「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

死んでもいいから アメなめたい

2009年05月31日 23時25分41秒 | 介護帳
 
(前の記事からの続き)

 実習で一番 印象に残ったことがあります。

 一日に 数回行なわれるミーティングで、 取り上げられたケースです。

 ある利用者が アメをなめたいという 希望があるのですが、

 その人は のどに詰まらせてしまう 恐れがあるので、

 看護師から止められていました。

 それでも本人と家族は、 窒息してもいいから なめたいと言っているのです。

( 糖尿病はないので、 医療上は 禁止する理由はありません。 )

 一昔前なら 恐らく当然 アメはダメだったと思います。

 でもその施設では、 それでもなめてもらうかどうか、

 まともに検討する姿勢に 驚きました。

 吸引機なども力は弱く、 高齢者の場合、

 詰まらせたら もう出すことはできないと 思わなければいけないそうです。

 スタッフが その利用者を見守れる時だけ なめてもらってはどうか、

 という意見も出ましたが、

 その人は 自分の居室で、いつでも好きなときに なめたいそうなのです。

 あるスタッフは、 その人がアメを詰まらせて 亡くなっている姿を見たとき、

 それが本望で その人らしい死に方だったと 思えるか、

 やっぱりあの時 やめさせておけばよかったと 思うかだと、

 問題の核心に触れました。

 現在の視点だけでなく、 将来からの視点でもあります。

 そして、 看護師が禁止したからと言って 何でもやめさせるのではなく、

 利用者の 「生活者」 としての希望を、

 どれだけ叶えられるかというのが 自分たちの仕事だと。

 医療から独立した、 介護の仕事に プライドと専門性を持っている、

 確たる価値観に感銘しました。

 でもスタッフたちは 少しも気負っているわけではなく、

 それが全く 当たり前のこととして 平然と話しているのです。

 棒や糸の付いた アメにするとか、 詰まらないように 細かくしたアメ,

 溶けやすいアメはどうかなど 具体案を挙げながら、

 利用者の希望を 尊重するようにしていきます。

 介護もここまで来たかと、 隔世の感を 感じた次第です。

( ただし万一の場合には、 スタッフだけの責任ではなく

 施設の責任になるので、 本人や家族の 承諾書は必要と言っていました。

 また、 良い施設ばかりであるはずがなく、 様々な問題は 耳にしますが。 )
 

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