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日本建国の理想

2013年05月12日 16時36分40秒 | 日本人と憲法

みどり松のブログに神武天皇建国の「皇都経営の詔」とその略解が書かれていましたのでそれについて、改めて、考えてみたいと思います。今、憲法改正論議が盛んですが、倉山満氏もチャンネル桜で言っておられましたが、現行憲法の改正という視点のみで改正案を考えている人が多いのはおかしいことです。

倉山氏の言葉で言えば、現行憲法は、占領軍に押し付けられたまさに憲法の素人の書いた『落書き』に過ぎないものであり、これをいくら改正しても、土台がアメリカ製の落書きでは、日本の自主憲法という名にふさわしいとは思えません。

かつて、昭和天皇が初めて御訪米された時に、 アメリカ人の多くが、昭和天皇の歩まれる姿を見て、「歴史が歩いているという実感を受けた」と語ったということです。

建国以来2600年以上にわたって万世一系の天皇を戴いている日本の、その天皇は、まさに歴史を体現しているお方だというのは過言ではありません。

当時米国は建国200年を迎えようとしていた頃ですから、まさに2600年の歴史の重みは、圧倒されるものがあったことでしょう。

そして日本においては、天皇は同時に『建国の理想』の体現者でもあられるのです。

 昭和天皇はこの年のお歌会始に

 

     
          わが庭の宮居に祭る神々に世の平らぎを祈る朝々


  と歌われました。このお歌の精神こそ、歴代天皇のお心であり、建国より代々受け継がれてきた建国の理想ともいうべきものです。

 歴代天皇が神々に誓われ、祈られ、続いてきた日本の国の建国の理想というものは、初代天皇である神武天皇の即位建都の大詔に遡るべきでありましょう。

以下転載です。

 

 神武天皇、即位建都の大詔には次の如く書かれているのであります。

  「・・・・夫れ大人(ひじり)の 制(のり)を立つる、義(ことわり)必ず時に随ふ。苟いやしく)も民(おほみたから)に利有らば、何ぞ聖の造(わざ)に妨(たが)はむ。且当(またまさ)に山林を披 (ひら)き払ひ、宮室(おほみや)を経営(をさめつく)りて、恭(つつし)みて宝位に臨み、以て元元(おほみたから)を鎮むべし。上(かみ)は則(すな は)ち乾霊(あまつかみ)の國を授けたまひし徳(うつくしび)に答へ、下は則ち皇孫正(すめみまただしき)を養ひたまふ心を弘めん。然して後に六合(くに のうち)を兼ねて以て都を開き、八紘(あめのした)を掩ひて宇(いへ)を為(せ)むこと、亦可からずや。夫(か)の畝傍山の東南(たつみのすみ)、橿原の 地(ところ)を観れば、蓋し國の墺區(もなか)か、治(みやこつく)るべし。」



 これを略解して見ますと、

   「思うに大人(ひじり)が制度を立てるにあたっては、必ずその時勢に順応した良い制度を立てなければならぬ。

苟も人民の利益になる事であったならば、た とい聖人の制定したものであっても、その制度を変更するに何の妨げがあろうや。 〈註:ここに日本天皇の民主主義的性格があらわれているのであります。〉

  朕は、いま山林をひらき伐採して宮殿を築造経営し、恭しい心持で天皇の位に即き、人民の安寧と幸福とをはかであろう。

そして上は、神が國を授けたも うた其の御神徳に答え奉り、下は皇孫以下が正しい心を養成するよすがとし、そして天下を治める為の都をひらき、その徳をひろめて、世界の八方の荒れたる 隅々までも一つの家庭として人類は皆兄弟として互に手をつなぐべき目的を実現するために、畝傍山の東南、橿原の地に都をつくるであろう。」


  この詔勅には何処にも侵略的な精神は見られないのであります。

世界を一家族として、人類を兄弟とする其の中心地として畝傍山の東南の橿原の地に都をつくろ うと仰せられたのでありまして、

まだ此の詔には「大和國(やまとのくに)」と云う国号はあらわれておりませんが、此の橿原の地を中心に「大和國」と称せら れることになったのでありまして、

「大和(やまと)」の国号そのものにも全世界の人類が一つの家族として和合すると云う建国の理想があらわれるのでありま す。

 〈私の記憶によりますと、文書として日本の国号ヤマトと称せられている最初は日本書紀の神功皇后の條であります。〉



  兎も角、斯くして、日本の歴史は形の世界に神武天皇があろうがなかろうが、日本民族の魂の歴史に於いては、その建国の精神の擬人化として神武天皇がましま すのであります。 

神武天皇と大和(だいわ)の理想は日本民族の魂の中に厳然として存在するところの理念でありまして、

形の世界はその理念の具象化とし て、徐々に展開して行くものでありまして、

途中に色々の消長や停頓がありましても、この「神武」の理念と「大和(だいわ)」の理念とを骨子として、それに 具体的歴史が肉付けられて行くのでありますから、

神武建国の事実は歴史註中の歴史なる一大因縁の「因」をなすものとして、日本の歴史より決して抹殺し去る べきものではないのであります。



 

 

 

 

【青山繁晴】国家と戦没者と宗教と政党[桜H25/5/10]

 

 

 


事実を告げる憲法教育の必要性

2013年05月07日 14時39分44秒 | 日本人と憲法

久しぶりに朱雀さんのブログにおじゃましたら、正論の記事で、長谷川三千子氏の論文が載っており、なかなか良いことが書かれていたので、産経ニュースから元記事を転載しました。この方は、チャンネル桜の討論番組の憲法をテーマにした回に出ておられて、国民主権が日本には合わない思想であることを話されていましたので、その時の説明が実に納得の行くものだったのが印象に残っています。今回も国民主権についても触れておられます。

今回はまた、日本国憲法の成立過程の欺瞞性について指摘しておられます。国民主権と言いながら、日本の国家も国民も主権を奪われていた中で成立したものが現行の日本国憲法であることを痛切に批判しておられます。

日本国憲法は日本の終戦の翌年、昭和21年の113日に公布され、2253日より施行されました。しかし、そもそもハーグ条約 陸戦法規(いわゆる国際法)43条に「勝ち組が被占領地に到達したときは、その国の法律を変えてはならない」とあるのに、これに違反して占領軍が押し付けたものです。

占領軍は、この憲法を日本が受け入れなければ、「天皇の人体(Person of Emperorという語を使ったという)もどうなるかわからぬ」と脅したといいます。しかもそのように脅しながら、「しかし一国の憲法はその国の国民が定めるのであるから自分でよく考えて、このアメリカ草案の憲法に基づいて日本国憲法を改正するかどうか、ちょっとお庭を20分間ほど散歩してくるからその間に考えて返事をしなさい」と言ってホィットニー准将は散歩に出ていったといいます。


つまり、もし受け入れなければ、天皇の命は保証しないけど、決めるのはあくまで日本国民なのだから強制はしないから、20分 間よく考えてから返事をしなさい。というもので、例えれば、強盗が押し入って、その家の子供を人質に取り、子供を殺されたくなければ、有り金全部出せ。で も強制はしたくないから、お金を出すかどうか決めるのは、お前が自分で判断しろ。五つ数えるまで待ってやる。と言っているのと同じではありませんか。

日本は止むを得ず、当時の帝国議会で、憲法改正の審議をすることになりましたが、皆これを可決するのが嫌でしたが、正面から占領軍に反抗しては、政治追放又は戦 犯裁判に処せられるというので、時間切れで審議未了で流してしまうつもりだったのです。

ところがいよいよ時間切れになるその日の午後十 二時の五分前に、帝国議会のすべての時計が全部停ってしまいました。むろん、これは議事の進行を見守っている占領軍が全部の時計を止めてしまったのです。これではいつまでたっても時間切れにはなりません。

このような乱暴な押しつけ又は強制によって、「日本国憲法」と称するアメリカ製作文は、形式だけは議会を通過したのでした。

 

 

「国民の憲法」考 埼玉大学名誉教授・長谷川三千子

2013.4.30 03:14 (1/4ページ)憲法改正

教科書が語らない「制定」の真実

  わが国では戦後ながらく、憲法についての思考停止状態がつづいてきました。昨今はそれが少し解消したかのようにも見えますが、基本的な点では、ほとんど何 も変わっていません。産経新聞が新しい憲法案「国民の憲法」要綱を発表しましたが、いくらよい憲法案を作っても、この思考停止が解けない限り、本当の「国 民の憲法」は実現しないでしょう。それを解決するのには、何よりも大切なのが正しい憲法教育なのですが、現状はいささかお粗末と言わざるを得ません。

《素通りの「誰が作ったか」》

  昨年たまたま、或る出版社のご好意によって、その年出版された中学公民の教科書をいくつか見る機会がありました。いずれもきれいな写真が沢山のった観光パ ンフレットと見紛うような美装本で、かつての社会科教科書とは様変わりしていましたが、その中身は、ほとんどいずれも、敗戦直後の中学教科書『あたらしい 憲法のはなし』を一歩も出ていない。むしろ或る意味で思考停止ぶりが深まっているとすら言えるのです。

 

 かつて『あたらしい憲法のはなし』は、日本国憲法の成立についてこんなことを語っていました。

 「これまであった憲法は、明治二十 二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、国民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本国民がじぶんでつくったも ので、日本国民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります」。もちろんこれは大ウソです。新憲法は「日本国民が自分でつくった」ものではなく、占 領者の作った草案を日本人が「自由に」修正することも許されなかった。しかし昭和22年、占領下の日本にはそのことについてウソをつかない自由すらなかっ たのです。

 では、ウソをつく必要のなくなった平成24年の教科書はどんな風に日本国憲法の成立を語っているのか。例えば清水書院の教科書 はこんな言い方をしています。「ポツダム宣言にもとづいて、憲法の改正を求められた日本政府は、連合国軍総司令部から民主主義を基本とする憲法案を示され た。これをもとにつくられた改正案が、新たに20歳以上の男女による普通選挙で選ばれた国会で審議・議決されて、日本国憲法が誕生した」

 

 たしかに、ここにはウソは書かれていません。しかし本当のことも書かれていないのです。この文章がすべて「られた」「された」と受動態で書かれて いることにお気付きでしょうか。いったい、この憲法は誰が作ったのか、という肝心の問いを、この執筆者は完全に素通りしているのです。

《主権なき中で主権うたう矛盾》

  同時に、連合国軍総司令部が日本政府に憲法案を(示しただけでなく)強制したこと。総司令部が厳しい検閲によって、そのことを一切日本国民に知らせなかっ たこと。そうした事実も全く語られていません。それに言及しているのは自由社と育鵬社のみなのですが、この2社ですら、当時の日本は軍事占領下にあって国 家主権を奪われていた、という事実については、一言も語っていません。

 占領を解かれて半世紀以上もたっているのに、どうしてこんな風にすべての教科書が本当のことを避けているのでしょうか。それはもし日本国憲法の成立について本当のことを語ってしまうと、それにつづく話がすべてめちゃくちゃになってしまうからなのです。


 どの教科書も、日本国憲法の三大原理として「国民主権、平和主義、基本的人権」をあげています。その第一の「国民主権」とは、「国の政治のあり方 を最終的に決める力(主権)が国民にあるということ」と説明されています。当然それは憲法を改正したり制定したりする力でもあるはずです。ところが、日本 国憲法自体は「主権」が完全に奪い去られた状態で制定された--ということになると、まるで訳のわからない話になってしまいます。

《事実示し考えさせる教育を》

  公民教科書では「国民主権」と「国家主権」とが完全に別物のようにして扱われていますが、もともとは同じ一つの概念の内側と外側といった関係です。実は、 そもそも「国民主権」とは、フランス革命における、王を殺して国民が権力を奪うのが正義だ、という思想に基づく、問題のある政治原理なのですが、なににせ よ「国家主権」のないところでは「国民主権」も成立しえないのです。

 さらに言えば、国家が一切の力を放棄するという日本国憲法の「平和主義」は、国家主権の放棄であり、そこでは「国民主権」が成り立たないどころか、近代憲法自体が成り立ちません。国民の「基本的人権」を守ることも不可能となります。

 つまりこんな風に、日本国憲法は全くめちゃくちゃな憲法なのです。その衝撃の事実をありのままに子供達の目の前にさらけ出すこと--本当の考えさせる憲法教育はそこから始めるべきでしょう。(はせがわ みちこ)






【危機意識】ミサイル危機を契機に自衛隊も世界基準に[桜H25/4/10]

2013年04月11日 00時34分25秒 | 日本人と憲法

【危機意識】ミサイル危機を契機に自衛隊も世界基準に[桜H25/4/10]

自衛隊が軍隊でありながら、憲法上軍隊ではないと言う欺瞞によって作った警察予備隊という組織が元になっていることから、未だに、普通の国の軍隊が持っている軍法を持たずに、一般法で、自衛隊の行動が裁かれるというおかしなことになっています。

憲法9条の戦争放棄が、未だに自衛隊を本当の軍隊と認めることを阻んでいるのです。北朝鮮が日本にミサイルを撃ってくることが可能性があるのに、それをもし安倍総理の迎撃命令がない場合に撃ち落とせば、器物損壊罪に問われるというのです。非常事態に対処するのが軍隊であり、緊急の時に、国家国民を守るためにあるのが軍隊ですが、その緊急に対応できないのが、わが国の自衛隊です。侵略してきた敵国軍を撃ち殺して国民を守れば、自衛隊員は、殺人罪として逮捕されるのです。

あまりにも馬鹿馬鹿しい話ですが、これは憲法9条で戦争放棄を歌っていて、元々は、占領軍が押し付けた憲法原文では自衛権もないということになっていましたから、世界の軍隊が行動規範をネガティブリストで規制されており、国際法などに触れない限りは緊急時には自在無礙に行動して国民を守ることができるのに対し、自衛隊は、ポジティブリストで行動規範が出来ており、警察と同じくやっていいことが決められているだけなので、それ以外のことはどんなに緊急でやらなければ自分あるいは同胞が殺されるという時さえも、自由に動いて対応するということができないのです。

まさに形ばかりの軍隊であり、実際には対応できない軍隊であり、軍としての法律を持たないために軍行動ができない軍隊なのです。

これで尖閣を侵略しようと、今も領海侵犯を繰り返しているシナ軍に対応できるのでしょうか、支那本土は汚染や官僚の腐敗などの矛盾で崩壊しそうな共産体制を維持するために、日本を敵国として反日を盛り上げて戦争を仕掛けるしかないとも言われている現状で、尖閣にあるいは沖縄に侵略をしてきても、そんな自衛隊で対処できるのでしょうか。

今が自衛隊を真の軍隊にする絶好の機会です。そのためにも、自衛隊の現状を国民はしっかりと知る必要があります。憲法の護憲派の平和主義に騙されて国民の命を危機に陥れないために、日本人は世界の現状をしっかりと冷静に見て、観念論の平和主義で国を失うような事のないように、マスコミなどの言論界が隠してきたことを知って考えなくてはいけません。

国民の声が後押ししなくては、政治家は動けません。国民の声がなくては、どんなに正しいことをしようとしても、しようとすれば、マスコミやあるいは日本を戦後レジームの中においておきたい国々から、その政治家は潰されてしまいます。安倍総理の戦後レジーム脱却の意志を完遂させるのは、国民の声であり支持が全てです。

 

 

 


【山谷えり子】主権回復記念日と占領憲法[桜H25/3/7]

2013年03月07日 23時45分51秒 | 日本人と憲法

【山谷えり子】主権回復記念日と占領憲法[桜H25/3/7]

 


 占領時代に作られた憲法、日本が主権を失っている時代に押し付けられた憲法が、未だに日本を縛っているのです。これは9条の戦争放棄だけではありません。日本思想というか、古来から、この日本列島で暮らすうちに自然に身についたものの考え方、自然観、宇宙観、人生観、道徳観、そうした日本人が無意識に共有してきたものの考え方が、この憲法によって、著しく歪められてしまったのです。日本人の道徳、歴史観、これらの多くのものが否定されて、日本人は民主主義という考え方を通して歴史を見、社会を見るようになりました。歴史は自分たちの先人の歴史としてそれを受け継ぐという感覚ではなく、民主主義という尺度で、歴史は裁かれるものとなり、社会も共同体意識よりも、個人と対立するものとして、やはり裁かれるものとなりました。

個人の意識の解放が叫ばれ、個人を縛る色んな物を否定することが進歩的文化人の誇りのようになりました。歴史や伝統をはじめ、いろんなしがらみからの解放が、個人の生き方の真の自由をもたらすということに、何か個人の尊厳を重視するかのような錯覚に多くの人が陥ってしまいました。

しかしこの個人主義は、本当に正しいものだったのでしょうか。この占領憲法がもたらした、個人主義、民主主義は、日本を良くしたのでしょうか。


憲法第一条には主権の存する国民の総意に基づくという言葉が出てきますが、この国民主権という考え方は、埼玉大学の長谷川三千子教授によれば、国民 主権とは、西洋の絶対王政を革命で打ち破り、国王の首をギロチンでちょん切るというところから始まるものであり、君主主権に対立して発生したものだと仰っ ています。君民対立の思想から生み出された考え方であり、わが国の天皇と国民が歴史上一度も対立したことのない国柄においては、ふさわしくない概念である と仰っています。

日本は古来から、君民共治の国柄であり、天皇は民を大御宝(おおみたから)と呼ばれるほど、大切にされてきました。そんな天皇を民は親の如くに慕う気持ちで、自分たちを天皇の赤子と呼びました。そして天皇は、国安かれ民安かれと日々祈り続けられ、神々への祭祀が最も重要な天皇の御役目とされています。年の始めには、天皇は、まだ未明の極めて寒い時期にお庭に幕を張って、四方拝を行われます。祭祀には、このようにずいぶん肉体的に過酷な ものもあると聞きますが、今上天皇は、この祭祀を非常に重視されて、廃止されていた祭祀も復活されて熱心に行われていると聞きます。陛下の日本の国を真 剣に思われるお気持ちがひしひしと伝わってくるようです。

本来主権とは、国家の持つ権利であり、国家という統一的な存在自体が持つものであり、国家を構成する個々の人間とか、要素のようなものにある権利ではないと思います。まるで国家を解体した部分品に主権を与えるような考え方は、おかしいのです。

 日本には、聖徳太子の十七条憲法のように、日本的な民主主義が本来ありました。昭和天皇は、新日本建設に関する詔書の 中で、わが国の近代の民主主義は、五箇条の御誓文から始まるとおっしゃいました。五箇条の御誓文は明治天皇が、神々に日本の国のこれからの方針を誓われた ものですが、この在り方が日本の民主主義であり、国民と国家が一体となって調和した繁栄を目標とするわが国独自の民主主義といえるのではないでしょうか。

押し付けられた民主主義ではなく、日本本来の独自の民主主義による憲法こそ、日本にふさわしい憲法です。

 

 

  サイタニのブログからの転載です。

昭和四十三年

 
武藤貞一氏はその機関誌「動向」の四十三年五月号巻頭に"民主亡国"と題して次のようなことを書いている。
 
「民主主義とは、下剋上のことである。民主主義とは、個人主義、エゴイズム、反公共主義のことである民主主義は、独裁、専制、権力主義を排するための言葉であることはもちろんである。しかしそれは一応のカクレミノに過ぎない…:
 
"下剋上"とは"下が上を剋す"ということである。易経に出て来る語である。〃剋す"と は下位のものが上位に立って上位のものを害(そこな)うことである。たとえば脚は下にあるべきものであり、頭が上にあるべきものであるのに、脚が頭の上に 位置して、脚が頭に命令を下して、頭を歩かせようとし、頭本来のハタラキを害うことである。学生が学長や教授をつるし上げ、机や椅子をバリケードにして、 その上に立って大いに叫び、天地の秩序を逆転することである。

この天地逆転・世界紛乱(ふんらん)の原因がアメリカから日本弱体化のために輸入された民主主義とそのいわゆる〃民主主義憲法"である。公共の福祉などは考えず、市民に迷惑がかかっても、自己主張を貫徹するために全学連が暴力を揮い自分の給料さえ上ればよいというので、総評または国労の命令一下で交通機関のゼネストをやるがごとき、ことごとく、この民主主義憲法の許すところである
 
 
武藤貞一氏は民主主義の隠れ簑(み)の仮面を剥いだのである。使嗾攪乱(しそうこうらん)の陰謀に巧みな労働貴族である策士が、"民主主義〃という、一応「独裁権カ」を大衆の力で打ち砕くような仮面をかぶりながら、大衆の叛乱で既成の権力の座を覆(くつが)して自分が権力の座につくのである。総評の議長や私鉄総連の委員長や、やや劣るが三派全学連の秋山委員長などもすでに独裁者的"権力の座"に ついているのであってその命令一下その部下が、かつて軍隊が軍部の命令によつて一斉に任務についたと同じように、日本全国の交通を止めたり、角材や石ころ をもって警官隊に命知らずの突撃を開始するのである。すなわち、その実力行使には暴力行使によって既成の独裁、専制の権力者を威圧し抑制し、完全に打倒 (即ち革命)できるかも知れぬが、いつの間にか、その悪がしこい大衆の味方として煽動し使嗾していた策士がまた別の独裁、専制の権力者の座についていて、 その命令一下その部下は“血みどろの突撃を開始するのである。それは軍閥の独裁とどこに相違があるのか。民主主義とは悪賢い策士が独裁・専制の権力の座に つくために既成権力打倒の策戦としてのカクレミ,なのである。
だから武藤貞一氏は言う。
 
 
「い わゆる民主主義をもって独裁、専制、権力主義の政治を打ち砕くことはできてもそれは一時的な潰滅を招くだけで、民主主義そのものが個人個人の勝手放題で無 秩序な力の発動により、相争い、相せめ合い、果てしなき闘争を経て、結局は、力の強いものが力の弱いものを暴力で制圧して、名状すべからざる非情酷薄(こ くはく)な独裁と専制へ持って行く…」
 
 
全 学連の現状は実際その通りである。秋山委員長は傷つかないで彼は逮捕されても、かえつて名声はあがり、箔(はく)はついて名誉欲や権力欲を満足させている けれども、命令一下突撃や殴り込みを開始する部下のものは、委員長の名誉欲や権力欲の犠牲となって血を流しているのである。結局、秋山委員長は共産ファッ ショの頭目であるのだ。


 


 
武藤貞一氏はまた一言われる。
「国家と個人主義とは絶対に両立すべからざるものだ。国家は共同の利益の結晶体で、すなわち公共体である。公共体は、大局的には個人の利益を防護するためのものだが、局部的には個人の犠牲の上に成立っている。権利義務の"義務"は犠牲と同意義である……」
 
 
民主主義憲法すなわち現行の日本国憲法は、結局個人主義憲法であるから、国家を防衛するためにはできていないのであるその成立の経過手続きそのものから、日本弱体化のためにつくって占領軍が押しつけたものであるから、国家を防衛する戦力も交戦権もみとめていないのは無論であるが、国民が言論で国家を倒す自由や、革命教育を行って国家を倒す自由をみとめているのであるから、この憲法が存続する限り、日本国家は累卵(るいらん)の危機にさらされているのである


この憲法を楯にとって美濃部都知事は、学校の認可に日本を衛るという政治的配慮を用うべきでないとして、朝鮮人をして反日的言論と教育とで日本国を倒す自由をみとめて"朝鮮大学校"を公式に認可したのである。外人をして「日本国を倒すための言論と教育の自由」をみとめしめた日本国憲法こそ、世界唯一の怪物というべきである。
 
 
美濃部東京都知事が、灘尾文部大臣(当時)いうことをきかないで、知事の権限内のこととして、日本国覆減革命教育をほどこしている"朝鮮大学校"を公認したことは"知事選挙のとき共産党・社会党(現民主党)に支持されて当選したのでそれらの党の突き上げによる"との説をなす者もあるが、そうかも知れない、そうでないかも知れないが、民主主義が"下剋上"主義であるかぎり、このことのあるのは当然のことである。
 
 
「民 主主義は、当然のことながら、階級と秩序と倫理と情操を打破する。生徒の民主主義は、教師を同列の人間としてこれを軽蔑することであり、生徒が教師を殴り つけたり、監禁したりするのは、民主的エリートの行為として称賛されねばならないし、また、子が親を、弟が兄を、妻が夫を虐待することが民主的理念に適 (かな)い、いやしくもこれを逆にして、子が親に、弟が兄に、妻が夫に服従したり敬愛したりすることは、甚だしき民主主義の背戻行為(はいれい)であって 犯罪に等しい。旧道徳、旧封建的、義理人情的な一切のものを踏みにじらなければ、民主主義とはいえない。民主主義とはそういうものなのである」
 
 と武藤貞一氏は喝破(かっぱ)している。国家を愛し、国家を衛るところの国に対する忠誠などという精神は封建的であるから、自国をつぶす革命教育を行う外人学校を公認し、国家の文教方針を代表する文部省の指示に反して、外人がいやしくもその首都にいて革命教育を現に行いつつあるものを許すこの怪物の正体をわれわれはよく見きわめなければならない。
 
 
〃下剋上"も ここまで来ればすでに狂気の沙汰であるが、そういう者が進歩的文化人にとってはエリートなのである。日本弱体化のために押しつけられた日本国憲法の下に於 いては、国家は個人の利益を擁護するための組合組織に過ぎないのであるから、個人の利益及び思想・行動の自由は、国家の存在権に優先するのである。国家が潰れようが、そんなことは個人の思想及び行動の白由の前には、顧慮する必要がない建前になっているのが現行の民主憲法なのである。
 

 谷口雅春著「私の日本憲法論」


参考

 

何故憲法を変えなければならないか

 

「何故憲法を変えなければならないか」2

 

「何故憲法を変えなければならないか」3

 

“個性ある国家“を形成するには、「国家の理念」がなければならない

 

はたして現行の憲法は日本に適する憲法か






はたして現行の憲法は日本に適する憲法か

2013年02月23日 12時24分59秒 | 日本人と憲法

サイタニのブログからの転載です。

日本国憲法を何が何でも守ろうとする護憲派の人々は、この憲法前文をどのように思っているのでしょうか。これを読んで、そこに書いてある「人類普遍の原理」という言葉をそのまま受け入れ、最後に書かれている「この崇高な理想と目的」という言葉をその通りと感じているのでしょうか。

この前文がもつ日本国に対する屈辱的な響きを感じ取れない人々は、おそらく心のなかに、日本という言葉が何ら意味を持たず、心を動かされることもない、単なる世界地図上の地点を示す符合でしか無い感覚の人々なのでしょう。自分の中に、歴史を持ち伝統を持った日本という国を持たない人々でしょう。

かつて乃木希典大将は、小学校の子供達に、日本は何処にあるか知っているかと尋ねられました。子どもたちは「東洋の東側」とか「緯度何度」とか地理的な答えを返しましたが、乃木大将は「それぞれに間違いはない」とうなずいたあと、自分の胸を叩いて「本当はここにあるんだ」とおっしゃったそうです。

自分の中に日本があるという感覚、これがチャンネル桜で、水島さんがよくおっしゃっている自分が日本だという意識なのでしょう。

その意識で、この前文を見て、悔しさが湧かないはずはないのです。これを当たり前のように平和主義だと喜ぶ人は、自分の中にある日本人の遺伝子は、悪玉遺伝子だと思っているのでしょうか。

 

 

 

 

昭和42年

現行日本国憲法前文の非真理性


 

この憲法がいかなるものであるかは、憲法の前文がまずそれを説明しているので、今回はまずそれを検討するために、日本国憲法の前文を次に掲げて皆さんと一緒に考えてみたいと思うのである。

 

 

「日 本国民は、正當に選挙きれた國會における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸國民との協和による成果と、わが國全土にわたつて自由の もたらす恵澤を確保し、政府の行爲によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が國民に存することを宣言し、この憲法を確 定する。そもそも國政は、國民の嚴粛な信託によるものであつて、その権威は國民に由來し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は園民がこれを 享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 

日 本國民は、恒久の平和を念願し、人間相互の關係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全 と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷從、壓迫と偏狡を地上から永遠に除去しようと努めてゐる國際社會において、名譽ある地位 を占めたいと思ふ。われらは、全世界の國民が、ひとしく恐怖と缺乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 

われらは、いづれの國家も、自國のことのみに専念して他國を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に從ふことは、自國の主権を維持し、他國と對等關係に立たうとする各國の責務であると信ずる。

 

日本國民は、國家の名譽にかけ、全カをあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

 

以上で日本国憲法の前文は終わっているのであるが、この前文の特徴をなすものは、敗戦国民が、戦勝国に対して、「今まで私たちは悪いことをして来ました、今後一切あのようなことは致しませんということを誓います」という「あやまり証文」の文体および語調をもっていることである

これで、この憲法が、この国の国民が自主的に定めた憲法であるといえるであろうかということである

 

 
この憲法前文は言う。「日本國民は……平和を愛する諾國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と。これを意訳するならば、


「日本国民は、あなたがた戦勝国民はみな公正で信義に篤(あつ)い国民であると信じます。いけなかったのは日本国民だけです。今後われわれは、みなさん列国民がわれわれに公正で信義ある扱いをしてくださることを信じて、自分の安全と生存とを自分の力で保とうとは思わないで皆さんにお委(まか)せしようと決心しましたという意味になるのである。
 
 
私はこの憲法の前文を読むたびごとに悲しくなって泣きだしたくなるのである。「自分の安全も生存も自主的に自分で護(まも)る権利を放棄します。自分の生存を保持することすら、平和を愛するあなたがた諾国民の公正と信義におまかせします」というのである。
 
 
一国の憲法に、このような卑屈な言葉の表現があってよいものだろうか。国民の決意なら決意で、もっと自主的な決意があってよいはずなのに、「今まで自分の国は悪うございました。それで今後は自分で自分の生存をも護りません。皆様のあなたまかせにいたします」とあるのである。このような文章は強圧者の前にひたすら処刑をまぬかれるために憐れみを請(こ)う気持でなければ書けぬ文章なのである。



 
 
 
さてその「あなた委せ」に、ひたすら、「そのお慈悲にたよって生存いたします」と日本国民が誓うところのその相手国である諸国民がそんなに公正で信義ある国民だろうか

この憲法を護持する、この憲法こそ正しいと称する革新系の人々は、この草案を書き、かつ戦勝国の代表者として、この憲法を押しつけたところのアメリカ合衆 国を、本当に平和を愛好する信義あつき国だと信じているのであろうか。

彼ら革新系の人々は、二言目には「アメリカ帝国主義」と罵(ののし)り、「侵略国ア メリカは平和の敵である」と、中共とともに共同宣言することを辞さないのであるから、われわれの隣国に、公正と信義を保つ諾国民が存在しないことを、夙 (つと)に知っているのは、社会党等の、この革新系の人々ではなかろうか。

だから「諸国民の公正と信義に信頼しうる」と仮定したこの憲法は真実を語るもの でないことを知っているのがこの革新系の人々なのである。

それなのに、真実を語るものでないこの憲法をなぜ彼らは護持しようとするのであろうか。しかもこ れらの革新系の人たちは「戦争を廃絶する唯一の道は戦争によるほかはないのである」という毛沢東一流の考え方に基づいて、「平和共存路線」に踏み出したソ 連を「修正主義」と称してはげしく攻撃している中共と手をつないで、アメリカを「日中共同の敵」と宣言することを敢(あえ)てしているのである。
 
 
「戦争を廃絶する道は戦争によるほかはない」と隣国に分裂内戦の火をつけるだけではなく、コンゴやインドネシアに革命内戦の火をつけ、これは失敗したが、現にベトナムを南北に分裂させて、同一民族を互いに戦わせて、"漁夫の利"を得ようとしている隣国が現にいるのに、「平和を愛する諸国民の公正と信義とに信頼する」という決意によって起草されたこの憲法全体は、すでに事実と相違するところの死法にすぎないのではないだろうか
 
このような不合理な憲法を「自分の生存の保持も安全もあなたまかせにいたします」とお辞儀をして受諾したのは、広島や長崎に、人類がいまだ経験したことのない原爆による巨大なる被害を受け、その上、占領軍が上陸して来て、「占領軍の言いなりになるほかない、どんな抵抗をする力もわれわれにはないのだ」と、国民が虚脱状態になっているとき、「このアメリカ製憲法を受諾しなければ"天皇の人体〃(person of Emperor という語を使ったという) もどうなるか分からぬ」と占領軍におどかされて、ひたすら、占領軍の“打首の剣(つるぎ)〃の下におののいていたのが当時の日本国民の現状であったのだ

こうして、一方では天皇を打首にするかも知れぬと"不可視の剣"をふり上げながら、「しかし一国の憲法はその国の国民が定めるのであるから自分でよく考えて、このアメリカ草案の憲法に基づいて日本国憲法を改正するかどうか、ちょっとお庭を二十分間ほど散歩してくるからその間に考えて返事をしなさい」といってホィットニー准将は散歩に出ていったというのである。

 
こ れでは、ちょうど強盗がピストルで一方でおどしながら、「お前の家の財産はお前が渡すか渡さぬかきめるものであって、決して俺が強制して定めるものでな い。それはお前の自由意志が定めるのだ。しかし俺の勧告に従って金を出さねば、このピストルの弾がお前の脳天を貫くかもしれない。しかしその決定権はお前 にある。俺はただ勧告するだけだ」というようなものなのである。これが"勧告"と偽称する恐るべき恐喝(きょうかつ)でなくて何であろうか。
 


 谷口雅春著 「私の日本憲法論」より



参考