Port of Humanity, Tsuruga Museum
敦賀市の金ヶ崎城址すぐ近くにある「人道の港・敦賀ムゼウム」を参観しました。敦賀港は、1902年から1941年にかけてウラジオストク港との間に直通航路が運航され、シベリア鉄道を利用してヨーロッパの各都市を結ぶ交通の拠点港でした。歌舞伎の市川左団次がモスクワ公演の為に、またマラソンの金栗四三もストックホルム五輪出場の為に、この港を通過しました。
建物の外観
展示の一部
1920年代には、ロシア革命による内戦状態で酷寒のシベリアに残されたポーランド孤児763名が、日本赤十字社の救助によって敦賀港に上陸しました。孤児たちは東京や大阪に用意された収容所に移送され、病気の治療や栄養失調の回復を受けたのち、横浜や神戸から母国ポーランドへと帰国して行きました。
1940年代には、ナチスドイツの手から逃れたユダヤ人難民約6000人が、リトアニア・カウナスの杉原千畝代理領事が発給した「命のビザ」を持ってシベリア鉄道経由でウラジオストクに到着。そこで当時のJTB職員であった大迫辰雄氏の支援により、ついに日本海を超えて敦賀港に上陸。その後難民たちは神戸や横浜からアメリカなど安住の地を目指しました。
赤レンガ倉庫
杉原千畝が発給した「命のビザ」を手にした6000人のユダヤ人を救う命のリレーを繫いだもう一人の日本人がいたことを、ここで知ることが出来ました。