西村眞悟氏のホームページに行ってみました。石原慎太郎氏と共に、日本国憲法無効破棄論を主張されている西村氏が太陽の党から出馬するはずだった選挙区からは元維新側の地方議員が出るということで、どうするかという問題があったのですが、結局比例区から出馬ということが決まりました。出来れば選挙区から出て欲しかったのですが、合併したので仕方ないのでしょう。
西村氏はいつも正論をはっきりと言われていましたが、ホームページの記事は心を打たれる内容がいつも書いてあり、本当に当選して頂きたいと切に願うばかりです。
拉致被害者のことを他人事だと無関心な政治家も多いですが、実はこの問題は国家と国民のあり方を示しているとも言えます。イエスは一匹の迷った羊のために、他の羊を残して探しに行くと言われましたが、一匹を大事にできないものは他の全てもやはり大事にはできないものです。一人を見殺しにする国は結局国民を守る気のない国家です。戦後の日本は平和主義と言いながら、一人を見殺しにして泰平の世を自分たちさえ謳歌すればいいという考え方であり、個人主義利己主義の国でした。
国民一人ひとりが国民としてどうあるべきかを問いなおして、国家のあり方を見直す時期です。
西村氏の最近二日間の記事を転載させて頂きます。
昨日十一月二十三日、日本維新の会の街頭演説が堺市南区の泉ヶ丘駅前ロータリーで行われ、登壇の要請を受け街宣車の天井に乗って演説した。
ロータリーには五百名を超える人々が集まってくれており、上に登ると松井大阪府知事が演説をしていて、その横に新しく第十七選挙区の候補者となった堺市議の馬場君がいた。そして、橋下大阪市長が登ってきた。
松井知事の演説が終わり、私にマイクが回された。
さて私は、この寒さに向かう中で行われる選挙において、候補者はもちろん、全日本国民は、北朝鮮に拉致され長年にわたって抑留されている同胞(はらから)が、如何なる思いで寒さを迎えているか、常に意識していなければならないと思う。
そうでなければ、前の選挙のように、彼等拉致被害者と国民救出の国家的課題を忘れて、ただ自分らだけの安楽を訴える「生活第一」選挙に堕ちてしまい、結局、三年後には現在のように国家崩壊の危機に見舞われる。
否、これを繰り返せば、三年後には日本はなくなる。
私の演説の要旨、概要は、以下の通り。
十日前(十一月十三日)は、この泉ヶ丘駅前で、この西村眞悟は、「たちあがれ日本」の西村として朝立って皆さんに挨拶していた。六日前(十六日)の夕方は、「太陽の党」の西村として立っていた。
そして、これからは、この横にいる馬場君が立つ。
よろしく頼みます。
何故こうなるのか。それは、我々太陽の党と日本維新の会が合体したからだ。
何故合体したのか。それは、石原慎太郎代表が言う「大義」のためだ。
その「大義」とは、戦後体制から脱却して祖国の未来を拓くことだ。
皆さん、三年前、自民党ではダメだ、あの政治はこりごりだ、だから自民党を見限り民主党に「一度やらせてみよう」と政権を移したのだ。
そしてこの結果は、斯くも無惨に我々の前に在り、民主党政権の御陰で国が無茶苦茶になっている。
考えてみれば、自民も民主も、ともに戦後体制の中で育った表裏一体の政党で、これは、自民民主の総体としての「戦後体制」が、既に我が国を担えなくなっていることを、我々に示している。
その閉塞状況のなかで、大阪では、橋下知事の「大阪維新の会」が、自民党にはあきあきし民主党に絶望した「何とかしてくれ」という民意を吸収し、前にいる多くの維新の会の市会議員と府会議員を誕生させた。
これは、大阪において、自民でもない民主でもない、つまり戦後体制からの脱却の動きが起こったということだ。
従って、この大阪の動きを、力を合わせて国政に拡大するために、国政において真に戦後から脱却して祖国を再興させようとしていた我々と日本維新の会が合体した。
皆さん、我が国家の課題を具体的に感じて欲しい。
今季節は寒さに向かっている。北朝鮮は日本よりもっと寒い。この北朝鮮に、突然、拉致され家族と祖国から切断された拉致被害者が五百名近く抑留されている。
自民も民主も、北朝鮮が日本人を拉致していることを、知りながら見て見ぬふりをしてきた。日本政府が拉致被害者は十七名と言っているが、これは嘘だ。被害者は、五百名近くいる。
その拉致被害者にとって、寒くなり年末年始が迫ってくる今の季節が一番つらいのだ。
帰国できた拉致被害者五名の内の一人はこう言っている。「年末が迫ると、来年は日本が救いに来てくれるといつも念じていた。しかし、年が明けても救いはなかった。がっかりして、力が出ない。こういう年月が続いた。」
ナチスによって強制収容所に入れられたユダヤ人の死亡率は、十二月二十四日のクリスマスが終わると急上昇したと言われている。彼等は、今年のクリスマスこ そ収容所から出て自由になれると念じながらクリスマスを迎えていた。しかし、その希望がかなえられないと判ったとき、気力を喪失し亡くなっていたのだ。
皆さん、今、極寒の北朝鮮で、拉致された日本人同胞は、このナチス収容所のユダヤ人達と同じ境遇におかれている。
十三歳で拉致された横田めぐみさんも、救出を待っている。
皆さん、この同胞、この自国民を救おうとしない国家に未来はないのです。
日本人拉致被害者救出、これこそ、現在日本の切実な国家的課題であるということを、どうか片時も忘れないでいてほしい。
平成九年、私は石原慎太郎さんと、尖閣視察の計画を練り、それを実行した。そして、国家は断固として領土を護らねばならないと国民に訴え続けてきた。
石原慎太郎さんは、今、日本維新の会の代表だ。
また私は、十年間、北朝鮮に拉致された日本人を救出する議員連盟の幹事長として、会長の平沼赳夫さんに仕えともに歩んできた。
平沼赳夫さんは、今、日本維新の会の国会議員団団長だ。
私は、領土と国民を救うという国家の切実な課題に、石原慎太郎代表、平沼赳夫団長らとともに取り組んできた。そして、これからも取り組んでいく。この取り組みが、国政の最大の動きとなるとき、我が国は閉塞状況から脱却できる。
戦後体制とは、この領土と国民を救うという課題に取り組めない体制なのだ。だから行き詰まった。
従って、皆さん、この我が国の未来を拓く、この大きな動きに参加しご支援をいただきたい。
ロータリーには五百名を超える人々が集まってくれており、上に登ると松井大阪府知事が演説をしていて、その横に新しく第十七選挙区の候補者となった堺市議の馬場君がいた。そして、橋下大阪市長が登ってきた。
松井知事の演説が終わり、私にマイクが回された。
さて私は、この寒さに向かう中で行われる選挙において、候補者はもちろん、全日本国民は、北朝鮮に拉致され長年にわたって抑留されている同胞(はらから)が、如何なる思いで寒さを迎えているか、常に意識していなければならないと思う。
そうでなければ、前の選挙のように、彼等拉致被害者と国民救出の国家的課題を忘れて、ただ自分らだけの安楽を訴える「生活第一」選挙に堕ちてしまい、結局、三年後には現在のように国家崩壊の危機に見舞われる。
否、これを繰り返せば、三年後には日本はなくなる。
私の演説の要旨、概要は、以下の通り。
十日前(十一月十三日)は、この泉ヶ丘駅前で、この西村眞悟は、「たちあがれ日本」の西村として朝立って皆さんに挨拶していた。六日前(十六日)の夕方は、「太陽の党」の西村として立っていた。
そして、これからは、この横にいる馬場君が立つ。
よろしく頼みます。
何故こうなるのか。それは、我々太陽の党と日本維新の会が合体したからだ。
何故合体したのか。それは、石原慎太郎代表が言う「大義」のためだ。
その「大義」とは、戦後体制から脱却して祖国の未来を拓くことだ。
皆さん、三年前、自民党ではダメだ、あの政治はこりごりだ、だから自民党を見限り民主党に「一度やらせてみよう」と政権を移したのだ。
そしてこの結果は、斯くも無惨に我々の前に在り、民主党政権の御陰で国が無茶苦茶になっている。
考えてみれば、自民も民主も、ともに戦後体制の中で育った表裏一体の政党で、これは、自民民主の総体としての「戦後体制」が、既に我が国を担えなくなっていることを、我々に示している。
その閉塞状況のなかで、大阪では、橋下知事の「大阪維新の会」が、自民党にはあきあきし民主党に絶望した「何とかしてくれ」という民意を吸収し、前にいる多くの維新の会の市会議員と府会議員を誕生させた。
これは、大阪において、自民でもない民主でもない、つまり戦後体制からの脱却の動きが起こったということだ。
従って、この大阪の動きを、力を合わせて国政に拡大するために、国政において真に戦後から脱却して祖国を再興させようとしていた我々と日本維新の会が合体した。
皆さん、我が国家の課題を具体的に感じて欲しい。
今季節は寒さに向かっている。北朝鮮は日本よりもっと寒い。この北朝鮮に、突然、拉致され家族と祖国から切断された拉致被害者が五百名近く抑留されている。
自民も民主も、北朝鮮が日本人を拉致していることを、知りながら見て見ぬふりをしてきた。日本政府が拉致被害者は十七名と言っているが、これは嘘だ。被害者は、五百名近くいる。
その拉致被害者にとって、寒くなり年末年始が迫ってくる今の季節が一番つらいのだ。
帰国できた拉致被害者五名の内の一人はこう言っている。「年末が迫ると、来年は日本が救いに来てくれるといつも念じていた。しかし、年が明けても救いはなかった。がっかりして、力が出ない。こういう年月が続いた。」
ナチスによって強制収容所に入れられたユダヤ人の死亡率は、十二月二十四日のクリスマスが終わると急上昇したと言われている。彼等は、今年のクリスマスこ そ収容所から出て自由になれると念じながらクリスマスを迎えていた。しかし、その希望がかなえられないと判ったとき、気力を喪失し亡くなっていたのだ。
皆さん、今、極寒の北朝鮮で、拉致された日本人同胞は、このナチス収容所のユダヤ人達と同じ境遇におかれている。
十三歳で拉致された横田めぐみさんも、救出を待っている。
皆さん、この同胞、この自国民を救おうとしない国家に未来はないのです。
日本人拉致被害者救出、これこそ、現在日本の切実な国家的課題であるということを、どうか片時も忘れないでいてほしい。
平成九年、私は石原慎太郎さんと、尖閣視察の計画を練り、それを実行した。そして、国家は断固として領土を護らねばならないと国民に訴え続けてきた。
石原慎太郎さんは、今、日本維新の会の代表だ。
また私は、十年間、北朝鮮に拉致された日本人を救出する議員連盟の幹事長として、会長の平沼赳夫さんに仕えともに歩んできた。
平沼赳夫さんは、今、日本維新の会の国会議員団団長だ。
私は、領土と国民を救うという国家の切実な課題に、石原慎太郎代表、平沼赳夫団長らとともに取り組んできた。そして、これからも取り組んでいく。この取り組みが、国政の最大の動きとなるとき、我が国は閉塞状況から脱却できる。
戦後体制とは、この領土と国民を救うという課題に取り組めない体制なのだ。だから行き詰まった。
従って、皆さん、この我が国の未来を拓く、この大きな動きに参加しご支援をいただきたい。
「斯くの如く、総選挙に臨む」、次に、「斯くの如く、街頭演説をした」とお伝えしてきた。
そして、さらにお伝えしたいことがある。
それは、この西村眞悟が、支えられているもの、だ。
解散後、「斯くの如く総選挙に臨む」ことを決めたここ数日の間、郷里堺の人々に会い、全国の人々と連絡をとりあってきた。
そして私は、お会いできた人、お話をすることができた人から、何をいただいたのか。
それは、人の情けのありがたさだ。
涙を流してくれる人がいた。なんでなんだと怒っている人もいた。昨夜にお電話をくれた方は、投票用紙には「西村眞悟」としか書きたくないと言われた。
道ですれ違う人が、「あっ、西村さん、頑張ってや」とたびたび言ってくれた。
皆、心配してくれていた。同時に、皆、励ましてくれた。
嗚呼、僕は、この皆さんの思いに支えられてきたのだ、とあらためて、ありがたさがしみじみと心に満ちた。
「太陽」と「維新」合流後の私の泉ヶ丘での街頭第一声(十一月二十三日)は、拉致被害者救出の呼びかけだった。まさにこれが我が国政の最大の課題だ。
昨日(二十五日)の午後、八尾で行われた「もう待てない 直ちに拉致被害者全員を奪還しよう」(大阪ブルーリボンの会主催)集会に参加すると、
私と同じように、この度の選挙の最大の課題は、拉致被害者救出だと演壇から獅子吼する講師の青山繁晴氏が、演壇から私を「西村さんが参加している」と会場に紹介してくださった。すると満席千五百名の参加者が拍手で迎えてくださった。
集会終了後も、控え室で、私が励まさねばならない拉致被害者家族のご高齢の横田滋さんご夫妻や有本明弘さんご夫妻に、「お体に注意して頑張ってください」と励まされた。逆だ。
本年春、久しぶりに刊行した新著の冒頭で、
「私は『我が日本』によって生かされ、またそのために死ぬのは喜びである」と書いた。
その日本人は情の民族だ。それは、数学者の岡潔先生が指摘されたことだ。そして日本人の情は、悠久の昔から続く「日本」から生み出されている。
この「日本」とは、万世一系の天皇を戴く和の国で、ここから日本人の情が生み出されているのだ。
それ故、私は、この晩秋、
心にしみる人の情けをいただき、
祖国日本の情に支えられ、
祖国から使命を与えられているのを感じる。
このありがたさ、ここに記して思いをお伝えせずにはおれません。あらためて、
万世一系の天皇を戴く祖国日本に生まれたことに、心より感謝し、
人の情けのありがたさを思い、
不肖の私を、今まで励まし支えていただいた皆様に深謝申し上げます。
そして、
今が、まさに祖国再興の混沌の前夜なのです。
私は、ここに使命を見いだしているのです。
このためには、石原慎太郎、平沼赳夫とともに、如何なる事にも耐えうるのです。
切に、これからもどうかよろしくお願いいたします。
そして、さらにお伝えしたいことがある。
それは、この西村眞悟が、支えられているもの、だ。
解散後、「斯くの如く総選挙に臨む」ことを決めたここ数日の間、郷里堺の人々に会い、全国の人々と連絡をとりあってきた。
そして私は、お会いできた人、お話をすることができた人から、何をいただいたのか。
それは、人の情けのありがたさだ。
涙を流してくれる人がいた。なんでなんだと怒っている人もいた。昨夜にお電話をくれた方は、投票用紙には「西村眞悟」としか書きたくないと言われた。
道ですれ違う人が、「あっ、西村さん、頑張ってや」とたびたび言ってくれた。
皆、心配してくれていた。同時に、皆、励ましてくれた。
嗚呼、僕は、この皆さんの思いに支えられてきたのだ、とあらためて、ありがたさがしみじみと心に満ちた。
「太陽」と「維新」合流後の私の泉ヶ丘での街頭第一声(十一月二十三日)は、拉致被害者救出の呼びかけだった。まさにこれが我が国政の最大の課題だ。
昨日(二十五日)の午後、八尾で行われた「もう待てない 直ちに拉致被害者全員を奪還しよう」(大阪ブルーリボンの会主催)集会に参加すると、
私と同じように、この度の選挙の最大の課題は、拉致被害者救出だと演壇から獅子吼する講師の青山繁晴氏が、演壇から私を「西村さんが参加している」と会場に紹介してくださった。すると満席千五百名の参加者が拍手で迎えてくださった。
集会終了後も、控え室で、私が励まさねばならない拉致被害者家族のご高齢の横田滋さんご夫妻や有本明弘さんご夫妻に、「お体に注意して頑張ってください」と励まされた。逆だ。
本年春、久しぶりに刊行した新著の冒頭で、
「私は『我が日本』によって生かされ、またそのために死ぬのは喜びである」と書いた。
その日本人は情の民族だ。それは、数学者の岡潔先生が指摘されたことだ。そして日本人の情は、悠久の昔から続く「日本」から生み出されている。
この「日本」とは、万世一系の天皇を戴く和の国で、ここから日本人の情が生み出されているのだ。
それ故、私は、この晩秋、
心にしみる人の情けをいただき、
祖国日本の情に支えられ、
祖国から使命を与えられているのを感じる。
このありがたさ、ここに記して思いをお伝えせずにはおれません。あらためて、
万世一系の天皇を戴く祖国日本に生まれたことに、心より感謝し、
人の情けのありがたさを思い、
不肖の私を、今まで励まし支えていただいた皆様に深謝申し上げます。
そして、
今が、まさに祖国再興の混沌の前夜なのです。
私は、ここに使命を見いだしているのです。
このためには、石原慎太郎、平沼赳夫とともに、如何なる事にも耐えうるのです。
切に、これからもどうかよろしくお願いいたします。