Travel to Sanriku-Region in Tohoku(Part 2)
2024年7月21~23日の3日間、東北の三陸地方を旅しました。これはその後編で、2011年3月11日に発生した「東日本大震災津波」によって大きな被害を受けたこの地の復興の状況を記録したものです。
1)陸前高田の「高田松原」: かっては約7万本の松林だったが、津波で1本だけが残り「奇跡の1本松」として復興のシンボルになった。翌年に塩害で枯死した後、現在はモニュメントとしてレプリカが保存されています。
復興記念公園
防潮堤
奇跡の一本松
松の背後には、津波で壊れた建物
ユースホステル
2)田野畑村・羅賀の津波石: 明治の三陸大津波で打ち上げられたという「津波石」。今回の東日本大震災でもほぼ同規模の最大20mを超す津波が発生したが、昔から伝承されてきた教訓によって村民の多くが高台に避難して助かり、犠牲者は8人だったと刻まれていました。泊まったホテルでは3階まで津波が押し寄せたそうです。
ホテル羅賀荘
津波石
慰霊碑
3)南三陸町: 宿泊した「南三陸ホテル観洋」が主催する「語り部バス」に乗って被災地を巡りました。自らも被災者となったホテルスタッフが「語り部」となって、震災を風化させないためにと当時のご自身の体験談やホテルの取り組みなどについて説明を受けました。
ホテルの外観
ロビー震災展示
5階からの眺め
語り部バス
327人全員生還
復興記念公園
防災対策庁舎
職員ら43人犠牲
震災直後の写真
「ホテル観洋」でも2階の露天風呂まで津波が押し寄せたそうですが、建物の被害はほとんどなく、震災後のボランティアの方々の活動拠点として、また地元被災者の二次避難所として600人を受け入れるなどの支援をされました。今も震災を風化させないために「語り部バス」を毎日運航、将来の防災・減災への各種取り組みを実施されています。
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