Musical play "Dosan-no-mita-Yume"
岐阜市文化センターで上演された朗読劇「道三のみた夢~斎藤道三とその父・新左衛門尉の物語~」を観ました。NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」の舞台となった岐阜県美濃の地で、国を豊かにして戦国の世を終わらせようとした道三親子の生きざまが、朗読に加え、オーケストラ演奏と合唱・ソロ、三味線や琴・尺八などの邦楽、舞踊、映像など、さまざまなジャンルが融合するステージで壮大に描かれました。
開演前ステージ
中日新聞より
Musical play "Dosan-no-mita-Yume"
岐阜市文化センターで上演された朗読劇「道三のみた夢~斎藤道三とその父・新左衛門尉の物語~」を観ました。NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」の舞台となった岐阜県美濃の地で、国を豊かにして戦国の世を終わらせようとした道三親子の生きざまが、朗読に加え、オーケストラ演奏と合唱・ソロ、三味線や琴・尺八などの邦楽、舞踊、映像など、さまざまなジャンルが融合するステージで壮大に描かれました。
開演前ステージ
中日新聞より
Mt. Ozaki-Mitsumine-Yama
「尾崎三峰山」(標高250m)に登りました。360度展望の開けた山頂からは、南には濃尾平野の広がりが、西には「伊吹山」と岐阜城が建つ「金華山」が肩を並べ、北には加賀の「白山」が名前のように白く輝き、東には木曽の「御嶽山」が雄大な姿を見せてくれました。
中央登山口
展望台
山頂広場
南(名古屋方面)
西(伊吹山)
北(白山)
東(御嶽山)
今日は暖かくなって陽気が良すぎたせいか、春霞で遠くが霞んでいました。写真を撮るにはもう少しキンと冷えた日の方が良いようです。
Flower Park Konan
木曽川畔にある「江南フラワーパーク」へ行って来ました。春の花々が咲き揃うにはまだ少し早かったようですが、広い園内の一角ではクリスマスローズやラッパ水仙の花が咲いていました。
3月になってもっと暖かくなったらもう一度訪れてみましょう。
138 Tower Park
愛知県一宮市にある「138タワーパーク」へ行って来ました。今日は日中20℃近くまで暖かくなり、公園内ではミツバチ達が花を求めてアチコチ飛び回っていました。春はもうすぐですね。
138タワー
梅
梅と蜜蜂
X'masローズ
タンポポ
Kiso Riverside Park (3)
2週間ぶりに川島町の木曽川「河川環境楽園」を訪れました。一時は雪が降る寒い冬に戻ったけれども、今日は暖かい太陽の光がたっぷりと差し込んで、花達の開花が進んでいました。
福寿草
ミスミソウ
節分草
マンサク
Snowy day
「今日は”雨水”で、雪が雨に変わる頃です」とテレビで言っているが、岐阜市内で昨夜から降り始めた雪は8cmの積雪。また冬に逆戻りしたような寒い日になりました。我が家の庭で咲き始めた梅の花も綿帽子を被って震えています。
Movie "Three Tenors - Voices for Eternity "
映画「甦る三大テノール・永遠の歌声」を観ました。1990年7月イタリア・ローマのカラカラ浴場で、パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスというオペラ界の”三大テノール”が競演する奇跡のコンサートがありました。当初は1回限りの予定だったが大好評でその後17年間に亘り三大テノールとして世界各地で演奏会が開催されました。カラカラ浴場コンサートから30年、当時のコンサート映像や、バックステージ秘蔵映像、インタビュー映像等で紡がれたドキュメンタリー映画が出来ました。映画の公式HPはこちらより。
Ancient Tombs in Ono-Town
岐阜県揖斐郡大野町にある「野古墳群」に行って来ました。濃尾平野の西北縁に位置し、400メートル四方の狭い範囲に前方後円墳や円墳など中・小型の古墳が密集しており、現存する9基と、開墾などによって地上部が削られた5基の計14基が国史跡に指定されています。
麦畑や柿畑に隣り合って小高い土山があちらにポコリ、こちらにポコリと並んでいました。
Tanigumisan-Kegonji Temple
揖斐川町にある「谷汲山華厳寺」に行って来ました。西国三十三ヶ所観音巡りの第三十三番札所で結願・満願のお寺として知られています。仁王門には赤鬼が立っており、股くぐりをしてから参拝すると今年1年間の厄除けになるとのことで、早速くぐってからお参りしました。
おいずる堂
満願堂
御詠歌: 今までは 親と頼みし おいづるを 脱ぎて納むる 美濃の谷汲
Hoshinomiya-Shrine in Minami, Gujo
郡上市美並の「星宮神社」を訪れました。今日は「節分祭」の行事があり、神事の後、境内の真ん中で古いお札や人形などを焼く「焚き上げ」が行われ、地元の人々が集っておられました。
星宮神社
焚き上げ
星宮神社の由緒書きによると、平安時代の初め、瓢ヶ岳に住む妖鬼が人々を悩ませており、都から遣わされた藤原高光が虚空蔵菩薩の加護によって見事退治したことに感謝して、麓に虚空蔵菩薩を本尊とする星宮粥川寺が建立された。高光が妖鬼に矢を命中させて射落としその矢を滝に納めた所が「矢納ヶ淵(やとうがふち)」であり、鎌で仕留めて絶命させたという事で「左鎌の絵馬」が奉納されるようになったとのこと。
矢納ヶ淵
左鎌の絵馬
また、「円空仏」で知られる円空上人は、江戸時代初期に美並町で木地師の子として生まれと推定されています(諸説あり)。粥川寺で得度し、以来粥川寺を本寺として全国遊行に出かけ、また戻るを繰り返し、64歳で関市池尻の弥勒寺で入定した。星宮神社に隣接する「美並ふるさと館」には数多くの円空仏が陳列されており拝観することが出来ます。
円空のふる里