Movie ”Hanano-Atosaki"
映画「花のあとさき~ムツばあさんの歩いた道」を観ました。暮らす人が年々少なくなる秩父の山深い村で、長い間世話になった段々畑が荒れ果てて行くのを申し訳なく思ったムツさん夫婦は、せめて花を咲かせて山に還したいとの思いで、毎日コツコツと花を植え続け、その数は1万本以上に。数年前に夫婦は亡くなったけれど、今も春になると色とりどりの花々が咲き始め、訪れる人々を楽しませてくれる。映画の公式HPはこちらより。
Movie ”Hanano-Atosaki"
映画「花のあとさき~ムツばあさんの歩いた道」を観ました。暮らす人が年々少なくなる秩父の山深い村で、長い間世話になった段々畑が荒れ果てて行くのを申し訳なく思ったムツさん夫婦は、せめて花を咲かせて山に還したいとの思いで、毎日コツコツと花を植え続け、その数は1万本以上に。数年前に夫婦は亡くなったけれど、今も春になると色とりどりの花々が咲き始め、訪れる人々を楽しませてくれる。映画の公式HPはこちらより。
Mt. Ibuki
伊吹山(1377m)に登ってきました。と言っても今回は本格登山ではなく、伊吹山ドライブウェイ終点の駐車場から山頂まで標高差100mばかりを歩いただけでした。山頂付近のお花畑一面に咲き乱れる夏の花々を楽しみにして行ったのですが、今年はずっと雨が続いているせいか、花は群落を作らずあちらに1輪こちらに1輪と咲くばかりで、まるでお花も今年ばかりはコロナを恐れてソーシャルディスタンスを保っているかのようでした。
西登山道
オオバギボウシ
ヤマホタルブクロ
メタカラコウ
クガイソウ
イブキトラノ
ミヤマコアザミ
ウツボグサ
40分程の登りで山頂に到着。ほどなく雲に覆われ視界が悪くなってきたので、雨が降り出す前にと早々に同じ道を下りました。
山頂の小屋群
道標
日本武尊像
下山途中で、立木のてっぺんで鳴く「ホオジロ」と「ウグイス」を見つけました。ホオジロは「一筆啓上仕り候」とか「源平つつじ白つつじ」などと鳴いて縄張り宣言する姿はしばしば見かけたことがありましたが、ウグイスの方は「ホーホケキョ」の鳴き声こそよく聞くものの常に警戒して藪の中に隠れておりその姿を見るのは初めてのことでした。しかし正直あまり可愛い姿とは思えず、声だけで想像していた方が良かったかもしれません。
ホオジロ
ウグイス
今年は梅雨前線がいつまでも居座って全国的に雨降りの日が続いている中で、曇ってはいたけれど雨に濡れずに山歩きができた事は大変ラッキーでした。
Movie "Yayoi, March"
映画「弥生、三月 (君を愛した30年)」を観ました。運命で結ばれた二人の男女の30年間が3月の出来事だけで紡がれていくラブストーリー。若い人に観て欲しい映画でした。映画の公式HPはこちらより。
Port of Humanity, Tsuruga Museum
敦賀市の金ヶ崎城址すぐ近くにある「人道の港・敦賀ムゼウム」を参観しました。敦賀港は、1902年から1941年にかけてウラジオストク港との間に直通航路が運航され、シベリア鉄道を利用してヨーロッパの各都市を結ぶ交通の拠点港でした。歌舞伎の市川左団次がモスクワ公演の為に、またマラソンの金栗四三もストックホルム五輪出場の為に、この港を通過しました。
建物の外観
展示の一部
1920年代には、ロシア革命による内戦状態で酷寒のシベリアに残されたポーランド孤児763名が、日本赤十字社の救助によって敦賀港に上陸しました。孤児たちは東京や大阪に用意された収容所に移送され、病気の治療や栄養失調の回復を受けたのち、横浜や神戸から母国ポーランドへと帰国して行きました。
1940年代には、ナチスドイツの手から逃れたユダヤ人難民約6000人が、リトアニア・カウナスの杉原千畝代理領事が発給した「命のビザ」を持ってシベリア鉄道経由でウラジオストクに到着。そこで当時のJTB職員であった大迫辰雄氏の支援により、ついに日本海を超えて敦賀港に上陸。その後難民たちは神戸や横浜からアメリカなど安住の地を目指しました。
赤レンガ倉庫
杉原千畝が発給した「命のビザ」を手にした6000人のユダヤ人を救う命のリレーを繫いだもう一人の日本人がいたことを、ここで知ることが出来ました。
Kanagasaki Castle Ruins
光秀ゆかりの地として、福井県敦賀市にある「金ヶ崎城址」を訪れました。越前の朝倉攻めで敦賀に侵攻した信長は、「金ヶ崎城」を攻略してここから朝倉氏の本拠である一乗谷に進軍しようとした矢先、同盟関係にあった北近江の浅井長政が裏切り、朝倉軍と浅井軍との挟み撃ちに会う窮地に陥りました。
金崎宮
眼下に敦賀湾
浅井長政の裏切りを信長に知らせたのは、長政に嫁いでいた信長の妹・お市の方で、両端を紐で結んだ小豆袋を送り「袋のネズミ」を暗示させた、という逸話が残されています。
信長は若狭経由で京都に撤退を決め、そのしんがり役を光秀と木下藤吉郎(後の秀吉)が務め、退却を成功させたとされています。光秀にとってここはその後の活躍昇進への「飛躍の地」となりました。
Ichijodani-Asakura Ruins
NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」は、美濃を脱出した光秀が越前朝倉氏を頼って逃げのび、後に信長に仕えるまでの10年間の雌伏期間に入ったところで、新型コロナウイルスの影響により放送が中断しています。この休止中の様子を是非知りたいものと、福井市の「一乗谷朝倉氏遺跡」を訪れてみました。
遺跡マップ
一乗谷川
遺跡の入口
戦国時代、朝倉氏は5代100年に渡ってこの地に1万人が住む城下町を造り、「北陸の小京都」と呼ばれて繁栄していました。光秀は近くの寺の門前に住んで寺子屋を開き、朝倉氏とは鉄砲指南や医学を通して関りがあったようです。その後光秀はこの地を離れ、信長の家臣となってその才を発揮していきました。
朝倉氏の館跡
館の唐門
復元屋敷
復元鎧
時代を経て、朝倉氏は信長によって滅ぼされ、一乗谷は焼き討ちされて放置されました。やがて(一乗谷川によって運ばれたと思われる)土砂に埋没して400年間に渡り水田とされていたものが、昭和になって発掘され、城下町の遺構が当時のままの状態で残されていることが判ったとのこと。現在は貴重な遺跡として整備され今も発掘が続けられています。
Temporary staff 4
早朝5時にカラスの鳴き声で目が覚めました。2羽のカラスが屋根の上にとまり庭を見下ろしながら、野菜監視員のお二人の様子を確認し合っているようです。カラスは学習能力が高いというので、そろそろ慣れてきたのかも知れません。そこでもう一人最強の助っ人「風車の弥七さん」にも登場願いました。その昔水戸黄門様の隠密として働かれた事もある、伊賀忍者出身のお方です。
弥七さん
カラス対策には動くものが効果ありというので、せっせとクルクル動き回って貰いましょう。
効果のほどはまだわかりませんが、今日の収穫写真です。小玉スイカとプリンスメロンは初収穫。美味しいかどうかは切ってみないとわかりません。