発の危険などを煽っているものもありますが、実際には原発で原爆のような事故は起こりえません。

火力発電、水力発電もいざとなれば、その危険性はけっして劣らないのです。世界は冷静に見ています。だからダライ・ラマは原発をやめることに反対し、日本によく考えるようにとおっしゃっているのです。世界の多数の先進技術の恩恵に良くしていない人々のためにも、今もっとも環境にやさしい原発を先進国がやめてしまえば、おそらくこうした人々は、いつまでも発展途上国として物資の欠乏、不自由な暮らし、重労働、さらには食料の不足に苦しまなければならないのです。

自然エネルギーだけで、世界の人口を支えきれることはありません。もし石炭石油などの化石燃料を先進国がどんどん使うなら、地球環境も悪くなり、またその奪い合いで、発展途上国はいつまでも貧困にあえぐことになるでしょう。

 

 

 

 

「クラゲ議員」を落選させよう - 池田 信夫

アゴラ 10月15日(月)11時57分配信
超 党派の議員でつくる原発ゼロの会が、メンバーをつのっているそうだ。シンボルマークは右のような気持ち悪いもの。クラゲが原発を止めたことから「原発に抵 抗するシンボル」として倉本聡氏が決めたそうだが、クラゲが火力発電所も止めたことを知らないらしい。参加条件は次の3つを公約することだという。

1,原発依存ゼロ
2,使用済み核燃料の再処理ゼロ
3,再生可能エネルギーへの大胆な転換

90人と称する名簿は今のところネット上にはないが、発起人は次の通り。

 近藤 昭一(民主・衆)
 逢坂 誠二(民主・衆)
 河野 太郎(民主・衆)
 長谷川 岳(民主・参)
 加藤 修一(公明・参)
 山内 康一(みんな・衆)
 笠井 亮(共産・衆議院議員)
 阿部 知子(社民・衆)
 斎藤 やすのり(きづな・衆)

彼らには次の質問をしてみたい:

1,「原発依存ゼロ」が100年後の目標なら意味がないし、20年後なら民主党のように破綻するが、いつを期限にしているのか?

2,「使用済み核燃料の再処理ゼロ」にしたら、44トンのプルトニウム(原爆5000発分)はどうするのか?

3,「再生エネルギーに転換」したら2020年までに24兆円の国富が吹っ飛ぶが、それに見合うメリットは何か?

4,日本で原発事故が起こるとすれば巨大地震のときだが、地震・津波で最大32万人が死亡する。原発だけゼロにしてもリスクはほとんど減らないのではないか?

5,原発をゼロにすると火力発電によって環境が悪化し、死者は増えると予想されているが、何のために原発をゼロにするのか?

要するに、ここにリストアップされた議員は「経済への悪影響も環境の悪化も考えないで、国民の恐怖に迎合するポピュリスト」ということだ。次の選挙で落とす議員のリストとしては便利だ。

(池田 信夫)
 
 
↓このマークを見かけたら売国奴
 
 
 
 
脚本家の倉本葬というのが作ったそうだ。
センスの欠片も無い。
北海道へは何度もバイクで行っているが、富良野のテレビドラマの場所へは行った事が無い。
なぜなら一回もドラマを見ていなかったら。何の事だかわかりませんし、関心もありませんでした。
 
 
で、発起人を見てみると、案の定碌なヤツが居ない。
 
近藤昭一 (愛知3区)
 
言わずと知れた北朝鮮系議員。
 
朝鮮総連系の団体から320万円の献金を受けていた。
「ばれちゃあしょうがねえ」と返した事になっているが、返せば済むと云う問題ではないだろう。
薬事法違反容疑で朝鮮総連系の団体を警察が家宅捜索した時に、反対する朝鮮人らを激励し、議員会館に招き入れて反対集会まで催させた。
沖縄県知事選挙では、親支那・親北朝鮮系の候補者を応援。
防衛庁が省へ昇格する時にも反対運動をしていた。
 
 
逢坂 誠二 (北海道8区)
元ニセコ町長
コイツについてはよく知らぬが、所詮は民主党。碌なもんじゃないだろう。
事実、犯罪者である石川知裕を応援している。
 
 
河野 太郎 (神奈川15区)
今更何も言う必要もないほど知られた売国奴。
 
神奈川の恥。
 
上の本文では(民主)となっているが、誤字にしてもお似合いだ。
およそ自民党における代表的な売国奴ぶりは、野中広務なき今加藤紘一と双璧をなす。
俺が神奈川県スキー連盟に絶対登録したくないのはコイツが会長だからだ。
核政策でもアホを晒し続けている。よくこれで国会議員をやっていられるものだ。
 
河野は原発を「便所の無いマンション」というが、便所が無いのは二酸化炭素も同じ事。
日本は年間で二酸化炭素を12億トン排出するが、これをどうやって封じ込めるのか?
対して原発は50基フル稼働させても核廃棄物は1000トンにしかならない。
12億トンと1000トンでは、どちらが多いか解らぬほどの馬鹿が河野太郎w
封じ込めが効くだけ核廃棄物の方がナンボもマシだ。
「廃坑になった海底炭鉱の跡を拡充して中間保存し、陽子をぶつけて違う物質に作り変える技術の完成を待つ。」
そういう知恵が何故出ない?
馬鹿だからですね。失礼しましたw
 
 
長谷川 岳 (北海道 参議院議員)
上のコピペでは民主になっているが自民党。
一年生議員でいまだ海の物とも山の物とも知れず。
よさこいソーラン祭りを始めた人らしい。
 
 
加藤 修一 
公明党だからテチャクの犬。
 
 
山内 康一 (みんなの党) 衆議院比例北関東
秘書が詐欺罪で有罪判決。山内も一緒に訴えられたが、自身は賠償責任は認められなかった。
しかしなあ、「秘書が」「秘書が」で塀の中へ入らずに居るのがルーピーとオザーさんだから、真相はどうなんだかなあ?
 
 
笠井 亮 (共産党)
確かに野党。問題外。
 
 
阿部 知子(社民・衆)
出ました、神奈川の恥ナンバー2
 
社民党というだけで不可。福島瑞穂と喧嘩しテロ。
コイツ(藤沢)といい、太郎といい、湘南の有権者は馬鹿しか居ないのか?
 
 
斎藤 やすのり
野田内閣の消費税増税路線に反対して民主党を離党した。
元お天気キャスター。
だから風を読むのが得意なのかw
 
 
 
90人居るというから、もっと沢山出てくるのだろう。
オザーさんのところの「自分の当選が第一」なんか、売国議員のオンパレードと見て間違いなさそうだ。
池田氏が質問してみたいと言っている①~⑤に対しては何も答えられないに違いない。
 
こういう奴らを国会へ送り込んではならないでしょう。
なぜなら、脅威を煽って自分の当選だけを考えている連中だからです。
そういうのは日本のためにはおよそ役に立たなそうな連中ですから。
 
 
 
 

 

 


奴隷制度を憎んだ日本人

2012年11月01日 02時17分48秒 | 歴史

 かつて日本は美しかったからの転載です。

日本の歴史上、奴隷制度というものがあったことは一度もありません。昔歴史の教科書で、班田収授法というのを習いましたが、その中にというのがあり、奴隷と習ったような気がしますが、しかしこれは奴隷ではありません。実際、このも班田収授法では、にも良民の3分の1の農地が貸し与えられているのですから、これは身分の下級の人々であり、奴隷のように拘束されて働かされているような人々とはちがいます。

また魏志倭人伝には、日本から生口を献上したと書いてあり、これが奴隷だという説もありますが、何しろ魏志倭人伝は日本に関する地名や人名なども蔑んだ呼び名で邪馬台国だの卑弥呼だとのわざわざ貶めるような漢字を当てているくらいですから、もしかしたら日本からの留学生やあるいは技術者などさえも、貶める記述をしたことはありうることです。JJ太郎さんのおっしゃるとおりだと思います。

実際に古事記日本書紀という正式な日本の史書には、そういう奴隷制度などの記述はないのです。古事記日本書紀は、天皇皇室などのことも公平に隠さず悪いことも恥ずかしいようなことも書いてあるのですから、もし制度として奴隷制度があったならば、現代から見て悪と思っても、歴史のその時点で後世の視点があるわけはないので、隠さずに書いたはずだと思います。

また、日本人の宇宙観、自然観は、万物に神が宿ると考えていたのです。そしてまた、日本人は神の子孫という意識があり、人間もやはり神として祀っていたくらいですから、その人間を奴隷として扱うような事は、神を冒涜するようなもので、日本人の宇宙観、自然観、人生観に反することだと思えます。

近代になって、欧米のアジア人種への差別、搾取は、そんな日本人からみれば、許せないものとしてなんとかやめさせたいという悲願のように思えたことでしょう。


 

 

日本人は昔から非人道的な奴隷制度を憎んだ。

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 カール・ツンベルク、日本語表記ではツンベリーといわれています。スウェーデンの植物学者で医学者でもあります。1771年オランダ東イ ンド会社に入社し、ケープタウン、セイロン、ジャワを経て、1775年(安永4年)8月にオランダ商館付医師として出島に赴任。翌1776年4月、商館長 に従って江戸参府を果たし徳川家治に謁見しました。ツンベリーは、わずかな江戸滞在期間中に、吉雄耕牛、桂川甫周、中川淳庵らの蘭学者を指導しました。 1776年、在日1年で出島を去り帰国し、1781年、ウプサラ大学の学長に就任しました。

 ツンベリーの逸話に日本人から冷たい視線を受けたというのがあります。ツンベリーはオランダ人として来日しているので、日本人にはオランダ人だと 思われていました。オランダは奴隷貿易をしており、日本人はそれを蔑んでいたのです。有色人種が白人を蔑視するなど想像もしていなかった彼は随分戸惑った ようです。ツンベリーの著書にも次のような記載があります。

「日本人は、オランダ人の非人間的な奴隷売買や不当な奴隷の扱いをきらい、憎悪を抱いている」

 日本は明治維新以降、人種平等を掲げていましたが、江戸時代からも人種差別を嫌っていたことがわかります。幕末の頃はポルトガル人も日本に来ると 見下されるのでわけがわからなかったといいます。幕末の書には「奴隷制度を廃止しない連中は犬畜生だ、人の道に反している」と書かれているそうで、攘夷論 とあいまって白人の行いを憎んでいたのでしょう。

 明治5年(1872年)、上海からシナ人を船に乗せてアメリカ大陸で奴隷として売り飛ばすペルー船籍のマリア・ルス号が修理のために横須賀港に入 港したとき、脱走したシナ人がイギリス軍艦に助けを求めました。イギリス在日公使からの要請をうけ、副島種臣外務卿(外務大臣)はシナ人救助を命じていま す。ペルー側は怒りましたが、ロシア皇帝が仲裁裁判を行い、日本側が勝訴しています。(マリア・ルス号事件)

 日本の歴史の中で国家的に奴隷制度を敷いたというようなことは見当たらず、シナの魏志倭人伝に日本人が奴隷を連れてきたと書かれていますが、シナ の史書はそもそも政治のために「造る」ものですから怪しい。日本の人種平等的、人道的な考え方は2000年の歴史によって醸造されたものでしょう。

 大正8年(1919年)のベルサイユ条約で日本は「人種平等案」を提出しました。この提案は17票中11票の賛成を得ましたが、アメリカ大統領のウィルソンとオーストラリアが組んで潰されました。ウィルソンは議長であり、全会一致を主張して不採択としたのです。

 豪ヒューズ首相
「日本の提案の真意は、移民に関する諸問題を国際連盟の支配下に置かんとするものにして、斯くの如きは国家の威厳を害し、主権を毀損せしむるものなり」

 日本は伝統的な考えに基づき人種平等を提唱したわけですが、日本の台頭は奴隷制度によって国家を成り立たせている白人にとって危険な存在となっていました。大東亜戦争はこのとき既に始まっていたと言えるかもしれません。



参考文献
 PHP「日本はどれほどいい国か」日下公人・高山正之(共著)
 PHP「アメリカはどれほどひどい国か」日下公人・高山正之(共著)
 徳間書店「GHQ焚書図書開封」西尾幹二(著)
 平凡社「江戸参府随行記」C.P.ツュンベリー(著) / 高橋文(訳)
 転展社「大東亜戦争への道」中村粲(著)

参考サイト
 WikiPedia「カール・ツンベルク」

添付画像
 奴隷船 1869年のもの(PD)

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プライバシーが必要なかった江戸日本

2012年11月01日 01時36分06秒 | 歴史

かつて日本は美しかったからの転載です。

江戸時代の日本というのは、ほんとに住みよい国だったのですね。歴史教科書では、まるで暗黒の時代のような書き方をしていて、西洋に比べると非民主的な嫌な時代であるかのように習いましたが、少しづつその間違いだったことが、広まりつつあります。江戸時代は、庶民に至るまで、学問がかなり普及し、また道徳も確立していたので、犯罪は驚くほど少なく、人々は、安心してあけっぴろげで生活していたようです。

 

 

プライバシーがなかったのではなく、必要なかった江戸日本。

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 江戸時代、庶民の家は開けっ放しだったので、幕末に来日した外国人は驚いてそれを記しています。

 フランス海軍士官スエンソン (慶応2年 1866年来日)

「日本人の家庭生活はほとんどいつでも戸を広げたままで展開される。寒さのために家中締め切らざるを得ないときは除いて、戸も窓も、風通しを良くするために全開される」

「鏡台の前に座って肌を脱ぎ胸をはだけて細部に至るまで念入りに化粧をしている女たちにもいえる。全神経を集中させてしている化粧から一瞬目をそらせ、たまたま視線が通りすがりの西洋人の探るような目に出会ったとしても、頬を染めたりすることはない」

こんなわけですから、外国人はいとも簡単に日本人の生活を知ることができ、その内容を記しているのです。商店も同じように奥まで開けっぴろげでした。

 イギリス公使オールコック (安政6年 1859年来日)

「すべての店の表は開けっ放しになっていて、なかが見え、うしろにはかならず小さな庭があり、 それに、家人たちはすわったまま働いたり、遊んだり、手でどんな仕事をしているかということ - 朝食・昼寝・そのあとの行水・女の家事・はだかの子供た ちの遊戯・男の商取引や手細工 - などがなんでも見える」

 お店(みせ)の場合は"見せ"ということで、作っているところも見せて買い手を安心させるというのがありますが、生活まで全部見えていたわけです。

 旅行家イザベラ・バード(明治11年 1878年来日)は日本に来てプライバシーがないことに驚いています。粕壁(春日部)で宿をとると襖や障子で仕切られた部屋に驚きます。

「わたしは障子という格子に薄紙を張った窓の戸を閉め、ベッドに入りました。が、プライバシーの欠如たるや恐ろしいものでした。わたしはまだ鍵や壁やドアのないところで落ち着き払っていられるほど他人を信用していません!」

いきなり襖をあけて少女が入ってきたり、按摩がきて何やらいったり、お経を唱える声、三味線の音などがして「たまったものではありません」、なのです。

 栃木でもバードは障子で仕切られた部屋をとるしかなくプライバシーは思い出すことすら御法度の贅沢品でした」と述べています。そしてやっぱりいろんな人が障子を開けてくるのです。

「宿の使用人はとても騒々しくて粗野で、なんの口実もなくしきりに部屋の中を見に来ます。宿の主人は快活で愛想の良さそうな男でしたが、同じように部屋をのぞきにきます。大道芸人や楽士や盲目のマッサージ師や歌うたいの少女がこぞって障子をあけます」

そしてここでも夜がふけるとドンチャン騒ぎが始まり、琴、三味線、太鼓、銅鑼がなりはじめてしまいました。この晩はバードは諦めたようです。特に文句をいう記述はありません。バードもこの後はだいぶ慣れてきた(耐えた?)ようですが、秋田の神宮寺では40人ほどが障子をはずして押し入ってくるようなことがありました。しかし、バードはこの後、なんの危険もなく旅行を続け、北海道の函館からは通訳も伴も連れずにたった一人で旅をしました。

 プライバシーがないというのは、安全の裏返しで、周囲から区切らなくても安全を確保できるということです。危害を加えられることもないし、何か盗られることもない。何かを見られてもそれが害に発展することもないということです。江戸時代プライバシーが必要のない安心安全社会だったのです。



参考文献

 講談社学術文庫「江戸幕末滞在記」E・スエンソン(著) / 長島要一(著)

 岩波文庫「大君の都」オールコック(著)/ 山口光朔(訳)

 講談社学術文庫「イザベラ・バードの日本紀行」イザベラ・バード(著) / 時岡敬子(訳)

 平凡社「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」宮本常一(著)

添付画像

 江戸東京たてもの園 Auth:Nesnad(CC)

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