5月28日(水)晴れ後曇り
先日の日曜の夜遅く家を出た。一昨年だったか棚田百選を知り、その中で新潟県十日町市松之山地区の棚田の美しさが脳裏に焼きついた。行ってみたいと思った。だが水を張った田に苗が植えられると一、二週間で稲が育って水面が直ぐに隠れてしまう。
絵にできる時間は限られている。昨年はあっというまにこの時期を逃した。
今年は、このへんの田に水が張られるのを見て現地の観光協会に問い合わせてみた。週末は写真を撮る人で凄い人出だという。
天気予報をみた。月曜から晴天が続くという。いまだと思った。
途中のSAで仮眠をとりつつ早朝、国道177号線から405号線松之山へ分岐する津南町に着いた。
案に相違して空は厚い雲、パラパラと雨模様だ。それでも構わず道を進んだ。
だが目的の風景には中々出会わない。
途中標識を見誤って道をまちがえたらしい。それでも構わず進んだ。漸く超えた峠道がくだりになった。
目の前に念願の棚田の風景が広がった。小雨に濡れながらデジカメのシャッターをきり、すばやく鉛筆でラフスケッチをした。
道をゆくほどに次々と美しい棚田の風景が展開してゆく。足ぶみしたくなるほどの景観である。
畦に植えられた杉の木立。その間に桐が植えられ薄紫の花が空に向かって櫛の歯のように咲いている。
それらがか細い早苗が並ぶ田の面に映りこむ。
地元の看板には日本の原風景とあった。
その通りだと思った。
これこそは、昔の人たちの自然に育まれた美意識の賜物ではないだろうか。そしてそれは、日本のどこにでもあったのだ。
幕末、日本へやってきた外国人は皆その美しさに驚いている。
今の我々は、そんなご先祖様の営々たる営みを一顧だにすることなくずたずたに引っ掻き回し、無機質なコンクリートの構築物でうめつくしていくのだ。
それにしても、何故こんなに美しいのだろうか。どこにも野立ての看板もない。
傾斜地の等高線のままに寸分も無駄にすることなく巧みに作られた耕地。
恐らく、ご先祖様はこの地を開墾したとき、田の周囲には、杉を植えいつか屋敷の建替えの用材の一部にと考えられたのではなかろうか。そして娘の嫁入り道具の箪笥をつくるために桐の木を植えたのでは…。
集落の人々は、皆、異をたてることなく同じようにしたのだろう。
その結果、統一感のある景観が出来上がったのではないだろうか。
しかし、今、この景観はいつまでこのまま保たれるだろうか。
このへん出会う方々は皆、私同様の年配者ばかりのようだ。小さな棚田には機械も入らない。菅笠の老女が一人腰を折って一本一本丁寧に苗を植えている姿もあった。
農林水産省あたりは、効率化を図るため、何時この歴史的景観をブルトーザーで蹂躙し、長方形の大規模圃場に変えようかと虎視眈々と画策しているのではなかろうか。
そんなことを思いつつ、少しでも長くこの景観がたもたれるよう、祈るような気持ちで何枚かのスケッチにおさめた。
先日の日曜の夜遅く家を出た。一昨年だったか棚田百選を知り、その中で新潟県十日町市松之山地区の棚田の美しさが脳裏に焼きついた。行ってみたいと思った。だが水を張った田に苗が植えられると一、二週間で稲が育って水面が直ぐに隠れてしまう。
絵にできる時間は限られている。昨年はあっというまにこの時期を逃した。
今年は、このへんの田に水が張られるのを見て現地の観光協会に問い合わせてみた。週末は写真を撮る人で凄い人出だという。
天気予報をみた。月曜から晴天が続くという。いまだと思った。
途中のSAで仮眠をとりつつ早朝、国道177号線から405号線松之山へ分岐する津南町に着いた。
案に相違して空は厚い雲、パラパラと雨模様だ。それでも構わず道を進んだ。
だが目的の風景には中々出会わない。
途中標識を見誤って道をまちがえたらしい。それでも構わず進んだ。漸く超えた峠道がくだりになった。
目の前に念願の棚田の風景が広がった。小雨に濡れながらデジカメのシャッターをきり、すばやく鉛筆でラフスケッチをした。
道をゆくほどに次々と美しい棚田の風景が展開してゆく。足ぶみしたくなるほどの景観である。
畦に植えられた杉の木立。その間に桐が植えられ薄紫の花が空に向かって櫛の歯のように咲いている。
それらがか細い早苗が並ぶ田の面に映りこむ。
地元の看板には日本の原風景とあった。
その通りだと思った。
これこそは、昔の人たちの自然に育まれた美意識の賜物ではないだろうか。そしてそれは、日本のどこにでもあったのだ。
幕末、日本へやってきた外国人は皆その美しさに驚いている。
今の我々は、そんなご先祖様の営々たる営みを一顧だにすることなくずたずたに引っ掻き回し、無機質なコンクリートの構築物でうめつくしていくのだ。
それにしても、何故こんなに美しいのだろうか。どこにも野立ての看板もない。
傾斜地の等高線のままに寸分も無駄にすることなく巧みに作られた耕地。
恐らく、ご先祖様はこの地を開墾したとき、田の周囲には、杉を植えいつか屋敷の建替えの用材の一部にと考えられたのではなかろうか。そして娘の嫁入り道具の箪笥をつくるために桐の木を植えたのでは…。
集落の人々は、皆、異をたてることなく同じようにしたのだろう。
その結果、統一感のある景観が出来上がったのではないだろうか。
しかし、今、この景観はいつまでこのまま保たれるだろうか。
このへん出会う方々は皆、私同様の年配者ばかりのようだ。小さな棚田には機械も入らない。菅笠の老女が一人腰を折って一本一本丁寧に苗を植えている姿もあった。
農林水産省あたりは、効率化を図るため、何時この歴史的景観をブルトーザーで蹂躙し、長方形の大規模圃場に変えようかと虎視眈々と画策しているのではなかろうか。
そんなことを思いつつ、少しでも長くこの景観がたもたれるよう、祈るような気持ちで何枚かのスケッチにおさめた。