「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

お役目を終えた赤プリ

2011年07月01日 23時32分28秒 | 東日本大震災
 
 「赤プリ」 の愛称で親しまれた  「グランドプリンスホテル赤坂」 は、

 老朽化などのため 3月一杯で閉館したあと、

 東日本大震災の被災者を 受け入れていました。

 7月から解体作業の計画が 決まっていたため、

 6月30日で 避難所としてのお役目を終了しました。

 実は今年の2月、 僕は友だちと

 赤プリのランチバイキングを 食べに行っていました。

 最初は 3月で営業終了ということを 知らなかったのですが、

 ネットでニュースを見て びっくりした次第です。

 そのため予約も かなり取りにくかったのですが、

 幸い赤プリで 最後のランチを楽しむことができました。

 その1ヶ月後に 東日本を襲った大震災、

 そして 赤プリが都と共同で 被災者を宿泊させてきました。

 都心の一等地で 豪華ホテルに無料で泊まれるのに、

 当初は 被災者から敬遠されていました。

 期限が6月までと限られているので、

 その後の避難先や 子供の転校を心配したためです。

 でも6月末の時点で 579人が生活し、 31人の児童生徒の家族も

 近くの避難所に 移ることが決まり、 転校しないですむことになりました。

 6月30日には、 352人が “チェックアウト” しました。

 最後は 被災者の子供たちが 従業員に寄せ書きを手渡し、

 涙をこぼすスタッフもいました。

 この3ヶ月間、 スタッフは

 赤プリが 被災者の 「家」 となるよう、 心を砕いたといいます。

 子供は全員、 名前を覚えて呼びかけました。

 ボランティアらも学習室を設置して、

 児童生徒に勉強を教えたり、 進路相談に乗ったこともあるそうです。

 被災者も、  「赤プリの人たちは、 優しくて洗練されていた」 と振り返り、

 お世話になったホテルを 後にしたのでした。

 これで赤プリが なくなってしまうのかと思うと、 感慨深いものがあります。

〔 参考資料: 読売新聞他 〕
 

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