明けましてお目出度うございます。本年も宜しくお願い申しあげます。
サイタニのブログから転載です。日本人の考え方、世界観が最も現われているものが、古事記日本書紀ですが、戦後は、この日本の神話は、全く軽視され、さらには日本人の誤った愛国心につながるなどと洗脳されて、無視されてきました。
しかし、きちんと読めば、占領政策で、侵略戦争の根源であるかのように宣伝された八紘一宇(八紘為宇)が決してそうではなく、誰かがいったようにユニバーサルフレンドシップであり、世界連邦構想だと解るのです。
このような古代に、道義国家宣言をし、世界連邦構想によって、全人類の平和を祈願するということを建国の理想に掲げた君主が存在し、それが日本国家の始まりだということは、誇るべきことだと思います。
神武天皇の世界連邦構想
神武天皇建都即位の御詔勅に話を戻すが、その御詔勅の中に
「下は即ち皇孫(すめみま)正しきを養いたまう心を弘めん」
とあるのは、日本書紀巻第三(神武天皇の巻)の冒頭にちかき所に、瓊々杵尊(ににぎのみこと)が
「正しきを養い、慶びを積み、暉(ひかり)を重ね…:」
とあるのに相対するお言葉である。
このお言葉はキリストの「先ず神の国と神の義(ただしき)を求めよ。その余のものは汝らに加えらるべし」という教訓と全 く同じ精神なのである。
神の国の正義を自己の内に養い、修養して、よろこべば喜び来るの原理にしたがって、慶びを積み、心を明るくして神の暉が自己に受信 し得る波長を心に起すのである。
そうすると、自然に「その余のことは汝らに加えらるべし」である。
だから「然して後に六合兼ねて以て都を開き、八紘(はっ こう)を掩(おお)いて宇(いえ)と為ん」であって、この「然して後の語には千鈞の重みがあるのである。
暴力や詭計(きけい)や武力を背景としての強制カによってかくならしめるというのではなく、神の国の秩序であるところの「正しきを養い、慶びを積み、暉を重ねて」来たならば、自然に実相が顕現してそのようになるというのが「然して後に」であるのである。
従っ て「然して後に」来るところの
「六合(りくごう)を兼ねて以て都を開き八紘(はっこう)を掩いて宇(いえ)と為(なさ)ん」
ということは決して侵略精神で はないのである。
内在の神の国の実相があらわれて、自然にそのように顕現するというのである。
これはキリストのいわゆる「その余のものは汝らに加えらるべ し」に当るのてある。
六合とは天地四方であり、あらゆる方角の国々にもそれぞれ独立国としての都は厳存するけれども、更にそれを総合する世界連邦政府の都 を兼ねて開くというのであって、神武天皇時代にこのような世界連邦の構想を建国の理想に掲げられたことは、神武天皇の霊感の素晴しさを物語るものである。
そしてそれが世界連邦の構想であるということが解れば、「八紘為宇(はっこういう)」ということも決して侵略的精神ではないことが理解できるのである。
元 来、紘とは冠(かんむり)の紐(ひも)のことである。「紐」は「緒」ともいうのであるが、「緒」は「玉の緒」すなわち「魂」をあらわすのであり、お公卿さ んがかむる冠の緒を顎の下で一つに結び合わすように、世界各国各民族の魂を仲よく結び合わせて、それを一家庭の如くするというのである。
こういう八紘為宇 の本当の神武精神がわかっていたならば、戦争も起らなかったにちがいないのであるが、それを軍閥が曲解したために、あの戦争は起ったと言い得るのである。
十六菊御紋章の象徴するもの
天皇政治こそかえって本当の民主政治であるということは、天皇家の御紋章であるところの十六菊にもあらわれているのである。
十六とは、天地の八方を意味して十六方向―あらゆる方角の「民」または「国民」をあらわす。そして「菊」は「聴く」の象徴であって、あらゆる処に住む国民の声を「聴く政治」が天皇政治なのである。けっして専制政治ではないのである。
天皇が国を治め給うのを「シロシメス」―というのも「知り給う」ということを意味する。十六方向の国民の声を聴き給うて、それを知り給い、その民意に適うように政治をなさるのが、天皇政治なのである。
党をつくって反対党の反対意見を力をもって押し切って、自党の利益ばかりを目標に政治を行う多数決式民主政治とはおおよそかけはなれた公平無私なる民利政治が天皇政治なのである。
天皇政治であってこそ本当の民主政治が行われるのだということを知らねばならない。
「天皇国日本」は日本民族が創作した世界最大の文化的創作であって、これより大なる大芸術は他のどこにもないことを知って、この国体を尊重してもらいたいものである。
谷口雅春著 「私の日本憲法論」
参照
「何故憲法を変えなければならないか」2