さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。
日本が敗戦後に占領軍によって、ウォーギルト・インフォーメーション・プロブラムと言う政治宣伝の洗脳を受けたことは、歴史的な事実として記録に残っていることです。いわゆる、日本人に、自分たちが間違った戦争をした悪者だったと心に刻みつけるための工作です。ラジオでは「真実の小箱」等という放送で、いかに日本軍が残虐だったかという捏造話がいかにも実体験の証言者の話のように、これでもかというほど放送され、新聞にも日本が悪者だったという宣伝が溢れました。反対に日本軍の美談や、あるいは日本の伝統文化を賛美するような言動は一切検閲で、削除され、しかも検閲の存在は、厳重に隠されました。このような自虐史観の刷り込みを経て、今の日本人の常識、歴史観が作られたのです。そのことをしっかりと認識せずに、外国のいうことをそのまま素直に信じこむのは、日本という国の歴史文化国益のすべてを未来永劫傷つける可能性があるのです。
転載開始
今回も歴史学者で高知大学名誉教授、新しい歴史教科書をつくる会の副会長でもあります福地惇先生の2010(平成22)年夏に書かれた小論文をご紹介いたします。
2006年から2009年に4回にわたり行われた日中歴史共同研究。この報告書が2010年1月に発表されました。
それを受けて福地先生は西尾幹二氏、柏原竜一氏、福井雄三氏とともに討論形式で、
2011年「WILL」の1月号、2月号で「北村伸一 日中歴史共同研究 徹底批判」、
4月号では「日中歴史共同研究の嘘とデタラメ(前半)」が掲載されました。
北岡伸一は日中歴史共同研究の日本側座長でした。
この「WILL」の討論は「現代史を見直す」シリーズとして掲載され、
私は第1回目から読んでいて、この掲載を何より楽しみに読んでいました(*)。
しかし、掲載の途中で東日本大震災が起こり、WILLは震災と原発の特集ばかりを取上げ続け、
このシリーズの最後の「日中歴史共同研究の嘘とデタラメ」の後半部分がいまだ掲載されていません(2011年7月末現在)。
*WILL「現代史を見直す」シリーズ
第一回目は「米大統領の心情こそ研究すべきだ」(2009年9月号)
第二回目は「日米戦争は宗教戦争だ」(2009年11月号)
第三回目は「加藤陽子 『それでも、日本人は戦争を選んだ』徹底批判」(2010年1月号)
第四回目は「加藤陽子 『それでも、日本人は戦争を選んだ』徹底批判2」(2010年2月号)
第五回目は「半藤一利 『昭和史』徹底批判」(2010年5月号)
第六回目は「半藤一利 『昭和史』は紙芝居だ」(2010年6月号)
第七回目は「半藤一利 『昭和史』は紙芝居だ3」(2010年7月号)
第八回目は「北岡伸一 日中歴史共同研究徹底批判」(2011年1月号)
第九回目は「北岡伸一 日中歴史共同研究徹底批判2」(2011年2月号)
第十回目は「日中歴史共同研究の嘘とデタラメ(前半)」(2011年4月号)
第十一回目はいつ?
このWILLの「現代史を見直す」の各先生たちの討論を読んでいるだけで歴史の深みを学ぶことができます。
・・・・・
わが国の正義を投げ捨てた「日中歴史共同研究」
高知大学名誉教授 福地 惇
1. 悪かったから負けたのだ、自業自得だとの諦念について
物事を正しく考察する際に、前提が誤っていては、如何に詳細な事実を集めて考察を重ねてみても、妥当な結論に到達できない。正に「道立ちて本生ず」で、間違った前提からは間違った結論しか出てこないのだ。歴史の考察もご多分に漏れない。
俺様が正義で、お前が悪い。
喧嘩に勝った悪ガキが吐く常用語だ。だが喧嘩に勝ったものが常に正義とは限らないのがこの世の常だ。むしろ、奸智・姦策に長けて狂暴なる故の勝者が多いのだ。
敗者は、この俺様が正義だという独尊悪ガキの前提を諦めて認めてしまえば、未来永劫、子々孫々に到るまで惨めな敗北者であり続ける辛い宿命を負わされる。
7年間に亙る占領支配で『改造』された戦後日本は、敗北は悪行の報い、自業自得だと思い込まされ、祖国の歴史を嫌悪する惨めな敗残者の典型だ。
占領軍の「日本改造」目的は、二度と彼らの脅威にならぬ腰抜けへの改造だった。
敗北直後はやむを得ずとしても、その後半世紀以上もその絡繰りを容認して、のうのうと暮らすわれら平成日本人は、50年、100年後のわれらの祖先から、又世界史で、どのように評価され語られるのだろうか。
2. 歴史共同研究は自分に有利な前提をとった方が勝つのは理の当然だ
前号では「虚偽の歴史観信奉が日本を滅ぼす」を論じたが、期せずして今格好の批判の対象が目前に登場した。
本年1月に公表された「日中歴史共同研究第一期報告書」である。
A4版549頁の部厚いもので、「それぞれ10名の有識者からなる委員会」による共同研究の中間報告書である。
日本側委員は政権より中道左派の大学教授たち、シナ共産党側は中国社会科学院のスタッフ(教授)と北京大学教授ら北京政府のスポークスマンたちである。
報告の序文に、共同研究の目的は、
「先ず学術的に歴史事実を明らかにして、歴史認識に関する意見を好感して、歴史認識の隔たりと問題を分析することで歴史問題をめぐる対立感情を和らげ、両国の交流を増進して両国間の平和的な友好関係を深めることにある」とある。
そして、近現代史の「総論」の一説に「大部分の歴史の事実については、像法の研究者の理解と認識、同じかあるいは近いものであり」とあり、北京の前提を認めている。
北京は喜び、本当は泣くべき東京もなぜか喜ぶ。愚かな平成日本人は目を醒ませ。
さて、日中歴史共同研究の発端は、1995年(平成7)年8月15日、シナ、朝鮮への謝罪を表明する村山富市首相の戦後50年談話(村山談話)である。
「私 たちは過去のあやまちを二度と繰り返す事のないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えて行かなければなりません。(中略)政府は、この考えに基づき、特 に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係に関わる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大を図るために、この二つを柱とした平和友好交流事業 を展開しております」とある通りである。
この日、旧満州ハルビン郊外に「731細菌部隊罪証陳列館」が竣工している。10年前の同日、シナ共産党は戦勝40周年記念日を祝い、南京に「侵華日軍南京大遭難同胞記念館」を開館した。
シナ共産党は事ある毎に日本軍国主義、侵略軍の非難・糾弾を重ね、靖国問題、歴史教科書問題等で平然と内政干渉を恒常化した。「日本の侵略」云々が、対日外交の切り札だ。彼らは連合国、GHQが日本に埋め込んだこの前提が、絶大な効果を発揮することを喜びとしている。国際勢力の容認の下、この効力を維持しさえすれば、永遠に小癪な日本民族の頭を押さえつけ、勝利し続けることが出来ることを知り抜いているのである。
3.虚偽の前提を信じ込みながら、何の「戦後レジーム」からの脱却ゾや
保 守の若き旗手との期待を担い、「戦後レジーム」からの脱却なる魅力的な標語を掲げて登場したのは安倍晋三首相だった。この時、私は彼の従来の一見愛国者的 な発言から多少の期待をかけた。だが、政権成立早々に飛び出した、「村山談話」「河野従軍慰安婦談話」を踏襲するとの発言には耳を疑った記憶は鮮明だ。そ して、北京詣でに旅立ち、日中歴史共同研究を実体化したのだ。
「歴史問題をめぐる対立感情を和らげ、両国の交流を増進して両国間の平和的な友好関係を深めること」を安易に期待したのだろう。それゆえに、自分の祖父の岸信介A級戦犯是認まで口にし、歴史の虚偽を前提にした政府見解を踏襲したのだなと私は理解した。外務大臣麻生太郎が「過去の過ち」を認めた歴史共同研究推進の実務を担当した。「戦後レジーム」からどうやって脱却するのか、奇々怪々なことであった。
4.大東亜戦争に際しての「宣戦の詔」を再評価する必要性
政府容認、政権に阿(おもね)る歴史学者たちは、戦後教育の優等生たちだろうが、占領軍に押し付けられた虚偽の前提を懐疑なしに認めてしまう。シナ側の横暴な物言いには辟易しても、同じ前提に立つ訳だから、連合国の正義を象徴する「太平洋戦争」を語って「日本の侵略」を認める。
東洋平和のための「大東亜戦争」を口にせず、政治的捏造の「南京大虐殺」を容認する。
シナ側の針小棒大に対して、虐殺人数を少なく見積もろうと細々抵抗する。敗北主義者特有の卑屈さなのに、真剣に討論したつもりの様子だから、読んでいて痛々しい。
サンフランシスコ講和条約締結以後も、歴代日本政府は、敵の日本呪縛の前提打破努力を怠って日本民族の自己喪失を温存し続けてきた。このまま推移していては、日本は衰滅する。
今こそ、昭和16年12月8日の「宣戦の詔」を再確認する必要がある。
ここには、正にあの戦争の真相が、我が祖国の歴史認識の前提が簡潔に表明されているからである。
「(前略)中華民国政府、曩(さき)に帝国の真意を解せず、濫に事を構へて東亜の平和を撹乱し、遂に帝国をして干戈を執るに至らしめ、茲に四年有餘を経たり。幸に国民政府更新するあり。
帝国は之と善隣の誼(よしみ)を結び相提携するに至れるも、重慶に殘存する政権は、米英の庇蔭(ひいん)を恃みて兄弟尚未た牆に相鬩(あいせめ)くを悛めず。
米英両国は残存政権を支援して東亜の禍乱を助長し、平和の美名に匿れて東洋制覇の非望を逞うせむとす。剰へ与国を誘ひ、帝国の周辺に於て武備を増強して我に挑戰し、更に帝国の平和的通商に有らゆる妨害を与へ、遂に経済断交を敢てし、帝国の生存に重大なる脅威を加ふ。
朕 は政府をして事態を平和の裡に囘復せしめむとし、隠忍久しきに彌(わた)りたるも、彼は毫(ごう)も交譲の精神なく、徒に時局の解決を遷延せしめて、此の 間却つて益々経済上軍事上の脅威を増大し、以て我を屈從せしめむとす。斯の如くにして推移せむか、東亜安定にか関する帝国積年の努力は悉く水泡に帰し、帝 国の存立亦正に危殆に瀕せり。
事既に此に至る帝国は、今や自存自衛の為、蹶然起つてー切の障礙を破碎するの外なきなり。(後略)」
自ら歴史認識の前提を再確認してこそ、初めて日本民族の矜持を取り戻せるのだ。
日本国家・国民の真の独立と安全を回復できるのだ。
敵様のために日中歴史共同研究などは、国費の愚かな無駄遣いどころか、売国的な所業以外の何物でもないと断言する。
(日本戦略研究フォーラム季報掲載より)
・・・・・・
日中歴史共同研究も日韓歴史共同研究も、時間もお金もすべて無駄だというのは心ある方なら誰もが思うところです。
チャイナも韓国も歴史が歪んでいる国であり、日本の歴史も戦後歪められたのは周知のとおりです。
歪んだ者同士が歪んだ歴史を共同研究しても、歪んだ歴史にしかならない。
そこに「真実の歴史」というものはないのです。
真実がない歴史を研究しあって何の進歩があるのか。
歴史に対して真実も進歩もいらない国とよく顔を突き合わせていられるものだ。
歪んだ者から見れば「真実の歴史」こそ歪んで見えるものです。
そして歴史に政治がからめば真実よりも国益が優先されます。
今回の3ヶ国の中で唯一国益を考えないのは日本だけかもしれません。
だから結果は明らかなのです。
日本がこの2国に譲れば万事がうまくいくが、日本が譲らねば平行線。
チャイナも韓国も日本には譲る気なんかさらさらない。
つまり「悪かった日本がすべて譲る」ために、
共同研究という名の歪曲捏造した歴史で固めるための3カ国合意のようなものだ。
その先にあるのは永遠に続く謝罪外交と近隣国への配慮、そしてお金といったところか・・・。