盧溝橋事件から74年 北京・抗日戦争記念館の入館者5倍に
【新華社毎日電訊】 7月7日は盧溝橋事件(七七事変)から74周年となる記念日だ。同日、北京市にある中国人民抗日戦争記念館の入館者数は、通常の約1000人から5倍の5000人余りに急増。団体客も45を数えた。
7日は開館前の朝8時の段階から入場券売り場に長い列ができ、駐車場もほぼ満車となった。
(翻訳 尚蕾/編集翻訳 恩田有紀)
そう言えば7月7日って盧溝橋事件のあった日だった。
日本の間違った歴史教育では「日中戦争は盧溝橋事件から始まった」と嘘が教え込まれる。
さらに、それは軍部の暴走であると刷り込まれる。
これ、みんな嘘ですからw
盧溝橋事件とは、1937年7月7日夜、演習中の日本軍に銃弾が撃ち込まれた事から端を発して、日本軍と宋哲元軍閥の29軍が小競り合いを起こした事件を指します。
日 本軍は義和団事件の北京議定書に従って、北平(北京)に駐屯していましたが、1937年7月7日1930より夜間の塹壕戦の訓練を行うため、135人の兵 士が護身用に実弾30発を持つだけで、宛平県城の北側の演習場に向かいました。2230頃数発の実弾射撃を受け、演習を中止し兵を集合させ牟田口軍司令官 との間で善後策を検討しているところ、0325に再び射撃を受けたので一木大隊長は支那軍に対して反撃した。
その後、9日になって、盧溝橋事件現地協定(松井・秦徳純停戦協定)が成立、停戦になりました。
その協定には、
- 第二九軍代表ハ日本軍二対シ遺憾ノ意ヲ表シ且責任者ヲ処分シテ将来責任ヲ以テ再ヒ斯ノ如キ事件ノ惹起ヲ防止スルコトヲ声明ス
- 中国軍ハ豊台駐屯日本軍ト接近シ過キ事件ヲ惹起シ易キヲ以テ盧溝橋城廓及龍王廟二軍ヲ駐メス保安隊ヲ以テ其治安ヲ維持ス
- 本事件ハ所謂藍衣社共産党其他抗日系各種団体ノ指導二胚胎スルコト多キニ鑑ミ将来之カ対策ヲナシ且ツ取締ヲ徹底ス
以上各項ハ悉ク之ヲ承諾ス
と記されています。
1、については謝罪の方法も記せず、責任者も特定せず、宋哲元の自主裁量に任せる部分も多く、極めて寛大な条文です。
2、については29軍は城外には兵は居ないと言い張ったのに、実際は支那兵が居た事から立場が悪くなっていまったんですね。
で、問題なのが3です。
唐突に藍衣社とか共産党とかが出てくるわけです。
これは、日本軍と宋哲元軍閥の間に「真犯人は共産党だ」という共通した認識があったという事です。
事実1950年12月9日の『人民日報』では、
「劉少奇配下の抗日救国学生隊が『盧溝橋事件』を仕組む」
この共産党主導説は、事件直後から出ています。『読売新聞』は、1937年7月 15日付けで、「随所に出没して爆竹をならす」策動者がいたことを報じています。更に、この犯人を「共産党人民戦線派」としている。この報道は爾後、共産 党北方局とつながる清華大学生が逮捕されたことにより裏付けられている。
と書かれています。
はっきり言っておきますが、爆竹を銃声と聞き間違えたり、増してや爆竹が鳴ったのを攻撃されたと言い募り支那軍に攻めかかったなどと言っている人は、頭がパーですw
きっと、頭の中にあるのは糠みそですねえ
弾丸というのは空気中を飛んでくるので必ず飛翔音がします。元帝国陸軍の私のオヤジが言うには「ヒューヒューと聞こえている内は安全だ。足元でプスプスいい出したら自分が狙われている」と教えてくれました。
また、敵軍の銃撃の音と味方の銃撃の音はしっかり教育されるので聞き間違える事は無いとも言っています。
夜襲の時に迷わないようにするためです。
だから爆竹を鳴らしたからといって銃撃を受けたと誤認する事はあり得ません。
また、爆竹を名目に攻めかかって行くなどと言い始めるに至っては、アホとしか言いようがありません。
なぜなら、当時北支に駐屯していた日本軍は五千人。対する宋哲元軍閥は六万人だからです。
いくらバカでも五千人で六万人に勝てるとは思わないでしょう。
日本は結局北支に3個師団増派しますが、到着までに一カ月掛かっています。1937年8月13日までは平時編成でしたから、時間が掛かりました。そういう事も高級将校なら知っていた筈ですから、益々日本軍謀略説は成り立たないのです。
日教組あたりがこんな寝言を言ってきたら、鼻で笑ってやりましょうねw
北支に三個師団増派したので、バランス・オブ・パワーの均衡が保たれ、その後北支は平穏になりました。
しかし、上海では相変わらず手薄だったので、蒋介石は同方面で日本に戦争を仕掛けてきたのです。
さて、共産党謀略説というのは最も有力な説だと思います。
藍衣社(本によっては青シャツ党と記されている)というのは蒋介石のテロ団体ですが、共産党の工作員が浸透していました。
共産党は国民党と日本軍を戦わせ、漁夫の利を得る事を企んでいました。事実、日華事変から大東亜戦争中にも共産党軍は殆ど戦わず、国民党と日本軍の戦いを見ていただけでした。
後に国民党軍も殆ど戦わなくなりました。共産党の目論見に気がついたからでしょう。国民党を応援していたアメリカのウェデマイヤー将軍は大いに失望したそうです。
真実を知る人は、上の様な新聞記事など噴飯ものでしかありませんね。
歴史カードはもう役に立たないのですが、支那人とは滑稽です。